月別アーカイブ: 9月 2015

たかじんのそこまで言って委員会

関西の読売テレビでは、日曜日の昼間に「そこまで言って委員会」(たかじんさんが存命中はたかじんさんが司会をされ、亡くなってからしばらくまでは「たかじんのそこまで言って委員会」という番組名だった)という、関西の名物番組が流れている。この番組は東京では絶対に流さないというポリシーでやっているので、東京に住んでいる人は絶対に見れない番組だ。

東京では流さないのには理由があって、一つは反東京精神みたいな(たかじんさんは東京に対して非常に対抗心を持っていたみたいだ)ものが貫かれていることだが、もう一つは東京では流れないのでパネラーが安心して好きなことを遠慮なく話せるというのがある。

最近、この番組の司会者、たかじんさんの後継者である辛坊治郎氏にいやがらせが殺到しているらしい。非常に陰湿で卑怯であるが、裏を返せばこの番組の注目度の高さを表すものでもある。僕も日曜日には時間があれがこの番組を楽しく視聴している。

やはり東京では流れないというのは非常に効果があるらしく、東京の番組では形式的にしかテレビに出ない安倍総理も、この番組に出るためにわざわざ関西に赴き非常にフランクに話をされていた。(国会中にこの番組に出たことが非難を浴びていたが)

最近のパネラーでは、竹田恒泰氏(明治天皇の玄孫)が非常に存在感を発揮しているが、内閣官房参与などをされて北朝鮮問題などで政府の要人として非常に力を発揮された飯島勲氏も出演され、鋭い発言をされる。

この番組が流れる関西に住んでいる人は絶対にお得だ。こんな面白い番組はなかなかない。関西以外に住んでいる人・東京在住の人などは、関西に来ることがあれば一度は関西の日曜日に流れるこの番組を視聴することをお勧めします。

安保法案を「戦争法案」と口にする「国会議員」は信用できない

思想は人それぞれ、人を傷つけるような暴力的な思想でない限り、どんな思想を持とうが自由である。もちろん個人が安保法案に対して戦争を連想してしまうなら、戦争法案と呼称するのもやむ負えないだろう。

しかしこれが国会議員となれば話は別だ。前の国会で議案にのぼったものに「戦争法案」などという呼称のものは何一つない。「安全保障関連法案」が正しいと思われる。一般市民が言うならともかく、正確な議論が必要とされる国会議員が戦争法案などと呼称するのは、あまりにも認識が欠けている。

28日のテレビニュースを観ていると、社民党の国会議員が「戦争法案」とやみくもに連呼していた。国民がどの国会議員を支持しようが自由だが、僕はこんな国会議員を信用することはできない。

「安保法案は、~~~だから、戦争に結び付く可能性がある」と説明するならまだ十分に分かるし、法案に対して誠実に向き合っている姿勢を感じる。しかしやみくもに戦争法案と連呼するだけでは誠実さも何も感じないし、暴力的な印象しか受けない。むしろこの人(国会議員)の方が戦争的な思想の持ち主ではないかと疑ってしまう。

国会議員は「公人中の公人」である。そのため一般市民が認められている大きな自由に対して国会議員は自由を制限されることもある。そのことを理解していない人に国会議員である資格はない。国会議員には公人たる風格のある振る舞いを求めたい。

日米同盟はいつまで

最近、自民党の石破茂衆院議員(現在、地域創生担当相)が執筆された本を読んでいる。石破さんと言えば防衛庁長官、防衛相を歴任しており、自他ともに認める防衛のプロフェッショナル(本人は軍事マニアとも言っている)だ。その本が書かれたのは5年ほど前で、当時は集団的自衛権など国民も国会議員もほとんど関心のなかったころだが、石破氏は当時から集団的自衛権の重要性を訴え、そもそも集団的自衛権とは何ぞやということを丁寧に説明してまわっていた。

集団的自衛権と言えば、「アメリカと一緒に地球の裏側まで戦いに行く」という短絡的なイメージがあるが、事はそんなに単純ではない。ましてや最近の「戦争法案」などと一言でかたずけられるようなものでは決してない。集団的自衛権が問題になっているのは国際貢献などの理由もあるが、それ以上にアメリカと日本の共通する国益が大きな理由の一つである。日米同盟にしても、アメリカは日本と同盟することによって大きなメリット・国益があるからこそ日本と同盟しているのである。したがって日本と同盟することにメリットを感じなければ同盟は破棄されるのが当然のことである。何もサービスで同盟を結び、日本を守っているのではないのである。

しかし日本人はそんなことは微塵も考えずに、日米同盟は当たり前のものと思い、アメリカが日本を守るのは当然のことだと思っている。しかしこれは当然のことでもなんでもないのである。アメリカだって自国が困っているときに助けに来ないと宣言している国を守ろうなんて思わないはずだ。ただ現在は中国の脅威などもあって、日本と同盟を結ぶことがアメリカにとっても大きなメリットがあると言うだけのことなのである。

万が一、本気で集団的自衛権を断固拒否するのであれば、スイスのように永世中立国になるしかない。永世中立国と言うと日本人は勘違いして永遠に平和的な国だと思っている人がいるが、そんな幻想のような生易しいものではなく、他国から攻撃されても助けに来る国がないのだから自国の軍隊だけで守らなければならない。当然強力な軍事力が必要になり、実際にスイスは強力な軍隊を保持している。

集団的自衛権を含む安保法案はすでに可決されたが、安保法案賛成派も反対派もその一面だけしか見えてないような気がする。歴史を知ることは非常に重要だが、近現代歴史、そして政治・安全保障について日本人はもっと勉強をすべきではないかと思う。

人生勝ち負けに非ず

数日前のブログで「プロスポーツは勝ち負けが一番大事だ」というようなことを書いたが、それはあくまでプロスポーツに限ったことである。もちろん勝ち負けが重要なことはたくさんある。しかしこと人生に関しては決して勝ち負けだけで評価されるものではないし、そんな単純なものではない。

こんなことを書いたのは、最近いたるところで「勝ち組負け組」ということにこだわる風潮があることに疑問を感じているからだ。仕事で出世して順調に結婚したものが勝ち組と叫び、周りの者もそういう者を勝ち組と持ち上げうらやましがる。そして正社員になれず結婚ができなかったものは自分を卑下し負け組だと落ち込む。しかし僕に言わせれば、そのような卑下するような気持ちを持つこと自体が負け組であって、正社員でないことなど負け組でもなんでもない。それでも周りの者はそういう人間を負け組と呼ぶかもしれない。しかしそこで周りの人間の言うことに同調して負け組だと自覚することが負け組なのである。

