投稿者「木原 康明」のアーカイブ

あれを言ってはダメ、これを言ってもダメ。結局無難な言葉しか残らない。現在の社会と学校教育の現場。

現在テレビを観て、禁止用語が多く、出演者が無難な言葉を選んでしゃべっていることは、多くの人が感じているであろう。禁止用語と関係ないが、目的の人物以外の人物の映像が全てぼかされているのをみると、神経の使う世の中になったもんだと感じてしまう。

学校教育の現場では、”性”に関する話題はタブーであるらしい。本来、中学生や高校生にこそ正しい知識を教えなければいけないが、保護者からの批判などもあり、教師はそのような言葉を発することもできないらしい。

学校で表だって話題にできないことは、結局裏ですることになる。裏で曲がったことをするのなら、堂々と正しいことを議論しなけない。多くの人はそのことに気付いてはいるが、少数の批判だけが表沙汰になり、結局委縮して何もできなくなってしまうのである。

誰がこのような”無難”な世の中にしたのだろうか?

現在、将棋の藤井四段が快進撃を続け、多くの国民の注目を浴びているが、その一方でそのような傑出した才能を養成する土壌を社会は潰し続けているように思える。

学校は社会の縮図である。学校の閉塞感は将来の社会の閉塞感につながる。可もなく不可もなく、そんな社会に魅力は感じるか?平和に暮らせれば魅力なんて関係ないという人も多いのかもしれないが、そのような社会の行く末は”衰退”であるように思えてならない。

 

本当に自分に厳しい人は、絶対に他人には優しい。

最近、他人の欠点ばかり見えてしまう自分が大嫌いだ。他人のそんなところが見えてしまうと、つい突っ込みたくなる。少し他人に厳しく当たってしまうのだ。そんな時は逆に自分に対する厳しさは緩くなっている。

本当に自分に厳しい人は、絶対に他人には優しいと、最近気づいた。僕自身、自分に対して厳しく規律している時は、他人に対しては大概のことは許すことができた。

「自分にも他人にも厳しい」という人の事をよく聞くが、僕はそれは嘘だと思う。他人に対して厳しい人は、自分に対して厳しいように見せかけているだけだと思っている。

学校の教師を見ればよくわかる。厳しい暴力教師に限って、不祥事が起きると保身に走る。成果は自分の物、責任は他人に押し付ける。そのような教師が多かった。

自分に厳しくなるためには、まず他人に優しくなることから始めなければいけないのかもしれない。

いつまでも「自分に厳しく、他人に優しい」人間でいることを心がけたい。

心臓に毛を生やせ!

「心臓に毛を生やせ!」と命令口調で言ったが、これは自分への命令である。

ここ最近、弱腰でちょっとの事で怯える自分がいた。そんな自分にとって、心臓に毛を生やすことは至上命令だ。厳密に言うと、怖いものなしで暴れまくっていた自分を取り戻すということかもしれない。そのためには、精神的な環境を整えないといけないので、自分の置かれた立場のコントロールから、睡眠の質や時間のコントロールなど、いろいろと課題は多い。

そしてこのブログで「木原康明」という本名を打ち出しているのも、関係はある。ニックネームなどでコソコソと評論して、攻められると陰に隠れるということだけはしたくなかった。しっかりと心臓に毛を生やして、堂々と受けて立つ(というほどの事でもないが)姿勢を貫きたかったのだ。

このブログのタイトルは「考える部屋」というように”考える”事に重点を置いているが、一時期は社会評論に偏っていた時があった。しかし評論などというものは、外から言いたいことを突っ込むだけで、本当に自分の考えを打ち出せているかと言われれば少し疑問である。だから最近は、思想とまでいかなくても、自分の考え・生き方を中心に記事を書くようにしている。

”心臓に毛を生やせ!”の話に戻るが、物事を成し遂げるには、何事にも動じない心を持つことが重要だ。そして自分は再び心臓に毛を生やせると確信しているから、自分の理念を確認するためにもこのようなタイトルで記事を書かせていただいた。

これからまた暴れまくるぞ!

長いものに巻かれるな!

「長いものに巻かれろ」僕の一番嫌いな言葉だ。目上の人から言われても反抗する、生意気な奴だと思われているかもしれないが、自我をしっかり持って筋を通すことは非常に大事だ。

くだらない自我を持つ必要は全くないが、これは重要だと思うことはゆずってはいけない。

総理に巻かれる政治家、教師に巻かれる生徒など様々だが、僕が小学生・中学生時代は何とか教師に泡を吹かせてやろうとそんなことばかり考えていた。

ただ勘違いしてはいけないのは、「長いものに巻かれるな」とは、自分の都合のいい意見を押し通すことではない。「正論を突き通せ」と言う意味である。

そのためには、正論を理解できる「考える頭」を持たなければならない。

藤井さん28連勝の陰で、一二三さんが現役引退。

21日、将棋の藤井四段が歴代一位タイの28連勝を記録した。そしてその前日の20日、棋士最年長の77歳の加藤一二三九段が最後の負けを喫し、現役を引退した。藤井・加藤、両人とも、同じく14歳でプロデビューしている。

話しは変わるが、僕は組織階級の仕組みを知るのが好きだ。自衛隊・警察組織など、序列がはっきりしており、昇級には明確な基準がある。そしてキャリア・ノンキャリアなどの昇級システムの圧倒的な違いなどは、部外者から見る分にはなかなか面白い。

組織階級とは少し違うが、将棋も明確な序列がある。プロ棋士のスタートである四段から始まって、序列の頂点である名人位まで、そして最高のタイトルと言われている竜王まで、そのシステムは見ているだけでなかなか面白い。

