月別アーカイブ: 1月 2017

進化論は、科学的思考力だけではなく、人間力も試される。

1月22日(日)、テレビで池上彰氏解説のアメリカ特集をやっていた。何気なく見ていると、話は少し宗教的な方向に。

アメリカに、ノアの方舟を模したテーマパークができたらしい。池上氏たちはそのテーマパークに潜り込み、取材を行っていた。

聖書にはこんなことが書いているらしい。

人類を含む地球上の全てのものは、6000年前に神が創造したと。そして大洪水が起こり、ノアの方舟に逃れたノア一族と動物たちだけが生き残り、洪水が収まった後、それらの子孫だけが繁栄したと。

僕はキリスト教の信者でもなんでもないので、その程度の簡単な事しか知らない。

ノアの方舟の話に基づくと、人類は神が創造したもので、ダーウィンの進化論などは全くのデタラメであるということになる。神と聖書を絶対的だと信じるキリスト教原理主義の人たちは、進化論を否定する。

池上氏らのお話は、「アメリカには進化論を否定するおかしな人がいっぱいいるんだよ」という論調であったが、僕は池上氏らの論調に関しても非常におかしく感じた。

そもそも、進化論を正確に知ろうと思えば、進化論の根幹である「自然淘汰論」を理解しないといけないし、それを掘り下げていけば、「遺伝子の突然変異」「分子遺伝学」から「統計学」まで様々な知識が必要になる。そこまで理解している人はいったいどれだけいるのであろうか?おそらく日本人でも数百人に一人くらいであろう。

しかし日本では、ほとんどの人が進化論を信じ、神の創造説をバカにする人も多い。しかしどっちもどっち、進化論を「信じて」いても、「理解」はしていない人がほとんどなのである。

ではなぜほとんどの人は進化論を信じて疑わないのか?それは進化論が常識であるから、あるいは科学的に証明されているから、という理由であろう。結局自分では何一つ考えていない人が多いのである。本気でダーウィンの理論を知りたければ、岩波文庫にも「ダーウィニズム論集」という書物があるので、それらの本をしっかりと熟読すればよい。

もっと単純に、神の創造説を信じる人と、進化論を信じる人の違いは、情報源が「聖書」か「教科書」かの違いだけなのである。

さらに言えば、科学などは「今日の常識は明日の非常識」なんてことが当たり前にある。なので「常識だから」とか、「科学的だから」などという理由では何一つ理解していないのである。

簡単なことでいいから、まずは「自分の頭で考える」ということから始めないと、「知っているだけで全く理解していない」ということになりかねない。

現実主義的経営者・トランプ大統領。就任式に於いて。

日本時間の1月21日午前2時頃、アメリカ新大統領・トランプ氏の大統領就任演説があった。ネット上でライブ中継が放送されていたので、僕もトランプ氏の演説をネットを介して生で視聴していた。

とにかく印象に残ったのは「労働」「雇用」など、仕事に関する用語。トランプ氏は大統領選の時から雇用を取り戻すことを熱心に訴えていたが、今回の就任式もその延長線上、あるいはさらに強調されたものであるような印象を受けた。

トランプ氏は本当に「大統領」なのであろうか、という不思議な感覚がする。少なくとも、政治家というよりかは経営者である。もちろんトランプ氏のこれまでの本業は経営者であるので、当たり前と言えば当たり前であるが、経営者的思考をそのまま政治に、しかも国のトップの頭脳として移植することには非常に不安を覚える。

最も大事な軍事・安全保障に関しては、同盟国・友好国の防衛にアメリカが力を割いていることに対して、米国が非常に損をしている、といった論調を繰り返していた。大局的な軍事バランスにも少しは気を向けてほしいものである。

