投稿者「木原 康明」のアーカイブ

アマチュアのトップか、プロの端くれか。

アマチュアとプロの違いは何か?という問題は単純ではない。その境目が曖昧なものから、将棋や野球のように明確に規定されているものもある。

とは言え広く一般に、”お金をもらっているのがプロ”という定義もあるが、それならば、給料をもらっているアルバイトもプロになってしまい、明らかに違和感を感じる。

プロとは何か?という定義はさておいて、プロとアマチュアの間には大きな断層が存在する。多くの分野で、アマチュアのトップでもプロの端くれには太刀打ちできないことが多い。その最たるものは、今話題の将棋であろう。

将棋は4段からがプロである。3段まではプロの前段階の奨励会員と言う身分である。言わばセミプロと言う感じかと思うが、完全なアマチュアとは違う感じがする。アマチュアの”4段”が、奨励会の”5級”と同じくらいだと言う話を聞いたことがある。即ちトップアマチュアでも奨励会の一番下にほぼ太刀打ちできないと言うことであろう。

プロとアマチュアのもう一つの大きな違いは”プロ意識”であろう。このプロ意識のあるなしは、その分野で戦っていくうえで大きな違いを生む。取り組む姿勢・時間・こだわりなどによって、プロとアマチュアの間にあった差はますます大きくなっていく。

趣味でやればいいという人はともかく、その分野で戦っていき、トップを目指す者としては、分野を問わず”プロ意識”を持つことは非常に重要だ。そういう意味で僕は、アマチュアのトップを目指すことより、まずはプロの端くれを目指すことの方が計り知れないくらい大きな意義があると感じている。

信頼できる政治家がまた一人亡くなった。与謝野馨氏。

また信頼するに値する一人の政治家が亡くなった。与謝野馨氏、78歳であった。

与謝野馨氏は物静かという印象が大きいが、政策通として名が通っており、日本の政界にとって非常に貴重な人材であった。

これまで、財務大臣、内閣官房長官などの要職を歴任し、政界では非常に大きな存在であった。また物静かな印象のある一方、冷静で的確な判断を下す信頼できる政治家の一人だという評価もあったと思う。

また与謝野馨氏と言えば、著名な歌人・与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫であるということでも非常に有名であった。

現在の政界を見ていても、与党・野党双方とも、一方的なごり押しで事を進めたり、またノリで批判したりといった好ましくない状況が散見されるが、そのような時代だからこそ与謝野氏のような冷静に判断できる政治家の必要性は非常に高くなっていると思う。与謝野氏の死去は本当に惜しい。

与謝野馨氏のご冥福を祈ります。

今までやってこなかった新鮮さに取りつかれる。

最近、コンピューター関連の事が面白い。今まではずっと数理物理(数学と物理)しか眼中になくて、その他のことは余力でという感じだったが、今、コンピューターにはまっている。Python(パイソン)などのプログラミング言語、ディープランニング、LinuxなどのOS、面白いものは手当たり次第に当たっているが、その先のプランも考えている。

とは言え、やはり数理物理はゆずれない。物事に優先順位を付けることは非常に大事だが、最近は面白いことには全て全力で取り組んでみようと思っている。

とは言っても一日は24時間、睡眠を省くとさらに短くなる。全てを全力で取り組むためには一日の計画をしっかりと考えなければならない。睡眠のコントロールが苦手な僕にとっては至難の業だ。

とは言え、この歳になって新鮮さを感じることは幸せだ。今は遊びの範疇を出ないかもしれないが、それを超えようとも思っている。

人生、修行とエンジョイのバランスが大事だ。修行もエンジョイするくらいになれば一人前かもしれない。

昔、阪神タイガースにいた新庄剛志選手は、常にプレーを楽しみ、ファンにも楽しませてくれた。シンジョイ(新庄がエンジョイする)と言う言葉があるくらいだ。いつかはその境地にたどり着きたいものである。

本は財産。本にかけるお金は人生への投資。

世の中を見ていると、本を読む人と読まない人が極端に分かれるような気がする。もちろん本にお金をかけて読まない”積読”は少し良くないかもしれないが、全く本に接しないよりかはかなりましである。特に専門書は、読むのにかなりの時間と労力がいるので、必然的にある程度”積読”になってしまう。しかし、積読状態である専門書は、研究への自由度の広がりになる。

本の価値は読んだ人にしかわからない。価値がわからないから読まないのか、読まないから価値がわからないのか、鶏が先か卵が先かという問題かもしれないが、人生を価値あるものにするためにもある程度の読書は必要だ。

そして読む本の”質”も重要だ。基本的基礎的文献を読まないで、自己啓発本などの表面的な手っ取り早い本ばかり読んでいては薄っぺらい人間になってしまう。何をするのにも、苦しんでこそ得られるものがある。

ただ、苦痛を感じながら読むのもあまり意味がないのかもしれない。やはり読書も楽しんだ方が圧倒的に良い。そのためには「自分の興味は何か?」ということを自分で認識しなければならない。

本への投資は自分への投資。本は財産。

質の良い価値ある人生にするためにも、人生のお供に質の良い価値ある本を。

結果ありきか?過程ありきか?

