投稿者「木原 康明」のアーカイブ

安倍首相は独裁なのか?

最近は何かと、安倍首相の強権政治が話題になる。実際に、現在の日本の政界で、安倍首相にまともに対抗できる人物はほぼいない。あえて言うなら石破茂氏くらいだろう。石破氏は安倍氏に対抗すべく、現安倍内閣ではあえて入閣せず、次期政権の構想を練っていると言われている。

アメリカの大統領は、期間限定の独裁政権とも言われ、非常に大きな権力を持っている。

新政権のトランプ氏は矢継ぎ早に政策を実行しているが、そんなトランプ氏も安倍首相に対しては敬意を払っているのではと僕は思っている。

もちろんその一番の理由は国家元首として、安倍首相が民主主義先進国の中でドイツのメルケル首相に次いでの古株であること、しかもそのメルケル首相も間もなく任期が切れる。したがって事実上、安倍首相が一番のベテランになる。

この時期に安倍首相がベテラン首相であることは、あらゆる意味で日本にとって良かったのではないかと思う。その理由は対米・対中関係に関してだ。対米関係に関しては、今トランプ氏をコントロールできる元首は安倍首相だけとなっている。安倍首相がトランプ氏に寄りすぎているのを危険視する人もいるが、僕は非常にメリットが大きいと感じている。

対中関係は深刻だ。もし安倍首相が新人総理ならば、おそらく中国は軍事的・経済的に容赦しないであろう。中国軍機に対するスクランブル発進が数百回とかなり多いことが問題になっているが、安倍首相の強権と実績がなければおそらくスクランブルどころではないであろう。

対米・対中をはじめ、現在何とか日本が上手く切り抜けているのも、経験を積んだ安倍首相の強権があってのものだ。その強権が独裁かどうかと言われれば、「半独裁」という言葉が適切かもしれない。

独裁者と言えば非常に危険なイメージがあるが、独裁者の評価は独裁者の人物次第で良くも悪くもとらえられる。非常に有能な人格者が独裁者になれば、国は非常に豊かに発展する可能性が高い。そのような例が、古代ローマ帝国のマルクス・アウレーリウスなのではないか。

しかし現実は劣悪な人間が独裁者になることがほとんどだ。あるいは独裁者になると劣悪になるのかもしれないが。それらの一番典型的な例が、ヒトラーであろう。

ともあれ、半独裁の安倍首相は、僕は現在の日本にとっては利が大きいのではないかと思う。というより、半独裁ができるくらいの強権首相でないと、現在の東アジアは乗り切れない。それは現在の韓国を見ればよくわかるだろう。

一番心配なのは、次期政権の発足時だ。新米首相が現在の東アジア情勢を乗り切れるか。なかなか難しいことだが、石破かぶれの僕は石破茂氏なら心配ないと思っている。

とにかく現政権下の日本では、強権安倍政権に期待するしかない。

世界で活躍する選手から触発されて、自分をコントロールして意識を高める。

2月18日、フィギュアスケート四大陸選手権女子フリーがあり、三原舞依選手が200点以上の高得点をたたき出し優勝した。これまであまり聞いたことのない名前だったので、どんな子かとネットで調べてみると、僕と同じ神戸出身で、ポートアイランドのリンクで練習している子だと分かった。

俄然親近感が湧き、同じ神戸市民としてこれから応援しようと思うとともに、自分も頑張らないとと自分のお尻を叩く気になった。

僕が取り組んでいるのは数理物理という学問だが、学問とは全く関係ない分野の人たちから精神的な影響を受けることが多い。正確に言うと、自分が影響を受けるように精神的状態をもっていき、世界の一流の舞台で活躍する人物からやる気と自信と向上心をもらうのだ。

これはある意味(良い意味での)マインドコントロールと言えるかもしれない。自分がより高いレベルでのパフォーマンスを発揮するために、自分で精神状態を調整し、”セルフ”マインドコントロールするのだ。