「経営者トランプ」は、大統領の執務をこなしていくうちに、真の「大統領トランプ」脱皮できるか、これから見守っていきたい。

ケネディ大使の離日のメッセージ。

在日アメリカ大使のキャロライン・ケネディ大使が、日本での任務を終わらせた。離日に際して、ケネディ大使は動画でメッセージを寄せられた。ケネディ大使のメッセージを見て、近年の日米の友好関係と強じんな同盟関係を再確認することができた。

キャロライン・ケネディ大使の駐日は、いろいろな意味で特に印象的なものであった。

一つはもちろん、最も印象的なアメリカ大統領、J.F.ケネディの娘さんであるということ。ケネディ大使の仕事には、父のJ.F.ケネディの思想や血が流れている。ケネディ大使は、これまで以上に親日的・友好的なアメリカ大使であった。

もう一つは、女性であるということ。日本では政府、民間に限らず、要職はほぼ男性で占められている。近年、安倍総理は女性の社会進出、および要職への登用を促進させる政策を進めてきた。ケネディ大使の駐日着任はそれをさらに促進させる原動力になったに違いない。

キャロライン・ケネディ大使が3年ほど前に着任する際には、日本国民から熱狂的歓迎を受けた。そして今、離日に際して、静かではあるが友好的に送られようとしている。これほど日本人に愛された大使も珍しいのではないか。

間もなく、次の大使がやってくる。次期大使は、トランプ氏の政権移行チームの一人であるらしいが、トランプ氏がこれまでの友好的同盟国としての日米関係を引き継ぎ、上手く政権運営を行ってくれるか。これにはもちろん、トランプ氏だけではなく、まだ数年政権を握ると思われる安倍首相の手腕にも関わってくる。

トランプ・安倍外交に期待する。

人として大事な、三つの見かけ。

人として大事なもの、それぞれ持論があるだろう。外見は大事だという人もいれば、人間は内面で勝負だ!という人もいるだろう。外見と内面、どちらが大事か?それは人それぞれの価値観によるもので、単純にどちらの方が大事とは言えない。あえて言うなら、どちらも大事だ。

内面の大切さと外見の大切さは、質的に違う。人の内面である「心」「性格」「感情」、これらが人間の行動をつかさどっていることは言うまでもない。内面は行動に表れる。

それに対して、外見は人に対する印象を左右する。人間は内面だと思っていても、素敵な身なりの人、清潔感のある人、はたまた素敵な香りの人は素敵に感じる。また後に述べることに関係するが、内面は外見に表れるとも言う。そういう意味では外見と内面は表裏一体なのかもしれない。とは言え、虚勢を張るような外見、無理な外見はいただけない。

見かけを外見・内面に分けて考えたが、実はもう一つの見かけがある。それは先ほど少し述べた「内面から現れる外見」。

人間には、「その人が醸し出す雰囲気」というものがある。それはある意味外見であるが、お金をかけて着飾ったところで作り出すことはできない。「心」だとか「徳」だとかが作り上げるものだ。しかし努力次第で良くすることもできなくもない。例えば「言葉づかい」だとか、「マナー」を磨くことによって、醸し出す雰囲気は変えることができる。心に関しても、意識の持ちようによっては変えられるであろう。

人の”内面”・”外見”・”内面から出る外見”、どれも非常に大切で大きな財産であり、その人となりを表す。ただ着飾るだけなら、お金をかければできる。しかしこの三つの財産は、お金をかけたからと言ってすぐに身に付くものではない。それだけにこれらの財産を一度身に付けると、数字では表せない非常に大きな魅力となる。

素敵な人間になるために・・・

単純”多数決的”主義を見直す。民が主役(つまり本来の民主主義)である再挑戦推進国家になることを目指してほしい。

昨年一年間、世界で、多数決的万能民主主義が様々な波紋を起こした。その最たるものが、イギリスのEU離脱、そしてトランプ氏の大統領当選であろう。

イギリスEU離脱もトランプ政権も、まだスタートしていないので、現時点で何とも言えないところであるが、双方とも大きな不安を伴っている。イギリスEU離脱の国民投票は、いかにも多数決的民主主義発祥の地の文化的側面が出た形であるが、投票確定後に後悔の念がイギリス国民を覆っているのを見ると、はたしてこの多数決による判断は正しかったのかと首をひねる。

