投稿者「木原 康明」のアーカイブ

強い人間ほど、己の無力を認められる。

多くの人はなかなか自分の無力を素直に認めようとはしない。そしてその中の一部は虚勢を張ろうとする。自分が弱いからこそ、その弱さを隠そうと虚勢を張るのだ。

逆に強い人間は己の無力を素直に認められる。なぜなら自分の強さに裏打ちされた自信があるから、虚勢を張る必要がないからだ。そして強いからこそバカにもなれる。

自分の強みと弱みを自身で把握しておくことは重要だ。しかし弱みは決して直さなければいけないものではない。弱みを直すのではなく、それを強みに変えるのだ。強みに変えることは直すことよりも圧倒的に威力を発揮する。さらに強みをより強くすることができれば盤石だ。

己の無力を認められない時は、自分が弱くなっている証拠だ。いかに弱みをさらけ出してバカになれるか、それができれば自身はより強くなれる。

ポジティブ!ポジティブ!

はっきり言って、ネガティブに考えていいことは何もない。逆にポジティブに考えて悪いことは何もない。ならば何でもポジティブに考えればいいはずだが、ポジティブになれないこともよくある。

笑っていていいことはたくさんある。笑っていれば切り抜けられることもたくさんある。逆に暗い顔をしていては良いことは起こらない。ならば常に笑っていればいいが、笑顔になれない時もたくさんある。

僕は人よりも何倍も笑っていると感じている。笑っていることは多いが、人以上に悩んでしまうこともよくある。無駄な悩みほど悪いことはない。時には悩むことも必要だが、悩んで気を減らしていてはどうにもならない。

最近、悩んで苦しくなりそうな時は「ポジティブ!ポジティブ!」と口ずさむことにした。「何とかなるさ」と思うことにした。この二つの言葉は非常にいい言葉だ。そのような言葉を日ごろから口ずさむことによって、現実も良い方向に進み、気分も無意識的に明るくなるものかもしれない。楽観的になることは生きる上で非常に重要である。

銀メダルをどう捉えるか?

五輪のアイスホッケーで銀メダルを獲得したカナダ選手の一人が、表彰式で銀メダルを首から外したことがニュースになっている。この選手の行為に対して賛否両論があるが、この行為をどう捉えるべきだろうか?この行為を非難する声は多いが、僕はむしろこの選手の行為に対して非常に好感を持った。

まず銀メダルというものをどう捉えるかだが、世界で2位なのだから凄いという声は多いが、見方を変えれば1位を逃したということだ。銀メダルで喜ぶ選手は多いが、1位を目指して取り組んできた選手にとっては銀メダルは屈辱でしかない。2位という地位に満足せず、絶対に1位でないとダメなんだという意識は、プロのスポーツマインドとしては非常に高いレベルにある。2位で喜ぶ選手よりも2位で悔し涙を流す選手の方が圧倒的に将来性がある。

オリンピックではメダルがもらえる3人(3チーム)が特別だという認識がされているが、本来は1位以外は全て敗者なのである。もちろん2位も凄いことなのだが(銀メダルは世界で2位だから凄いのは当然だ!)勝負で勝者というのは1位の人だけを指す。

今回2位となり、敗者となり、メダルを首から外し悔し涙を流したカナダ選手のマインドには称賛の声を送りたい。そして次は1位になって表彰台に戻って来てほしい。

哲学的原点。

最近は哲学書には全然触れていなかったが、思うところがあって本棚にある西田幾多郎の哲学書を手にとって眺めていた。僕にとって哲学とは人間の学であって、理想を貫く生き方をするためには哲学は欠かせないものだ。

哲学と自然科学との関係については、哲学者、科学者双方に対して融和的な印象は受けない。科学者は哲学者を見下し、哲学者は科学者を支配下に置きたがる。とは言え、僕自身は哲学と科学はそもそも守備範囲が異なるのではないかと感じている。哲学と科学を同じ土俵で闘わせるのには無理がある。

