投稿者「木原 康明」のアーカイブ

人の一言一句に左右されない精神力。

これは僕に対する言い聞かせと言うか、僕自身最近は結構人の一言一句に心が左右されることがある。もちろん僕はかなり偏屈なので結果的には自分の信じる道は譲らないのだが、それでも人の言葉に気分などが左右されるのは良いことではない。以前のブログでも「心臓に毛を生やす」とは何度も言ってきたが、やはり今でも僕の重要なミッションはこれに尽きると言える。

人間の精神力と言うものはそんなに簡単に変えられるものではない。しかし自分が強く思い実行すれば、変えられないものではないと思っている。だから現在数本の毛しか生えていない僕の心臓も、剛毛になるほど生やすことができると思い試行錯誤している。人間の外見と言うものはそう簡単に変えられない。もちろん現在は美容整形なるものがあり、お金を出せば美容医師の手で思うように変えられる世の中だ。これをどう捉えるか?自分の手で顔を変えることはできないが、汗を流して稼いだお金で顔を変えられると思えば自分の努力で顔を変えられるとも言えないこともない。しかしそれは外見の話で、自分の内面、あるいは精神力までお金を出せば変えられるわけではない。

しかし十分なお金があれば心に余裕ができ、精神的にも余裕が出て来ることは間違いない。そう考えれば、お金によって精神力さえ変えられるとも言えないこともない。しかし精神力は外見と違って、お金がなくても変えられる部分は沢山ある。僕は自分の意志次第で精神力は思うように変えられると思っている。では外見は変えられないのか?いや、顔つきのような外見には自分の生き方や意志が顕著に表れる。だからこそ、あらゆる面で自分に変革を起こして行こうと思い、日々挑戦している。

来年の今頃、心臓に大分毛を生やすことが出来たと言いたいところだ。いや、そう言えなくてはならない。ぼくはそれが本気で可能だと思っている。何事も挑戦だ!挑戦なき人間に未来はない。そう思い日々挑戦している。そして死の直前まで僕は挑戦し続けているだろう。

人を欺くau(KDDI)の料金表示があまりにも悪質で酷い!

9日、au(KDDI)の新料金プランが発表された。新料金プランと言えば、先日NTTドコモが格安プランを発表したことが記憶に新しい。それを受けてauも思い切った大容量格安プランを発表すると思いきや・・・。

その内容を簡単に述べよう。ギガ無制限でズバリ3760円!ドコモほどではないが、20ギガの制限があるドコモと比べてもそこそこ安い!

しかしこれにはからくりがある。auが提示する5つの条件を満たせばこの値段になると言うものだ。では、これらの条件を満たさなければどうなるのか?

9350円。

もう何も言えない。しかし実態はさらに悪質だ。auの表示では、「3760円~」としか書いていない。そして割引条件のうち二つはそれぞれ初めの6か月(1400円引き)と12か月(1000円引き)である。つまり一年後には少なくとも2400円アップの6160円になる。この手法を僕が非常に悪質だと思っているのは、初めの数か月減額によって、見かけの提示額をいくらでもコントロールできることだ。例えば初めの一か月9340円引きとすれば、このプランは実質10円と言う表示もできる。市民をバカにするのもいい加減にしてほしい。

 ところでYouTubeで次のように上手い事を言っている人がいた。

「新プラン、3760円、しかし

6か月以上利用:罰金1400円、1年以上利用:罰金1000円、光電話なしで利用:罰金1000円、一人で利用:罰金2020円。

真実の値段、9350円」

うーん、納得。

それにしても、auはなぜこんな詐欺まがいの酷いプランを大々的に発表したのだろう。この発表を止めるように助言する側近はいなかったのか?本当にコントとしか思えない。auは3760円とアピールしているが、ニュース記事ではどこも忖度なしに9350円と報道している。

auのこのプランが狙うところは一つ。老人などの情報弱者を食い物にすることだ。普段情報に接しない高齢者、そしてプランなど気にしなくて何も考えずに利用している若者などから取れるだけ取っておこうと言うものだろう。

ドコモの格安プランahamoが発表された直後のこのauの大々的な発表!もうコントとしか思えない。しかし悪質で放置もできない。ここでこそ総務省の出番だろう。

努力しない自由?

