投稿者「木原 康明」のアーカイブ

自分で自分をコントロールする。

自分を目標へと近づけるために、自分の精神と行動をコントロールすることは重要だ。

目標がはっきりしているのならば、その目標へたどり着くためにはどの道を、どのような手法で、どれだけやればいいかを計算し、適切な手法を取る必要がある。しかし、いつも思い通りにいくとは限らない。アクシデントが起こることは日常茶飯事である。そこで重要なのは、そのアクシデントにどう対応するかである。アクシデントや失敗は決してマイナスではない。それに上手く対処することによって自分を一段高め、その結果目標への近道へと変化する可能性もある。

昔から「急がば回れ」という言葉があるように、回り道が結果的に近道になることがよくあるのである。そして回り道はそれだけ経験の豊富さにもつながってくる。

少し話が逸れたが、アクシデントや失敗が起きた時こそ自分に対するコントロールが威力を発揮する。それは学問に取り組んでいる時もそうであり、また人付き合いにおいてもそうである。

自分をコントロールできる人間は総じて強い。自分をコントロールすることによって、自分の人間性を、そして社会的地位を高め、もしかしたら金銭的な面でも優位に立てるかもしれない。マインドコントロールという言葉は日本ではネガティブな意味で使われることが多いが、自分に対してマインドコントロールできる人間は逆境に遭っても決して倒れないであろう。

安倍首相はトランプ大統領に対してイエスマンになってはいないか?

最近の森友・加計問題を見ていると、安倍首相周辺は安倍首相に対してイエスマンの集まりになってはいないかと感じる。もちろん、何に関しても首相に対してノーと言えばいいという訳ではないが、最近の報道を見ていると、与党及び官僚の答弁・コメントは安倍首相に追従するものばかりだ。唯一、石破茂氏が自民党内で孤軍奮闘して安倍首相に対して苦言を呈しているように思える。

そして上の階層に目を向けると、今度は安倍首相がトランプ大統領のイエスマンになっているように感じる。最近の北朝鮮問題に関しても、安倍首相自身の意見をほとんど感じない。安倍首相の見解のほとんどはトランプ大統領に追従するものばかりだ。

トランプ大統領の北朝鮮に対する対応には疑問に感じるものもあるが、それに対して安倍首相がノーを突きつけたところを見たことがない。確かに日本とアメリカが連携することは重要だが、盟友に苦言を呈することも必要だ。いや、盟友だからこそ苦言を呈するべきだ。

危険じゃないと意味がない!

もし人生の岐路に立った時、どちらを選ぶか?僕は危険な方を選ぶことにしている。もちろん、危険な方を選ぶことに不安がないわけではない。しかし危険な方がより大きな可能性が潜んでいると思うし、より大きな自由度が存在していると思う。もちろん、危険な方を選んで失敗した場合、最悪は死という可能性もある。

とは言っても、まだそれを100%実行できる状態ではない。精神的にもそこまで強くなり切れてはいない。そこはこれからの課題である。

なぜそこまで危険な方にこだわるのか?それは危険性よりも、自分の身動きが取れなくなることの方が恐ろしいからである。そしてこれからいろいろと実行したいことがある。そのためには危険に飛び込むことが必要であるからだ。

危険は裏を返せばエキサイティングということである。エキサイティングに生き、とてつもなく大きな成果と実績を挙げ、目標とすることを達成するためにも、これからどんどん危険に飛び込める人間になろうと思う。

非常に気になる研究者、高橋政代・理研プロジェクトリーダー。

現在、日本の研究レベルの低下が叫ばれ、それに対する有力な打開策を見出されずにいるが、それでも日本にも世界トップレベルの魅力的な研究者は少なからず存在する。その中でもiPS細胞関連の研究に関しては日本の山中伸弥教授のiPS細胞発見が起点になったこともあって、この分野は日本が世界トップレベルを維持しているのではないかと感じる。

理研の高橋政代プロジェクトリーダーもその一人だ。高橋氏はiPS細胞の臨床への応用研究では世界トップの研究者と言ってもよく、日本国内では非常に良く知られた存在だ。ちなみに、旦那さんの高橋淳氏は京大iPS細胞研究所で教授をしており、夫婦そろってのiPS細胞研究のトップ研究者だ。