しかし人生何も勝つために生きているのではない。もちろん勝つことを命じられるときもある。その時は勝負であり、勝ち負けが重要である。しかし勝ち組だ負け組だなんて気にする前にとにかく行動を起こさなければいけない。行動を起こさずして、信念を持たざるして負け組だと言うなら、それは負けるべくして負けたと言うべきであろう。

人間の命は有限である。どうあがいても150年生きることは100%無理なのである。しかし人生は有限であるからこそ非常に価値あるものなのである。子供の頃は人生は永遠に続くのではないかという錯覚に陥る。しかしある程度歳を取ると人生の有限性を自覚するようになる。そこでその限られた時間の中で自分はこれからどう生きるべきか、自問自答を繰り返す。人生の有限性を自覚した時、人間はより深みのあるものへと変わるのである。

自分の人生が勝ち組だ負け組だなんていうくだらないことを考える前に、これからどう生き、どう人生を深くしていくか、何度も繰り返し問い詰め、中身の詰まった深い人間にならなければならない。

VWに続き他社もか。排ガス規制問題

現在、フォルックスワーゲン(VW)のディーゼルエンジン排ガス操作による規制逃れが大きな問題になっているが、VWに続き他社も排ガス規制違反があるという報道も流れてきた。(追:後に他社は基準値内であることがわかった。)この排ガス問題は規制値の数十倍にもなる有害物質が実際に排出されていたと言われており、さらに複数の自動車メーカーがクリアできていなかったとなると、この規制値をクリアするのは現在の技術では困難でさらに他メーカーまで飛び火と言うことも考えられる。もしこのようになればメーカーの責任ももちろんだが、米国および欧州の政府が課した規制値の数字自体が現実的でなく、そもそも規制自体が構造的な問題があったと考えられる。もしそうならこのような規制値を課した米国および欧州政府にも責任がないとは言えない。

VWはトヨタと販売台数世界一位を争っている巨大自動車メーカーだ。この排ガス問題について日本メーカーはどうなのかと心配になるところだが、日本メーカーが摘発される可能性は低いと考えられる。それは市場の構造に原因がある。欧州ではディーゼルエンジンがシェアの50%をせめるほどのディーゼル大国で、クリーンディーゼル技術が最も普及した成功市場だが、日本ではディーゼルは汚いというイメージが強く(これは石原慎太郎元都知事のパフォーマンスによるところが大きい)、さらにハイブリッド技術が大きく成功したことにより、クリーンディーゼルが入り込む余地が少なかった。

今回のドイツ自動車勢が大打撃を食らえば自動車勢力図も変わる可能性があり、日本自動車メーカーの勢力拡大を即す可能性がある。とはいえドイツ自動車勢の車の作りには絶対的な定評があり、たとえ勢力が一時的に変わっても即巻き返してくることは予想されることだ。ヨーロッパのクリーンディーゼル・ダウンサイジングターボ、そして日本のハイブリッド技術がしのぎを削っているが、クリーンディーゼル問題で混乱しているうちに、時代は燃料電池などの次世代技術に一気に取って変わるかもしれない。

やはりプロスポーツは勝ってナンボ。ラグビーW杯より

スポーツのとって大事なことはいっぱいある。スポーツ精神、数字、健康維持などなど。しかし「プロ」スポーツにとって一番大事なのは「勝つこと」である。勝ってナンボの世界。いくら綺麗ごとを言ってもやはり勝たないと振り向く人は少なくなる。それをそのまま証明したのが現在行われているラグビーW杯だろう。

ラグビー日本代表は、初戦で優勝候補の南アフリカを倒した。それがどれだけの日本人を振り向かせたか。そういう僕もラグビーに注目したことはほとんどなく、今回の勝利で振り向いた超にわかファンである。そして2戦目のスコットランド戦は最初から最後までテレビで観戦した。

勝つことによって皆が振り向いてくれる。そしてその副次的な効果としてルールを覚えてもらえるということがある。僕も今までラグビーのルールさえまともに知らなかったが、今回のスコットランド戦を観て初めて大まかなルールを知ることとなった。

興味のないスポーツについてはそもそもルールを知らないということが多い。しかし世界で活躍する日本人選手、日本代表が勝つことにより、興味のなかったスポーツのルールを覚える。テニスの錦織選手、フェンシングの太田選手などがその最たるものである。

興味本位でスポーツをやっている市民はともかく、世界のトップを目指す選手は何をさておいても勝つことが一番重要なのである。非常に当たり前のことだが。

今回のラグビーにおいて南アに勝ったことは非常にうれしいが、それと同時にラグビーが日本でもっと認識されるきっかけになればまた嬉しい。五郎丸という珍しい名前も広く知れ渡り、現役ラグビー選手の名前も覚えるきっかけになった。

ラグビーが日本に定着するきっかけにする唯一の条件は勝ち続けることだけだ!

インドネシア新幹線の受注、白紙に戻る

日本が7年に渡り力を注いできたインドネシアでの新幹線事業が白紙に戻った。この受注白紙から日本が学ぶところは大きく、これからの新幹線国際進出計画に大きく影響しそうだ。

今回の件の撤回は、日本が売りとした事と相手が望んでいることとのミスマッチが原因だ。日本の新幹線の売りと言えば、「速さ、安全性、時刻の正確性」だ。ところがインドネシア側にしてみればこの三つのことはそんなに強くは求めていなかったのだ。時刻の正確性にしても、外国では電車が遅れることは当たり前のことで、日本のような時刻の正確性の方が異常で過剰スペックなのだ。そして一番大きなのが、たとえ時速200キロに落としてでも建設費・運営費を下げてほしいという要望だ。日本国内レベルの新幹線を作ろうとすると、想定の40%増しくらいになるという。以前営業した台湾新幹線も、一部のエリートビジネスマンはともかく、一般市民にとっては新幹線代のチケットは高くてなかなか手が出ないみたいだ。

現在日本でも新幹線の新規建設が急ピッチで進められている。とはいえ日本人にとっても新幹線チケットを気軽に買えない人は少なくないはずだ。時速200キロでもいいからもう少し値段を下げてほしいという市民・学生は多いかもしれない。

この様に、これからの新幹線海外輸出に関しては、その国の実情をもっと把握して売り込まないといけない。特に新興国向けの場合はインドネシアのようにこのことは非常に重要だ。世界は何も日本みたいな国ばかりではないのだから。それどころか日本の国内事情の方がよっぽど特殊と言えるかもしれない。

