日別アーカイブ: 2019年5月25日

一つの失敗で、その人を全否定する日本。

「日本」と書いたが、多かれ少なかれどこの国でもそのようなところあると思う。しかし日本ではそのような傾向が強いように感じる。アメリカでは四度の破産を繰り返した者が大統領にまで上り詰めている。日本ではとても考えられない事だ。何度失敗しても立ち上がり上を目指す。そのような者に非常に寛容なのがアメリカという国なのかもしれない。それに対して日本は、可もなく不可もなく、失敗はしていないが特に大きな結果も残していない、そのような者が生き残る社会になっている。その結果、誰もが挑戦を避けるように生きている。挑戦するというリスクを避け、何もしないという無リスクを選ぶ。そして権利だけを主張する。何ともおかしな話である。

そのような日本社会の中で、逆境に立ち向かっている者の象徴がホリエモンだと思う。ホリエモンは失敗を恐れずに、考えたらすぐに行動を起こす人だ。確かに失敗も犯すかもしれない。過去には逮捕までされ刑務所にも入れられていた。しかし出獄して再出発したホリエモンは、再び成功を掴んでいる。そのようなホリエモンに対し、僻みの眼で見る人は少なくない。しかし、挑戦もせず、リスクも取らず、可もなく不可もなくという人間がホリエモンの成功に対してとやかく言う権利はない。ホリエモンこそ自らの力で成功を手にした人物なのである。それに対して、可もなく不可もなくという人ほど組織や肩書だけで物事を通そうとする。すなわち自力というものが全くないと言える。まさしく他力本願である。

成功を成し遂げるためには、幾たびの失敗を繰り返すことは必須である。しかし日本の社会はその失敗というものを容認しようとしない。そのような国に大きな成功が成し遂げられるはずはない。それでも日本の世の中には成功はいくつかある。しかしそれは、ホリエモンのように、強い向かい風を正面から受け止め、逆境から立ち上がった少数の人間によるものである。

集団の力や組織の力は確かに無視できない。日本では「力を合わせて」という言葉がよく使われる。しかし実際は、挑戦する個人の力が圧倒的なのである。失敗すれば個人のせい、成功すれば皆の力によるもの。そのように解釈される日本社会は挑戦者には全く割に合わないものであるし、生きにくくもある。しかしそのような事を、出来ない理由にしてもしょうがない。日本であってもアメリカであっても、後退するという選択肢はなく、前に進むしかないのだから。