投稿者「木原 康明」のアーカイブ

尾崎豊。

尾崎豊が死去してから、今月でちょうど25年になる。尾崎が死去したのは、僕が中3か高1の時である。

尾崎豊が死去した時は鮮明に覚えている。とは言え、尾崎が死去した時点で僕が知っていた尾崎の曲は、「I LOVE YOU」など数曲に過ぎなかった。すなわち僕は尾崎が死去した後に尾崎を詳しく知ったうちの一人だ。

現在の学生にとって、尾崎の歌詞は非常に古く思えるかもしれない。今の僕が見てもそう思う。しかし、尾崎の歌詞には、人間にとって普遍的な思いも多く含まれる。自分の意志で行動し、「長いものには巻かれろ」という言葉に反骨する精神の持ち主なら、なおさらだと思う。

僕の好きな尾崎の曲の一つに「COOKIE」がある。この曲は、当時の世相に対して疑問に思うことが素直に綴られている。愛しい人が作るクッキーと温かいミルクに心を寄せ、それに対極にある世間・社会の画一さ・おかしさに疑問をぶつけている。その尾崎のCOOKIEに、自分が抱く疑問を重ねたものだ。

最近、音楽業界が盛り上がっていないとよく聞く。もちろん、第二の尾崎が現れたとも聞かない。世相の全く変わった現在では、第二の尾崎は必要ないのかもしれない。大事なのは、第二の尾崎ではなく、第一の何かである。二番煎じでは説得力にも欠ける。

尾崎の歌に学生時代の自分を思い出し、それでも自分にはやっぱり岡村孝子の曲がしっくりくると、繰り返し中学時代から好きな岡村孝子を今でも聴いている。

言い訳。

なんだかんだと書くのをさぼっていたら、あっという間に半月が経った。久しぶりのブログ執筆である。

去年の途中から書きたい時に書こうと思い、毎日執筆するのを投げ出してしまったが、2015年1月途中から2016年途中まで、一年以上、一日も欠かさずにブログを執筆していた期間があった。その時は勝手に手が動くかのように執筆できていたが、毎日書くのを止めてから、少し手が重いように感じるようになっていた。

今月はブログの執筆はなかったが、過去の記事に対するコメントがあり、数往復の熱いやり取りをし、エキサイティングでもあった。

突然だが、思うところがあって、再び毎日の執筆に挑戦しようと思う。このブログの執筆を毎日の習慣とし、毎日お届けしようと思う。毎日執筆するとなると、良い記事もあればくだらない記事も出てくることもある。くだらない記事の時は容赦願いたいが、できるだけ良い記事が書けるように努力するつもりである。

ところで、僕は物事に対して、ついエキサイティングなことを望む癖がある。普通に過ごすのは平和でいいのかもしれないが、つい刺激が欲しくなる。お金の賭け事は全くしないが、人生の博打は常にしている。極端に言えば、「死ぬか生きるか」。ハイリスク・ハイリターンと言いたいところだが、現状はハイリスク・”ロー”リターンになってしまっている。とは言え、いろいろな意味でローリターンで終わるつもりはない。僕はいつもギラギラしている。良くも悪くも常に大きなものを目指している。しかし長い目で見るのもいいが、長く見すぎて結果が出せない。そろそろ結果を出さなければ!

プロ野球の大谷翔平選手ではないが、二刀流するときは、サブのことも全力でしなければならない。そんな当たり前のことに今日気付いたのである。

本業を思いっきりするためにも、サブも思いっきりしなければならない。そうでないと、サブが足かせになり、制約を受けてしまう。

とにかく、今できる事を全て思いっきりやり抜こう。もちろんブログも!

