投稿者「木原 康明」のアーカイブ

違う道を通らなければならない。

過去に多くの人を退けた難問に取り組むならば、過去に取り組んだ人間と同じ道を歩んではならない。同じ道を歩めば、同じ壁にぶつかることは分かっている。同じく壁にぶつかるならば、違う壁にぶつからなければならない。

一億円の懸賞金が懸けられた数学のミレニアム問題であったポアンカレ予想の解決への道筋は、まさしく良い例だ。ポアンカレ予想は長くトポロジー(位相幾何学)の問題だと考えられ、ほとんどの数学者はトポロジー的手法によってポアンカレ予想に取り組んでいた。しかしペレルマンは分野違いの微分幾何学的手法によって解決した。

学問でもビジネスでも、大きな問題に取り組むのは良いことだが、それよりも理想的なのは自分で問題を大きくすることだ。さらに言えば、自分で問題を発見するのが最高である。世間では問題を解くことだけがクローズアップされがちであるが、問題を見つけることはそれ以上に重要である。

理想がないと、実現はない。

理想論をバカにする人がいるが、理想論は非常に重要である。理想を掲げることによって、理想に一歩でも近付けるように努力できる。

では、理想はどのくらいの高さに設定するのが良いか?それは自分が最高に達成できるであろう高さ、あるいはそれよりも少し高い所に設定するのが良い。社会に対する理想は完璧を求めがちであるが、そこに穴を作っておくことも非常に重要だ。穴を作ることによって逃げ場を作る。逃げ場のない理想論は非常に危険である。

そして他人に対してはあまり理想を求めないほうが良い。もちろんある程度の理想を求めるのは良いが、ある程度の寛容さも必要である。

全てにおいて完璧な人間はいない。そして理想を求めることは、完璧を求めることとは違う。完璧でないことが理想でありうる場合もあるからだ。厳しさと寛容さを持ち合わせた理想主義者になることが理想なのかもしれない。

自然は驚くほど、整合性が取れている。

なぜ科学というものが存在するのか?それは自然が驚くほど整合性が取れているからである。もし自然が非常に無秩序で何の法則性もなければ、科学というものは存在しえない。

特に興味深いのが、数学と物理学の密接性である。物理理論は必ず数学的な形を取っており、数学的探究によって前に進んで行く。物理とは自然の一番根本に存在する理論であり、それは自然を追及すると必ず数学的な姿をまとっていると言える。

物理を追及することによって自然の理解を深めることができるが、それは自然が数学的整合性を保っているからである。アインシュタインが「なぜ人間は宇宙(自然)を理解できるかがわからない」と言ったそうだが、それは「自然はなぜ整合性が取れているのか?」という問いに言い換えられる。

物理学を創始したニュートンの一番偉大な発見は、「自然は整合性が取れている」と言うことができるかもしれない。ニュートン以来、科学者が行ってきたことは、自然の整合的法則の発見、整合的理論の構築だと言える。

高梨沙羅、W杯歴代最多54勝目!

スキージャンプ・高梨沙羅さんが、歴代最多のW杯54勝目をあげた。通算104戦目での勝利なので、単純に出場試合の半分以上で勝利していることになる。

高梨沙羅さんと言えば、五輪で勝てないと言われることも多いが、W杯でこれだけ勝ち続けることは五輪で金メダルを取る事よりも圧倒的に難しい。五輪が瞬間風速だとすれば、W杯での通算勝利は持久力だと言える。

高梨さんはまだ21歳。これからさらに記録を伸ばし続ける可能性はある。4年後は五輪で勝利とつい思ってしまうが、今のままでも十分に偉大だ。

高梨さんに対して今日本人にできる事は、世界の頂点に立つ高梨さんを励みに自分もより上を目指すことだろう。この何気ないことの積み重ねが、結果的に頂点に立てるか平凡に終わるかという差になって表れてくる。

高梨さんの勝利に奮い立って、世界を舞台に暴れよう!

情報は正しいか?

近年のネット社会化によって、あらゆる情報が無料で簡単に手に入るようになってきている。しかし、その情報は本当に正しいか?と問われると、疑わしい情報もかなりある。

特にネット情報は真偽疑わしいものが混在しており、素直に情報を受け取ることは非常に危険だ。そういう意味で、現在においても信頼性の高い新聞紙による情報はかなり価値があると言える。

テレビにおいては、堅い報道番組とワイドショー的な情報番組では信頼性の落差は非常に大きく、特に後者においては司会者・コメント者が真偽に対する深い考察もなく情報・意見を垂れ流しにしていることもよく見られ、時にはそれらの真偽疑わしい情報が世論を形成する場合もあり、非常に危惧される状況である。

最近、フェイクニュースが問題にされている。悪意の持った偽情報に関しては言語道断だが、現実問題としてフェイクニュースが世間では真情報と信じられることも多く、情報を受け取る者に対しても情報に対する姿勢が問われるところだ。

これらの通り、現代では「火のないところに煙が立つ」ということが当たり前のように起こっており、そのような現実を情報受信者に対しても肝に銘じて情報に向き合うことが求められる。