イギリスEU離脱投票も、アメリカ大統領選も、(アメリカ大統領選は選挙人争奪という違いはあるが)どちらも基本的には少しでも上回った方が全てを取るというものだ。それから当たり前の話かもしれないが、どの国民も等しく一人一票である。

最近、グローバルに格差社会が問題になり、極度の平等主義が叫ばれている。確かに平等主義は非常に重要だが、平等にしなければいけないのは機会の平等であって、結果の平等ではない。結果に格差をつけてこそ、社会、そして科学の発展が生まれる。結果まで平等にしてしまえば、それこそ共産主義そのものである。

そして、再挑戦の機会を与えることも必要である。あまり好きな言葉ではないが、「敗者復活戦」とでも言うべきであろうか。

日本の社会は、学生時代からレールが引かれており、就職、昇進、定年退職まで基本的にはレールからはみ出ないように進んでいくようなシステムになっている。一度レールからはみ出た人間に対する偏見も非常に大きく、再びチャンスを得るのも非常に難しい。

よく社会の指標に「失業率」というものが取り上げられる。その話になると、失業率の数字ばかりが独り歩きするが、僕はこの数字以上に再挑戦のチャンスのなさの方がはるかに深刻な問題ではないかと思う。

失敗というのは、人間の成長にとって非常に大きな糧になるが、日本では「失敗=悪」ととらえられる風潮がある。就職においては、いかに人生経験をものにしてきたかということよりも、履歴書に空白がないかどうかに注目が移る。

その結果どうなるかというと、失敗の危険性がある挑戦をしないようになる。皆横並びに同じことをして、同じように進む。進んでいればまだいい方だが、停滞してしまっていることもよくある。

民主主義の話からそれてしまったが、民主主義とは言葉通り、民が主役なのである。主役は大いに挑戦して、有形無形のものを獲得していけばいい。そして失敗したら再び這い上がってまた挑戦すればよい。失敗回数に限度はない。百回失敗して、それで得た経験をもとに百一回目で成功を掴めばよい。

現在の日本に対して僕が不満をぶつけようとは思わないが、ただ一つ願っていることは「再挑戦推進国家」になってほしいということである。

頑張れ受験生!

1月14日・15日は、大学入試センター試験だ。僕の受験生時代を思い出す。余裕を見せびらかすために、試験の合間の時間には新聞を広げて、悠々自適に読んでいた。もちろん結果は・・・

ところで、僕は神戸で生まれ、神戸で育ち、センター試験も神戸で受けたのだが、センター試験の三日後くらいに阪神大震災が襲ってきた。震災前日は、夜中の4時過ぎまで勉強をして、寝付いて2時間くらいしたところで地震が襲ってきた。当時は現在のように地震活動期ではなく、僕は小さな地震さえも経験したことはなかった。初の地震体験が阪神大震災だった。

2月・3月にある国公立の2次試験などを受けに行くときには、地下鉄・JRはまだ完全に復旧しておらず、不通区間は歩いて行くしかなかった。須磨・鷹取あたりの焼野原を歩いて行ったことを思い出す。その当時に比べると、今では地震の痕跡はほとんどなくなった。

今日のタイトルは「頑張れ受験生!」ということだが、受験生はテストのときだけ頑張ればいいわけではない。当たり前のことだが、それまで1年以上頑張ってきたことの集大成が受験なわけであり、入試はこれまでやってきたことのアウトプットに過ぎないとも言える。とはいえ、それまでの努力を無駄にしないためにも健康に気を付けて、万全の状態で臨んでほしいものだ。

この一年も熊本の地震など、日本は様々な天災に見舞われた。そしてセンター試験真っ最中のこの二日間も、非常に寒い日が続く。負けるな、受験生!まだ2次試験や私立大学試験もあるが、一人でも多く最大の力を出し切れることを祈っている。