これからも、よろしくお願いします。

理研・高橋政代プロジェクトリーダーのグループが、眼科・iPS細胞・網膜移植に成功。

平成29年3月28日、iPS細胞を使った眼科臨床治療をリードする、理化学研究所・高橋政代プロジェクトリーダーのグループが、iPS細胞由来の網膜移植の臨床実験に成功した。正式な実験名称は、

「滲出型加齢黄斑変性に対する他家iPS細胞由来網膜色素上皮細胞懸濁液移植に関する臨床研究」

という。

実験名称を読んでも、何が何だかよくわからないが、単純に言うと、他人から作成されたiPS細胞から網膜を作成し、移植したと言うことだ。プレス発表によると、この臨床は世界初だそうだが、”本人”由来のiPS細胞による同様の移植は、以前、今回と同じ高橋政代さんのグループが成功したように記憶している。すなわち今回は「他人」の細胞由来というところがポイントだ。

iPS細胞研究は、山中伸弥所長のiPS細胞研究所を起点として、臨床実験がこれから広がろうとしている。その臨床の最先端を行くのが、高橋政代リーダーのグループだ。

iPS細胞研究・医療の大きな特徴は、複数の機関が連携し、役割分担がされていることだと言えるかもしれない。今回の網膜移植臨床でも、理化学研究所・京都大学iPS細胞研究所・大阪大学・神戸市立医療センター中央市民病院の4機関が連携して行われている。

僕は海外のiPS細胞研究の事情はよくわからないが、おそらく日本はリードしているのではないかと思われる。とは言え、以前、山中伸弥教授は「iPS細胞研究・医療は、日本とアメリカは1勝9敗だ」と言われていた。すなわち、最初に発見したのは(もちろんこれが一番重要なのだが)日本(山中グループ)だが、それに続く研究ではアメリカが勝ち続けていると言うのである。

高橋政代チームの臨床は、これから数十年に及ぶであろうiPS細胞医療の行方をうらなうものだ。そういう意味でも今回、高橋政代チームが新たな臨床の初例に成功した意味は非常に大きい。

これからの日本におけるiPS細胞医療の大きな発展を祈るばかりである。

今、仮に政治家になるとしたら、どの党でどうすればエキサイティングか?

最近、国会では森友学園問題で盛り上がっているが、今、もし自分が政治家になるとしたら(なれないけど)、どうすれば面白いか?

僕自身は現在、どの党を支持しているかと言われれば、「自民党」だと答える。しかしもし自分が政治家になれるとしたら、どの党に入りたいかと問われれば、「民進党」と答えるかもしれない。

なぜか?それは民進党がどん底まで落ちぶれているからだ。その傾向は蓮舫体制になってさらに加速化してきた。それに対して、自民党政権は様々な問題があるにしろ、民進党に比べれば格段に盤石だ。

民進党がどん底の状態であるということは、言い換えれば後は、昇るか消滅するかのどちらしかない。民進党ベテラン人があれだけ体たらくだと、若手が変えるしかない。ベテランに対する支持も非常に低い。だからこそ、若手が変革を起こす余地が大いにある。

それに対して、自民党は盤石すぎて若手が出る幕が少ないであろう。現在の自民党では、若手は雑巾がけをするしかない。

民進党の気鋭の若手と言えば前原誠司氏がいると言えるが、はたから見ていると前原氏は権力的な野望があるようには見えない。そこが誠実でいいところかもしれないが、政権を奪取してトップに立つためには強い野望も必要だ。

これからの民進党内で、暴れまわって自分の党を潰しにかかるくらい勢いのある若手政治家は現れるのであろうか?潰れてもおかしくない政党だからこそ、潰すの前提に変革しまくるのも面白いと思うのだが。

今の民進党の若手政治家は、非常にチャンスだと思ってほしいものである。

 

科学を知るとは、科学の限界を知ることである。

最近に限らず、科学を誤解している人が多い。

「科学の力で何でもできる」

あるいは、

「科学的に証明されたものは正しい」

など。

実際は、科学は万能ではないし、科学が常に正しいとは限らない。そもそも、科学は何かの役に立てるためにあるのではない。自然の真理を理解するためにあるのである。科学が役に立つのは、結果論に過ぎない。

そして、科学は常に正しいわけではない。科学の世界では、「今日の本当は、明日の嘘」なんてことは多々ある。このことをわきまえていないと、ちまたで「これは科学的に証明されています」という言葉に乗せられて、何でも信じ込んでしまう。

科学を追究するたびに思うことは、自然にはまだまだ分からないことがたくさんあるということだ。科学を理解するたびに、科学の限界も見えてくる。限界が見えるからこそ、その限界を突破しようと突き進む力があふれる。

科学には限りない力があるのかもしれない。しかし、もし科学の限界が何も見えていないならば、それは科学を全く理解していない証拠である。

なんだかんだと理由を付けて、うだうだする自分が嫌いだ。

昨日(3月9日)もうだうだしたした一日だった。ウダウダ・・・・

理由は、寝違えて首を少し痛めたから。

自分はもしかしたら、100%の状態でないと進めないと思っているのかもしれない。

30%の力しか出せないのなら、30%だけ進めればいいのに・・・

何かと理由を付けてうだうだしている自分が嫌だ!