物事に取り組むときに、まず目標を掲げることが多いだろう。もちろん目標を掲げることは、非常に意義のあることである。

しかしその目標が、中身のあるものか、外見だけのものか、それらによって大きく意味合いは変わる。

外見により目標、例えば起業であれば「何億円稼ぐ」とか「3年で株式上場する」とかであるが、それだけでは物事は全く進まない。まず「何(なに)で」ということを明確にしないとスタートは切れない。

よくビジネスで成功するためには「”何で”にこだわらないことが大切だ」と言われるが、それは「何で」と言う手段(過程)をいくつも思い描いていて、どれで進めるかこだわらないという意味だ。しかしこの「何で」という手段を定めることが一番難しい。

とは言え、手段を一つに絞る必要は何もない。いくつかあれば、それを全て進めるというのも一つのやり方であろう。全てに全力をつぎ込めるのなら、二兎・三兎の獲物を追えばいい。そうすれば中には大谷翔平のごとく、二刀流・三刀流で活躍する者が現れるかもしれない。

思い込みによる、思考の暗示。

僕はかなり自信家だ。と言っても、今までに何か大きなことを成し遂げたわけでも、人生に成功したわけでもない。

しかしそんな”成し遂げた”とか”成功した”ということは、所詮過去の事でしかない。未来のことに過去のことは関係ない(もちろん関係あることもいろいろあるが)。なので、過去の失敗にとらわれて自信をなくすなんてことはアホらしいと思っている。

例え周りから見て根拠のない自信と思われても、自然に湧き出てくる自信には本人にとっては実際は根拠がある。そして根拠のない自信というのは非常に力になる。心も元気になる。未来を肯定的にとらえられるようになる。

この様に根拠のない自信によって自分を暗示させることによって、成功への道筋が見えてくれば、あとはその道を突っ走るだけだ。

みんなと違っててもいいやんか!過度に協調性を求める日本社会に疑問。

初めに言うのも何だが、僕は協調性がない。取り組んでいることに対する目標も、かなりこだわりがある。とは言っても、何らかの障がいがあるとか、そういうわけではない(睡眠に関してはかなりひどいが)。とは言え、いろいろな意味で自分勝手だとみられることが多いので、周りからの風当たりは強く、精神的にもかなり疲れる。

いろいろ悩み症な所はあるが、陽気でゲラゲラ笑っていることも多い。つい最近、お笑い芸人のカズレーサーさんが、この20年間悩んだことがないという話をしているのを聞いて、悩んで得なことなど何にもないことに気づき、かなり心の持ちようが変わった。少し楽にもなった。

自分は普通の人と比べると変かもしれないし、生き方も普通の人とかなり違う。もちろん、”普通の人”とは何かと問われれば、画一的な答えはないのかもしれないが。でもそんな自分に誇りを持っている。

数学と物理に関しては、すごく真面目に取り組んでいる。数学と物理が大好きだ。

僕は普通の人とはかなり違うかもしれないが、

みんなと違っててもいいやんか!

大きな夢、大きな目標に向かって。

コンピューターって、かなり遊べる。

コンピューターで遊ぶと言っても、ゲームをするわけではない。プログラミングなどの”ソフト遊び”から、機械をいじくる”ハード遊び”があるが、最近それらの面白さにはまりつつある。

学生時代の僕は、パソコンに関してはずぶの素人であった。素人の中の素人だと言っていいだろう。しかし、最近はその反動か、コンピューターにはまっている。

プログラミング言語は定番であるが、超定番のC言語よりもディープラーンニングにも応用できるPythonに興味がある。

ハードに関しては、最近面白いものを知った。「ラズベリーパイ」というコンピューターだ。これは名刺程度の大きさのコンピューターだが、大抵のことは事足りる。嬉しいのが値段で約5千円だ。壊れてもそんなに痛くない。

つい最近、ラズベリーパイでハッキングに成功したという、海外の少年のニュースを聞いた。ハッキングができるほどの仕組みを備えていると言うことは、ハッキングに限らずかなり様々な可能性を秘めていることを示している。恐るべき5千円である。

逆転的発想の勉強法

勉強とはどう遂行すべきか?ほとんどの人が「基礎的な事から始めて徐々に応用的事柄に進めていく」と考えていると思う。それはそれで真っ当なことで、正統的な勉強法であろう。

しかし(分野にもよるが)「いきなり最先端なことに取り組んでみて、足りないところを基礎的な文献で補う」という勉強法が非常に効果的なことがある。まず現場で手を動かしてみて、何が足りないかを理解する、ということだ。

”分野にもよる”と書いたが、この勉強法が非常に効果的な分野の一つが、コンピューター関係であろう。コンピューター関連の事は、実際に手を動かさなければ何も始まらない。分厚いWindowsの教科書をどれだけ読んでもパソコンを動かせるようにならない。まずは実戦である。

物理や数学などの学問でも、基礎的文献を理解することは大事だが、実際に最先端の論文に触れてみることは非常に重要である。

基礎から始めて、初めの何分の一でいつも挫けてしまう人は、思いっ切って最前線の事に取り組んでみるのも一つの手だと思う。

民進党・蓮舫代表、政策が全く見えてこない。

民進党の蓮舫代表が、日々口から火を噴いている。国会では毎日のように答弁している印象を受けるが、蓮舫氏に同調する気になれない。なぜか?

それは、蓮舫氏が次から次へと討論し攻撃している内容が、相手政治家の足をすくうこと、失態を追及することばかりで、政策関連の事が(実際はやっているのだろうが)全く見えてこないからだ。

もちろん、現政権与党の政治家の落ち度を正すことは、野党議員の重要な仕事だ。しかし、そればかりでは政治家とは言えない。”政治”を中心に政策を議論することが、政治家の一番重要な仕事であることは間違いない。

蓮舫氏は、政治家としての優先順位を全く勘違いしているとしか思えない。この様な状態だと、支持率一桁状態から抜け出す機運にはならないであろう。