だからと言って、科学者は哲学を無視すればいいのかと言えばそうではなく、科学者にも哲学的素養は非常に重要である。また逆に、哲学者も自然界の真理として科学を熟知することは必要である。

僕にとって、非常に重要な哲学的命題が一つある。それは「いかにして生きるべきか」と言うことだ。哲学的に論じるからには、体系的に解決策を築いていかなければならない。

物理学的命題は解決するときはあるだろうが、哲学的命題は人生が終わるまで追い続けるのかもしれない。

フィギュアスケート女子は、表現力に注目だ。

21日、五輪フィギュアスケート女子ショートプログラムが行われた。予想通り、OAR(ロシア)のメドベージェワとザギトワが共に世界最高得点をたたき出し圧倒的な存在感を見せつけたが、日本の二人、宮原知子選手と坂本花織選手も負けてはいない。

初めに登場した坂本選手は、滑り出した瞬間、明らかに今までと違うとすぐに感じた。スケーティングが非常になめらかで、体の動きから出る表現力も非常に柔らかい。そしてその後、ジャンプはノーミスで終え、パーソナルベストをたたき出した。

宮原選手も出だしから非常に良く、日本の和の表現を非常にはっきりと表現されていた。団体戦で指摘された回転不足も全くなかったようだ。

OAR(ロシア)の二人が圧倒的過ぎて、日本人の金銀ははっきり言って絶望的だが、銅の可能性は非常に高い。宮原選手の演技は以前から定評があり、ミスパーフェクトとも言われているが、注目は坂本選手だ。去年の終わりころから坂本選手の大きなミスは見たことがない。圧倒的な勢いもある。しかも弱いと言われていた表現力に関しても、ショートではトップレベルの表現力で魅了するところまで来た。

ところで僕は、フィギュアスケートの演技を観るとき、ジャンプよりも表現を感じることを楽しみにしている。そういう意味では宮原選手の和の表現は非常に魅力的でもある。そのような目でテレビ中継を見ている時、非常に残念なことがある。今季から演技中にテレビ画面左上に表示されている「技術点カウンター」だ。フィギュアスケートではもちろん点数は重要であるが、演技者の演技、特に選手の表現力を集中して感じたいのに、技術点カウンターが気になる。だからあえて技術点カウンターは視野に入れないようにしているが、それでも技術点カウンターは目障りだ。

ジャンプはもちろんフィギュアスケートの醍醐味ではあるが、表現力にはジャンプ以上の魅力が詰まっている。特に女子の演技では、男子にはない女子特有の魅力ある表現が醸し出されているので、23日にあるフリーではそのような所を感じるのも非常に面白い。

結果が分かっていることに取り組むのではなく、可能性に懸けて取り組む。

確実に結果が出ることに取り組むのではなく、可能性に懸けて取り組むからこそ大きな飛躍が生まれる。確実に結果が出ることに対しては、改めて取り組む重要性は少ない。真に革新的な結果は可能性から生まれるのである。

もちろん安定性という視点から言えば、確実に出ることが分かっていることの方が堅いし無難である。もちろんそれも一つの生き方であろう。もしかしたらほとんどの人はそちらの方を選ぶかもしれない。

可能性に懸けるということは、ある意味ハイリスクかもしれない。そしてハイリスクだからと言ってハイリターンだとは限らない。割に合うか合わないかといえば割に合わないかもしれない。

しかし可能性に懸けて出した結果に対して、無難に過ごしてきた人間が口をはさむ資格はない。可能性に懸けた人物の境遇は、可能性に懸けた人物にしかわからないからだ。

可能性に懸けるか?確実に出ることに取り組み無難に生きるか?それはそれぞれの人生観によるのだろうが、可能性に懸ける方を取る生き方をする人間も世の中には少なからず必要であろう。

周りの目を気にするな!

