月別アーカイブ: 1月 2018

小室哲哉さん、引退について。

19日、音楽プロデューサーの小室哲哉さんが引退を発表した。それについて賛否両論あるが、僕自身も小室さんの今回の経緯について考えると非常に悲しい思いがする。

今回の引退の発端となったのは小室さんの個人的な交友関係の問題であるが、あくまで個人的な問題であって社会的問題でもなんでもない。有名人と言えどもやはり個人的なテリトリーは絶対的にあるわけであって、それを何でも暴露するメディアの横暴は見るに堪えないものがある。

今回の問題でも、当事者同士にとっては大きな問題であるかもしれないが、それに対して我々市民がとやかく言うことではない。

今回の報道でもそうだが、当事者・小室さんが問題ではなく、メディアの報道姿勢の方が明らかに社会的問題である。個人的事情を全く知らないメディア、そして一般市民が、ただ表面的行為のみを見て、その人の私生活と仕事を破綻させるのはどう考えても間違っている。

90年代に小室サウンドを作り上げ、小室系とまで言われた音楽ジャンルを作り上げた才能ある音楽プロデューサーを消し去った今回の騒動は、本当に無念であるとしか言えない。

ブランディング戦略。

ブランドと言えばエルメスやルイ・ヴィトンのようなファッションブランドが真っ先に思いつくが、何もファッションブランドだけのものではない。トヨタのレクサスやソニーやパナソニックだって立派なブランドである。ではそもそもブランドとは何か?

ブランドとは信用でありイメージである。そしてそれらの特徴として、作り上げるには非常に長い時間と努力、そしてお金が必要だが、崩れ去るのは一瞬であるということである。そこにブランド構築の難しさがある。

ブランド化の大きなメリットは何か?それは大きな付加価値である。ブランド化することによって価値は何倍にもなる。全く同じ商品でもブランド物とそうでない物では値段が桁違いである。ではそこまでしてブランド料を払う価値はあるのか?それは価値があると思う者は払い、価値を感じない者は払わない。ただそれだけである。ただブランド料というものも、全く無意味ではない。ブランド料は信用料であり、満足料である。それで自分が満足できればそれで充分である。

ブランディング戦略は物だけでなく、人にも応用できる。自分をブランド化することによって自分の価値を高め、人付き合い、そして仕事において優位に進めることができる。

iPS細胞の山中伸弥教授が、“VW”、つまり「ヴィジョンandハードワーク」が重要だとよく言われている。ハードワークだけでは量は稼げても質は稼げない。質を稼ぐのに必要なのがヴィジョンだ。そしてヴィジョンを持って質を稼ぐことはブランディング戦略にも通じるものがある。

日本にブランドがなかなか生まれないのは、ハードワークは得意だがヴィジョンをなかなか意識できないというところに原因がある。日本という国が成熟した現在、次に進むにはヴィジョンを持って、人・物・国をブランド化することが必要ではないだろうか。

夜明け前が一番暗い?

「夜明け前が一番暗い」と、ある記事でそんな言葉を見つけた。本当にそうなのか?暗い闇はどんどん暗くなるばかり。とは言っても隙間から一途の光が差し込んではきている。その光に向かって進んでいるところだ。

一番危険なのが「いつまでも夜明け前症候群」。いつかは夜明けを迎えなければいけない。

最近はなぜか努力を否定する論調をしばしば見かけるが、本当にそれは正しいのだろうか?努力するもしないもそれぞれの勝手だ。だから努力をしない自由もある。ただ、努力をしないことを称賛する論調にやすやすと乗せられると、非常に危険であるように思える。夜明けを迎える決定打は、努力のように思えてならない。

副次的なものがあって、主が際立つ。

人生において様々なことに取り組むことになるが、全てのものが平等ではない。自分にとって重要な「主」なものがあり、そして「副次的」なものがある。主なものが非常に重要なことはわかるが、ただ主なものだけをやっていればいいわけではなくて、副次的なものにもしっかりした役割がある。

料理のメインディッシュの前には前菜が出てくる。もちろんメインディッシュが一番の目的なものであるだろうが、前菜があることによって美味しさは倍増する。それは人生でも同じだ。副次的なものがあって、主が際立つのである。

副で気を抜けば、主で輝くことはできない。副は舞台を作ってくれる。その副で作った舞台の上で主がどれだけ演じられるか、主で輝くためにも副に対して頑張って取り組んで行こう。

予定調和をぶち壊す。

昔の日本は予定調和で物事を進めるのが慣例だった。それは学校でも仕事でも私生活でもそうだ。しかし最近は「予定調和をぶち壊す」ことが称賛されることが多くなった。

予定調和とは、言い方を変えると無難だ。したがって予定調和を壊すためには無難な人間でいてはならない。しかし残念ながら、世の中の多くの人は無難である。リスクを極度に恐れる。

何でもリスクを恐れるというのは違うと思うし、また何でもリスクを取る必要もないのかもしれない。重要なのは、自分がどこでリスクを避けて、またどこでリスクを取って前に出るか、そのようなリスクの使い分けを把握することである。

人生を予定調和で終わらせるか、人生を刺激的に創造していくか。それは人それぞれであるが、ただ社会も日常生活も熟成期に入った日本においては、予定調和をぶち壊していくような展開を起こさない限りは前に進むのは難しい。

イチローよ、帰ってくるな!

