投稿者「木原 康明」のアーカイブ

前へ!前へ!

僕の考えることを他人に押し付けることは正しくないとは思っているが、自分の考えに自分が従うことは重要だ。

人それぞれ、自分のスタイル、自分の生き方というものを持っていると思う。もちろん僕にも自分のスタイル、自分の生き方がある。いかにしてそれを貫くか。簡単なようで難しくもある。そこで自分に言い聞かせるためにも、それを自分の口で発し、自分の言葉で書きとめるという行為を心がけている。

自分の生き方を書き連ねると長くはなるが、キーワードを並べると、

「前へ」「保険を掛けない」「動く」「攻める」「守るべきところは守る」

こんなところだろうか。

「前へ」は、常に前進することを試みる事と、後ろを振り返らないということである。

「保険を掛けない」とは、常に危険に飛び込むことを心がけるということである。

「動く」は、考えたら即実行するということである。

「攻める」は、常に超攻撃的人生を進めるということである。

「守るべきところは守る」は、大切なものはしっかりと守るということである。

現在、どこまでこれを実行できているか?おそらく半分もクリアできていない。これらの事を常に念頭に置いておかないと、すぐに後退してしまう。現在できる事は、1%前に進める事。1%の積み重ねが10%、20%となってくる。

例え失敗したとしても、前に進んだ結果の失敗でなければならない。

野党は対案や具体策を提示しきれているか?

いつの時代も、野党の主な仕事は与党に対する批判なのかもしれない。それはもっともなことである。野党の一番の使命は、政権交代を起こし与党になることだからである。与党にならない限り、意思決定に影響をもたらすことは難しい。

しかし野党だからと言って、対案や具体策を全く提示しなくてもいい訳ではない。対案や具体策をしっかり示すことが出来るかということは、政権を獲得した時に政権運営能力があるかということに直結するからだ。国民もそこはしっかりと見ている。対案・具体策をしっかりと示さず与党の批判に明け暮れていれば、与党の支持率が下がったとしても野党は政権運営能力がないとみられる。

政権運営能力がないまま政権を獲得してしまったのが、2009年~2012年の民主党政権であろう。野党は野党である間に、政策立案能力及び実行力をしっかりと身に付け、政権獲得時の準備をする必要がある。

現在の政権の状況としては、加計・森友問題で安倍政権が揺れても、それに代わるのは自民党の誰かということにしかならない。実際名前が挙がっているのは、石破茂氏や小泉進次郎氏などの自民党議員ばかりだ。

野党には、近視眼的に与党の批判に明け暮れるばかりではなく、地力をしっかりと身に付け、政権担当政党となった場合の基盤を地道に築いていってほしいものである。

日大・アメフト問題の本質とは?

物事を冷静に俯瞰するのは難しい。現在進行中の日大・アメフト問題を見ていてつくづくそう感じる。僕自身も冷静に見ようと思っても、つい感情的になってしまう。

この日大・アメフト問題は、非常に悪質な問題(事件)だ。しかし事件の悪質さだけで言えば、世の中には傷害事件や殺人事件がそれなりの件数起きている。しかし現在の日大・アメフト問題はどの事件よりも大きな扱いを受けている。それはなぜか?

その理由は、この問題の争点が試合での傷害行為そのものではなく、日本大学という学校組織の体質がどうなのかということに移ったことにある。日本大学は言うまでもなく日本で一番学生数が多い超巨大組織である。しかしその超巨大組織のブランドが地に落ちてしまった。

その原因はいろいろ考えられるが。ここ数日の流れを見ているとそれは、自校の学生である加害者を守ろうとせずに切り捨てようとしていることにあるように思える。もしかしたら加害者をトカゲのしっぽ切りをすれば、自校(日本大学)を守れると考えているのかもしれない。しかし普通に考えて、自校の学生を守らずに切り捨てるような大学に行きたいと思う人はほとんどいないだろう。「傷害行為を起こした」ということ自体ではなく、「自校の学生を守らない」という行為が信用を著しく損なうことになったのだ。

初めにも述べたように、現在問題になっているのは、傷害行為そのものではなく、日本大学の体質に対してである。今回の一連の対応を見ていると、「アメフト部の行為が運悪く大学全体に波及した」というより、「アメフト部の問題を起点に起こるべくして起きた問題だ」と言える。

日本大学のブランドは「運悪く」ではなく、「起こるべくして」地に落ち、自らの首を絞めることになったと感じる。

休憩後に一手も指さずに投了した羽生竜王に、プロフェッショナルの真の姿を見た。

現在、第76期将棋名人戦7番勝負が行われいる。佐藤天彦名人と挑戦者の羽生善治竜王との戦いだ。その第4局が5月19日・20日に行われた。名人戦は持ち時間が各9時間、つまり二人合わせて18時間になるので、2日間に渡る長丁場となる。