普段から高橋政代氏の研究に関しては、僕が分かる範囲でチェックしているが、今日なぜここで記事にしたかというと、雑誌ゲーテ7月号で高橋政代さんのことが記事になっていたからだ。研究の一般的な事も書かれているが、高橋さんの人柄などに関しても書かれている。

雑誌上で高橋さんは、自分に関して面白い表現をしている。自分の事を「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と評しているのだ。さすが、一流の研究者というのはこういうものなのかと感心してしまった。学生時代の高橋さんは非常におとなしい女性だったと言っているので、もしかしたら研究に向き合うと人格が変わるのかもしれない。

僕は生命科学に関しては門外漢で、専門的知識を持っているとは言えないが、iPS細胞研究のこれからに関しては非常に期待しており、研究の発展、そして山中伸弥教授や高橋夫妻をはじめとするトップ研究者による尽力を非常に願っている。これからどのような研究結果が出てくるか楽しみである。

前へ!前へ!

僕の考えることを他人に押し付けることは正しくないとは思っているが、自分の考えに自分が従うことは重要だ。

人それぞれ、自分のスタイル、自分の生き方というものを持っていると思う。もちろん僕にも自分のスタイル、自分の生き方がある。いかにしてそれを貫くか。簡単なようで難しくもある。そこで自分に言い聞かせるためにも、それを自分の口で発し、自分の言葉で書きとめるという行為を心がけている。

自分の生き方を書き連ねると長くはなるが、キーワードを並べると、

「前へ」「保険を掛けない」「動く」「攻める」「守るべきところは守る」

こんなところだろうか。

「前へ」は、常に前進することを試みる事と、後ろを振り返らないということである。

「保険を掛けない」とは、常に危険に飛び込むことを心がけるということである。

「動く」は、考えたら即実行するということである。

「攻める」は、常に超攻撃的人生を進めるということである。

「守るべきところは守る」は、大切なものはしっかりと守るということである。

現在、どこまでこれを実行できているか?おそらく半分もクリアできていない。これらの事を常に念頭に置いておかないと、すぐに後退してしまう。現在できる事は、1%前に進める事。1%の積み重ねが10%、20%となってくる。

例え失敗したとしても、前に進んだ結果の失敗でなければならない。

野党は対案や具体策を提示しきれているか?

いつの時代も、野党の主な仕事は与党に対する批判なのかもしれない。それはもっともなことである。野党の一番の使命は、政権交代を起こし与党になることだからである。与党にならない限り、意思決定に影響をもたらすことは難しい。

しかし野党だからと言って、対案や具体策を全く提示しなくてもいい訳ではない。対案や具体策をしっかり示すことが出来るかということは、政権を獲得した時に政権運営能力があるかということに直結するからだ。国民もそこはしっかりと見ている。対案・具体策をしっかりと示さず与党の批判に明け暮れていれば、与党の支持率が下がったとしても野党は政権運営能力がないとみられる。

政権運営能力がないまま政権を獲得してしまったのが、2009年~2012年の民主党政権であろう。野党は野党である間に、政策立案能力及び実行力をしっかりと身に付け、政権獲得時の準備をする必要がある。

現在の政権の状況としては、加計・森友問題で安倍政権が揺れても、それに代わるのは自民党の誰かということにしかならない。実際名前が挙がっているのは、石破茂氏や小泉進次郎氏などの自民党議員ばかりだ。

野党には、近視眼的に与党の批判に明け暮れるばかりではなく、地力をしっかりと身に付け、政権担当政党となった場合の基盤を地道に築いていってほしいものである。

日大・アメフト問題の本質とは?

物事を冷静に俯瞰するのは難しい。現在進行中の日大・アメフト問題を見ていてつくづくそう感じる。僕自身も冷静に見ようと思っても、つい感情的になってしまう。

この日大・アメフト問題は、非常に悪質な問題(事件)だ。しかし事件の悪質さだけで言えば、世の中には傷害事件や殺人事件がそれなりの件数起きている。しかし現在の日大・アメフト問題はどの事件よりも大きな扱いを受けている。それはなぜか?

