日別アーカイブ: 2015年12月24日

君が代を起立斉唱しなかった公立教員に対する処分に関する問題

21日、大阪府の公立学校教員が卒業式で国歌を起立斉唱しなかったことに対して処分が下った問題で、教員の訴えが棄却され、処分が正式に認められた。このことには賛否両論、様々な意見があるであろう。日本人として簡単に下せる判断ではない。なのでこれは僕個人の独断であることをはじめに言っておくことにする。

この問題は、日本国民としての国家への忠誠と思想・行動の自由、このどちらを重視するかによって判断が分かれる。初めに僕の意見を言うと、今回の処分は適正であったと思う。確かに思想・行動の自由は非常に重要であり、社会に害を与えるような過激思想でもない限りこの自由は認められる。

しかし今回の教員の問題は二つの点を考慮する必要がある。一つは子供を教育する「学校」であること。そしてその学校が「公立」であること。この二つに当てはまらなければ今回の処分は完全になかったであろう。しかし日本の教育機関(養護学校なので、義務教育かどうかは定かではないが)として、日本の国の何たるかを伝える必要がある。国歌は国の象徴でもあるわけで、その象徴を否定すれば日本の教育自体が正常に伝わらない。今回訴えを起こした教員はキリスト教信者であるから国家起立斉唱しなかったと言うが、日本は宗教の自由を認めている。もちろん日本国民がキリスト教を信心することに何の問題もない。国民がキリスト教を信心するかどうかということは、日本国の在り方に何の関係もない。全く別問題なのである。この教員はフランスにでも行けば、フランス国家を起立斉唱するとでもいうのであろうか。

それから「公立」であることだが、公立である以上、国家の(地域の)一機関である。公立教員は国家の(地域の)「運営」に関わる一員なのである。その国家の(地域の)運営者が自国を否定するようなことをすれば、運営側として全く統制が取れなくなる。ましてや子供を教育する機関であり、国家の根幹である「教育」を崩壊させるようなことにもなりかねない。

この教員が国家起立斉唱を絶対にしたくなければ、私立の、いや私立でも日本の教育機関である限り適切ではないので、インターナショナルスクールの教員にでもなるべきである。インターナショナルスクールで日本の国家を起立斉唱させられる可能性は低いであろう。