投稿者「木原 康明」のアーカイブ

覚悟を決めて、迷いなし。

悩んでいる時というのは、大概覚悟が決められていない時である。そのような時、強い覚悟を決めるとつまらない悩みなどは吹っ飛んでしまう。そして人間関係で悩んでいる時は「来るものを拒まず、去る者を追わず」という気持ちを固めれば、これまた悩みが消える。こう言うと非常に簡単なことだが、これがなかなか決められないものである。

未練があったり、欲が出たり。中途半端が一番ダメである。「百かゼロか。」そのような強い決断力が何事にも必要である。

命に関する覚悟、人間に対する覚悟、あるいは今取り組んでいることに対する覚悟。何事にも強い覚悟を持って生きていきたい。人付き合いに対しても、相手が男であろうが女であろうが全力投球!

人生は有限である。そんな有限の人生を悔いのないように生きていくために、強い覚悟を持って生きていきたい。

ネット・ITより、リアルな体験に価値がある。

現代のネット万能社会において、ネット・IT崇拝はビジネスにおいても私生活においても非常に顕著になりつつある。昔は数千円出して買っていたビデオだったが、現在では無料で限りなく動画を見れるし、情報も限りなく手に入る。そのようなことは確かに便利だが、それは本当に望むべき姿なのだろうか?

現在の30代以上の人間は、アナログとデジタルの双方を体験してきた。だからこそ、その双方の良い面・不便な面を比較することができる。しかし20代よりも若い‘‘ネットネイティブ”と言われる若者たちは、生まれた時からネット社会にどっぷりと浸かり、デジタルな世界が当たり前だと感じているのかもしれない。

‘‘ネット・ITネイティブ”と言うとITを使いこなせる優秀なイメージがあるかもしれないが、その一方、現在の技術の中身・仕組みを知っている人はほとんどいないと思われ、ブラックボックスの入り口と出口だけを見て利用しているだけだとも言える。便利に利用できればブラックボックスでもなんでもいいと思うかもしれないが、周りの全てをブラックボックス化することは非常に危険だ。

このようなネット・ITへのアンチテーゼからか、アナログ世界への回帰があらゆる所で起こっている。例えば腕時計がそうである。最近の腕時計の最新技術はスマートウォッチであろう。スマートウォッチは時計という枠組みを超えて、メールから電話まであらゆることができる。このようなスマートウォッチが人気を集める一方、昔ながらの機械式時計も現在ブームである。100万円を超える機械式腕時計が人気を集めているという。このような機械式時計に魅力を感じるのも、現在のネット・IT社会へのアンチテーゼと見られるし、実際時計だけに限らず古典的な物・古典的なリアル体験が非常に注目を浴びている。

ネット・ITは総体的には莫大な価値があるが、単体で見るとそれらの価値は下がっているのではないかと感じる。その一方、アナログ的な物・体験は現在見直されてきており、これからはアナログ的な価値への追求がより盛んになるのではないかと感じられる。

“人生設計”から外れるほど面白い。

子供の頃、若い頃、あるいは現在も、将来を想像して人生設計を立てる人は多いかもしれない。しかし現実は、一部の人を省いてほとんどの人は人生設計通りにいかないと嘆いている。

しかし、人生設計通りにいかないことを悲観する必要は何もない。人生設計通りにいかない時は、目標を修正あるいは変更すればいい。そして人生設計通りにいかないからこそ、予想外の出会いがあり、予想外の人生展開が繰り広げられる。

もし何もかもが人生設計通りにいく人生があったらどうだろう。そんな人生に魅力を感じるだろうか?設計通りに進む人生などは、機械とまるで変わらない。設計通りに行くのは機械だけでいい。

人生設計から外れて予想外のハプニングが起きることが人生の醍醐味でもあり、エキサイティングさを演出させる。確かに人生設計から外れることは、多くの場合苦境に立たされることになる。しかし、苦境に立たされた人間はかなり強い。苦境に立たされるからこそ打開策を模索し、思い切った行動に出る。それによって大きな飛躍がもたらさられる。

僕自身、人生設計通りにいったことなどほとんどないと言っていい。それが故に非常に苦しい立場に立たされてきたことは事実だ。しかしそのような展開になったことを悔やんだりしたことはほとんどない。むしろそれがきっかけで新しい展望が広げられたことに夢が広がり、刺激を感じる。

党首討論。

報道番組で、「今年は一回も党首討論が行われなかった」というニュースを見た。この背景にはもちろん森友・加計問題の影響があるのだろうが、与党党首である安倍首相が疑惑に対して逃げの姿勢をとるのは、国家元首として恥ずべきことだ。

もし森友・加計問題がクロだと認識しているのならば、首相のとるべき道は逃げではなく、「クロをシロである」と論破することではないだろうか。確かにこのような論破は道義的に問題はあるだろうが、しかしこのような論破ができる言論力は国家元首として必要な能力である。

国会は「国権の最高機関であり、唯一の立法機関である」と定められているが、それと同時に「言論機関である」ということは一般的な認識として認知されている。国会は「最高の言論機関である」と言える。したがって、国会で論破するのも大いにありなのである。

選挙時のポスターでは、候補者は「弁士」と名乗っている。弁士ならば弁士らしく言論で戦ってほしいものである。

複数の目標を持ち、畳み掛ける。

目標は一つではなく、複数持つことが望ましい。目標が一つだけだと、不測の事態が起こり立ち消えになった時に行き場を失うので、そのような時にすぐに次の目標に取り掛かれるように複数の目標を持つことが重要だ。