14日のサンデーモーニングで、プロ野球解説者・張本氏がイチローに「早く帰ってきて。落ちぶれた姿を見たくない」と発言したという。確かに現在のイチローの立場はかなり厳しいものだ。このままメジャーに残ってもどれだけ出場できるかわからない。張本氏と同様の意見を持っている人も多いだろう。

「去り際の美学」という言葉がよく言われる。綺麗な姿のまま去りたいというものだ。しかし綺麗に去るのが美学ならば、ボロボロになるまで現役にこだわるのも一つの美学だと思う。僕は後者の美学の方が共感を感じる。

イチローに対してはボロボロになるまでメジャーにこだわってほしいと思っている。40歳を過ぎてメジャーに現役で残ることは並の選手では明らかに無理だ。しかしイチローにはそれを実行できるだけの力がある。イチローは日本の枠に収まるような器ではない。何を言おうと世界一の選手なのである。だからこそこう叫びたい。

イチローよ、日本に帰ってくるな!

代数幾何学の何たるか。

頭というものは不思議である。人にもよるだろうが、調子の良い時と悪い時がある。今日、代数幾何学の専門書を眺めてみると、かなり頭に入る。

微分幾何学は幾何学の一分野と言えるが、代数幾何学は代数学の一分野と言える。

現代代数幾何学はグロタンディーク(20世紀で最も偉大な代数幾何学者)が考案したスキームという概念を用いて展開される。これまでスキームは難解なものと思い避けてきたが、その骨格が見えてきた。

代数幾何学が僕の取り組んでいることに利用できるかどうかわからないが、代数幾何学の何たるかを理解して、探ってみよう。

原理がわかれば怖くない!

何かに対して怖がっている時、その大きな理由は無知から来るものである。世の中不思議なことはたくさんあるが、原理を正確にしっかりと理解すれば、大概の恐怖や悩みは解決する。

例えば「幽霊は存在するか?」という問いにどう答えるか?「そんなことは科学的ではない」と否定する人は多いが、そんな理由は理由にもなっていない。そもそもそんな答えは科学的でも論理的でもない。

僕ならば、原子レベルから論理的に非存在を答える。原子論によって幽霊の存在を論破することができる。

今、科学的社会になりながら非科学的なことが横行しているのは、原理を理解しようとしないで何もかもがブラックボックス化されていることが大きな理由だ。

原理を論理的に理解することは、現代の多様な日常を生きる上では欠かせない要素になっている。

一流、二流の判断は誰が下すのか?

世間は格付けが大好きだ。どの世界にも一流や二流の格付けは存在する。しかしこの一流、二流の格付けの判断は誰が下すべきなのか?

判断の種類を大きく分けると、玄人による判断と素人による判断に分かれる。しかし多くの場合玄人による判断が幅を利かすのだが、素人による判断も決して無視はできない。

料理を例にとると、どの料理が美味しいかという判断を下すとき、ミシュランのようなプロによる判断が絶対的に思われる風潮もあるが、単純に素人が食べて美味しいかどうかということは非常に重要である。なぜなら料理を日常的に食べるのはほとんどが素人であり、先入観のない素人が美味しいと思えないような料理は美味しい料理とは言えない。

このような例はいたるところに存在する。音楽、そして小説などは、素人による素朴な判断が重要になる。音楽も小説も、一般市民に受け入れられ、多く売れたものが良いものだというのは重要な判断基準である。

玄人の判断が世界を極め、素人の判断が世に広める。どちらも次元の違う重要な判断基準である。

リスク対効果。

物事の判断を下すとき、リスクばかりに目が行ってしまうことがよくある。確かにリスクを評価することは大事だが、リスクばかりを評価し、メリットを評価できないでいては正しい判断ができない。リスクとメリットを比較して判断を下すこと、すなわち「リスク対効果」を評価することが重要である。

リスクだけを見ていると、そのリスクがたった1%しか起こらない事案であってもそれを過剰に評価してしまう。極端な例で言うと、交通事故に遭う確率はかなり低いが、交通事故に遭うことを怖がって外出しなければ、それによる人生の損失は計り知れない。

費用対効果という言葉があるが、費用も一種のリスクと考えれば費用対効果もリスク対効果の中に含まれるだろう。すなわちリスク対効果はより広い概念であると言える

リスク対評価をすることによって物事を正確に判断することができ、また自分の行動の自由度もかなり広がり可能性が飛躍的に大きくなる。

リスクを冒して挑戦するということは、そのリスクに勝るメリットがあるということである。リスク対評価を行動原理とし、リスクに挑戦し続けたいものである。