経験ではない。

技術・スキルの中には、経験がものを言うものが多い。例えば伝統工芸などは十年以上の経験がいるものは多いし、その他様々なものにおいて経験は非常に重要だ。

しかし、経験が全てではない。生まれながらの才能がものを言うものもあるし、性格が関係してくるものもある。そして、それらの資質と経験の双方が必要になるものもある。そのようなことに関して、経験が全てだというのはナンセンスだ。

まずは自分の資質を見極めなければならない。そのうえで自分にとって最も適切な方向に対して経験を磨くことが必要だ。その方向性を誤れば、経験も水の泡だ。

最後に一つ言いたい。多くの事に関して、何も考えずに経験をだけを積むのは無駄だ。常にどうすればより良くなるか?そのようなことを自分の頭で考えながら経験を積むことが必要だ。頭で深く考えながら行うことによって、何倍もの技術・スキルを身に付けることができる。

資質を見極め、自分の頭で考え、そして経験を積む。その三点を押さえなければならない。

安藤美姫のHW(ハードワーク)。

テレビ番組で、プロスケーターの安藤美姫さんがインドネシアのジュニアスケーターにレッスンをするという企画があった。やはりプロが教えるとこうも変わるものかとびっくりしたが、その安藤美姫の教えを見ていて、自分に対する厳しさとHW(ハードワーク)は相当なものだと感じた。

もちろんどの分野でも、世界でトップになる人物は例外なくHWをこなしている。もちろんそれに加えてビジョンも欠かせない。iPS細胞の山中伸弥流に言えば、VW(ビジョン&ハードワーク)ということである。

自分には何が欠けているのか?ビジョンか?ハードワークか?それとも両方か?まずは自分を知ることが大事である。自分を知れば後は自分に欠けていることを補強する。そして自分の長所を伸ばす。それの繰り返しである。

努力をしないでくだらないことで悩む暇があれば、少しでも前に進むことを考えなければならない。安藤美姫の姿を見てそんなことを感じさせられた。

周りの目を気にする?気にしない?

「周りの目を気にするな!」とはよく言われるが、多くの人はどうしても周りの目が気になってしまう。しかし周りの目を気にすることは悪いことばかりではない。周りの目、世間の目を気にすることは、周りとの協調、社会との協調について欠かせないことであるし、全く周りの目を気にしなかったらその先にあるのは単なる暴走だ。

しかし周りの目を過度に気にするのはよくない。周りの目を気にせずに自我を守るということも大切である。もし何かで一番を目指すのなら、周りを気にせずに自分を信じるということは必須である。周りを気にしすぎるとどうしても二番煎じ、三番煎じになってしまう。

自分を信じることと暴走的なわがままは紙一重である。もし結果的に成功すれば自分を信じる人と言われるし、失敗すればわがままであると言われる。しかし現在の自分の展望に自信があるのなら、わがままと言われることを覚悟で自分を信じてもいいのではないだろうか。

大坂なおみの圧倒的勝利!

日本時間19日早朝、プロテニスの大坂なおみ選手が、四大大会に次ぐ主要な大会で初の優勝を果たした。もちろんこの結果は凄いのだが、それ以上にすごかったのがその中身だ。元世界ランク1位、そして現世界ランク1位を倒しての勝利だ。しかも試合の中身も大坂なおみの一方的な試合であった。優勝賞金1億4千万円の価値は十分にある。

大坂なおみを最近テレビで見たのは、とあるバラエティー番組で、サーブしたテニスボールを的に当てるというものだった。その番組でのトライは完璧ではなかったが、今考えるとそれも愛嬌だとも感じる。人間性もユーモアがあり、チャーミングで親しみを感じる。

日本人女子では伊達公子以来の世界トッププレーヤーだが、その強さは既に伊達の全盛期を超えているように思える。早計かもしれないが、今回の戦いを観ていると世界ランク1位も夢じゃないように思える。

少し前まで錦織圭選手の試合を手に汗を握って観ていたが、これからは大坂選手に注目だ!

それは原因か?結果か?

こちらは原因を聞いているのに、その答えとして結果を言う人が非常に多い。そうなったのはなぜか?と聞いているのに、それが全然答えになっていないのだ。

これは日常の人付き合いにおいてもよく起こりえることだが、驚くべきことに科学者であっても原因と結果の区別がつかない人がいる。それは特に、生物学・生命分野関係の専門家に多い。

例えば、ダーウィンの進化論などはその最たる例だ。ダーウィンの進化論を履き違えている人は非常に多い。ダーウィンは、何かを(自然が)欲求すればそのようになってくると言いたいのではない。ダーウィンの本質は自然淘汰である。しかし多くの人はそれを理解できていない。ダーウィンの進化論において、自然淘汰を遺伝子レベルで厳密に解明することは大きな課題であろう。

原因と結果の違いを理解できないということは、非常に危機的状況である。そのような点をしっかりと見抜かなければ、疑似科学・エセ科学に騙されることになる。そういう意味では小さいころから科学的素養を身に付けることは非常に重要である。