月別アーカイブ: 7月 2016

魂が宿る本を読め

普段、地下鉄に乗ることが多く、だいたい地下鉄の中で約30分間、本を読んでいる。今日は、マルクス・アウレーリウスの「自省録」を読んでいた。神谷美恵子さんが訳した岩波文庫版である。

マルクス・アウレーリウスはローマ帝国時代の皇帝であり、哲学者でもある。もちろん遠い過去に亡くなっている。しかし、自省録を読んでいると、マルクス・アウレーリウスが目の前に生きているような錯覚に陥る。なぜそのように感じるのかというと、この自省録という300ページばかりの紙の本の中に、マルクス・アウレーリウスという人物の魂が所狭しと宿っているからだと思う。僕はマルクス・アウレーリウスの肉体ではなく、魂を感じて、その人物となりを感じていたのである。

概して名著と言われる書物には、著者の魂が宿っている。魂が宿っている本を見つけるのは簡単ではないかもしれないが、もしわからなければ岩波文庫を選べばいい。岩波文庫には、過去の名著と言われた古典本がずらりとそろっている。岩波文庫であれば、まずはずれはない。

それから、たくさんの本を速読するより、魂の宿る良本をじっくりと繰り返し読む方がいいと僕は思っている。僕が最近繰り返し読んだ本と言えば、これも岩波文庫であるが、新渡戸稲造の「武士道」である。この本は薄い本であるが、非常に深くて濃い本である。新渡戸稲造と言えば、前の五千円札に描かれた人物として有名だが、非常に志高き思想家・教育家である。

ちなみに、武士道の原著は「BUSHIDO  THE SOUL OF JAPAN」という英文で書かれた本である。新渡戸はアメリカで日本の精神を伝えるためにこの本を書かれた。つまり、日本語版「武士道」は英文からの翻訳本である。

岩波書店は非常に保守的な出版社で、最新の革命的な本が出ることはほぼないが、古典的名著に関しては右に出るものはいない。今一度「魂の宿る本」を繰り返し読むことの重要性を主張したい。

iPS細胞臨床実用への先駆者、理化学研究所・高橋政代先生

最近、非常に気になる一人の科学者がいる。理化学研究所・多細胞システム形成研究センターの高橋政代先生だ。彼女はノーベル医学・生理学賞を受賞された山中伸弥教授が発見したiPS細胞を初めて臨床に応用した、眼科を専門とする医学者だ。

山中先生がiPS細胞を発見された時は、その成果は基礎科学の成果としての意味合いが近かった。しかしその後、iPS細胞の研究は基礎から臨床などの応用へ軸足を移しつつ、すそ野は非常に広がっていった。僕は医学の専門ではないのでその世界のことは詳しくはわからないが、医学の基礎研究を応用して臨床までもっていくには、研究的にも金銭的にも非常に膨大な労力が必要で、非常に困難な道のりであるらしいということは、いろいろな情報から聞こえてくる。

2014年、高橋政代先生は、眼の網膜に関連する「加齢黄斑変性」という病気の治療にiPS細胞から作った組織を移植し、世界で初めてiPS細胞の臨床に成功した。その成功はiPS研究の応用の到達点ではなく、スタートである。この高橋先生の臨床の成否はこれからの全てのiPS細胞の臨床の行方を左右するものであり、高橋先生へのプレッシャーも並大抵なものではなかったようだ。

そして何より忘れてはならないことは、iPSは「日本発」の研究・技術であること。山中先生が発見されたiPS細胞の研究を、世界で初めて「日本」で臨床に成功したことは、日本の医療研究・臨床、そして産業にとって非常に大きな意味がある。

ところで、高橋政代先生の旦那さんも京都大学iPS細胞研究所で教授をされている医学者である。夫婦そろって日本の、いや世界のiPS細胞研究をリードされているのであろう。

医学者と言えば機械的に患者と接しているというイメージを持つ人もいるかもしれないが、ある記事によると高橋政代先生は非常に感情的な方で、自分の研究のことを話すときに患者さんのことを思い出し、途中で涙を流すこともあるそうだ。そういえば山中伸弥先生も非常に患者想いの研究者である。このような人間味豊かな研究者が、基礎研究を本当に役に立つ臨床応用へと発展させているのかもしれない。

