投稿者「木原 康明」のアーカイブ

高梨沙羅、W杯歴代最多54勝目!

スキージャンプ・高梨沙羅さんが、歴代最多のW杯54勝目をあげた。通算104戦目での勝利なので、単純に出場試合の半分以上で勝利していることになる。

高梨沙羅さんと言えば、五輪で勝てないと言われることも多いが、W杯でこれだけ勝ち続けることは五輪で金メダルを取る事よりも圧倒的に難しい。五輪が瞬間風速だとすれば、W杯での通算勝利は持久力だと言える。

高梨さんはまだ21歳。これからさらに記録を伸ばし続ける可能性はある。4年後は五輪で勝利とつい思ってしまうが、今のままでも十分に偉大だ。

高梨さんに対して今日本人にできる事は、世界の頂点に立つ高梨さんを励みに自分もより上を目指すことだろう。この何気ないことの積み重ねが、結果的に頂点に立てるか平凡に終わるかという差になって表れてくる。

高梨さんの勝利に奮い立って、世界を舞台に暴れよう!

情報は正しいか?

近年のネット社会化によって、あらゆる情報が無料で簡単に手に入るようになってきている。しかし、その情報は本当に正しいか?と問われると、疑わしい情報もかなりある。

特にネット情報は真偽疑わしいものが混在しており、素直に情報を受け取ることは非常に危険だ。そういう意味で、現在においても信頼性の高い新聞紙による情報はかなり価値があると言える。

テレビにおいては、堅い報道番組とワイドショー的な情報番組では信頼性の落差は非常に大きく、特に後者においては司会者・コメント者が真偽に対する深い考察もなく情報・意見を垂れ流しにしていることもよく見られ、時にはそれらの真偽疑わしい情報が世論を形成する場合もあり、非常に危惧される状況である。

最近、フェイクニュースが問題にされている。悪意の持った偽情報に関しては言語道断だが、現実問題としてフェイクニュースが世間では真情報と信じられることも多く、情報を受け取る者に対しても情報に対する姿勢が問われるところだ。

これらの通り、現代では「火のないところに煙が立つ」ということが当たり前のように起こっており、そのような現実を情報受信者に対しても肝に銘じて情報に向き合うことが求められる。

経験ではない。

技術・スキルの中には、経験がものを言うものが多い。例えば伝統工芸などは十年以上の経験がいるものは多いし、その他様々なものにおいて経験は非常に重要だ。

しかし、経験が全てではない。生まれながらの才能がものを言うものもあるし、性格が関係してくるものもある。そして、それらの資質と経験の双方が必要になるものもある。そのようなことに関して、経験が全てだというのはナンセンスだ。

まずは自分の資質を見極めなければならない。そのうえで自分にとって最も適切な方向に対して経験を磨くことが必要だ。その方向性を誤れば、経験も水の泡だ。

最後に一つ言いたい。多くの事に関して、何も考えずに経験をだけを積むのは無駄だ。常にどうすればより良くなるか?そのようなことを自分の頭で考えながら経験を積むことが必要だ。頭で深く考えながら行うことによって、何倍もの技術・スキルを身に付けることができる。

資質を見極め、自分の頭で考え、そして経験を積む。その三点を押さえなければならない。

安藤美姫のHW(ハードワーク)。

テレビ番組で、プロスケーターの安藤美姫さんがインドネシアのジュニアスケーターにレッスンをするという企画があった。やはりプロが教えるとこうも変わるものかとびっくりしたが、その安藤美姫の教えを見ていて、自分に対する厳しさとHW(ハードワーク)は相当なものだと感じた。

もちろんどの分野でも、世界でトップになる人物は例外なくHWをこなしている。もちろんそれに加えてビジョンも欠かせない。iPS細胞の山中伸弥流に言えば、VW(ビジョン&ハードワーク)ということである。

自分には何が欠けているのか?ビジョンか?ハードワークか?それとも両方か?まずは自分を知ることが大事である。自分を知れば後は自分に欠けていることを補強する。そして自分の長所を伸ばす。それの繰り返しである。

努力をしないでくだらないことで悩む暇があれば、少しでも前に進むことを考えなければならない。安藤美姫の姿を見てそんなことを感じさせられた。

周りの目を気にする?気にしない?

「周りの目を気にするな!」とはよく言われるが、多くの人はどうしても周りの目が気になってしまう。しかし周りの目を気にすることは悪いことばかりではない。周りの目、世間の目を気にすることは、周りとの協調、社会との協調について欠かせないことであるし、全く周りの目を気にしなかったらその先にあるのは単なる暴走だ。

しかし周りの目を過度に気にするのはよくない。周りの目を気にせずに自我を守るということも大切である。もし何かで一番を目指すのなら、周りを気にせずに自分を信じるということは必須である。周りを気にしすぎるとどうしても二番煎じ、三番煎じになってしまう。

自分を信じることと暴走的なわがままは紙一重である。もし結果的に成功すれば自分を信じる人と言われるし、失敗すればわがままであると言われる。しかし現在の自分の展望に自信があるのなら、わがままと言われることを覚悟で自分を信じてもいいのではないだろうか。

大坂なおみの圧倒的勝利!