AI(人工知能)の未来。

ここ2、3年で、AI(人工知能)が飛躍的に向上し、世間でもAIが注目されるようになった。特に最近では、AI利用による自動車の完全自動運転化、AIによる医療診断など、AIの適用範囲は拡大化している。

僕個人的には、数十年後、近い未来には、人工知能は人間を凌駕し、人工知能が人間を支配する可能性も大いにありうると考えている。まさしく映画・ターミネーターの世界である。

とは言え、人間の知能には得意不得意があるように、AIにも得意不得意がある。したがって分野によっては、AIには越えられない人間の壁があると考えるのが普通であろう。

1月6日(金)の読売新聞で、国立情報学研究所の新井紀子教授の対談記事が載っていた。AIによる東大合格プロジェクトで有名な研究者である。そこで新井教授は、AIは人間を超えることはできないと断言している。

コンピューターがどれだけ高度化しても、そのフレームを与えるのは人間である。したがって、フレームを与えないことには、AIは機能しない、と、新井教授は主張するのである。

確かに新井教授の主張はもっともである。僕もそう願いたい。しかし、フレームまで生み出してしまうAIの誕生は不可能なのであろうか?僕はAIに関して完全に専門外なので素人的発想になってしまうが、どうしてもそういう考えは拭えない。

専門家の新井教授が何を根拠にそのようなことを言っているかわからないが、おそらくその理由の一つに、AIの機能システムと、人間の頭脳システムが、質的に大きく異なっているからだということが想像できる。

AIを含めてコンピューターというものは、膨大な計算を瞬時に行い、ブルドーザー式に遂行することによって機能している。はっきりしたことはわからないが、人間の神経ネットワークによる知的機能は、コンピューターと質的に大きく異なっていることはわかっている。だからこそ、現在のコンピューターシステムとは違う、人間脳型コンピューターを開発しようという研究もまだ初歩的ながら存在する。

AIによって便利にしたいけど、AIに支配されてしまう危険性もある。非常にもどかしいことではあるが、科学というものは文明が滅亡でもしない限り後戻りできない。

時代が数学・科学研究に求めるもの。

僕は数理物理において微分幾何学的アプローチをとっているのだが、その微分幾何学においてもまだまだ分からないことだらけだ。

「岩波数学辞典」という書物がある。専門家向けの辞典であり、なかなか面白い書物だ。

岩波数学辞典の「大域リーマン幾何学」という項をじっくり読む機会があったのだが、あまりの自分の無知さに情けなくなった。それと同時に、現在の数学研究におけるテクニックの高度さを再確認させられた。また、日本人研究者の結果も多く、改めて日本人研究者の寄与の大きさを感じた。

はるか昔、ギリシャが繁栄していた時代、ギリシャの学問レベルの高さは桁違いだった。そのギリシャ時代、数学・科学に求められていたのは「モデル化」だ。今の常識から考えると変な話に聞こえるが、物質は「水・土・火など」の基本的な”粒子”からできているという考えが生み出された。現在の科学から考えると受け入れられない話かもしれないが、「原子論」というモデルが打ち出されたという点では、現在から振り返ってみても非常に画期的だ。数学ではナイル川の氾濫による測量学から「幾何学」が発展した。その中でも「ピタゴラスの定理」は非常に有名だ。

そして時は経て、16世紀。ケプラー、ガリレイ、ニュートンと連なる、「数学モデル的科学」すなわち「物理学」が誕生した。そこでもやはりモデルは重要だが、根幹となる部分が非常に簡潔に表現されている。その心は中学生でも理解できるくらいだ。むしろごちゃごちゃ複雑に表されて難しい理論の方が間違っていることが多かった(例えば天動説による天体の動き方など)。

そして時は経て20世紀。科学は直感だけでは簡単に理解できない時代に入った。その代表はもちろん「相対性理論」と「量子力学」。理論の数学的形式も、ニュートンの時代に比べて複雑になった。真理は大がかりな実験によって検証される時代だ。