名人位はC級2組からスタートして頂点のA組まで毎年昇段していっても5年かかる。これらのシステムがなかなか面白い。

藤井さんはどこまで勝ち続けるのか、棋士組織の仕組みと見比べながら結果を見るのも面白い。

上を向いて笑おう。

最近、笑うことは健康にも精神的にも良いというような話をよく聞く。僕自身は昔から常にゲラゲラ笑っている方だが、ストレスを感じている時はどうしても笑うことが少なくなってしまう。

ストレス解消のためにも、最近は特に意識して笑うようにしているが、本当に笑っていることが良い方向に向いているかどうかよくわからない。しかし上を向いて歩くためにも、笑って気分をスッキリして、前進したいものである。

それから、僕はお笑いを観るよりも、自分がお笑いを作る方が大好きだ(ど素人だが)。3年ほど前に、R-1ぐらんぷりの予選に出たことが懐かしい。機会があればもう一度リベンジしたいと思っているのだが・・・

人を笑わせて、自分も思いっきり笑う。そんなことが少しでも多くなるように、少しネタでも考えておこうか。

恩師への想い。

僕には一人だけ、恩師と言える人がいる。大学時代にお世話になった先生(教授)だ。

僕は大学時代、調子を大きく崩した時があり、思うようにいかなかったときに、その先生は何も言わずに僕の好きなようにさせてくれた。研究室に勝手に入り込んで休んでいたことも、日常茶飯事であった。

先生とは専門は少し違うのだが、先生の研究をする姿を見て、研究の現場というものを間近で感じることができた。

その恩師も、今では退官されて、名誉教授になられている。

僕の学生時代はまだ中堅の研究者であった先生も、今ではお歳を取られていると感じると、今まで何も恩返しができていないことがすごく悔しい。

早く結果を出して、先生に報告するのが一番の恩返しだと思っている。そのためにも一刻も早く結果を出さなければと焦っている次第である。

早く胸を張って先生に会いたい!

孤独を愛する。

最近は、友達の多さが充実した生活につながると言った意見をよく聞く。

しかし、四六時中SNSなどでつながっているのもどうかと思うし、独りでいるのが好きな人もいる。そんな僕も、独りでいるのが大好きだ。孤独が好きなのだ。

とは言っても、僕は人と話すのは大好きだし、電話でよく友人と話もするし、友達がいること自体は凄く嬉しい。

孤独を愛することができることは、僕は強みだと思っている。少し前に流行った”何とか力”という言葉で言うなら、”孤独力”とでもいうところか。

飲み会でわいわい騒ぐのもいいが、カフェで独り読書にふけるのもいい。独り論文を熟読するのもいい。

大勢でいるのも楽しいけど、基本は独りでいたい。最近、孤独死を問題にする人が多いが、僕は孤独死っていうのはなかなか良いと思う。僕自身、人に見取られて死ぬより孤独死の方がいいと思っている。死んだ後の事なんかに何もこだわりを持っていない。

「孤独を愛する人間でいたい」と僕が言っても、おしゃべり大好きな僕を見て周りの人はあまり想像できないかもしれないが・・・

人生を危険にさらせ。

17日、AKB48の総選挙があった。その中であった、NMB48の須藤 凜々花さんの結婚発言が話題をさらった。個人的におめでとうと言いたい。

須藤凜々花さんは、地元関西のアイドルだが、「目標は哲学者になること」だというのが有名だそうだ。実際、哲学書も出されている。その本のタイトルが、今回のブログのタイトル「人生を危険にさらせ」だ。

この言葉、元はと言えば、哲学者ニーチェの言葉であるらしい。僕自身もニーチェは大好きなのだが、この言葉は知らなかった。しかしこの言葉、非常にニーチェらしい言葉である。

「人生を危険にさらせ」という言葉は、「現場に出ろ、大衆の前に姿を現せ」と言う意味なのかもしれない。あるいは「リスクを恐れるな」と言う意味かもしれない。

お金のギャンブルはとうてい推奨できないが、人生のギャンブルは積極的にやっていく方がいい。とは言っても、人生のギャンブルも一般には推奨すべきことではないのかもしれないが、夢を持ち、エキサイティングな人生を望むならば人生のギャンブルは必要不可欠だ。

間違っても、自分だけ安全な所に居ながら口だけを出すような人間にはなりたくない。

須藤さんが教えてくれた「人生を危険にさらせ」と言う言葉は、前に進むためのエネルギーをくれる言葉だ。

人生をどんどん危険にさらして、失敗を繰り返して、最後に自分が笑えばいい。人生を危険にさらさずに、失敗もしない人生に、僕は価値を感じない。

日本はどれだけ自由なのか?

日本における言論・行動などの自由度は高いのか、低いのか。

国際的な評価では、日本の自由度はあまり高くないと言うような報告を聞いたことがあるが、それでも自由度の低い国に比べれば、まだまだましなように思える。

現在、テロ対策法案が国会で審議されている。この法案が監視社会につながるのではという不安が主張されており、僕自身もその危険性は排除できないと思っている。この問題は、テロ対策のメリットと、自由の一部剥奪のデメリットとのバランスがどうなるのかということに尽きるのではないか。

少し話は変わるが、日本は非常に協調性を重んじる国だ。そのことに関しては、世界的に評価されている。しかしその協調性はしばしば”圧力”となって協調性からはみ出るものに対するバッシングとなる。この日本の高い協調性社会が、自由度の低さの元凶になっているように思える。

個人の力で生き抜こうとする人間にとっては、日本の社会は生きにくい国である。