投稿者「木原 康明」のアーカイブ

日本にはいない才能。

世界でナンバーワンの才能は日本にいるのか?日本には錦織圭はいるが、ナダルはいない。湯川秀樹はいたが、アインシュタインはいなかった。中田英寿はいたが、メッシはいない。世界トップクラスの日本人は少なからずいるが、世界で圧倒的なトップに君臨する日本人はいただろうか?

僕の尊敬する山中伸弥教授は世界トップの研究者と言える。山中教授が日本に拠点を置いているのは奇跡だ。しかし現在の山中教授は研究よりもマネジメントに翻弄されている。もちろん世界のiPS細胞研究界をマネジメントしてリードできるのは山中教授しかいないのだが。

これから日本に必要なのは、世界トップクラスの日本人ではなく、圧倒的にインパクトのある世界トップの日本人だ。研究者でもスポーツ選手でもなんでもいい。とにかく圧倒的にインパクトのある世界トップの人材が一人欲しい。もしそのような日本人が出てくれば、日本人の思考から文化まで大きく変えることができる。

繰り返し言う。世界トップクラスではなく、圧倒的な世界トップだ!

行動の自由度を高める。

自分の行動の自由度は、大きく二つのものに由来する。一つは物理的なものから来る自由度。もう一つは精神的なものから来る自由度だ。

物理的な自由度は非常に分かりやすい。例えば自動車を手に入れることによって自由度を高めることができるし、さらにはお金を手に入れることによってできる事が増える。また社会的地位なども一種の物理的な自由度と言えるかもしれない。

問題は精神的な事から来る自由度だ。これは一見わかりにくいが、誰もが非常に左右されるものだと思う。自分の考え方、行動指針によって、行動の自由度は大きく変わる。また周囲をどれだけ気にするかということにも影響されるだろう。

当たり前の事だが、精神的なものから来る自由度は、お金ではなかなか解決できない。そのため、自分で自分の精神をコントロールするしかない。そのためには、自分が自分の精神・自分の考え方にどれだけ束縛されているかを知る必要がある。普段はあまり意識することはないが、意外と自分の考え方によって行動が束縛されていることが分かる。

行動の自由度を高めると、世界観が変わる。物理的にも精神的にも世界の大きさが変わる。もしかしたら自分の度量も大きくなるかもしれない。自分を新しいステージに進めるためにも、まずは行動の自由度を高めることを意識してみよう。

錦織圭選手は帰ってきたか?

現在行われているテニス・全仏オープンで、錦織圭選手が16強まで進んでいる。錦織圭選手は去年から今年初めまでけがで欠場していたが、最近の結果を見るとかなり復活してきたようだ。

ところで最近はあらゆる分野で若手日本人の活躍が目覚ましい。メジャーリーグの大谷翔平選手、卓球の張本智和選手、そしてスポーツではないが将棋の藤井聡太七段など、皆頼もしい限りである。

ところで、錦織選手が世界のトップクラスに躍り出て、面白い大会があることを知った。テニスで最もメジャーな大会と言えば四大大会を思い出すが、毎年シーズンの締めくくりに、ATPワールドツアーファイナルという大会が行われる。これはその年のランキング上位8人だけが出られる大会で、室内で行われる。錦織選手がこの大会に出るようになって試合の中継を見るようになったが、演出とが凝っていて非常に面白い。さすが世界のトップ選手だけしか出られない大会だけある。

これから全仏オープンも後半戦に入るが、錦織選手がどこまでトップに迫れるのか楽しみである。もちろんトップに迫るだけではなく、トップを取って欲しいと願っているが。

錦織選手もここ最近の活躍で、欠場時に下がった世界ランキングがうなぎ上りである。年の終わりに上位8人に入ってATPワールドツアーファイナルに出場できるか。今からワクワクしている。

なぜ哲学を修得すべきか?