安倍首相在位1000日

9月21日で、第二次安倍政権が発足してから1000日目を迎えたようだ。第一次政権も含めると1366日で、祖父の岸元首相の1241日を上回っている。これから衆院の解散がなければ次の国政選挙は来夏の参院選で、この参院選に勝利すれば小泉政権を上回ることになる。その上は佐藤栄作と吉田茂のみだ。

現在、安倍政権は安保法案でもめたこともあり支持率はかなり低くなっている。安保法案が決着し、今後は経済政策に力をつぎ込むことになると思われる。この経済政策でどこまで支持率を上げれるかによって、来夏の参院選の勝負がかかっている。

僕個人としては石破茂氏の政権を期待しているが、現在の状況を見ていれば安倍政権の長期政権化が現実的である。石破氏は軍事政策に非常に通じている。せめてその軍事政策に関わる防衛大臣などの重要職に就いてもらいたいというのが僕の願いでもある。

それはともあれ、政権が長期政権として安定するのはいいことだ。長期政権化すれば首相も長い視点から政策を打って出られる。安倍政権の長期化が日本の安定化につながれば、支持率も自然と上がるであろう。とはいえ、安倍政権の暴走は避けなければいけない。そのためにも野党は安倍政権をじっくり監視し、おかしいところは徹底的に追及しなければならない。

翁長知事の国連での発言について

21日、沖縄県の翁長知事は国連で「辺野古移設は人権をないがしろにしている」と言う趣旨のことを発言した。沖縄県民の気持ちもわからないでもないが、そもそも辺野古移設は普天間基地周辺の異常な環境の悪さを解消するために行っていることだ。すなわち普天間基地の辺野古移設はむしろ人権問題解消のためだと言える。

実際、辺野古周辺には住居は見当たらない。環境破壊だと言うならば話はよくわかるが、辺野古に基地を作ることを人権問題と取り上げるのは甚だ見当違いではないかと思う。

現在世界的に人権問題に関しては敏感になり、人権侵害だと訴えれば世界が振り向いてくれるだろうと思ったのだろう。しかし辺野古を少しでも見れば人権問題でもなんでもないことが誰でも理解できる。むしろ環境破壊だと訴えた方がインパクトがあったのではないかと思う。

もちろん米軍基地問題に沖縄県民は何の罪もないし、基地によるあらゆる環境の悪化の被害者だ。しかしそれとは別に、沖縄は地政学的に重要な位置に位置する。本土が軍事的に安全に保たれているのも沖縄のおかげだともいえる。とはいえ現在の中国の海洋進出を見ると沖縄の基地負担を減らすことは実際問題として難しいと言える。しかし少しでも沖縄の負担を減らすために、本土でできる事は本土で負担するということを考えなければいけない。

中国が極超音速機を開発?

中国メディアが極超音速機の試験飛行に成功したと発表したみたいだ。極超音速機とは音速の5倍(マッハ5)以上の飛行機のことを言う。真偽のほどは定かではないが、もし本当に成功しているとしたら非常に高度な技術力を示したことになる。現在アメリカも極超音速機の開発を行っているという。

超音速機と言えば音速の2倍(マッハ2)を出して営業運行していたコンコルドが有名だが、騒音問題・機内居住性・安全性の問題から決して成功したとは言えない。音速以上で飛ぶと一番問題なのが「衝撃波」による爆音だ。「極」ではないが、超音速機の開発は日本のJAXAでも行われており、少し前に話題になったことを記憶している。今回のマッハ5と言うのは超ド級ともいえる開発だが、環境問題などをほとんど考えない中国が騒音問題・燃費問題をどこまでクリアしているか疑問が残る。

しかしこの技術は直接軍事技術にも転用できるもので、この開発が本当に成功しているならば米軍のミサイル防衛網にとって非常に驚異的だ。むしろこの軍事的問題の方が衝撃的かもしれない。

このマッハ5の極超音速機は、中国からアメリカまで約1時間で飛ぶらしい。見方を変えれば中国から1時間でアメリカ本土までミサイルを飛ばせるということだ。もちろん核弾頭を搭載することも可能だ。

この技術が現在確立されているのかどうかははっきりしないが、中国の軍事的脅威に対して日本、そしてアメリカは間もなく丸裸になると言ってもよい。アメリカは中国に対するミサイル防衛網をはじめとする軍事対策を根本から見直す必要性に迫られるだろう。

共産党が野党連立を掲げる

共産党の志位委員長は19日、反安保法案を旗印に連立政権の実現を目指し、次回参院選で民主党と選挙協力をし、候補者を一本化する方向性を示唆した。共産党と言えば万年野党で、野党だからこそ何でも反対で存在感を示してきたが、共産党の参加する政権がもし誕生するとどうなるか、まともな選挙運営ができるかどうか、想像しがたい。

そもそも選挙で共産党に投票する人は、共産党がアンチ与党だから、共産党が万年野党だからと言う理由で投票する人が多い。すなわち共産党支持者も共産党が政権を取ることを望んでいない節がある。

今回の安保法制反対は政権交代のきっかけになりうるのか。5年前ならなっていたかもしれない。そして約5年前には実際に自民政権交代が実現し、民主党政権が誕生した。しかしそこで見せられたものは散々たる光景だった。政権運営能力のない政党が政権を取るとこうなるという現実を見せられた。

政権を運営するには二つの要素が必要だ。

1)政党が政権運営能力があるか。

2)強いリーダーシップで政権をまとめられる人物がいるか。

この二つを備えているのは残念ながら自民党だけである。共産党・民主党をはじめとする他の党はこの二つとも当てはまらない。唯一、2)のリーダーシップという点では、大阪維新の橋下徹氏が当てはまるかもしれない。したがって政権交代をし、連立政権を樹立させる青写真としては、橋下氏をトップ(首相)とし、多数の政党をまとめ上げるというのが現実的である。そうなれば国民も面白いものを見られる(かもしれない)。

少なくとも既存政党の寄せ集めでは政権は完全に成り立たない。野党が政権を目指すならそれを熟知して行動を起こさなければならない。

侮ってはいけないチリ地震津波

17日早朝、チリ沿岸でマグニチュード8.3の大地震が起こり、18日早朝、日本でも津波が観測された。チリと言えば日本から地球の裏側にあると言っていいほど遠く離れているが、なぜこのような離れたところの地震による津波が日本まで来るのだろうと疑問に思う人が多くいるかもしれない。さらに太平洋のど真ん中にあるハワイはもっと大きな津波が来るのではと思うかもしれない。しかし実際はハワイでの津波の高さは日本の半分ほどである。それはなぜか。

