日別アーカイブ: 2018年10月17日

教育と国力。

日本は明治に開国して、飛躍的に発展・工業化したと言われている。それの対比として、江戸時代の農業を中心とした形態は国際的に遅れていたという認識がある。しかし本当に江戸時代の日本は遅れていて、明治になった途端に何の素養もないところに欧米の技術が流入し発展したのだろうか?

江戸時代の日本は、世界的に見て類を見ないくらいに高い識字率を誇っていたという。寺子屋では庶民が読み書きそろばんを習い、民衆知識の基盤を固めていた。さらに上流階級に属する武士の中で優秀な者は藩校などの学問所で学び、高度な人材を育成していた。その中のさらに優秀な者は、江戸に留学し昌平黌(後の東大)などの官僚養成学校で学問を究めていた。

明治維新は「断層」だと広く認識されているが、明治における急激な近代化は、江戸時代から続く高い識字率と読み書きそろばん、そして高度な学問文化が基盤となっていた。なので、文明的には江戸と明治は強い連続性によって結ばれている。

さらに政治組織においても、幕府から明治政府へと変わったとは言え、官僚組織の多くの部分は幕府官僚から明治官僚組織へとそのまま移されたという。すなわち、政府の実務レベルでは、その多くが幕府方式がそのまま明治政府へ引き継がれたのである。しかも幕府の官僚システムは非常に高度で優秀であったという。

このように、江戸から明治期においての国家システムは非常に優秀で、それが国力の大きな発展につながったと言える。しかし残念な事か、第二次世界大戦を経て国の在り方が大きく変わったとは言え、基盤となる官僚システムは江戸から現在まで継続されているのではないかと感じる。もちろん、改良はその都度なされてはいるであろう。しかし大きくは変わってはないはずだ。

そしてシステムそのものが変わっていないということ以上に問題なのは、江戸からの国家システムが作り上げた「国民の意識」が変わっていないということではないだろうか?その代表例が「出る杭は打たれる」という意識である。そしてそれは、横並び意識の蔓延でもある。

しかし今日本に最も必要とされているのは、「出る杭を作り上げる」ということではないだろうか?これは出る杭になる“人間”を創り出すことであり、また出る杭となる“組織・企業”を創り出すことである。出る杭に当たる企業とは現在で言うと「GAFA(Google・Apple・Facebook ・Amazon)」が代表例と言える。トヨタなどは非常に大きな企業だが、出る杭というより“優等生”といった言葉が適切であろう。

また、これらのことは企業だけに限らない。科学の研究においても言えるし、スポーツにおいても言える。日本は優等生を作るのは得意だが、出る杭を誕生させる度量がない。ただスポーツにおいては近年、大谷翔平選手をはじめとする規格外の出る杭が誕生しているように感じる。

優等生の頂点が天才だとすれば、今日本が一番必要としているのは「異才」だと言えるのではないだろうか?昔、「異能流出」という言葉を見たことがある。これからの日本が現状維持を目指すのならば、その先にあるのは大量の異能流出である。