「哲学は古い」とか「哲学は科学的ではなく間違っている」と言って、哲学を学ぶのは全く無駄だと言う人が多い。特に日本では哲学を軽視する風潮が強いように思える。

確かに哲学の絶頂期であったギリシャ哲学などは、科学的に見ればほとんどの事が間違いである。それどころか近代哲学の金字塔であるカントやニーチェなどのドイツ哲学だって正しいとは言えず、とても役に立つとは思えない。

しかし僕は声を大にして言いたい。

「哲学は極めて重要であり、習得すべき学問である」

ではなぜ哲学を修得すべきか?もちろん哲学の内容自体も意味があると思うが、それ以上に大事なのは「哲学の構造とメソッド」だ。

哲学を構築していく作業というのは、生きていく全ての事に応用が利く。哲学を構築できるかどうかということは、人生を構築できるかどうかということにつながるのである。もちろんあらゆる学問やビジネスへの応用にも非常に威力を発揮するであろう。

そして哲学的手法、すなわちメソッドは、あらゆることに対するアプローチの原型になっている。これは「いかにして生きるべきか?」という問いにつながってくる。またこれもあらゆる学問やビジネスへの応用に威力を発揮する。

哲学は役に立たないどころか、生きること全てに対して関わってくるのである。極論を言えば、哲学をせずに生きることはできない。「いかにして生きるべきか?」と問いかけながら生きていくには、哲学は必要不可欠だ。

哲学は決して難しい学問ではない。まずは身の回りの事に対して「なぜ?」という問いかけを始めればいい。その「なぜ?」という問い自体が哲学的行為そのものである。そうして小さな哲学を積み重ねていけば、徐々に体系的な哲学を構築していくことができるであろう。

まずは目次を理解する。

本を読む時、何をもってその内容を理解したと言うのか?その一つの目安は目次を理解できたかどうかということだ。

目次を理解するというのは、一つは目次に書かれている見出しの内容を理解するということだが、その他にも、なぜそのような見出しがその順番、その流れで書かれているかということを掴むということでもある。内容を理解していないと、その流れの意味が掴めない。逆にポイントをしっかり掴めば、目次を見るだけで本の内容のほとんどを理解できる。

本を読む時、まずは目次にしっかりと目を通してみよう。読む前はおそらく目次に書かれている必然性を理解できない。しかし本のおおよそを理解した後には、目次の必然性を理解できるだろう。

目次を理解するということは、本の内容を理解することとニアリーイコールである。逆に本を読んだ後になっても目次を理解できないのならば、それは本の内容を理解していないということである。

自分で自分をコントロールする。

自分を目標へと近づけるために、自分の精神と行動をコントロールすることは重要だ。

目標がはっきりしているのならば、その目標へたどり着くためにはどの道を、どのような手法で、どれだけやればいいかを計算し、適切な手法を取る必要がある。しかし、いつも思い通りにいくとは限らない。アクシデントが起こることは日常茶飯事である。そこで重要なのは、そのアクシデントにどう対応するかである。アクシデントや失敗は決してマイナスではない。それに上手く対処することによって自分を一段高め、その結果目標への近道へと変化する可能性もある。

昔から「急がば回れ」という言葉があるように、回り道が結果的に近道になることがよくあるのである。そして回り道はそれだけ経験の豊富さにもつながってくる。

少し話が逸れたが、アクシデントや失敗が起きた時こそ自分に対するコントロールが威力を発揮する。それは学問に取り組んでいる時もそうであり、また人付き合いにおいてもそうである。

自分をコントロールできる人間は総じて強い。自分をコントロールすることによって、自分の人間性を、そして社会的地位を高め、もしかしたら金銭的な面でも優位に立てるかもしれない。マインドコントロールという言葉は日本ではネガティブな意味で使われることが多いが、自分に対してマインドコントロールできる人間は逆境に遭っても決して倒れないであろう。

安倍首相はトランプ大統領に対してイエスマンになってはいないか?

最近の森友・加計問題を見ていると、安倍首相周辺は安倍首相に対してイエスマンの集まりになってはいないかと感じる。もちろん、何に関しても首相に対してノーと言えばいいという訳ではないが、最近の報道を見ていると、与党及び官僚の答弁・コメントは安倍首相に追従するものばかりだ。唯一、石破茂氏が自民党内で孤軍奮闘して安倍首相に対して苦言を呈しているように思える。

そして上の階層に目を向けると、今度は安倍首相がトランプ大統領のイエスマンになっているように感じる。最近の北朝鮮問題に関しても、安倍首相自身の意見をほとんど感じない。安倍首相の見解のほとんどはトランプ大統領に追従するものばかりだ。

トランプ大統領の北朝鮮に対する対応には疑問に感じるものもあるが、それに対して安倍首相がノーを突きつけたところを見たことがない。確かに日本とアメリカが連携することは重要だが、盟友に苦言を呈することも必要だ。いや、盟友だからこそ苦言を呈するべきだ。

危険じゃないと意味がない!