ポイントはチリが日本の裏側にあるということだ。チリで起きた津波はそこをを中心にして四方八方に散っていく。しかし地球儀を思い出すとわかるように、地球の裏側から四方に直線をのばしてほしい。一度は遠く離れるが、地球の裏側でこの四本の直線は出会うことになることがわかる。チリ地震津波も同じだ、チリからいったん離れた津波は地球の裏側の日本でまた合わさって再び高くなるのである。

約半世紀ほど前に起きたチリ地震(これはマグニチュード9.5という巨大なものであった)の時は、日本にも6メートルもの津波をもたらし、日本の太平洋沿岸に大きな被害をもたらした。この時もハワイでの高さは約半分である。

この様に地球の裏側での地震は決して侮ってはいけない。地球の裏側だから危険なのである。今回の津波は大きくはなかったが、日本は常に津波の危険性をはらんでいることを忘れてはいけない。

錦織圭選手の功績、日本人に対してテニスを身近なものにしてくれた

つい最近あったテニスの全米オープン、錦織選手は第4シードという上位シードで臨んだものの、1回戦で敗れるという非常に残念な結果に終わってしまった。それによって世界ランクも4位から6位に落ちてしまった。ランキングポイントは過去一年間に獲得されたポイントの合計で算出されるので、全米の獲得ポイントなしは1年間尾を引くことになる。

とはいえ、最近の錦織選手の活躍により日本人はテニスを非常に身近なものに感じることができた。そういう僕も錦織選手が活躍するまでテニスのルールを正確に知らず、錦織選手の活躍を通じてテニスの何たるかがわかった気がする。

今や錦織選手は日本人プロスポーツ選手として、大リーグの田中投手に次ぐ大選手になってしまった。正直、今までテニスが世界でこんなにもポピュラーなスポーツだとは知らなかった。その一例として、先日の全米オープンの優勝賞金はゴルフの全米マスターズよりも高額なのである。

10年前ほど、日本人にも偉大なテニスプレーヤーがいた。今再び世界挑戦しているクルム伊達公子選手だ。伊達選手は一時は世界ランク4位まで上り詰め、当時世界ランク1位だったグラフ選手も破った実力派だ。そして今、錦織選手も最高4位まで上り詰め、去年の全米では世界ランク1位のジョコビッチ選手を倒した。

伊達選手は本当に偉大な選手だったのは間違いないが、その当時、今の錦織選手のような盛り上がりとまではいかなかったような気がする。当たり前のことだがやはり男子と女子では全く格が違うのであろう。何のスポーツか忘れたが、男子と女子では全く違うスポーツなのだと発言したスポーツ選手がいたことを覚えている。確かに100メートル最強のボルト選手はだれでも知っているが、女子の100メートル最強選手は恥ずかしながら知らない。

テニスの世界ツアーには全米・全仏・全英(ウィンブルドン)・全豪の4大大会があるのは知っていたが、年末にツアーファイナルという世界ランキング上位8人しか出られない非常に格式の高い試合があることは錦織選手が出場して初めて知った。ツアーファイナルの格式の高さはテレビ中継を見ても一目でわかる。室内でライトアップされ、試合と言うよりトップ選手によるテニスショーと言うような雰囲気が伝わってきた。

現在6位までランクを下げたが、また今年度末に錦織選手がファイナルに出場し、幻想的なテニスショーを見せてくれることを非常に楽しみにしている。

第一列島線と沖縄

現在、沖縄の米軍基地問題が過熱しているが、この問題に悩む日本政府をよそに笑っている国がある。中国だ。中国は自国に面する太平洋側にラインを引いている。第一列島線と第二列島線と言われるものだ。

第一列島線は九州から沖縄・台湾・フィリピンにつながるライン、第二列島線は伊豆諸島から小笠原諸島・グアム・サイパンにつながるラインだ。つまり沖縄はこの中国が独自に引いている第一列島線の中心部に当たる。

中国は現在、第一列島線の内側を中国勢力下に置き、米軍の侵入を絶対阻止しようとしている。それに対して日・米・台湾・フィリピンはその動きに断固対抗している。これらのことからわかるように、中国にとって沖縄は戦略上最も重要な位置にあり、隙あらば狙おうとしている。

今、普天間基地問題・辺野古移設問題で日本国内は揺れているが、この問題はもとはと言えば民主党政権下に当時の鳩山首相が基地移設問題を「最低でも県外」と放言したことに始まる。沖縄住民の負担を考慮したと言えば聞こえはいいが、裏を返せば中国に対する地政学的な問題を全く理解していなかったということだ。今中国は攻めてこないから、これからも中国が攻めてくることはありえないだろうと思っていたのであろう。ましてや沖縄駐留米軍の抑止力など頭の片隅にもなかったと思われる。そして現在の鳩山氏と言えば中国と大の仲良しで、中国に赴いては日本を非難している。この様な人物が日本国首相を務めていたことにぞっとする。

中国が第一列島線を掲げている、すなわち第一列島線の内側、そして第一列島線上に位置する沖縄などの島々は中国の意識としては中国の領土だと思っている。そして中国の野望は第二列島線までを支配することだ。第二列島線まで進出するには米軍との衝突は避けられない。そしてそのど真ん中に日本列島は存在する。今、集団的自衛権が問題になっているが、こうなれば集団的自衛権を出すまでもなく、従来の個別的自衛権で対応できるレベルだ。集団的自衛権を認めないと言うことは、大げさに言えば日本はいつでも中国に明け渡しますよと言うに等しい。

もちろん、集団的自衛権も個別的自衛権も作動させるような事案が起こらないことを願うばかりだ。しかしそのためには中国の覇権意識を理解し、駐留米軍、そして自衛隊の抑止力をしっかり認識することが必要だ。

民主党歴代党首も集団的自衛権を認めていた?

