日別アーカイブ: 2019年10月31日

契約書の形骸化。

スマホやパソコンで様々なサービスを受けるとき、初めにサービスの契約内容が示され同意を求められる。しかしそのような契約内容を一度でも読んだことがあるだろうか?僕自身もほとんど読んだことはないし、多くの人は初めの一文字さえも目を通さないのではないだろうか?もちろん契約書に目を通さないのには理由がある。その一番大きな理由は、契約書の文字が非常に小さく、しかも非常に長いからではないだろうか。実際、ほとんどの契約書は見るに堪えないような文章になっている。そのように、契約書と言うものが現実的には形骸化している状態だ。僕はこのことは非常に大きな問題であると考えている。

ほとんどの契約書は、サービスを利用する人のことを考えていない。ではなぜそのような読む人のことを全く考えていない契約書が氾濫しているのか?それはサービスを提供する側の一種の防御、悪く言えば保身のためである。しかし責任はサービスの提供側だけにあるわけではない。サービスを受ける側も、何の疑問もなくスルーして同意ボタンをポチる。そこで多くの人が、契約書のありように疑問を持てば、もう少しマシな契約書、マシな制度ができるはずだ。

国と国との条約であれば、政府や外交官は契約書の一言一句を漏らさずチェックするであろう。しかし普段サービスを受けるのは、法の知識のほとんどない一般市民だ。そのような市民相手に、条約レベルの細かく長い契約書を提示するのはあまりにも不親切すぎる。そして実際は、99%の人がその契約書の内容を全く理解してない。これは契約書のあり方として明らかに問題である。しかしこのような状況を変えるためには、国の政策レベルで変える必要がある。法が国会で成立されるからには、政府が動かなければ変えることができない。

それらの解決策として、このようなことはどうだろうか?例えば従来の契約書の形式は維持しつつも、利用者にはそれに基づいた簡約的な契約書を示す。このような二段階的な契約書は完全ではないにしろ、現状よりはるかに意味があり効果的だと思う。とにかく、現状の契約形式は分かりやすく効果的なものに変えるべきだと僕は思っている。もちろん、すぐに解決できる問題ではないが、政府や官僚が時間をかけてでも検討すべき課題であると僕は考えている。