今回の三原舞依選手の活躍も、ただ観て楽しむだけではなく、そのパフォーマンスに自分をも巻き込んでしまうのだ。

とは言え、毎日日本人が何かで優勝しているわけではない。そこでYouTubeを上手く利用する。日本人が活躍する動画で精神状態を高めるのだ。

僕がよく利用する動画は、オリンピックで活躍する日本人選手の動画。特によく観るのが、バルセロナオリンピックの水泳平泳ぎ金メダル・岩崎恭子選手、長野オリンピックのモーグル金メダル・里谷多英選手だ。岩崎選手は弱冠中学生で世界のトップに立った。里谷選手は僕と同じ歳だ。二人に共通するのは、競技前には全く優勝候補ではなかったということ。しかし当たり前のことだが、優勝するための準備と努力を積み重ねていたことは間違いない。

この様に、スポーツ選手の活躍を他人事ととらえずに、その活躍に自分を巻き込み、セルフマインドコントロールすることも、自己管理の一部であり、実力ではないかと思う。

実用指向すぎる思考の社会風潮。

最近、社会が実用指向に偏りすぎているような気がする。確かに不景気で節約し、無駄を省かなければいけないのは十分にわかる。しかし社会の懐も心理も余裕がほとんどないのはどうかと思う。

そのような風潮が最も表れているのは「科学」ではないか。多くの人にとって科学とは、計画を立て、計画通りに進めれば、想定の結果が出るものだと思っているのかもしれない。実用科学ではそれが最も理想的な姿かもしれない。

しかし、特に基礎科学では、想定外の結果から大きな成果が生まれることが多い。言わば「無駄から宝が生まれる」とでも言うべきか。研究を進めるうえでも、心理的にも金銭的にも余裕がないと、独創的な結果は生まれにくい。

しかし、社会はその「余裕」、言い換えれば「無駄」を許さない。その風潮は最近特に強くなってきているように思う。

科学に限らず、日常生活から休日の遊戯まで、ぎっしりと計画を立て、計画を進めることに全力を尽くしてはいないだろうか?

今の日本には、不景気が続いたとは言え、世界的に見ればお金はある。物もある。しかしどれだけ余裕があるだろうか?日本人は余裕の上手い使い方を知らない人が多いような気がする。余裕があってもただ何もしないでボーっとしているだけになるとか。余裕は生産的活動の準備に充てなければならない。そのためにはリラックスして余暇を過ごすという無駄も必要だ。

小学校から大学、そして社会まで、いわゆる「レール」の上を進み、レールにしがみつくという生き方は、それはそれで一つの生き方としてはありなのかもしれない。しかし脱線して、無駄を経験し、失敗を経験し、自分独自の生き方を模索するという生き方が、もう少し試みられてもいいのではないかと僕は思うのだが・・・

情報過多の時代の、情報のコントロール。

「いかに多くの情報を手に入れるか」という時代は過去のものになり、現在は「いかに情報をコントロールするか」という時代になっている。

ここで言う”情報のコントロール”とは、情報を操作するという意味だけではなく、”いかに不必要な情報をシャットダウンするか”ということも含まれる。

ネット社会の今、ネットで検索することによって、誰でも簡単に情報を手に入れることができる。しかしその「情報の質」を気にしたことがあるだろうか?ネットでの情報は玉石入り混じっており、価値ある情報からデマまで様々な情報が飛び回っている。価値ある情報も混じっているものの、非常に質の低い情報が多いのが現実だ。こんな時代こそ、再び「新聞」を重要視すべきではないかと思う。

最近、新聞による情報を否定し、スピードある生のネットの声に注目すべきだという意見が強まっている。その様な意見が出る理由は、ネットでは十ある情報のうち一つ正しいものがあると、その一つが強調されるが、新聞では十ある情報で九つ正しいものがあっても、残りの一つが強調されることにあると思われる。

確かにネットのスピードと生の声を無視することはできないが、鯛と同じで「腐っても新聞」なのである。基本的に情報の基盤は新聞に置くべきという理由はそこにある。

あと、必要な情報かどうかという判断基準に、「その情報は自分のパフォーマンスを上げるか」ということがある。パフォーマンスを下げる情報は入ってくる前に遮断しなければいけない。しかしネットで情報を集めていると、パフォーマンスを下げる情報が多いことに気付く。そういう意味でも新聞は重要だ。