目標を定める時、どのような基準で目標を見つけるか?その重要な基準として、自分の思考・行動・努力によって、ある程度自分で制御できるものを選ぶことが必要だ。自分で全く制御できないことだと、それは単なる運任せでしかない。もちろん何かに取り組むにあたって運は重要な要素だが、初めから運を当てにするのは愚かな判断である。

何かの目標に向かい、それがだめなら次の目標へ、あるいは今の目標を達成したから次の目標へと畳み掛けていくことを心がけたいものである。

実力と可能性。羽生永世7冠と藤井聡太四段。

12月5日、将棋の羽生善治氏が竜王位の奪取に成功し、永世7冠の称号を得ることになった。羽生氏は実力・実績共に誰もが認める史上最高の棋士であり、今回竜王位に返り咲いたことでさらに実績を積み上げていく予感を感じさせる。

羽生善治氏の永世7冠と共に、今年の将棋界での大きな話題は藤井聡太四段の快進撃であろう。藤井聡太氏の29連勝は非常に大きな実績であることは間違いないが、現段階ではもちろん何のタイトルも取っていないし、実績もまだほとんど出ていない。

羽生善治氏と藤井聡太氏をそれぞれ一言で表すのならば、“実績の羽生”、“可能性の藤井”ということではないだろうか。羽生氏の実績はこれから100年間破られることはないかもしれないが、藤井氏が将来それを破る可能性ももちろん大きい。

“これからの人間”である藤井聡太氏がこれからどれだけ大きな実績を積み上げるか、非常に楽しみであるが、羽生善治氏の大きすぎる実績には感服させられるのみである。

非公式戦では藤井氏は羽生氏を破ったが、公式戦での羽生対藤井の勝負が今から非常に楽しみである。その勝負が竜王戦7番勝負のタイトル戦になるかどうか、羽生氏がその座に就いた今、後は藤井氏の類まれな才能によってその舞台に上がってくるのを待つのみである。

対応原理。

対応原理と言えば、物理では量子論と古典論の対応が思い浮かぶが、この対応原理はビジネスから私生活まであらゆることに言えるのではないかと感じる。なぜあらゆることに対応原理が適応できるのか?それはそれぞれの物事の構造に類似があるからだと思われる。

この構造の類似による対応から、ある一つの分野を極めた人間がその他の多くの分野でも技術を発揮するということが起こる。例えば一つのビジネス分野を極めた人間は、その他の分野でも才覚を表す。

いま取り組んでいることが自分のやりたいことと関係なくても、できるだけ現在取り組んでいることに注意深く取り組むことは重要である。何の関係もないと思っていても、それが本当にやりたいことに応用できることがよくある。他の物事を、本当にやりたいことに結び付けることは、非常に重要である。

物事に取り組むとき、この対応原理を認識することは、あらゆることへの柔軟性と機能性を発揮することにつながる。

三分野の異分野融合。

最近は何かと学際分野が注目を浴びている。一つの分野で突き詰めていくのも手ではあるが、やはり一分野だけで勝負するのは非常に熾烈な争いであり、その他の策として二つの分野の学際分野において分野を融合するのは突破口として非常に有用な手である。

しかし学際分野という言葉が市民権を得た今、二分野融合も一般的になりつつある。そんな時、さらに視点を広げ“三分野融合”という超学際分野で勝負するのは、これからの解決策として大きな力になるのではないだろうか。

三分野まで広げれば、ライバルもかなり少なくなる。そして異分野を融合することによって新たな分野創始に繋がる。数学だと、代数幾何・幾何解析・代数解析など二つの分野を名乗る分野が市民権を得ているが、これからは代数・幾何・解析の三分野にまたがる研究も活発になるかもしれない。数理生物学という分野もあるが、生物学の数理的な考究に物理学的視点を持ち込むという手法もあるのかもしれない。

まだ現在は三分野まで広げてみようという機運ではないが、21世紀後半くらいになれば、三分野融合はあらゆる分野で打開の解決策として大きな市民権を得ているかもしれない。

「良い物を安く」は本当に正しいのか?

もちろん誰だって良い物を安く欲しいものである。良い物を安く提供するとは、日本の美徳のようなものかもしれない。しかしそのことに対する過度な追求は、間違った方向へ進むように感じる。

この様な安さへの過度な追求は、20世紀終わりから21世紀初めへの「失われた20年」につながっていく。市民への優しさを追及した結果、国民全体を考えるとそれが厳しさへと変わっていったのである。

当たり前の事だが、市民が安くで買えば、生産者はその分苦しくなるのである。

やはり、良い物を手に入れた時は、提供者に対してそれに値する対価をしっかりと支払うということは非常に重要なことである。しかし、そのような余裕がないこともあるであろう。その時はせめて提供者に対して感謝の気持ちを持ち、それを伝えるようにしよう。

リスクを取ることが、飛躍への第一歩だ!

ビジネスで大きな成功を収めるためには、リスクを取ることが必要だ。しかしリスクを取る重要性は、ビジネスの世界だけのものではない。学問でも恋愛でもリスクを取ることは非常に重要である。

しかし、何もしないでリスクだけを取るのは無謀である。リスクは努力することによって最小化しなければいけない。例えば、受験ならばレベルの高いところを狙えばリスクは高まるが、努力することによってリスクを最小化できる。恋愛ならば頑張って仕事をすることによってスタイリッシュな洋服を買うことができるし、あるいは努力して内面を魅力的にできるかもしれない。

リスクを取らずに無難に生きるか、リスクを取って飛躍を遂げるのか、それは人間としての思想に大きく関わってくるが、リスクを取らない人間にリスクを取って挑戦する人間を責める資格はない。