努力したい!

もっともっと努力したい!

何も常に最高のパフォーマンスを出せなくてもいい。

その時にできる範囲内で、できる事だけをすればいい。

明日は何を理由にウダウダするのだろう?

というふうにならないように、一日一日コツコツと頑張ろう!

ジャパネットたかた・髙田明さん。日本を愛し、本当に人を助ける人とはこういう人なんだと考えさせられた。

日本のお茶の間でおなじみの、ジャパネットたかたの髙田明さん。髙田さん自身はすでに社長を辞められ、一線から退かれているが、ここぞという時には今でも力になっているらしい。(東洋経済オンラインを参考)

ここぞという時とは、そう、大災害時である。地震列島である日本では、震災被害は避けて通れない。いつ、どこで大地震が起こり、自身にも降りかかってくるかわからない。直近の地震被害と言えば、熊本地震が思い出される。

震災被害が起きれば、瞬く間に列島を覆うのが「自粛」の空気。東日本大震災時には、テレビ番組が数日間にわたってCMなしで放送されたことが記憶に新しい。ジャパネットたかたでも、東日本大震災直後は、テレビショッピングを自粛していた。

しかしよくよく考えてみると、災害時の自粛は、被害者にとってもほとんどメリットがない。不謹慎なものを省くのは当然としても、通常の活動の自粛はメリットがないばかりかデメリットの方が大きい。このことは多くの国民も感じていることだとは思うが、どこからともなく自粛の圧力がかかってくるようだ。

その自粛の圧力を破った人の一人が髙田明さんだった。髙田さんは、自粛をして何もしないのではなく、ショッピング営業を行い、売り上げを義援金として送ろうと考えた。そして5日後の3月16日、テレビショッピングを行い、売り上げの全金額7068万円と、それとは別に5億円を被災地に贈られた。その時のテレビショッピングでは、すでに一線を退かれていた高田明さんが直々に出演されたそうだ。

熊本地震の時にも同じように義援活動をされている。

髙田明さんは、日本の政治にも貢献されている。と言っても政治活動にのめりこんでいるわけではなく、政府の方針を後押しするような活動をされているのだ。

エコ政策に対してはエコ商品の売り上げを後押しし、地方創生政策に対しては、「おさんぽジャパネット」という番組を通じて日本各地を歩き、各地の良い物を紹介し、番組の最後でご当地商品のテレビショッピングを行っているそうだ。

この様に積極的に日本のため、日本国民のために動き回られている髙田明さんを見ると、ブログでべらべらとしゃべっているだけの僕自身が情けなくなってくる。

「日本愛」とは、自国至上主義で他国を攻撃することではなく、「困っている人を助ける」、そのような単純な事が根本にあるのではないかと髙田明さんの活動を知って感じた。

この様に、日本に愛を持って接している髙田明さんに感謝と尊敬の念を抱かずにおられない。

森友学園疑惑。昭恵夫人の行動に、安倍首相の責任問題をどう考えるべきか?フジテレビ・Mr.サンデーを観て。

ここ最近、国会で森友学園疑惑について取り上げられているが、これまでは一般大衆誌を元ネタに追及する野党議員のレベルの低い議論を冷ややかな目で見ている状態だった。しかし3月5日(日)の、フジテレビ「Mr.サンデー」を観て、この問題に対する見方が大きく変わった。

普段は、ワイドショーや一般大衆誌のような、火のないところに煙が立つレベルの低い情報源はまともにとらえなかったが、今回のMr.サンデーの特集では、安倍昭恵首相夫人の軽率な行動が「映像」としてはっきりと流されていたので、こうなると話は別だ。

もちろん、今回の疑惑に関しては、首相サイドが周りの人間に利用されていただけという可能性も高いが、しかし本当に利用されていたとしても、最高権力者がいとも簡単に利用されてしまうのであれば、それは権力者としての資質が問われかねない。