14日の参院平和安全法制特別委員会で、民主党の歴代党首が過去に集団的自衛権を認めていたことを、自民党の佐藤氏が暴いた(msn:産経新聞)。佐藤氏によると、過去に民主党の岡田氏・野田氏の両元党首が集団的自衛権が必要だという趣旨のことを雑誌などで発言していたことを指摘した。やはり政権与党としては集団的自衛権は避けて通れない問題なのかもしれない。この発言が本当ならば、現在の民主党の安保法案反対の攻勢は、集団的自衛権が問題だからではなく、単に与党の出した法案だから安易に反対しているだけということになる。

僕は今までブログで次の二点を主張してきた。

1)安保法案に関しては、国防上・国際貢献上必要なものであって、決して戦争法案などと呼ばれるものではない。

2)ただしこの安保法案の成立へのプロセスは明らかにおかしく、改憲という手続きを取らずに解釈変更で無理やり乗り切ろうという姿勢は、民主主義国家政府として明らかに間違っている。

つまり簡単に言えば、

1)の事柄は安倍首相に賛同する。

しかし

2)の法案成立の手法に関しては安倍首相に大反対である。

しかしこのような民主党党首の政策一貫性の矛盾は、与党も経験した責任野党として明らかに失格である。とはいえ現在民主党は野党第一党である。政府自民党に一番大きな攻撃を加えられるのは民主党だ。今回のような一貫性のなさにはあきれ返るが、安倍政権のおかしいところは徹底的に追及してもらいたいところである。

 

NHK「サイバーセキュリティーのトップスペシャリスト・名和利男氏」

9月14日(月)、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、サイバーセキュリティーのトップスペシャリストの名和利男氏という方を取り上げられていた。名和氏の仕事の様子を見ていると、スペシャリストの中のスペシャリスト、まさしくトップスペシャリストと呼ぶのにふさわしい男だ。

名和氏の「顧客」は主に省庁などの国の根幹にかかわる部分だ。省庁は常に海外のハッカーから狙われている。名和氏はそれらの対策を施し、攻撃者の身元を暴いていく。

ハッカーには悪意のあるブラックハッカーと、それらから身を守るホワイトハッカーに大きく分類される。しかし名和氏の仕事を見ていると、そのようなブラックだとかホワイトだというような画一的な分類に当てはめることはできないと感じた。自国に関してはホワイトでも、攻撃者に対してはブラックととらえられるだろう。名和氏は守るだけではない、攻撃者の先手を打つためにも攻撃者を先回りして攻撃を仕掛けることがある。名和氏はハッカーと言う言葉では括りきれない非常に高度で多様な仕事を仕掛ける。

もちろん攻撃者にとって名和氏は非常に厄介な存在だろう。名和氏自身が狙われる可能性も非常に高い。そのために自身の存在を非常に用心して隠している。それはサイバー空間上だけでなく、日常生活、あるいは外での行動もあえて遠回りするなど慎重に行っている。

それから余談だが、名和氏の使用していたパソコンはPanasonicのレッツノート、高度な信頼性を必要とする仕事をしている人のパソコンは圧倒的にレッツノートが多い。

今回の番組では名和氏をメインに取り上げられていたが、名和氏の仕事内容の関係上、非常にシークレットにしなければならないことが多く、こんなに大々的に取り上げていいものか、視聴している僕の方が心配になった。存在は大々的に明かせないが、いまのネット社会において名和氏は日本の根幹を握っている非常に重要な人物であることには間違いない。

子供の夜の徘徊・大阪男女中学生殺人事件から

ここ一か月ほどの大きなニュースと言えば、大阪での男女中学生殺人事件だろう。この事件に関しては容疑者に対しての非難はもちろん大きいが、それと同時に保護者の責任についての声も小さくはない。なぜ深夜に中学一年生の男女が二人だけで徘徊していたのか、それを野放しにしていた親の責任が問われている。

もちろん親は夜に歩き回るくらいなら大丈夫と判断したのだろう。日本は世界でもまれにみる治安安全大国である。夜中に子供が歩き回れる国など、世界広しと言えども日本だけかもしれない。こんなことはアメリカでは絶対に考えられないことだ。夜中に子供が安全に歩き回れる、このような日本の治安は誇れるものかもしれない。しかし今回はこのような痛ましい事件が起こった。今一度日本の治安に関して考え直す時かもしれない。

日本人がアメリカで失敗する事例の一つに、車の中に子供一人置いて、ちょっと買い物をしてくるというのがある。この行為はアメリカでは逮捕される。アメリカでは家で子供一人にするのも違法だ。アメリカ映画などでベビーシッターがよく出てくるのはそのためである。日本の常識はアメリカの非常識なのである。

今回の事件で親を責めるのは簡単だ。しかし親の事情を考えると限界もあることだろう。今回の事件を事件当事者・被害者家族だけの問題として片づけるのではなく、日本社会全体の問題、大げさに言えば日本全体の治安の問題として見直すべきではないかと思う。これをきっかけにしてマスメディア・政治家・そして一般市民も他人事としてではなく、自分たちの問題として大いに議論しなければならない。

「想定外」を想定する

最近何かと「想定外」なことが多い、つい先日の鬼怒川決壊災害も想定災害マップはあったものの、住民、そして役所の人たちにとっては想定外であったようだ。実際役人たちは災害対策本部を常総市役所に設置したが、その後その常総市役所自体が浸水被害を受け、機能不全に陥った。いかに災害を想定していなかったかということの証拠であろう。気候温暖化などもあり気象災害、そして気候とは関係ないが地震・津波災害など想定外は常識となり、「想定外を想定する」時代になったのではないかと思う。

想定外を想定するという発想は僕が勝手に考えたことで、その言葉の定義は全く定まっていないが、これからこの「想定外の想定」という言葉の定義、そしてどういう試みを想定外の想定とみなすか、これからの災害対策として考えていくのはどうかと思う。

想定外は言葉通り、想定していないことだ。つまり想定外の想定とは、想定外のことが起こった場合にいかにして迅速に対応するかということに尽きるのではないかと思う。そのためには想定外災害に対しての指揮系統を構築する必要がある。つまり見えないものに対する対策だ。もちろん現在でも想定外のことが起きてもそれなりの対処はできていると思う。しかし東日本大震災の例のように、想定外は場合によっては桁違いな被害をもたらす。それを防ぐために必要なことのうちの一つが「固定観念にとらわれない」と言うことだ。東日本大震災の時は、マグニチュード8クラスの地震は起きてもマグニチュード9クラスの地震は絶対に起きないという固定観念が行政にも住民にもあった。しかし調べてみると、約千年前に起きた貞観地震は東日本大震災と同規模の地震だったことがわかった。しかしこのことが言われたのが大震災後のことである。

想定外な事には大概前例が存在しない。だからこそ想定外が起きた場合には現実をいち早く確認し、現実に応じた災害対応を前例・固定観念にとらわれずに実行することが必要だ。

レクサスの浮上するスケボー

最近レクサスのCMで登場している、空飛ぶ スケボーをご存じだろうか?この空飛ぶスケボー、コンピューターグラフィック(CG)などではなく、本当に宙に浮いているのだ。正式な名前は「ホバークラフト」と言うらしいが、液体窒素で超伝導体を作り、磁気浮上技術で地面を、あるいは海面上を滑るように動いている。リニアモーターカーに近い仕組みとでも言えばいいだろうか。