僕は努力することは非常に重要だと思っている。なので僕自身はできる限り、目標に向かって努力しようと日々思いながら生きている。しかし、自分が努力することが大事だと思っていても、それを他人に押し付けるのは少し違うのではとも思う。学校などでは努力を押し付けられることも多々あるが、そもそも学校の教師自身、どれだけ努力しているのか?と言う話だ。努力する自由はもちろんなければならないが、努力しない自由と言うのもあって良いのではないかと思う。

一年を通じて、毎日努力をし続けている人はほとんどいないだろう。僕自身も努力しようとは思っているが、時には遊ぶこともあるし、努力できない時も多々ある。また、努力しないと言うより、努力できない人もいるだろう。

自分が努力することは非常に重要だが、あくまでも「自分が」であって、他人に努力を強制する権利はない。努力はしたものの、成功できずに苦しみだけが残る人もいるだろう。そのような結果になっても誰も責任を取ってはくれない。人によっては、努力しないことが幸せにつながることもあるのだ。ならば努力をしない自由も認めた方が良い。

しかし最近は、努力しても必ず報われる保証はないからと、努力を否定する人もかなりいるように思える。これに対しては、僕は真っ向から否定したい。確かに努力をしたからと言って100%報われるわけではないが、50%を60%、70%と確率を上げることができることは間違いない。なので、「努力は必ず報われる」と言うのは間違いであって、「努力は成功する可能性を上げてくれる」と言うべきである。そう言えば、「いや、それでも30%失敗するかもしれないではないか」と言う人もいるだろう。そのような人は、努力をしない権利を行使すればいいのである。

もう一つ僕がはっきりと言いたいのは、「失敗=無駄」では決してないと言うことだ。正しいのは、「失敗=経験」なのである。失敗なき成功などほとんど存在しないし、仮に全て最短距離で成功したとしても、そこには深さは生まれない。アインシュタインは数々の大きな成功を残した。そして彼が大きな失敗をしたとはほとんど聞かない。しかし人間と言うものは、自分の成功は口にするが、失敗は口にしないものだ。おそらくアインシュタインも数々の試行錯誤を行い、数々の失敗を経験したはずだ。

努力とは挑戦であり、挑戦の大部分は失敗である。つまり失敗は努力して挑戦した証である。なので僕は自分に対しては努力する意志は持ち続けようと思うが、努力したくない人まで努力する必要はないと思っている。努力をするかしないかはその人の自由なのである。果たしてあなたはそのどちらの人間になりたいであろうか?

好きな事を貫くのは、こんなに苦しいのか!

生き方には大きく二種類ある。流れに身を任せる人、そして流れに逆らって生きる人だ。僕は完全に流れに逆らう方だ。おそらく流れに身を任せて生きれば、今よりもはるかに楽な生き方ができたと思う。しかしだからと言って、流れに身を任せて生きようとは思わない。流れに逆らいながらも道を切り開いて行きたいのだ。そんな生き方をしているものだから、当然いろいろな意味で苦しい生き方になってしまう。

ではなぜそこまで流れに逆らいつつ苦しい道を選ぶのか?それは好きな事を貫くためだ。僕は好きな事しかできない。いや、実際は周りに合わせて仕方なくやっていることも多々ある。しかし自分と言う人間の根幹となる部分だけは譲れないのである。数学と物理は絶対に捨てることはできない。しかし成功する見込みもなく続けるのは暴挙でしかない。なのでほとんどの人はできないと感じた時点でやり続けることをあきらめるのである。ではなぜ僕はやり続けるのか?それは絶対的な自信があるからだ。そう言えば、「それならばなぜ今までできなかったのか?」と言われるかもしれない。しかし人間にはいろいろな事情がある。予想できない事態に見舞われることもある。まさしく僕の学生時代がそうであった。そのため、僕は学生時代には何もできないでいた。しかし今は違う。時間はかかり過ぎたが、今はできると言う絶対的な展望が確実に見えているのである。