日常で「誰と会うか」にも気を付けなければいけない。自分のパフォーマンスを下げる人、パフォーマンスを下げる情報を垂れ流す人とは、会うのを避けなければいけない。

この様に、「いかに情報をシャットアウトするか」という問題は現代では非常に重要であるが、それがなかなか難しい問題であり、それにどう取り組むかが自分も含めて多くの人にとっての課題であろう。

進化論は、科学的思考力だけではなく、人間力も試される。

1月22日(日)、テレビで池上彰氏解説のアメリカ特集をやっていた。何気なく見ていると、話は少し宗教的な方向に。

アメリカに、ノアの方舟を模したテーマパークができたらしい。池上氏たちはそのテーマパークに潜り込み、取材を行っていた。

聖書にはこんなことが書いているらしい。

人類を含む地球上の全てのものは、6000年前に神が創造したと。そして大洪水が起こり、ノアの方舟に逃れたノア一族と動物たちだけが生き残り、洪水が収まった後、それらの子孫だけが繁栄したと。

僕はキリスト教の信者でもなんでもないので、その程度の簡単な事しか知らない。

ノアの方舟の話に基づくと、人類は神が創造したもので、ダーウィンの進化論などは全くのデタラメであるということになる。神と聖書を絶対的だと信じるキリスト教原理主義の人たちは、進化論を否定する。

池上氏らのお話は、「アメリカには進化論を否定するおかしな人がいっぱいいるんだよ」という論調であったが、僕は池上氏らの論調に関しても非常におかしく感じた。

そもそも、進化論を正確に知ろうと思えば、進化論の根幹である「自然淘汰論」を理解しないといけないし、それを掘り下げていけば、「遺伝子の突然変異」「分子遺伝学」から「統計学」まで様々な知識が必要になる。そこまで理解している人はいったいどれだけいるのであろうか?おそらく日本人でも数百人に一人くらいであろう。

しかし日本では、ほとんどの人が進化論を信じ、神の創造説をバカにする人も多い。しかしどっちもどっち、進化論を「信じて」いても、「理解」はしていない人がほとんどなのである。

ではなぜほとんどの人は進化論を信じて疑わないのか?それは進化論が常識であるから、あるいは科学的に証明されているから、という理由であろう。結局自分では何一つ考えていない人が多いのである。本気でダーウィンの理論を知りたければ、岩波文庫にも「ダーウィニズム論集」という書物があるので、それらの本をしっかりと熟読すればよい。

もっと単純に、神の創造説を信じる人と、進化論を信じる人の違いは、情報源が「聖書」か「教科書」かの違いだけなのである。

さらに言えば、科学などは「今日の常識は明日の非常識」なんてことが当たり前にある。なので「常識だから」とか、「科学的だから」などという理由では何一つ理解していないのである。

簡単なことでいいから、まずは「自分の頭で考える」ということから始めないと、「知っているだけで全く理解していない」ということになりかねない。

現実主義的経営者・トランプ大統領。就任式に於いて。

日本時間の1月21日午前2時頃、アメリカ新大統領・トランプ氏の大統領就任演説があった。ネット上でライブ中継が放送されていたので、僕もトランプ氏の演説をネットを介して生で視聴していた。

とにかく印象に残ったのは「労働」「雇用」など、仕事に関する用語。トランプ氏は大統領選の時から雇用を取り戻すことを熱心に訴えていたが、今回の就任式もその延長線上、あるいはさらに強調されたものであるような印象を受けた。

トランプ氏は本当に「大統領」なのであろうか、という不思議な感覚がする。少なくとも、政治家というよりかは経営者である。もちろんトランプ氏のこれまでの本業は経営者であるので、当たり前と言えば当たり前であるが、経営者的思考をそのまま政治に、しかも国のトップの頭脳として移植することには非常に不安を覚える。

最も大事な軍事・安全保障に関しては、同盟国・友好国の防衛にアメリカが力を割いていることに対して、米国が非常に損をしている、といった論調を繰り返していた。大局的な軍事バランスにも少しは気を向けてほしいものである。