物理をやっている僕も超伝導体(物性分野)には今一つ詳しくないので、原理を理論的に厳密に理解することはできないが、この未来のにおいがプンプンする乗り物にはかなり興味をそそられる。これはレクサスの研究チームが開発したもので、さすが日本一の巨大企業の技術力だと感心させられる。

このホバークラフトは本来の事業とは全くと言っていいほど関係なく、このようなことに取り組める技術的・金銭的な余裕は、日本の産業・技術のさらなる発展を促すことになるだろう。将来の革新的ブレークスルーはこのような研究から生まれてくるものだ。

トヨタは世界に先駆けて燃料電池自動車の実用化にも成功した。本来の事業の発展にも抜かりがない。もちろん全ての企業がこのホバークラフトのような未来的研究に取り組めるわけではないが、いま日本の景気が上向きになる中、このような企業が少しでも増えると、日本の産業、そして技術科学界も非常に面白い、エキサイティングな世界になるであろう。

iPod操作ボタン訴訟でアップル社が敗訴

高裁で、iPod操作ボタン訴訟があり、アップル社が敗訴した。訴えていたのは日本の発明家で、損害賠償100億円を要求していたが、今回の訴訟では高裁は約3億円の支払いを命じた。3億円も巨額な金額だが、アップル社にとっては微々たるものだ。訴えた発明家も、要求の100億円には遠く及ばないものの、巨大企業のアップルに勝訴したことで納得したようだ。

このiPodの操作ボタンは、一昔流行した円形のグルグル回すタイプのもので、当時の僕もよくもこんなものを発明したものだと感心したものだ。てっきりアップルが開発したのかと思いきや、日本の発明家が発明していたとはびっくりである。

この訴訟を見て思い出したことがある。数年前の青色発光ダイオードの中村修二さんの訴訟だ。中村氏は去年のノーベル物理学賞日本人トリプル受賞の一人で、同時に受賞した赤崎氏・天野氏の基礎研究に基づいて中村氏が青色発光ダイオードの量産化に成功した。

中村氏の訴訟は元所属の日亜化学を訴えたものだが、そこでの判決は中村氏は600億円を取得する価値があるというものだった。これは発明者に対する画期的な判決だったが、一つ気がかりなのはこの手の発明対価が最終工程の開発者のみに権利が与えられることである。青色発光ダイオードについていえば、量産化に成功した、すなわち最終工程に関わった中村氏に発明対価の権利があり、その成功のもととなった赤崎氏らの基礎研究には何の見返りもない。

もともと基礎研究はお金にならないものがほとんど、いや全部と言っても言い過ぎではないくらいだが、この基礎研究組にもそれなりの報酬を与えるような仕組みはできないものかと思ってしまう。基礎研究は本当に研究が好きでないとやっていられない。また確固たる強い意志も必要だ。この様な基礎研究者に必要な条件は日本人気質に向いているともいえ、それが最近のノーベル賞日本人受賞ラッシュにつながっているのかもしれない。

しかし基礎研究は応用研究・開発の源であることは言うまでもない。基礎研究者の処遇をおろそかにすると、技術立国日本の立場も将来的に危ういものにしてしまうかもしれない。

民主・枝野氏が「ナチスと同じ立憲主義の破壊だ」と安倍批判

民主党の枝野氏が、現在の安保法案の議論に対して、「この法案を成立させようというプロセスを考えると、まさに立憲主義の破壊だ。ある学者が言っていたが、憲法秩序を破壊する一種のクーデターだ。」と安倍政権を批判した。これは非常に本質をついている。この安保法案の一番の問題は、法案の中身ではなく成立へのプロセスだからである。

この法案自体は決して「戦争法案」と言われるようなものではない。戦争を未然に防ぐ、あるいは世界の安全保障に貢献するための法案だと思っている。しかし現在進行しているようなプロセスを認めてしまうとどうだろう。非常に悪しき前例になってしまう。安倍氏には悪意がなくても後世の政治家がこの悪しき前例を根拠に暴挙に出ることが考えられる。

立党以来改憲を標榜している自民党がなぜこの機会を改憲の機会にしなかったのか、非常に疑問である。この安保法案は改憲の好機だったはずだ。しかし安倍政権は解釈変更で乗り切ろうとしている。

この安保法案を解釈変更で済まそうとしていることについては過去に僕のブログでも問題視してきたはずだが、この際は枝野氏をはじめとする野党は徹底的に究明してほしいと思う。そうでないと世界から評価されている安保法案が悪法と認識されることになってしまうであろう。

和歌山県太地町でのイルカ捕獲批判について

ここ数年、和歌山県太地町でのイルカの追い込み漁が世界で批判を浴びている。追い込み漁が残虐で他の狩猟法が残虐でないという理論は僕には理解できないが、それ以上にイルカ漁だけ批判を浴びていることには非常に疑問を感じる。

人間はいろいろな動物の肉を食べて生きている。完全な菜食主義者と言うなら別だが。イルカを食べているかどうかはともかく、ほとんどの人は牛肉は食べているだろう。しかしそれと同時にほとんどの人は数人前に切られた肉片しか目にしてないだろう。もちろん普段食している牛肉ももとはと言えば生きている牛だ。そして食膳に出てくる前には必ず殺されている。この牛を殺される「作業」を見たことはあるだろうか?おそらくほとんどの人は(自分も含めて)見たことはないであろう。しかし容易に想像できるように非常に残虐な作業であろう。

イルカの追い込み漁が非難を浴びているのは、牛でいうところの殺す作業をたまたま映像で流されたことによるものだ。牛の殺されるところを映像で見て、残虐だから牛肉は食べてはいけないと言う人はいるだろうか?もちろんいないとは言わない。しかしほとんどの人は牛肉を食べ続けるだろう。むしろ牛肉を食べる人は牛が殺されるところを意識的に見ようとはしていないのかもしれない。

昔から日本人は肉を食べる時には、命あるものをいただく大切さを感じていたはずだ。今は料理として出される最終工程しか目に見えないので、そのような大切さを感じることもほとんどなくなった。イルカ漁もそうだが、現在も我々が食べている牛肉・豚肉ももとはと言えば殺されて食されている、そのような命への感謝の気持ちを忘れてはいけない。イルカ漁問題も、それが残虐だと非難するだけでは問題の全体が見えていない。

安倍総理70年談話・外国語版

8月14日、安倍総理は戦後70年談話を出したことは、日本国内はもとより海外でも波紋を与えた。日本人は普通に日本語で話された、あるいは日本語で書かれた談話を見たものと思われるが、実はこの70年談話、外国語版も同時に公開されたのである。具体的には英語版・中国語版・韓国語版だ。しかしこの中で韓国語版は英語版・中国語版の10分の1しか閲覧されていないのである。人口比を考えれば単純に比較できるものではないが、具体的な数で言うとたった五千なのである。逆に言うと10億を超える人口を持つ中国でも閲覧数は五万ということになる。