森友学園疑惑では、首相本人より夫人が(意図的でないにしろ)積極的に関わっていたようだが、首相夫人という立場は、公人か私人かという議論は差し置いても、大きく責任が問われることは言うまでもない。なぜなら、森友学園という「窓口」から、首相(夫人)のお墨付きのもと、偏った主義・主張が垂れ流されていたからだ。

これまで僕は、安倍首相に対してはかなり肩を持ってきた方だが、この森友学園疑惑に関しては安倍首相に対して厳しい眼で見ざる負えない。

今回の疑惑は、野党にとっては与党・自民党を攻撃するこれとないチャンスだが、初めに述べたように数百円の週刊誌を元ネタに追及するようなありさまである。ここまで高支持率で安泰だった安倍政権にしっかりと一矢を入れることは、野党はもちろん、与党が足元を見直すためにも必要である。

想定内を求める世間。予定調和を求める世間。

最近、いや最近に限ったことではないのかもしれないが、世間は予定調和であふれている。メディアも予定調和に呼応する。それを受け取る人間も、予定調和に安心する。

しかし予定調和はしばしば破綻する。それはテレビ上で、ネット上で、あるいは身の回りで。いったん予定調和が崩れると批判の嵐。現代社会で言う「炎上」というやつか。

「予定調和を求める」ということを言いかえると、「レールに乗って走る」ということか。多くの人々は、レールにしがみつき、レールに乗っていることに安心する。そしてレールから外れた、社会で言う「失敗者」を徹底的に批判する。

この様な習慣が日本だけのものかどうか、僕は世界を見渡した訳ではないのではっきりとはわからないが、アメリカ・欧州などではいかに「出る杭になるか」を競い合う。日本はと言えば「出る杭は打たれる」という言葉があることからも言うまでもない。

しかし現在は日本でも、「出すぎた杭」は評価されるようになったのではないかと僕は感じるが、どうだろうか?もちろん、「出すぎた杭」になるためには、途中過程として「出る杭」にならなければならない。つまり出すぎた杭になるためには、それまでの過程で猛烈な向かい風を受けるわけだ。

出すぎた杭になりたいと思う人は、たくさんいると思う。しかし猛烈な向かい風を切り抜ける覚悟はあるか?異端者になるための試練である。

思想無き民進党政治。党の問題か、議員個人の問題か。

最近、民進党に関して頻繁に話題になるのが「ブーメラン」だ。民進党の周りにはブーメランが飛び回っている。

先日も、教育方針に問題のある幼稚園の教諭を政府が表彰していたことに対して、民進党・大西健介議員が自民党を追及していた。表彰は2回されており、平成20年と24年である。そのことに対して大西議員は自民党が党ぐるみで関わっていたのではないかと発言していたが、24年と言えば民主党・野田政権時代であり、言うまでもなく大西議員の追及は自身の党へのブーメランとなって帰ってきた。

この事例は単純には、政権の歴史を認識していなかっただけと言えるが、その根本的問題は非常に深刻だ。

そもそも表彰一件一件に、政府首脳が関わっていたとは到底考えにくい。まさしく今の民進党、あるいは大西議員の追求は重箱の隅をつつくようなあらさがし以外の何物でもない。この何の思想もない追及がブーメランの根源である。

このブーメランパフォーマンスは民進党のお家芸と言われるまでにいなったが、ある意味、蓮舫・民進党代表の思想無き方針が末端まで浸透しているとも言える。党の問題か、議員個人の問題か、どちらかと問われれば、もうどちらもだとしか言いようがない。

この記事で民進党に対する一般的な批判を書いているととらえられるかもしれないが、僕の本心は、民進党が真っ当な政党になってほしい、民進党に思想ある政治をしてほしいと願う気持ちであふれている。しかし、少なくとも蓮舫体制ではそれは99%無理であると断言できる。民進党にも真っ当な政治家はいる。最近出番はめっきり減っているが、民進党・前原誠司氏などは、誠実な政治ができる可能性のある政治家なのではないだろうか。

いつになるかわからないが、また二大政党体制が確立し、お互い良い意味でけん制し合って、発展的な政治ができるような政界を作ってほしいものである。