その2日目に珍しいことが起きた。羽生竜王が休憩後に一手も指さずに投了したというのだ。羽生竜王は負けることになったが、その羽生竜王の姿にプロフェッショナルの真の姿を見たような気がした。

羽生竜王がどこまで先を読んでいたかわからないが、休憩後に一手も指さずに投了したということは、かなり先まで読んでいたと想像できる。深い考察によって先を読んでいたからこそ、自身の負けを悟ったのであろう。

この羽生竜王の負け方に、羽生竜王の凄さを感じた。ここまで究めないと真のプロフェッショナルと呼べないのであろうか?羽生竜王のこの投了の姿は、あらゆる分野でプロフェッショナルを目指そうとしている人たちにプロフェッショナルとはどうあるべきかということを示している。

強烈な個性の発揮!

以前、服装で個性を出すのは違うということを書いたが、その一方、内面からの個性は強烈に発揮すべきだと思っている。個性とは字の通りその人そのものであり、個性の抑制は自分に対する否定である。

僕自身、個性は強い方だと思うが、それでも満足はしていない。自分のどこかにまだ自分を抑制している自分がいる。その部分を解き放たねばならないと感じている。

最近いろいろな人を観察していると、どこか没個性的なところを感じる。世の中全体が個性を抑圧しているようだ。日本では昔から「出る杭は打たれる」とよく言うが、「個性を出す=出る杭」と考えているのだろうか?

その一方、ブレークスルーというものは強烈な個性から生まれるものでもあるので、個性を否定しながらも個性が作り出した世の中のプラットフォームに乗っているという構図になる。

ただ、強烈な個性が全てブレークスルーを生み出せるわけではない。ブレークスルーを生み出すまでに強烈な個性による多くの失敗の積み重ねがある。

もし最終的に成功することができなければ、その個性は皆の記憶の彼方へと消えることだろう。しかしそれでいいのである。消えることを恐れていれば、挑戦権さえも得られない。そして仮に失敗したとしても、強烈な個性が挑戦した爪痕と事実は消えない。

三段構え。

物事に取り組むにあたっては、三段構えで臨むことが重要だ。初めに最も力を入れるべきことに取り組む。しかしそれが成功するとは限らない。もしそれが成功しなかったら二番目の事に取り組む。それでもだめなら三番目の事に取り組む。このように三段構えで臨めば、何かしら結果を出すことができるであろう。

今僕は、三段構えで物事に取り組もうと考えている。しかし「一番目、二番目、三番目」ではない。「二番目、三番目、四番目」なのである。一番目の事に対しては意地でもあきらめないつもりである。一番目の事に対してはさらに三つの事に細分されるが、そういう意味でも一番目の中で三段構えができているとも言える。

三段構えで「これでもか!」と次々と畳み込んでいくくらいの意気込みを持ちたいものであるが、そこまで積極的に前に出ることは難しい。特に受け身の姿勢で取り組んでいれば、三段構えどころか二番目の事に移ることもできない。

超攻撃的人生を歩むことを決めた今、三段構えの姿勢は必要不可欠であると感じている。

仕事や夢に対するお金の使い道。ヒカキンさんが良い言葉を言っていた。

僕が毎日楽しみにしているのが、YouTube動画「釣りよかでしょう」だ。そして毎日楽しみにしている「釣りよか」動画を観ていた時、「Hikakin TV」の160万円のフルスペックiMacProを買ったという動画のリンクがあった(2018/02/09公開の動画)。以前からiMacProのフルスペックPCには興味があったので、ワクワクしながら観ることにした。

ちなみに、フルスペックiMacProは、CPUが18コアで、メインメモリがなんと128GB(念のために、これはストレージの容量ではない!)。ストレージは4TBのSSDである。

ヒカキンさんの話に戻るが、ヒカキンさんは動画の中で、なぜ160万円もする超高性能パソコンを買ったかということを語っていたが、その中で非常に良い言葉を語っていた。それは、

「自分の夢や仕事に関するものは、その時自分が買える1番良い物を妥協せず買ってきた」

ということだ。さらに、

「本気で目指している夢だったら、全財産はたいても買うべき」

とも言っている。これらのヒカキンさんの言葉には、非常に同感である。僕もそんなに高額なものではないが、今目指していることに必要な専門書などに対しては、どんなに高額でも投資している。専門書は書籍と言っても非常に高いものもあり、一冊数万円するものもある。しかし少しでも必要だと感じた専門書は、即決で投資している。おかげで、専門書エンゲル係数(なんて言葉があるかどうかはわからないが)は非常に高い。

現在の百円は数年後の何千万円に化けると僕は思っている。さらにお金では買えないような経験も得られると思っている。僕が言うより、ヒカキンさんの動画を直接見た方が説得力があるかもしれないので、ヒカキンさんのこの回の動画はぜひ探してみてほしいと思う。この回の動画ではヒカキンさんは色々と良いことを言っている。

思いっきり投資した後は、それを成果へと化けさせるために全力だ!