物事と言うのは、成し遂げる直前が一番苦しいのかもしれない。なぜなら自分に投資し続け、成功する直前がいろんな意味で貯金がないからである。もちろん精神的にも非常に苦しい。絶対に出来ると言う自信と展望があっても、苦しいものは苦しいのだ。「あと少し、あと少し」と思いつつも、時間は過ぎて行く。こうなれば周りの眼など気になってはいられない。最後まで押し続けるしかないのだ。

しかし事を成し遂げた後には色々と良いこともあるだろう。そう思えるから今の苦しみも乗り越えられるのだ。確かに成功した後でも、苦しいのは変わらないと思う。その苦しみに良いことが付け加わるのだと思っている。例えば金銭的な事であったり、人間付き合いであったり、いろいろ面白いことがあるかもしれない。しかし一番の喜びは、好きな事を成し遂げる事だと思う。これからも流れに逆らいつつ、好きな事を貫いていこうと思う。

ドコモの一人勝ちか?

3日、NTTドコモが20GBで2980円の激安プランを発表した。数日前からドコモが格安プランを発表すると噂されていたので僕も楽しみにしていたが、まさかここまでの衝撃プランだとは想像していなかった。このプランの何が衝撃的なのか?一つはもちろん値段である。少し前に発表されていたソフトバンクとau(KDDI)の格安プランは、ほぼ同じギガ容量で双方とも4000円を超えていた。そしてもう一つの大きな違いは、ソフトバンク・KDDIとも格安プランはサブブランド、つまりワイモバイル(ソフトバンク)とUQモバイル(KDDI)でのプランであると言うことだ。しかし今回のドコモの格安プラン「ahamo(アハモ)」は、NTTドコモのメインブランドでのプランだ。これは何を意味しているのか?それはサブブランドとメインブランドでは通信の質が違う(サブは格安ブランドと言う位置づけのため、通信速度が遅かったりする)のだが、ahamoプランはメインブランドのため従来のドコモと同じ質である(と思われる)。これはもう、サービスが始まる来年の3月にすぐにでも契約するしかない。

では今回のドコモのプランを受けて、他ブランドはどのような影響を受けるのか?一番の大打撃を受けるのは楽天モバイル、そして各種のMVNO(格安スマホ会社)であろう。これらは通信の質が圧倒的に劣るうえに、料金のアドバンテージがなくなるので当然だ。ではソフトバンクとKDDIはどうなのか?僕はソフトバンクよりもKDDIの方が打撃は圧倒的に大きいとみている。なぜなら現在のソフトバンクグループはメイン事業が投資事業になっており、モバイル事業はグループ全体でみると一部に過ぎないのでかなり余裕があると思われる。それに対してKDDIのメインは通信事業だ。なので通信事業で打撃を受けるとその傷は大きい。なのでソフトバンクは思い切った値下げができる可能性があるが、KDDIはかなり厳しいのではないか。

ではなぜ今回NTTドコモはここまで思い切った策に出ることができたのか?それはやはり大企業であるが故、基礎体力が圧倒的であるからであろう。そして今回、ドコモはこのプランを実現するために一つのシステムを打ち出した。それはahamoプランの契約はオンライン上でのみとしたのだ。つまりドコモショップではahamoプランの契約はできない。このことによって人件費などの圧倒的な削減ができることになる。おそらく(まだ断言はできないが)契約後のサポートなどもオンライン上のみになるであろう。しかしこのことも、オンラインシステムの向上をもたらすと捉えればプラスであるとも考えられる。しかしもちろん、このことは情報格差・デジタル格差をもたらす。特にネットに疎い高齢者が取り残されることが考えられる。しかしドコモはahamoプラン以外の従来に変わるプランの値下げにも踏み切ると言っているので、それらの人も一定のメリットはもたらされると思われる。

僕は今回のドコモの施策に対して非常に大きな評価をしている。それは単に金額面だけの評価ではない。僕はこれまで携帯ショップの対応に対しての不満がかなり大きかったので(ドコモだけでなく、auやソフトバンクに対しても)、全てネットで完結するシステムは非常に好意的に受け取っている。これでショップで気分の悪い思いをすることもない。そしてソフトバンクやKDDIの格安プランはサブブランドでのプランであり、手続きを複雑化してそこに流れるのを意図的に防いでいると言われている。それに比べると、ネットに慣れている人にとってはドコモのプランは親切である。

去年から楽天モバイルがMNOになりキャリア4社体制となったが、これからはドコモの一強となる可能性がある。そこが大きな懸念だが、これからも健全な競争をしつつ通信の質を向上させていってもらいたいものである。しかし本当にこのような低価格で品質が保証されるのかと言う不安も少しあるのも事実である。

人間として、どこまで面白い人間になれるか!