周りの目を気にしすぎては、自分が本当に打ち込むべきものに真剣に打ち込めない。周りの目は周りの目、自分の目は自分の目としっかり区別することが必要だ。周りの目を全く気にするなとは言わないが、過度に周りの目を気にしすぎると没個性的になってしまう。

人生とは自己表現である。だからこそ自己の意思決定が非常に重要になる。重要な意思決定を他人に任せてはいけない。自分の人生は自分でコントロールしないといけない。

周りの目ではなく、自分の目を徹底的に信じ抜くこと、その先に生きるべき人生が展開するものだと信じている。

好きなことを貫くって、すごく苦しい。

好きなことを貫くっていうことは、決してイコール楽なことではないし、いつもイコール楽しいことであるわけでもない。何に取り組んでいる時も必ず苦しい時はあるが、好きなことに取り組んでいて感じる苦しみは尋常ではない。

好きなことに取り組んでいる限り、言い訳はできないし、逃げることもできない。もちろん言い訳をするつもりはないし、逃げるつもりもないのだが。

好きなことができるということは、非常にやりがいのあることであるし、充実感も半端ない。ただ結果が出るまではそれと比較にならないくらい苦しい。ただ逃げるつもりはさらさらない。なぜなら結果を出す自信はあるし、時間はかかるけど、その先にある成功を想像した時、その興奮からの高揚感はたまらないものがある。

なぜこうなってしまったかは偶然と、時には必然の積み重ねであるが、後悔などは全くしていないし、人生に感謝している。

小平奈緒、王者の金メダル。

18日の夜、五輪スピードスケート500mで小平奈緒選手が金メダルを取った。17日の羽生結弦選手もそうだが、二人とも取るべくして取った金メダルと言えよう。

しかし難しいのは、取るべき人が取れないことが多々あるということだ。王者が金を取るとは限らない、しかし今回、羽生選手と小平選手のメダルは王者が取った金メダルである。

小平選手のことは以前から気になっていた。なぜかと言うと、出身大学が僕と同じ信州大学だからだ。これも何かの縁だと思い、小平選手を応援してきた。

縁と言えば、フィギュアスケート女子個人の坂本花織選手は僕と同じ神戸出身だ。僕も昔、ポートアイランドのスケートリンクには何度も遊びに行った。そのスケートリンクからオリンピック選手が生まれたということは非常に身近に感じて嬉しいものである。

王者小平奈緒が勝つべく臨んだ五輪で本当に勝った。技術・体力的な側面は言うまでもないが、「小平が金を取れなかったらサプライズだ」とも言われた五輪で金を取った小平選手のぶれないメンタルの強さは驚異的である。そのぶれないメンタルを少しだけでも分けてほしいものである。

二人の羽生さん。

17日五輪フィギュアスケートで、羽生結弦選手と宇野昌磨選手が金銀独占を成し遂げた。以前、欲を言えば二人で金銀を、と言っていたが、まさかそれを成し遂げるとは本当にびっくりした。銀も銅ももちろん凄いが、やはり金は別格である。特に今回の羽生選手の演技は、ショート、フリー共に横綱相撲という感を強く受けた。

この羽生結弦選手が金メダルを取った同じ日、将棋の世界ではもう一人の羽生さんが注目を浴びていた。羽生善治永世七冠と藤井聡太五段(対戦時)の対決だ。その結果は羽生さんが藤井さんに敗れ、決勝でも藤井さんが勝利し優勝した。藤井五段はわずか半月で藤井“六段”へとステップアップすることになった。

王者・羽生結弦さんが優勝し、史上最強・羽生善治氏が次世代最強の藤井総太さんに敗れる。二人の羽生氏(と、もちろん藤井氏)が同じ日に時代を象徴する対戦を繰り広げた。羽生善治氏は今回負けたとはいえ、これで将棋羽生時代が終わるとは思えない。現在、スケートと将棋の両方で羽生時代が続いている。二人の羽生氏の存在からは目を離せないが、ポスト羽生時代はどうなるのか?非常に気になるところである。