そして数学もますます複雑になってきた。20世紀中ごろには、フランスで数学者集団「ブルバキ」なども結成され、「定義→定理→証明」の形式的構造主義が数学の世界を覆った。分野の細分化も進み、隣の分野のことでもなかなか理解できないという研究者も多い。

21世紀、数学・科学に何を求められるのか、まだまだ明らかにはなっていないように思うが、超絶技巧的な論理技術には舌を巻いてしまう。これから揺り戻しが来て「単純な根幹」が明らかにされるか、超絶技巧がさらに続いていくのか、僕には全く想像できない。

しかし、現在の展望は覆されるものだと僕は思っている。

1つの仕事をやるのに、8割が準備、2割が本番。

「1つの仕事をやるのに、8割が準備、2割が本番」

テレビアナウンサーの古舘伊知郎さんは、こう言ったらしいです。その真偽はともかく、それは何事にも言えることです。

「突然、すい星のように現れてきて、大きなことを成し遂げた」こんなことをよく聞きます。周りで見ている人間は、本気でそう思っているのかもしれません。しかし、何もしなかった人間が突然躍進する、そんなことは絶対にありません。あるとすれば、くだらない宝くじくらいのものです。

まだ、2割の成果が出ればマシなもので、成功の日の目を見ずに去っていく人も多いと思われます。僕自身が現在取り組んでいることも、試行錯誤の繰り返し、失敗してはまた失敗。これで終われば単なるバカで終わるかもしれませんが、99%の準備をして、1%の成果を出すために、それを成し遂げるために日々取り組んでいるようなものです。

目標には、短期的なもの、長期的なもの、それぞれあります。すぐにスパッと決めてしまえる人間は、すごく格好良いと思います。しかし僕はそれが非常に苦手です。短期的目標を立てても、いつの間にか長期的目標に変わってしまいます。しかしその過程で、目標内容はどんどん形を変え、膨れ上がり、大きな目標に変わります。大きな目標に変わった分、成功した時の楽しみも期待も大きくなります。

やはり

「継続は力なり」

継続して取り組み、積み重ねることによって、「突然」成功が訪れるのだと思います。

ルパンのように!

皆様、あけましておめでとうございます。

今年もブログ執筆、ボチボチとやっていこうかと思います。

ところで、自分ってこうだ!自分はこうありたい!みたいな、自分のテーマ曲みたいなものはありますか?僕のテーマ曲(と言うのも変ですが)は、

「ルパン三世のテーマ曲」

です。絶対に!

期待と理想を込めて、ルパンのようにありたいと思っています。

ルパンの陽気で遊び心のあるところが大好きなんです!

そして、その陽気な遊び心が最も表現されているのが、「ルパン三世のテーマ曲」、例のオープニングの有名な曲です。

ルパン三世のテーマ曲に関することなのですが、最近YouTubeではまっている動画があります。「826aska」さんの動画です。826askaさんは現在中学3年生のエレクトーン奏者で、その演奏技術はプロ顔負けの(だと僕は勝手に思っている)、高い技術を持ち合わせています。最近は、テレビにも出演されているようなので、知っている方もおられるかと思います。

826askaさんの演奏は、YouTubeで様々な曲がアップされているので、簡単に視聴できます。826askaさんの演奏する「ルパン三世のテーマ曲」も絶品で、ルパンの陽気さが非常に感じられます。動画で演奏が見られるので、826askaさんの超絶技巧な手さばきも楽しめます。826askaさんの演奏を「一人オーケストラ」と評する人もいるそうです。やはり何事も、最高を極めた人物の技術には、本当に感服させられます。

さあ、826askaさんの「ルパン三世のテーマ曲」を聴いて勢いをつけて、今年は自分の年にするぞ!と宣言します。数理物理の研究で。

今年も一年、よろしくお願いします。