投稿者「木原 康明」のアーカイブ

新しい境地。

新しい境地を切り開くことが「進歩」というのかもしれない。いきなり大きな進歩を成し遂げ、とんでもなく新しい境地を切り開くことは稀かもしれないが、昨日より今日、今日より明日と、日々進歩を続け、一歩ずつ小さな境地を切り開いていくことは不可能ではない。

多くの人は安心と安定を望んでいるのかもしれない。しかしそれは言い換えると「現状維持」ということになる。もちろんそういう生き方は悪くないのだろうし、むしろ世間ではそちらのほうが推奨される生き方なのかもしれない。

新しい境地を目指すのは「開拓」を続けることである。そのためには大きな危険が伴うことも少なくない。ハイリスク・ノーリターンになる危険性も大いにある。しかしそれでも新しい境地を目指して危険を冒すことを止められない人がいる。

世の中を進歩させるには、どうしても危険を冒して新しい境地を切り開いて行く人間が必要だ。しかし世の中はそのような人に対して少し冷たいような気もする。他人の目を気にしすぎても仕方ないが、少なくともそこへと突き進む環境だけでも整えたいものである。

クレイ数学研究所の一億円ミレニアム賞問題。

物理や数学の問題と言うと、学校で解く問題や入試問題を思い浮かべる人は多いかもしれないが、世の中には最先端の数学者や物理学者が血眼になってかかっても解けない未解決問題が存在する。その中でも有名なのが、アメリカのクレイ数学研究所が2000年に一問1億円の懸賞金を懸けたミレニアム賞問題であろう。

クレイ数学研究所のミレニアム賞問題は、以下の7問である。

・リーマン予想

・バーチ&スウィンナートン-ダイア予想

・P vs NP問題

・ホッジ予想

・ポアンカレ予想

・ヤン-ミルズ理論の存在と質量ギャップ

・ナビエ-ストークス方程式

この7問のうち、現在までに解かれたのは、ポアンカレ予想1問のみである。(ポアンカレ予想を解決したペレルマン博士は1億円の受け取りを拒否している。)

この7問の中には、純粋数学的問題だけでなく数理物理学的問題も含まれている。

クレイの問題のような大問題に取り組みながら、その周辺で研究結果を出していくという道も凄く面白いと思うが、この7問に限らず、大きな未解決問題を解決するのは多くの数学者・物理学者の夢である。

少年だけでなく、大人にも大志を抱くことは凄く大事だし、エキサイティングなことである。

健康は最大の実力である。

若い頃は健康であることが当たり前のように思っていたので、あまり健康のありがたみがわからなかったが、最近は健康であることのありがたみがひしひしと感じる。なぜこんなことを感じるかというと、これまで調子を崩したり不健康であったことを経験し、健康でないとできないことが多くあることを強く感じたからだ。

健康とは最大の実力である。世間では「頭がいい」とか「運動神経が良い」という表現でその人の才能を称えるが、健康であるとはそれと匹敵するくらいの、あるいはそれ以上の才能である。

つい最近亡くなったホーキング博士のように、病と闘いながらも大きな才能を発揮する人間もいる。もちろん、ホーキング博士の大きな業績は病で薄らぐものでもなんでもない。

とは言え、社会活動の多くは健康であるかどうかに大きく左右されることが多い。健康であることを最大限発揮して大きな業績を出せばそれは大きな才能であるし、ホーキング博士のように病と闘いながらも巨大な才能を発揮する人間もいる。

とは言え、やはり健康でいるに越したことはないし、健康であることを願うばかりである。ホーキング博士を敬いながら。

物理学と生物学、二つの領域。

物理学と生物学は両方とも科学の基礎である。しかしその特性は大きく違う。物理学は自然の一般性の基礎であり、生物学は自然の特殊性の基礎と言える。

科学には還元主義という考えがある。還元主義とはその名の通り、現象をより根本的な要素に還元してく思想である。例えば、生命現象を還元していけば化学にたどり着き、その化学をさらに還元していけば物理学にたどり着く。その物理学の中で最も還元していった極限にあるのが素粒子論である。

すなわち、還元の矢の先端にあるのが生物学で、矢の根っこにあるのが物理学である。還元の矢の先端に近ければ特殊的性質の色が強く、矢の根っこに近ければ一般的性質の色が強くなる。(紛らわしいが、矢印の根の部分を最初の部分という意味で“先端”と呼び、矢印の先端を最後にたどり着く部分という意味で“根っこ”と言っている。)

生物学の面白さはその特殊性にあり、物理学の面白さはその一般性にある。とは言っても特殊科学である生物学の研究においても、その中にある普遍性を突き詰めることが最も重要になる。ワトソン・クリックの遺伝子の二重らせんはその最たるものであろう。

物理の研究者にとっても生物学的知見は素養として重要であり、生物学者にとっても物理学的素養は重要である。それを行動において強く示したのが量子力学を打ち立てた物理学者・シュレーディンガーの著書「生命とは何か」であろう。

細部を極めるのも必要であるが、広く科学の一般的知見を身に付けることもそれに劣らず重要である。

データは助けにはなるけれど、全てではない!

近年、非常に高度な情報社会になってきたが、それと同時に起こっているのがデータ万能主義だ。データは確かに大きな力にはなる。だからと言ってデータに溺れてはいけない。データは助けにはなるけれど、全てではないのだ。

近年、ビッグデータが非常に注目を浴び、データサイエンティストの活躍が注目を浴びている。しかしこのような情報社会下でも、独創的な仕事を中心とした世界ではデータだけではどうにもならない発想が重要だ。

例えば単純作業や、多くのデータを解析することによって成り立つ世界では、すでに人間は太刀打ちできない。だからこそ、人間はコンピューターが活躍するところとは別世界で勝負せざるを得ない。

自分はどこで勝負すべきか?現在の状況ではなく、十年後、二十年後を見据えて勝負を懸けることが重要になってくる。

プロ意識を持っている人が好きだ!

