日別アーカイブ: 2019年6月20日

記録なんて、ちっぽけなもの。

大谷翔平選手を見ていてそう思う。大谷選手は、打者に専念すればホームラン王を取れる可能性を秘めているし、投手に専念すればサイヤング賞を取れる可能性を秘めている。野球評論家の中にも、打者に専念した方が良いとか投手に専念した方が良いとかいろいろと声が上がっている。もちろん、どちらかに専念すれば様々な記録を残すことが出来るだろう。しかし僕を含め、多くの人はそのような記録ではなく、二刀流という前人未到の挑戦を目撃したいのではないだろうか?

そのような事を考えると、打者としての記録や投手としての記録なんてちっぽけなものに思えてくる。大谷選手は、記録を作るのではなく、新しい記録部門を創出することこそふさわしいのではないだろうか?大谷選手の出現により、二刀流に関する新記録部門が出来ればそれほど面白い事はない。なぜなら、ホームラン王と言えども10年あれば10人出て来ることになる。最多勝投手だって同じである。しかし大谷選手が記録部門を作れば、それは大谷選手によって創られたと永遠に語り継がれることになる。

賞を取ることは非常に意義がある。しかし毎年与えられる賞なら10年で10人出て来る訳であって、新しい受賞者によって次々と上塗りされる訳である。もちろん、イチロー選手の最多安打記録のように、唯一の記録も存在する。そのような事を考えると、イチロー選手の成した仕事の大きさに改めて驚がくする。

イチロー選手がメジャーで次々と記録を打ち立てていた頃、少なくとも日本人でこれに匹敵する記録を残せる選手は出ないのではと誰もが思った。しかしイチロー選手が引退したと時を同じくして、大谷選手がそれに匹敵するような活躍をしようとしている。大谷選手は誰もが憧れるスターだ。しかし憧れることは簡単でも、それを目指すことは簡単にできない。さらにそれを成し遂げる事はほとんどの人は出来ない。しかし今日本に必要なのは、あらゆる分野で大谷級のホームランを飛ばす人材ではないだろうか?なぜか日本人は初めからそんなことは不可能だと決めつけてしまう。他人に対しても、自分に対しても。しかし、大谷級を目指す人が一人でも多く出て来るような土壌を作ることが必要である。そのような人の中から、一人か、あるいは二人か、大谷級のホームランを飛ばせる人が出て来るのではないだろうか。