僕は度々、科学というものに対して、役に立つかどうかという物差しだけではなく、「科学的価値」というもので評価することが大事だと繰り返し述べてきた。しかし高橋先生、山中先生のような人間の命さえも救ってしまう「究極に役に立つ科学」には、底知れぬ価値を感じてしまう。

これからのiPS研究の臨床の成功を祈るばかりである。

普通の人の生活向上も大切だが、はたして創造的異端者が暴れまわれる環境は日本にあるのだろうか

最近、政治家たちがこぞって「普通の人がより良い生活をできるような社会にする」ということを叫んでいる。もちろんそれはもっともな話であり、国民の大部分が普通の人である限り、それを政策の目玉にするのはもっともなことである。

しかし、日本では昔から「出る杭は打たれる」という格言があるように、異端者に対する風当たりが厳しい。もちろんそれで結果が出た後はまだ良いが、結果が出るまでの過程上は非常に厳しいものがある。

日本は異端者、特に「創造的異端者」をあまりにも冷遇しすぎているのではないか。創造的異端者には限りない可能性が秘められている。しかし判断が難しいのは、異端者が本当に結果を出せるところまでいけるのかということ。普通でない限り、普通の人と同じようにコンスタントに結果が出せるとは限らない。

アメリカでは、多くの人が「いかに出る杭になるか」ということを考えているらしい。しかし日本では「いかに目立たずに無難に過ごすか」ということが美化されている節がある。この様な風潮の中で、異端者が暴れまくるのは物理的にも精神的にも苦しいものがある。

しかしそれでも多くの異端者は暴れることをあきらめようとしないだろう。なぜならそれが異端者であるが所以だからである。

現在の発展した社会は、多くの普通の人の地道な努力と、「異端者の爆発的飛躍」によって築き上げられてきた。そして現在、中国・インドなど新興国が猛烈な勢いで発展してきている。その一方、超大国アメリカはなんだかんだと言われながらもあらゆる分野で世界ナンバー1を維持している。

では日本はどうだろうか。最近はどうも芳しい話はあまり聞かない。いかに発展するかということより、いかに後退を防ぐかということに力がそそがれているように感じる。この様なときにこそ、創造的異端者の爆発力が求められているのではないだろうか。

異端者が異端であり続けられる国にすることこそ、これからの日本の飛躍の原動力になるのではないだろうか。

最高の技術と、最高の人格

つい先日、イチロー選手が日米通算4257安打を記録し、ピート・ローズのもつ世界記録を超えたことは記憶に新しい。イチローは言わずと知れた「世界最高の技術を持ったヒットメーカー」だ。それと同時にイチローは人格者としても知れ渡っている。

今回、イチローが世界記録を樹立した際、元記録保持者のピート・ローズ氏が全く認めなかったことを、大人げないという人は多い。とは言え、別にピート・ローズ氏の人格が低いわけではない。ピート・ローズ氏の反応の方が普通なのだと言える。

しかし、ピート・ローズ氏とは比べ物にならない「最低の人格」と言われた偉大な大リーガーが20世紀初頭に存在した。野球好きなら一度は聞いたことのある名前かもしれない。「球聖」タイ・カッブだ。彼の通算安打数は現在ではイチロー、ピートに次ぐ三位だ。彼は間違いなく最高の野球選手であった。しかし彼の悪行は有名で、野手の顔に目がけてスライディングしていたことは有名だ。まさしく「最高の技術と、最低の人格」を持った人物だ。

イチローが、最高の技術と同時に、「最高の人格」を持っていることは、同じ日本人として誇らしい。まさしく、日本を象徴する人物だと言ってもいいだろう。それから野球に対するストイックな姿勢もイチローの大きな魅力だ。

人間の寿命は有限である。その短い人生の中でどのように自分を表現するか、すなわち「いかにして生きるべきか」という問いを全ての人は持つべきだと思う。おそらくイチローもそのような問いに常に向き合っているのだと思う。

イチローは記録を樹立した時、「ジーターのような人格者に記録を抜いてもらえればうれしい」と語った。このことからも、人間としてどのようにふるまうかということを重要視していることがわかる。

「最高の技術と、最高の人格」を持つためにどうすればいいのか。今の僕には遠い言葉かもしれないが、一歩でもその言葉に近づくために、常に人生に対して問い続けなければならない。