中国はもとより、特に韓国では談話が発表された時には予想された通り非難の嵐だったが、その中で談話の中身を実際に見た人はどれだけいたのであろうか。このことからメディア・世論が煽っていたことは明らかである。

アメリカ・オーストラリア・イギリスには事前に外務省のルートを通じて伝えられており、談話への評価は非常に高いものであった。しかし中国・韓国ではあれだけ注目されていたにも関わらず、内容そのものにはほとんど目を通されていないのである。

相手を見ずに批判だけは大々的に行う。日本及び日本人にはそのような相手に失礼なことはしないように、中国・韓国を反面教師としなければならない。相手国を批判するときには相手国の目を見て礼を尽くして批判しなければならない。

戦後の日本はディズニーランドか

8月31日の田原総一郎さんのブログを読んだ。その中で田原氏と元東京都知事の猪瀬氏の対談について触れていた。そこで猪瀬氏は「戦後の日本はディズニーランドだ」と述べたらしい。もちろん僕自身も戦後の日本しか知らない世代であるが、現在の子供も含め、戦後世代は世界のサバイバルを知らない世代だ。日本国内は厚く保護され、猪瀬氏が言うように戦争は「想定外」なのだ。

現在、安保法案問題が問題になっている。そして安保法案賛成派も反対派も共にほとんどの人が戦後世代だ。戦争を実体験として知らない。戦争は残虐であり絶対に起こしてはならない。それは安保法案賛成派も反対派も同じだ。安保法案賛成派は戦争賛成派ととらえられるような発言があるが、安保法案賛成派の人たちは戦争を起こさない、あるいは未然に防ぐために安保法案が必要だと考えているのである。

吉本芸人の小藪千豊さんは、今の現状をこのように表現している。「中国がおもいきりミサイルと軍人をバーっと並べている」と。まさしくそれが現状なのである。今、沖縄から米軍基地を無くしたらどうなるか。中国は沖縄も自国の領土だと主張している。中国は無傷で沖縄に上陸できるのである。日本が攻めなくても他国が攻めてこないとは限らない。今までは米軍及び自衛隊の抑止力が働いて紛争に巻き込まれなかったのが現実である。それを何もしなくても他国が攻めてこないと勘違いしてはいけない。

安保法案反対派を否定するつもりは全くない。安保法案を反対するのも一つの意見であろう。しかし安保法案を否定してそれだけで終わりでは明らかに無責任である。安保法案賛成反対に関わらず、いかにして紛争が起こらない世界を作るかを真剣に議論しなければいけない。

日本人のディズニーランド気分はもう終わりにしなければいけない。もちろん戦争をせよなんていう気は毛頭ない。しかし日本、そして世界の安全保障について、今世界が置かれている現状を直視して真剣に考えなければいけない。

警察の暴力団対策について

初めに述べておくが、僕は暴力団に対して容認する気は毛頭ない。しかし現在の警察・法律の暴力団対策についてはやり方としてどうかと思うものもあり、それが現在の山口組の分裂騒動にも無関係ではないのではと思う。

ここ十年前後の暴力団対策関係の法案に関して思うことは、一つに法案が果たして効果的かと思われること、もう一つは暴力団に逃げる隙を一切与えないのはかえって暴力団の行為をエスカレートさせるのではないか、と言うことである。

数年前、テレビで実に不毛な議論がされていた。暴力団にサービスを提供するのが違法だと言う法案ができた時だ。蕎麦屋の出前は少人数なら個人的な事だからOKで、集団に対しては暴力団の会議であろうと考えられるからダメだというものだ。では何人前までの出前はOKで、何人前からダメなのかと真剣に議論されていた。実にバカバカしくて不毛な議論だ。

ここ数年の暴力団対策関連法案を見ていると、昔のアメリカの禁酒法を思い出す。趣旨は少し違うが、禁酒法は害のあるもの(酒)を完全に抑え込んだために地下ルートができ、アル・カポネらマフィアの巨大化のきっかけを作ってしまった。今回の山口組分裂も暴力団の資金源である金融ルートを地下に潜らせ、膨大な資金が組内部で偏ったことが発端になったようだ。

それと、それら暴力団対策法案を立案しているのが、現場で捜査に当たっている警官ではなく、霞が関のキャリア官僚が一手に行っていることも原因であるみたいだ。警察キャリア官僚は現場の様子を実際に見てはいない。法案によって暴力団とともに現場の警官も振り回されているようだ。

もっと現実に合った効果的な対策をすることが必要だ。そのためには少しの逃げ道を作ることも必要かもしれない。とにかく現場の警官の声をしっかり拾わなければいけない。

シリア難民の男児の死

今、シリア難民の男児が海岸で死亡している写真が波紋を呼んでいる。難民問題に関して日本人は疎い。日本は島国でどの国とも陸で接してなく、難民の出身国から非常に遠いと言うのが一番の理由であろう。しかしヨーロッパは紛争を抱える国とは陸で接しており、貧しいアフリカの国とは地中海を隔てて対岸にある。ヨーロッパの国々にとって難民問題は非常に差し迫った深刻な問題なのだ。

現在EU内で問題になっているのが、難民に関する負担のEU内格差だ。難民に寛容な国と厳しい国がはっきりしている。今、EU全体で難民受け入れ基準を全体で模索しているところのように思える。

とはいえ、EUの難民の問題を日本人が言うのは、自分は何の影響もない外から口出すようなもので無責任にも思える。日本は難民受け入れに関して非常に消極的だ。世界第三の経済大国である日本が難民問題にほぼノータッチなのは、国家としての責任を果たして言えるだろうか。

先に述べたように、日本人は難民問題に対して非常に鈍い。難民問題とは国境の濃度を策定する問題でもある。現在世界的に国境の濃度は薄くなりつつある。EUは国境を無くす試みでもある。そしてEUの難民受け入れは、EU以外の国とも国境を薄くしようという取り組みでもある。しかし日本は地理的に海が強固な国境となって隔離されている。国境がありながら、国境のことを普段は全くと言っていいほど考えていないのである。