神は細部に宿る。

「神は細部に宿る」とはよく聞く言葉だ。物事を構築するには、まず概形を定める。そしてその細部を詰めていく。この二段構えが必要になる。

概形とはいろいろ言えるが、骨格を構築するという意味もあるし、アイデアを見つけるという意味もある。しかしアイデアだけでは何も進歩しないし、形にもならない。その次の段階である「細部を詰める」という作業が必要になる。その「細部を詰める」ことに成功した時、そこに神が宿るのである。

細部を詰めて神を宿らせるためには、専門的技術が必要になる。つまりプロでなければできない。しかし、この細部を詰める作業が完成した時のその喜びは非常に大きい。細部を詰める作業は根気のいる厳しい作業でもあるし、楽しい作業でもある。

僕自身は音楽は全くできないが、ピアノを弾ける人には憧れる。なぜあのように指が動くのか?僕には全く理解不能だ。もしかしたら数学の研究もそう思われているのかもしれない。なぜあのような複雑な数式が理解できるのかと。ピアノを弾く、あるいは数式を操るという作業が、細部を詰める作業だと思っている。そしてそこに神を宿らせる作業だと。

あらゆるジャンルに関して、細部に神を宿らせることができて一人前だと思っている。いずれは大きな神を宿らせて、超一流と言われる人間になることを目指そう!

サッカー日本代表に対する、僕の独断と偏見。

18日、サッカーの日本代表27人が発表された。まだW杯への最終選考ではないが、ハリルホジッチ前監督から西野監督に代わり、少し思うところがあるのでブログで書くことにした。初めに僕はサッカーに関して素人であることを断っておく。

日本代表前監督であるハリルホジッチ氏が解任された時、僕は非常に複雑な気持ちであった。別にハリルホジッチ氏のファンであったわけではないが、解任への経緯がどうしても納得できなかった。

W杯出場が決まり、W杯本番までのこの時期の試合は、野球で言えばオープン戦、言葉を変えれば練習試合である。その練習試合での敗戦を理由に監督を変えるという行為は非常にナンセンスだ。もちろん理由はそれだけではないだろうが、どう考えてもこの時期での監督解任は早計だとしか思えない。

僕の独断と偏見では、ハリルホジッチ氏は危ない橋を渡っていたように思える。W杯であわよくば4強、しかし悪ければグループステージで敗退。それくらいの覚悟があったのではないか。それに対して、西野監督は確実に16強を狙いに来たのではと思える。

もちろん、現実はどうなるかわからない。西野監督のもとで4強まで来る可能性もゼロではない。しかしハリルホジッチ氏は本気で4強を狙いに行っていたように思える。

本田、香川、岡崎のビックスリーを選んだことは非常に順当で、日本人受けする選出でもある。しかしあまりにも順当すぎる。新しい発見がない。

素人である僕の独断と偏見を並べてみたが、僕の勝手な予想が外れてW杯本番で勝ち上がってくれることを祈る。

リスクより怖いもの。

物事に取り組むにあたって、リスク評価は重要である。リスクを軽視せず、かつリスクを過剰に評価せず、正確に判断することが大事である。あるいは多少リスクを軽視したほうが賢明かもしれない。

スタートアップするに当たって、眼に見えないリスクは怖い。そのような時にリスクを恐れて取り組むことを控えることもあるだろう。しかしそこにリスクよりもさらに大きな恐怖がある。それはリスクを恐れるあまり身動きが取れなくなってしまうことだ。

そのようなリスクに対する恐怖は負の連鎖を生む。そしてさらに身動きが取れなくなってしまう。リスクと言うものは何においてもゼロということはありえないので、小さなリスクを過剰評価することは理にかなっていない。

リスクの恐怖に対して負の連鎖に陥っている時は、思い切って飛び出すことが大事である。しかしそれは簡単な事ではない。勇気が必要である。しかしそのように飛び出すことができた時、行動範囲が思いっきり広がることを実感するであろう。

近視眼的にリスクしか見えない時、そこにはリスクより大きな恐怖が潜んでいる可能性がある。そのことを正確に評価し、判断しなければいけない。