「なぜ読書をするべきなのか?」と言う問いは、いつの時代も答えを模索されているみたいだ。先日もネット上に、一つの答えが書かれていた。
「そんなバカな質問をしないためよ」
何とも的を得た答えのようだが、よくよく考えてみると、はたして答えになっているのかどうかわからない。
なぜ読書をするべきなのか?という問いは、百数十年前、哲学者ショーペンハウアーによってもなされていた。ショーペンハウアーはこの問いに対しての見解を、短編書「読書について」という書物に書いている。
読書とは”インプット”である。しかし生きるとは”アウトプット”することである。従って、読書についても、それをアウトプットに生かすことが求められる。
もちろん、読書によるインプット自体にも意味はあるが、インプットするだけで自己満足しているようでは成長しない。成長とはアウトプットすることによってもたらせられると僕は思う。
考えることも非常に大事だが、考えたら即行動、即アウトプットするために動かなければならない。