日本時間19日早朝、プロテニスの大坂なおみ選手が、四大大会に次ぐ主要な大会で初の優勝を果たした。もちろんこの結果は凄いのだが、それ以上にすごかったのがその中身だ。元世界ランク1位、そして現世界ランク1位を倒しての勝利だ。しかも試合の中身も大坂なおみの一方的な試合であった。優勝賞金1億4千万円の価値は十分にある。

大坂なおみを最近テレビで見たのは、とあるバラエティー番組で、サーブしたテニスボールを的に当てるというものだった。その番組でのトライは完璧ではなかったが、今考えるとそれも愛嬌だとも感じる。人間性もユーモアがあり、チャーミングで親しみを感じる。

日本人女子では伊達公子以来の世界トッププレーヤーだが、その強さは既に伊達の全盛期を超えているように思える。早計かもしれないが、今回の戦いを観ていると世界ランク1位も夢じゃないように思える。

少し前まで錦織圭選手の試合を手に汗を握って観ていたが、これからは大坂選手に注目だ!

それは原因か?結果か?

こちらは原因を聞いているのに、その答えとして結果を言う人が非常に多い。そうなったのはなぜか?と聞いているのに、それが全然答えになっていないのだ。

これは日常の人付き合いにおいてもよく起こりえることだが、驚くべきことに科学者であっても原因と結果の区別がつかない人がいる。それは特に、生物学・生命分野関係の専門家に多い。

例えば、ダーウィンの進化論などはその最たる例だ。ダーウィンの進化論を履き違えている人は非常に多い。ダーウィンは、何かを(自然が)欲求すればそのようになってくると言いたいのではない。ダーウィンの本質は自然淘汰である。しかし多くの人はそれを理解できていない。ダーウィンの進化論において、自然淘汰を遺伝子レベルで厳密に解明することは大きな課題であろう。

原因と結果の違いを理解できないということは、非常に危機的状況である。そのような点をしっかりと見抜かなければ、疑似科学・エセ科学に騙されることになる。そういう意味では小さいころから科学的素養を身に付けることは非常に重要である。

心と体は連動する。

人間というものは、心と体の双方が存在することによって成り立っている。心だけの人間なんていないし、体だけの人間もいない。心の調子が不安定の時は体の調子にも影響する。だから体の健康を保つためにはまず心を健全にしないといけない。

ただ、強靭な精神力で思い通りにいかない体を維持する人間もいる。先日亡くなった物理学者のホーキング博士だ。ホーキング博士は手足などの体がほとんど動かない。そのような状況でどのように研究を行い、どのように書物を執筆していたか想像できないが、それらの大きなハンデも強靭な精神力があれば乗り切れるのであろうか。

ホーキング博士の生き方を見ていると、小さなことでくじけそうになる自分が恥ずかしい。くだらないことで悩む自分が恥ずかしい。「大丈夫なのか?」ではなく「何とかなる!」という思考が大事なのだろう。保険より挑戦が大事だ。

人間は誰しも寿命がある。百数十年後には現在生きている人間は確実に死んでおり、人類は全て入れ替わっている。その世代に受け継がれるのは体ではなく精神である。そのような精神を打ち立てるためにも、今生きている体を健全に保つことを心がけなければならない。

心の容量。

心の容量(キャパシティー)に余裕がないと、寛容な判断ができなくなる。そのように余裕がない時、その理由は二つある。一つは元々の容量が少ない場合。もう一つはいろいろ詰め込まれて空きがない場合だ。

心はパソコンのストレージと同じで、いかに空き容量を確保するかが重要だ。しかし簡単に容量を増やすことができない一方、油断すればすぐに容量は少なくなってしまう。

ストレスフルな現代社会において、寛容に振る舞うことができないこともよくある。人に対してストレスを感じるとき、その原因はその人にあるのではなく、自分の心に余裕がないことが原因であることに気付く。人に対して寛容になれないことは、自分に対して大きな制限にもなってしまう。

容量を少しでも大きくし、無駄なものは抱え込まずに心に余裕を持たせる。それはなかなか簡単な事ではないが、日常においてそのようなことを意識しつつ寛容に、そしてさらに心臓に毛を生やすことができれば、人生がより明るく、そして軽やかになるであろう。

最年少記録を打ち立て続ける藤井六段。年齢をどう捉えるか?

藤井聡太六段がまた一つの記録を作った。順位戦C級2組を全勝(史上6人目)で一期抜け。そして年間60勝(史上4人目)、先日には年度記録4冠(史上3人目)も達成している。最年少記録を次々と打ち立て続ける藤井聡太六段は驚異的としか言いようがない。

もちろん年少で記録し続けることはそれだけで大きな価値があるが、しかし記録は年少でないと価値がないわけではない。米長邦雄永世棋聖のような大器晩成の棋士もおり、その他の分野を見渡しても晩成の人物はいたるところで見かける。

もう歳だからとあきらめる人は多い。もちろんそれは賢い選択であろう。ただ、賢すぎる生き方をする人物は、なかなか偉大にはなれないような気がする。大成するためにはバカな面は多かれ少なかれ必要だ。バカになり切れるか、そこが非常に重要なポイントである。

バカというのはネガティブな事ではない。バカになりきるためには才能・人間性など、あらゆる資質が必要である。才能がない人間はバカにはなりきれない。

自分はどこまでバカになり切れるか?そんなことに挑戦したいと思う今日この頃である。