例え社会的地位としてプロであろうとなかろうと、僕は常にプロ意識を持つことを心がけている。自分が打ち込んでいることに対して、決して甘えないという覚悟を持って取り組んでいる。

僕自身、プロ意識を持つことを心がけていると同時に、世の中でプロ意識を持って生きている人は素敵だと思うし、そのような人が大好きだ。直接陽の当たらない縁の下の力持ちから、テレビで脚光を浴びている有名人まで、プロと呼ばれている人はたくさんいるが、その中で強くプロ意識を持って取り組んでいる人は非常に魅力的に見える。

何に対してもプロになるためには非常に厳しい道を歩まないといけないし、時間もかかる。しかし“プロ意識”はすぐにでも持つことができる。将来プロになることを目指す人にとって、まずはプロ意識を持つことがそれに向かう第一歩になるのではないかと思う。

精神と肉体。

頭を使う生き方をしている人でもその頭を支えているのは体であるし、逆に体を使う生き方をするにしてもその体を動かすのは頭だ。どんな生き方をするにしても、精神と肉体は切り離せない。

研究者という頭を使う仕事をしている人の中にも、体を動かし鍛えている人は多い。僕の大学時代の恩師の数学者はハードな筋トレをしていたし、iPS細胞の山中伸弥教授がジョギングを日課とし、しばしばフルマラソンに参加しているのは有名な話だ。

一流のプロスポーツ選手はほぼ例外なく頭をフルに使っている。イチロー選手が非常に頭脳明晰な選手であることは明らかであるし、大谷翔平選手も非常に思考しながらプレーに取り組んでいる。

ただ体が強ければいいとか、頭が良ければいいという訳ではなく、頭と体、精神と肉体の両方を鍛錬することが重要であり、片方の鍛錬がもう一方のパフォーマンスに大きく影響を与えることを認識して生きることが大切である。

本はとにかく買いまくれ!

勉強や研究に取り組んでいる人にとって、書物は必要不可欠な道具だ。もちろん本をほとんど参照せずに創造的な仕事をする尊敬すべき人もいるが、多くの研究者にとって書物を身から離すことはできない。

僕は学生時代、とにかく本を買いまくっていた。その域は半分コレクターと言ってもいいくらいであった。他の学生からは、本ばかり買ってどうするんだという目で見られていた。そういうこともあって、少し本を買うのを遠慮している時期もあったのだが、昔買った本が後々役に立つということが多く、昔本を買って良かったと思う一方、遠慮して買わなかった本が絶版になり手に入れられないということも多く、買わなかったことを後悔することも多い。

本を買いまくると言っても、意味のない本は買う必要はない。例えばファッション雑誌などは全て立ち読みで済ませるし、一般書なども結構立ち読みで流し読みをしている。しかし少しでも気になる専門書は極力購入することにしている。

最近はamazonという非常に便利なネットショップが存在する。特に専門洋書関係は実在店舗には全く置いていないので、全てネットで注文することになる。しかし和書に関しては、できるだけ実在店舗で手に取り購入することにしている。

意味のない本を買えとは全く言わないが、自分の知性を少しでも高める書物はとにかく買いまくることを強くお勧めする。もちろん、予算との兼ね合いがあるが、書物にはお金を優先的に投入するだけの価値はある。

南北朝鮮、和解か?

27日、北朝鮮・金正恩氏と韓国・文在寅氏による南北首脳会談が開かれ、非常に融和的な結果をもたらした。休戦協定は平和協定に転換することで合意し、朝鮮半島の非核化も明言された。これらの文言だけを聞くと非常に実りのある会談であったように思える。しかし問題もないわけではない。

一番の懸念は、非核化へのプロセスが全く明示されていないことだ。非核化へどのように進んで行くか?このことを具体的に明示しない限りは、再び反故にされる可能性もある。

とは言え、今回の金正恩氏と文在寅氏の行動はリスペクトに値する。今回の会談を「パフォーマンスだ」と非難する人がいるが、僕は非常に重要なパフォーマンスであったと思う。そして何よりも、金氏、文氏の命を懸けた会談(大げさでなく)であったと思う。二人が板門店で会うという行為自体、命を懸けたものであり、二人の覚悟は非常に伝わってくる。

今後、南北朝鮮は東西ドイツがたどった道をたどれるのか?非常に注目されるところである。

数値は絶対だが、解釈はあいまいだ。

例えば、健康診断では様々な数値がはじき出されるが、その数値をもって健康かどうかを判断する基準はあいまいだ。たしかに数値自体は絶対的で間違いないのだろうが・・・。

健康診断以外でも、原発事故による放射線物質汚染に対する基準、タバコの害に対する基準、どちらも数値は(おそらく)厳密に出てくる。しかしそれに対する解釈は人間の主観による部分も大きい。

たしかに全ての害悪に対する数値がゼロであれば、何の心配もないし、スッキリするかもしれない。しかし何に対してもゼロという数値はまずありえない。例えば放射線物質に関しては微量ながら自然界にも存在するわけであるし、(個人的にはタバコは大嫌いなので、なくなってほしいが)わずかなタバコの煙よりも害悪を与える自然要因はいくらでもある。

全ての害に関して、完全にゼロにすることは原理的に不可能であり(タバコはただ無くせばいいだけかもしれないが)、仮にできたとしても膨大なコストがかかる。そのコストを他の要因の低減に回した方がはるかにコスト対効果は高い。

害を容認するわけでは全くないが、一つの要因だけに注目するのではなく、あらゆる要因を総合的に判断する大局的な視点が大事である。