「経営者トランプ」は、大統領の執務をこなしていくうちに、真の「大統領トランプ」脱皮できるか、これから見守っていきたい。

ケネディ大使の離日のメッセージ。

在日アメリカ大使のキャロライン・ケネディ大使が、日本での任務を終わらせた。離日に際して、ケネディ大使は動画でメッセージを寄せられた。ケネディ大使のメッセージを見て、近年の日米の友好関係と強じんな同盟関係を再確認することができた。

キャロライン・ケネディ大使の駐日は、いろいろな意味で特に印象的なものであった。

一つはもちろん、最も印象的なアメリカ大統領、J.F.ケネディの娘さんであるということ。ケネディ大使の仕事には、父のJ.F.ケネディの思想や血が流れている。ケネディ大使は、これまで以上に親日的・友好的なアメリカ大使であった。

もう一つは、女性であるということ。日本では政府、民間に限らず、要職はほぼ男性で占められている。近年、安倍総理は女性の社会進出、および要職への登用を促進させる政策を進めてきた。ケネディ大使の駐日着任はそれをさらに促進させる原動力になったに違いない。

キャロライン・ケネディ大使が3年ほど前に着任する際には、日本国民から熱狂的歓迎を受けた。そして今、離日に際して、静かではあるが友好的に送られようとしている。これほど日本人に愛された大使も珍しいのではないか。

間もなく、次の大使がやってくる。次期大使は、トランプ氏の政権移行チームの一人であるらしいが、トランプ氏がこれまでの友好的同盟国としての日米関係を引き継ぎ、上手く政権運営を行ってくれるか。これにはもちろん、トランプ氏だけではなく、まだ数年政権を握ると思われる安倍首相の手腕にも関わってくる。

トランプ・安倍外交に期待する。

人として大事な、三つの見かけ。

人として大事なもの、それぞれ持論があるだろう。外見は大事だという人もいれば、人間は内面で勝負だ!という人もいるだろう。外見と内面、どちらが大事か?それは人それぞれの価値観によるもので、単純にどちらの方が大事とは言えない。あえて言うなら、どちらも大事だ。

内面の大切さと外見の大切さは、質的に違う。人の内面である「心」「性格」「感情」、これらが人間の行動をつかさどっていることは言うまでもない。内面は行動に表れる。

それに対して、外見は人に対する印象を左右する。人間は内面だと思っていても、素敵な身なりの人、清潔感のある人、はたまた素敵な香りの人は素敵に感じる。また後に述べることに関係するが、内面は外見に表れるとも言う。そういう意味では外見と内面は表裏一体なのかもしれない。とは言え、虚勢を張るような外見、無理な外見はいただけない。

見かけを外見・内面に分けて考えたが、実はもう一つの見かけがある。それは先ほど少し述べた「内面から現れる外見」。

人間には、「その人が醸し出す雰囲気」というものがある。それはある意味外見であるが、お金をかけて着飾ったところで作り出すことはできない。「心」だとか「徳」だとかが作り上げるものだ。しかし努力次第で良くすることもできなくもない。例えば「言葉づかい」だとか、「マナー」を磨くことによって、醸し出す雰囲気は変えることができる。心に関しても、意識の持ちようによっては変えられるであろう。

人の”内面”・”外見”・”内面から出る外見”、どれも非常に大切で大きな財産であり、その人となりを表す。ただ着飾るだけなら、お金をかければできる。しかしこの三つの財産は、お金をかけたからと言ってすぐに身に付くものではない。それだけにこれらの財産を一度身に付けると、数字では表せない非常に大きな魅力となる。

素敵な人間になるために・・・

単純”多数決的”主義を見直す。民が主役(つまり本来の民主主義)である再挑戦推進国家になることを目指してほしい。

昨年一年間、世界で、多数決的万能民主主義が様々な波紋を起こした。その最たるものが、イギリスのEU離脱、そしてトランプ氏の大統領当選であろう。

イギリスEU離脱もトランプ政権も、まだスタートしていないので、現時点で何とも言えないところであるが、双方とも大きな不安を伴っている。イギリスEU離脱の国民投票は、いかにも多数決的民主主義発祥の地の文化的側面が出た形であるが、投票確定後に後悔の念がイギリス国民を覆っているのを見ると、はたしてこの多数決による判断は正しかったのかと首をひねる。