今回のシリア難民の男児の死は、これだけ世界的に経済発展している中で、まだ多くの国が経済発展の恩恵を受けるどころか生命の維持さえ危うい状況にあることを伝えている。

五輪エンブレム騒動で思うこと

最近は佐野氏の五輪エンブレム盗作騒動でもちきりだ。五輪エンブレムが発端となって、サントリーのバックに印刷されている絵のデザインなどの騒動をはじめ、佐野氏周辺のあらゆるところに波及している。このことに関しては僕は二つのことを心配している。

一つは佐野氏の精神状況だ。佐野氏が本当に盗作したか、たまたま似てしまったか、僕には断言できない。それは佐野氏自身しかわからない。しかし佐野氏が故意にしたかしなかったかにかかわらず、現在の佐野氏に対するバッシングは異常だ。現在まで似たような騒動で悲劇が繰り返された。去年もSTAP細胞騒動による笹井氏の自殺という悲劇が起きた。佐野氏がしたことがどう裁かれるか、それは裁判所のみが知るところである。一般のネットユーザーが想像とノリで中傷を書き込むことは時には犯罪になる。佐野氏のエンブレムは確かにベルギーの劇場にエンブレムに酷似している。これは故意にしたかどうかにかかわらずチェックを怠ったことに関しては佐野氏のミスであろう。しかし今のメディアが搖動しているバッシングが異常だ。佐野氏の身上を心配する。

そしてもう一つは他のデザイナーへの精神的な影響である。佐野氏のデザイン酷似でこれだけバッシング・中傷されると、他のデザイナーも委縮してしまう。自分の作ったデザインが独自の発想で作ったものであっても、もしかしたら他に似ているデザインを発表している人がいるかもしれないという恐怖である。実際、一部のデザイナーの間ではデザイン考案に大きな不安を感じる人もいるみたいだ。全てとは言わないが、似たデザインが知らず知らずに考案されることは十分にあり得ることだ。その可能性もあることを全ての人は理解すべきである。デザイナーが委縮して思い切った仕事ができなることを僕は非常に恐れる。

とはいえ、今回のオリンピックエンブレム騒動はひとまず取り下げという手段がとられ、新たなエンブレムを選考することになった。日本国民全員が気持ち良く東京五輪を迎えられるように新たなスタートを切ってもらいたい。

藩・国連事務総長が中国「抗日戦勝70年式典」に出席

藩・国連事務総長、つまり国連のトップが、中国で今日9月3日に開かれる抗日戦勝70年式典に出席する。これに対して日本国内だけではなく、国連内部でも疑問の声が上がっている。

藩氏は韓国人だ。韓国と言えば今回の中国の式典に日米の静止を振り切って朴大統領が出席するニュースが問題になった。しかし藩氏の場合、これとは質的に問題が違う。藩氏は韓国人である前に国連という国際中立機関のトップだ。したがって藩氏に対しては高度な中立性が求められる。藩氏が特定の国に偏るということは、国連も偏ることを意味する。一説には次期韓国大統領選に向けて、中国と親密な関係を作ろうとしていると言われている。

今回はもちろん終戦70周年を祝うという意味があるが、それと同時に「抗日」というタイトルがついているように日本に対しての非難の意味もある。中国の思惑としては後者の意味の方が強いだろう。

藩氏は現在の重要なポストの肩書から言って、事務総長退任後の韓国大統領就任は非常に現実味のある話だ。現在の韓国の大統領は反日でないと務まらないようになってしまった。これはイ・ミョンパク前大統領の竹島上陸が火をつけてしまったのである。もしかしたら藩氏自身は個人的には反日でない可能性もある。しかも高度な中立性が要求される国連と言う場で組織を動かしている。しかしそうであろうとなかろうと、次期大統領も反日攻勢で日本に当たってくることは容易に想像できる。

次期韓国大統領になるかもしれない藩氏が、中立心を保って日本と接することを切に願うばかりだ。

知る権利と機密を守る義務(クリントン氏の個人メール問題をめぐって)

いつごろからか、知る権利というものが声高に叫ばれるようになった。知る権利自体は国民の重要な権利であることには間違いないが、その一方で機密を守る義務も存在する。これら二つの物は天秤にかけられるような単純なものではなく、国家機密に関して言えば多くの場合、知る権利より機密を守る方が圧倒的に重要だ。もちろん、政治家の政活費のように明らかにオープンにしなければならない公共情報もあるが、国家情報に関しては事によっては国家の存亡にかかわることもある。

最近、アメリカのクリントン氏の個人メールが問題になっている。単純に言えば、国家の機密情報がセキュリティの甘い個人メールでやり取りされていたというものだ。クリントン氏は現在大統領選出馬に向けて活動中だ。しかしアメリカの大統領になろうかという者が、セキュリティの認識に関してこれまでも甘いというのは明らかに問題だ。国家機密が漏れるとどのようになるか、それはハッカー集団アノニマスによる米国家機密のハッキングによって世界が混乱、さらに不信の渦を巻いたことから明らかだ。

これらの話は国家レベルのものだが、個人レベルでも似たようなことが言えるのではないか。個人のプライベートなことは大げさに言えば個人機密である。これが漏れると生活に支障が出る者も多いだろう。他人のプライベートを知る権利などは通常は誰も持っていない。

では、知る権利とは何に関してであろうか。最近はむやみに知る権利という言葉ばかりを主張して、何に関して知る権利があるのかを全く理解していない者が多い。知る権利とは、

「税金などを使って行われている公共性に高いもの、そしてその税金がどのように使われているか透明化しなくてはならないもの、かつ国民の安全を守るために守らなければいけない機密性の高い情報以外のもの」

とでも言えるのではないだろうか。もちろんこれら以外のものにも知る権利が適用されるべきものがあるかもしれない。しかし知る権利を主張するとき、それと同時に必ず秘匿にされなければならない情報も存在することを認識しなければならない。

MRJ(三菱リージョナルジェット)が10月に初飛行

三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)が10月に初飛行することとなった。念願の国産ジェット機初飛行である。厳密にはホンダジェットが先を越しているが、国産中型旅客ジェット機としては初だ。

戦後日本はアメリカから航空機禁止令を発令され、航空機を作ることが禁止されていたが、40年前のプロペラ機開発を経て念願のジェット機だ。飛行機の重要部分は三菱重工業が受け持つが、繊維会社のハイテク機材は見逃せない。この日本のハイテク機材の開発によって日本はボーイングの機体製作に関わり、航空機開発のノウハウを蓄積していった。

受注の方も順調にいっているようだが、計画の遅延により不安の声もきこえなくもない。MRJの開発は半オールジャパンとでも言っていいのではないか。

10月の初飛行は楽しみでもあり、ロケットの打ち上げ時のような緊張感をもたらす。MRJが日本の製造業再興の起爆剤になればと願うばかりである。