面白い人間と言っても色々ある。単純にギャグなどを言って面白いとか、さらに深く、生き方がユニークで面白いとか、目指す面白さは多種多様だ。もちろんギャグが面白い人間もすごく良いが、僕はもちろん生き方や人間性が飛び抜けて面白い人間になりたいと思っている。そのための条件として、保身は絶対にしてはならないと思っている。そして人のまねは極力しない。面白い人間であるが、徹底的に真面目な側面もある。それでいてふざけた面もあるのは玉にキズか?

もちろん、今の僕は完成形でも何でもない。しかし完成形でないと言うことは逆に言うとこれからどんどん発展させる余地があると言うことだと思っている。ただあるのはあくまでも「余地」であって、実際に発展させることができるかどうかは自分の意志や努力にかかっている。

僕の場合、面白い人間になるための必須条件は、研究者として飛び抜けた存在になれるかだと思っている。今は研究者としては何者でもない。研究者としては社会的には無の存在かもしれないが、今の僕には徹底的な自信がある。僕の人生は後半に入ってからの方が圧倒的に面白い。年齢的にはもう決して若くはないが、精神的にはどんどん若くなってきている。これからの人生が楽しみで仕方がないのだ。過去に戻ろうとは決して思わない。面白い未来をいかにして作って行くかと言うことだけを考えている。

現在の僕がどれだけ面白いかはよくわからない。しかしこれからどんどん面白くなれると言う確信だけは持っている。ただ人間は面白いだけでは生きて行けない。しかし突き抜けた面白さを持っていれば、それだけで生きて行くことも可能だと思っている。人間として、そして研究者として突き抜けて面白い存在になってやろうと言う野望は死ぬまで持ち続けようと強く思っている。

専門分野の末端よりも、他分野の根幹を!

学問に取り組んでいると、当たり前の事だがどんどん専門的になってくる。専門を極めることは非常に重要な事だが、しかし細分化されつくした末端にこだわるのはまた違う話だ。専門を究めながらも、その本質を見抜き、根幹に取り組まなければ価値は生まれない。しかし実際は、細分化された末端の計算テクニックに終始している研究者も少なくない。

そして自分の専門分野の根幹に取り組みながらも、時には他分野に視野を広げるのも悪くない。しかしその際重要になってくるのは、他分野であってもその根幹に取り組むことだ。そもそも他分野の末端などに取り組む時間的余裕はないし、他分野であっても、それが本質的に重要な事であれば必ず自分の専門分野にも思考的優位は生まれてくるはずだ。だからこそ僕は専門の数学・物理以外にも、様々な科学、さらには社会的学問などにも取り組むことにしている。

大学で研究をしている学生などの中には、いち早く最先端にたどり着くことにこだわる人が少なくない。確かにそれはそれで重要であるが、それ以上に大事な事は、学びながら本質を掴むことである。なので本質を掴むために一年二年つぎ込むことは全く悪くない。むしろ最速で表面をさらうくらいなら、五年十年かけてじっくりと本質を料理する方が余程価値がある。

そしてもし本質を掴むことができれば、それから先は意外と早く進むものだ。本質を掴めば、あとは技術を身に付けるだけだ。しかしこの順番が大事なのである。「本質を掴む→技術を身に付ける」とすべきところが、この順序が逆になってしまうといつまでも本質を掴めないままになってしまう。本は何のために読むのか?もちろん情報を手に入れると言うことも重要だが、その情報を料理できなければ価値は生まれない。もうそろそろ情報を暗記するだけの読書は止めにしないか!と多くの人に問いかけたい。