その理由は、この問題の争点が試合での傷害行為そのものではなく、日本大学という学校組織の体質がどうなのかということに移ったことにある。日本大学は言うまでもなく日本で一番学生数が多い超巨大組織である。しかしその超巨大組織のブランドが地に落ちてしまった。

その原因はいろいろ考えられるが。ここ数日の流れを見ているとそれは、自校の学生である加害者を守ろうとせずに切り捨てようとしていることにあるように思える。もしかしたら加害者をトカゲのしっぽ切りをすれば、自校(日本大学)を守れると考えているのかもしれない。しかし普通に考えて、自校の学生を守らずに切り捨てるような大学に行きたいと思う人はほとんどいないだろう。「傷害行為を起こした」ということ自体ではなく、「自校の学生を守らない」という行為が信用を著しく損なうことになったのだ。

初めにも述べたように、現在問題になっているのは、傷害行為そのものではなく、日本大学の体質に対してである。今回の一連の対応を見ていると、「アメフト部の行為が運悪く大学全体に波及した」というより、「アメフト部の問題を起点に起こるべくして起きた問題だ」と言える。

日本大学のブランドは「運悪く」ではなく、「起こるべくして」地に落ち、自らの首を絞めることになったと感じる。

休憩後に一手も指さずに投了した羽生竜王に、プロフェッショナルの真の姿を見た。

現在、第76期将棋名人戦7番勝負が行われいる。佐藤天彦名人と挑戦者の羽生善治竜王との戦いだ。その第4局が5月19日・20日に行われた。名人戦は持ち時間が各9時間、つまり二人合わせて18時間になるので、2日間に渡る長丁場となる。

その2日目に珍しいことが起きた。羽生竜王が休憩後に一手も指さずに投了したというのだ。羽生竜王は負けることになったが、その羽生竜王の姿にプロフェッショナルの真の姿を見たような気がした。

羽生竜王がどこまで先を読んでいたかわからないが、休憩後に一手も指さずに投了したということは、かなり先まで読んでいたと想像できる。深い考察によって先を読んでいたからこそ、自身の負けを悟ったのであろう。

この羽生竜王の負け方に、羽生竜王の凄さを感じた。ここまで究めないと真のプロフェッショナルと呼べないのであろうか?羽生竜王のこの投了の姿は、あらゆる分野でプロフェッショナルを目指そうとしている人たちにプロフェッショナルとはどうあるべきかということを示している。

強烈な個性の発揮!

以前、服装で個性を出すのは違うということを書いたが、その一方、内面からの個性は強烈に発揮すべきだと思っている。個性とは字の通りその人そのものであり、個性の抑制は自分に対する否定である。

僕自身、個性は強い方だと思うが、それでも満足はしていない。自分のどこかにまだ自分を抑制している自分がいる。その部分を解き放たねばならないと感じている。

最近いろいろな人を観察していると、どこか没個性的なところを感じる。世の中全体が個性を抑圧しているようだ。日本では昔から「出る杭は打たれる」とよく言うが、「個性を出す=出る杭」と考えているのだろうか?

その一方、ブレークスルーというものは強烈な個性から生まれるものでもあるので、個性を否定しながらも個性が作り出した世の中のプラットフォームに乗っているという構図になる。

ただ、強烈な個性が全てブレークスルーを生み出せるわけではない。ブレークスルーを生み出すまでに強烈な個性による多くの失敗の積み重ねがある。

もし最終的に成功することができなければ、その個性は皆の記憶の彼方へと消えることだろう。しかしそれでいいのである。消えることを恐れていれば、挑戦権さえも得られない。そして仮に失敗したとしても、強烈な個性が挑戦した爪痕と事実は消えない。

三段構え。

物事に取り組むにあたっては、三段構えで臨むことが重要だ。初めに最も力を入れるべきことに取り組む。しかしそれが成功するとは限らない。もしそれが成功しなかったら二番目の事に取り組む。それでもだめなら三番目の事に取り組む。このように三段構えで臨めば、何かしら結果を出すことができるであろう。

今僕は、三段構えで物事に取り組もうと考えている。しかし「一番目、二番目、三番目」ではない。「二番目、三番目、四番目」なのである。一番目の事に対しては意地でもあきらめないつもりである。一番目の事に対してはさらに三つの事に細分されるが、そういう意味でも一番目の中で三段構えができているとも言える。

三段構えで「これでもか!」と次々と畳み込んでいくくらいの意気込みを持ちたいものであるが、そこまで積極的に前に出ることは難しい。特に受け身の姿勢で取り組んでいれば、三段構えどころか二番目の事に移ることもできない。

超攻撃的人生を歩むことを決めた今、三段構えの姿勢は必要不可欠であると感じている。