もし人生の岐路に立った時、どちらを選ぶか?僕は危険な方を選ぶことにしている。もちろん、危険な方を選ぶことに不安がないわけではない。しかし危険な方がより大きな可能性が潜んでいると思うし、より大きな自由度が存在していると思う。もちろん、危険な方を選んで失敗した場合、最悪は死という可能性もある。

とは言っても、まだそれを100%実行できる状態ではない。精神的にもそこまで強くなり切れてはいない。そこはこれからの課題である。

なぜそこまで危険な方にこだわるのか?それは危険性よりも、自分の身動きが取れなくなることの方が恐ろしいからである。そしてこれからいろいろと実行したいことがある。そのためには危険に飛び込むことが必要であるからだ。

危険は裏を返せばエキサイティングということである。エキサイティングに生き、とてつもなく大きな成果と実績を挙げ、目標とすることを達成するためにも、これからどんどん危険に飛び込める人間になろうと思う。

非常に気になる研究者、高橋政代・理研プロジェクトリーダー。

現在、日本の研究レベルの低下が叫ばれ、それに対する有力な打開策を見出されずにいるが、それでも日本にも世界トップレベルの魅力的な研究者は少なからず存在する。その中でもiPS細胞関連の研究に関しては日本の山中伸弥教授のiPS細胞発見が起点になったこともあって、この分野は日本が世界トップレベルを維持しているのではないかと感じる。

理研の高橋政代プロジェクトリーダーもその一人だ。高橋氏はiPS細胞の臨床への応用研究では世界トップの研究者と言ってもよく、日本国内では非常に良く知られた存在だ。ちなみに、旦那さんの高橋淳氏は京大iPS細胞研究所で教授をしており、夫婦そろってのiPS細胞研究のトップ研究者だ。

普段から高橋政代氏の研究に関しては、僕が分かる範囲でチェックしているが、今日なぜここで記事にしたかというと、雑誌ゲーテ7月号で高橋政代さんのことが記事になっていたからだ。研究の一般的な事も書かれているが、高橋さんの人柄などに関しても書かれている。

雑誌上で高橋さんは、自分に関して面白い表現をしている。自分の事を「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と評しているのだ。さすが、一流の研究者というのはこういうものなのかと感心してしまった。学生時代の高橋さんは非常におとなしい女性だったと言っているので、もしかしたら研究に向き合うと人格が変わるのかもしれない。

僕は生命科学に関しては門外漢で、専門的知識を持っているとは言えないが、iPS細胞研究のこれからに関しては非常に期待しており、研究の発展、そして山中伸弥教授や高橋夫妻をはじめとするトップ研究者による尽力を非常に願っている。これからどのような研究結果が出てくるか楽しみである。

前へ!前へ!

僕の考えることを他人に押し付けることは正しくないとは思っているが、自分の考えに自分が従うことは重要だ。

人それぞれ、自分のスタイル、自分の生き方というものを持っていると思う。もちろん僕にも自分のスタイル、自分の生き方がある。いかにしてそれを貫くか。簡単なようで難しくもある。そこで自分に言い聞かせるためにも、それを自分の口で発し、自分の言葉で書きとめるという行為を心がけている。

自分の生き方を書き連ねると長くはなるが、キーワードを並べると、

「前へ」「保険を掛けない」「動く」「攻める」「守るべきところは守る」

こんなところだろうか。

「前へ」は、常に前進することを試みる事と、後ろを振り返らないということである。

「保険を掛けない」とは、常に危険に飛び込むことを心がけるということである。

「動く」は、考えたら即実行するということである。

「攻める」は、常に超攻撃的人生を進めるということである。

「守るべきところは守る」は、大切なものはしっかりと守るということである。

現在、どこまでこれを実行できているか?おそらく半分もクリアできていない。これらの事を常に念頭に置いておかないと、すぐに後退してしまう。現在できる事は、1%前に進める事。1%の積み重ねが10%、20%となってくる。

例え失敗したとしても、前に進んだ結果の失敗でなければならない。