イギリスEU離脱投票も、アメリカ大統領選も、(アメリカ大統領選は選挙人争奪という違いはあるが)どちらも基本的には少しでも上回った方が全てを取るというものだ。それから当たり前の話かもしれないが、どの国民も等しく一人一票である。

最近、グローバルに格差社会が問題になり、極度の平等主義が叫ばれている。確かに平等主義は非常に重要だが、平等にしなければいけないのは機会の平等であって、結果の平等ではない。結果に格差をつけてこそ、社会、そして科学の発展が生まれる。結果まで平等にしてしまえば、それこそ共産主義そのものである。

そして、再挑戦の機会を与えることも必要である。あまり好きな言葉ではないが、「敗者復活戦」とでも言うべきであろうか。

日本の社会は、学生時代からレールが引かれており、就職、昇進、定年退職まで基本的にはレールからはみ出ないように進んでいくようなシステムになっている。一度レールからはみ出た人間に対する偏見も非常に大きく、再びチャンスを得るのも非常に難しい。

よく社会の指標に「失業率」というものが取り上げられる。その話になると、失業率の数字ばかりが独り歩きするが、僕はこの数字以上に再挑戦のチャンスのなさの方がはるかに深刻な問題ではないかと思う。

失敗というのは、人間の成長にとって非常に大きな糧になるが、日本では「失敗=悪」ととらえられる風潮がある。就職においては、いかに人生経験をものにしてきたかということよりも、履歴書に空白がないかどうかに注目が移る。

その結果どうなるかというと、失敗の危険性がある挑戦をしないようになる。皆横並びに同じことをして、同じように進む。進んでいればまだいい方だが、停滞してしまっていることもよくある。

民主主義の話からそれてしまったが、民主主義とは言葉通り、民が主役なのである。主役は大いに挑戦して、有形無形のものを獲得していけばいい。そして失敗したら再び這い上がってまた挑戦すればよい。失敗回数に限度はない。百回失敗して、それで得た経験をもとに百一回目で成功を掴めばよい。

現在の日本に対して僕が不満をぶつけようとは思わないが、ただ一つ願っていることは「再挑戦推進国家」になってほしいということである。

頑張れ受験生!

1月14日・15日は、大学入試センター試験だ。僕の受験生時代を思い出す。余裕を見せびらかすために、試験の合間の時間には新聞を広げて、悠々自適に読んでいた。もちろん結果は・・・

ところで、僕は神戸で生まれ、神戸で育ち、センター試験も神戸で受けたのだが、センター試験の三日後くらいに阪神大震災が襲ってきた。震災前日は、夜中の4時過ぎまで勉強をして、寝付いて2時間くらいしたところで地震が襲ってきた。当時は現在のように地震活動期ではなく、僕は小さな地震さえも経験したことはなかった。初の地震体験が阪神大震災だった。

2月・3月にある国公立の2次試験などを受けに行くときには、地下鉄・JRはまだ完全に復旧しておらず、不通区間は歩いて行くしかなかった。須磨・鷹取あたりの焼野原を歩いて行ったことを思い出す。その当時に比べると、今では地震の痕跡はほとんどなくなった。

今日のタイトルは「頑張れ受験生!」ということだが、受験生はテストのときだけ頑張ればいいわけではない。当たり前のことだが、それまで1年以上頑張ってきたことの集大成が受験なわけであり、入試はこれまでやってきたことのアウトプットに過ぎないとも言える。とはいえ、それまでの努力を無駄にしないためにも健康に気を付けて、万全の状態で臨んでほしいものだ。

この一年も熊本の地震など、日本は様々な天災に見舞われた。そしてセンター試験真っ最中のこの二日間も、非常に寒い日が続く。負けるな、受験生!まだ2次試験や私立大学試験もあるが、一人でも多く最大の力を出し切れることを祈っている。