西村大臣の「神のみぞ知る」発言について。

数日前、西村経済再生担当大臣が、コロナの行方について「神のみぞ知る」と言う発言をしたことについて、僕は非常に憤りを覚えている。しかもその言葉が批判されると、「尾身氏(新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)の言葉を引用しただけだ」と言う、開いた口がふさがらなくなるような言い訳を発言した。ああ、なんて低レベルな人間のはびこる日本の政界か・・・。いや、トランプアメリカはもっと酷かったが。

そもそも尾身会長はどのような意味でこの言葉を使用したのか?それは「100%予測できるわけではないと言う意味で「神のみぞ」と発言したが、その神のみぞ知る領域に少しでも近づくべくデータを出して対策を練らなければならない」と言う趣旨で、比喩的な意味でそのような言葉を用いたと言う。そのような文言だけを真に受けた愚かな大臣が、その言葉をそのまま自分の口から垂れ流した。そして批判を浴びると人に責任を擦り付ける。そもそもこの問題については、大臣たちは政策を練って少しでもコントロールすべく動かなければならない立場にある。それを「神のみぞ知る」と投げ出しては、それはもう職務放棄でしかない。もしそのような発言をしたければ、議員を辞任した方が良い。

そしてこの言葉は政治家としてあまりにも軽すぎる。菅総理が無能なら、その手足となる大臣もさらに無能と言うことか。一度出すことはすべて出したうえで早く総選挙を行った方が良い。しかし今は安倍政権から変わった新鮮さがまだ残っているので、支持率はそこそこ高めである。しかし次の総選挙を先延ばしすればするほど菅政権は苦境に追い込まれるであろう。僕自身これまでは自民を支持していたが、菅自民は全く支持できない。何度も言うように、石破総理が渇望される。

確かに安倍政権末期はそれなりに酷い状況であった。しかし現在の菅政権は安倍政権とは比べ物にならないほど無策無能である。そして各大臣含めて責任転嫁、不都合な人間は徹底排除の姿勢である。このような状況はどこかで見たことないか?以前のトランプ政権である。トランプ政権の超小型版が菅政権だと言える。GoToキャンペーン停止も即時に判断できない。何のための権力か?権力を生かすも殺すも大臣たちの資質にかかっている。

iPad一台で。

昨日少し外出したのだが、その時にいつものように鞄に数冊の本を詰め込み、そしてiPadを携帯して出かけた。いつもは紙の本を電車の中で開くのだが、昨日はずっとiPadを開いて読んでいた。その時感じたのだが、iPadは本当に強力である。電車の中で千ページもある紙の専門書を開くことなど到底できないが、iPadに電子書籍を入れておけば読み放題だ。しかもiPadは100ページほどの本と同じくらいの厚さ。しかもその中に本を何十冊でも何百冊でも詰め込むことができる。僕はやはり紙派なので家では紙の本を開くが、しかし外出先などでは携帯性に圧倒的に優れるiPadで電子書籍を読むに限る。外ではiPadは最強だ。

結局、今日は電車の中でも外出先でも紙の本は一切開かなかった。そしてこれからは外出する際には紙の本を持ち歩かずにiPad一台だけを携帯すれば良いのではと言う思いが強くなった。そうすれば、いつも持ち歩いている重厚な鞄も持ち歩かずに済む。その鞄はもう8年くらい使用している僕のお気に入りの鞄だが、iPad一台なら小さなショルダーバックだけで十分だ。

晴れた日には、外で陽の光を浴びながら勉強や研究をするのもいい。しかし上にも書いたように、千ページもする紙の専門書を外で開くことはできない。そこでこれからは陽の光を浴びながらiPadで勉強・研究しようかと考えている。iPadには便利なノートアプリなども入れることができる。最近のノートアプリは非常に便利で、iPadの左半分に書籍を表示させて、右半分にノートを表示させ、スタイラスペンでノートを取ることもできる。ITに振り回されるのは良くないが、ITを積極的に使いこなせることができれば、可能性はさらに広がるのかもしれない。

最後にどのiPadが良いのかと言う話だが、僕のように書籍や論文を読むのがメインなら高性能なものは全く必要ない。なので僕は一番安い無印のiPadを使っている。しかし無印iPadで十分なのだが、ストレージは最低でも128GBは確保した方が良い。iPadで様々な事に挑戦するのなら高性能であることに越したことはないが、ストレージは自分に合った容量×2くらいのものを選んだ方が良い。ストレージをケチると後で痛い目に合ってしまう。僕には高性能なものは必要ないとは言え、やはり高性能の最新iPadには目がくらんでしまう。なので本当はiPad Proの大画面12.9インチが欲しくなる。しかし現在のところ今のiPadで事足りているので、今持っているiPadをフル活用し研究結果に結び付け、結果を出した後に高性能iPadを買おうと企んでいる。

進化する人間。

進化には二種類ある。集団の進化、そして個の進化である。人間で言えば、集団の進化と言えば人類の進化の事であり、歴史的にも科学的にも人間が進化していることは間違いない。ただ現代の人類の進化はあまりにも急激すぎるように思える。これは人間と言う生物の進化によるものか?それとも人類が手にした科学技術によるものか?もちろん両方あるとは思うが、しかし割合で言うと圧倒的に科学技術によるものだろう。しかも人間の方が科学技術の進化に追い付いていないように思える。科学技術は人間が生み出したものではあるが、しかし最近は人間がその科学技術をコントロールできていないように思える。近年ITの進化が目覚ましいが、しかしその関係性を見ると、人間が主ではなくITが主になっているように見える。人間の幸福の向上のためにITを発達させるべきだが、ITの進化そのものが目的になり、人間はそのITに合わせているように感じる。では人間が主になるためにはどうすべきか?それは一人ひとりが科学技術に対する知見を少しでも多く習得することに限る。でないと科学技術は永遠にブラックボックスのままになってしまう。

では人間の個としての進化はどうか?これに関しては日本だけにおいても一億二千万通りあるので全てを語りつくすことはできない。なので僕が一番よく知っている「自分」と言う人間について語ることにする。僕は一人の人間として、死ぬまで進化すべきだと考えている。身体的にも、そして頭脳においても。もちろん科学的(医学的)には、人間は老化していくことがわかっている。そして老化は常識のように語られる。しかしだからと言って、そのような老化の流れに身を任せようとは僕は思わない。自分自身で進化の流れを作ろうと思っているのである。もちろん何もしなければ人間は進化することはできない。そのために筋トレをしたり、そして頭脳を鍛えるのである。とは言え、一部分だけを見れば老化(退化?)する部分が出て来ることは仕方がない。しかしトータルで見て進化していればいいのである。頭脳であれば記憶力は衰えても、それ以上に思考力を進化させればよいのである。そんなことは本当に可能なのか?自分で可能だと思えることができれば可能であろうし、できないと初めから決めつけてしまえば100%不可能であろう。

今、常識にとらわれずに進化しようとしているスポーツ選手がいる。新庄剛志だ。僕が現在唯一生き方が共感できる人間、それが新庄剛志だ。分野は違うが、死ぬまで進化しようとする姿勢は共通すると感じている。だからこそ新庄選手には何が何でもプロ野球界復帰を成功させてほしい。その一方、僕と新庄選手で決定的に違うところもある。それは新庄選手は既に一度、いや何度も結果を残し成功を果たしている。しかし僕には過去の実績はない。しかし未来の事に過去の事はほぼ関係ない。むしろ過去の実績があればそれが足かせになることもある。だからこそ僕は自由に進化への挑戦に突き進むことができる。ゼロが基準、そこから一でも出来ればそれが進化になる。今はそれ以上落ちることはないのだ。もちろん僕は一や二の進化を望んでいるのではない。百や千の進化を試みている。そして今大きな手ごたえを感じているので、あとはそれを実行するだけだ。

さらにもう一つ付け加えるのならば、精神的な進化も成さねばならないと強く感じている。心臓に毛を生やすのだ。自分の道を突き進むのならば、何事にも動じない精神力が必用だ。現在は僕はまだまだそこまではたどり着けていない。そして心臓に毛を生やすことが可能かどうかも分からない。しかしこのことについても挑戦して行こうと思っている。何をすれば心臓に毛を生やせるか?僕にはまだ明確な答えは見えていない。しかしこれも可能だと信じて一本一本毛を生やしていくしかない。それができた時、肉体と頭脳と精神と言う人間の三本の矢を束にして大きく進化できると強く思っている。