月別アーカイブ: 6月 2015

米宇宙ロケット打ち上げ失敗

アメリカの宇宙ベンチャー企業スペースX社のロケットの打ち上げが失敗した。その前は別のベンチャー企業の打ち上げも失敗している。これはアメリカの宇宙政策の失敗につながるのではないかと僕は危惧している。

数年前、アメリカはNASAのスペースシャトルの引退を宣言し、今はNASAは独自の宇宙船を持たない。スペースシャトル事業からの撤退の原因は、船体の老朽化とコスト高からだ。そこでスペースシャトルの穴埋めの役割を期待されているのがスペースX社だ。

スペースX社に一番求められていたのは、スペースシャトルでの問題点でもあったコスト問題の解決だ。そのためスペースX社の開発はコスト的には安く抑えられているものと思われる。しかしコスト安を重視して打ち上げの失敗すれば元も子もない。最近のロケット打ち上げ失敗でNASAの宇宙政策は見直しを迫られるかもしれない。

今回の失敗の影響は日本にも多岐的に及んでいる。その中の一つが日本の大学が作った観測カメラの打ち上げだ。しかし用意周到だったというべきか、予備まで含めて三台用意していたそうだ。次の打ち上げで再挑戦することになる。

思えばスペースシャトルは世界の子供の夢であった。スペースシャトルをみて宇宙飛行士に憧れた子供がたくさんいたものだ。コスト重視で宇宙政策を見直すのも仕方のないことかもしれないが、宇宙政策に夢は必須だと思う。子供たちの宇宙への夢が次世代の宇宙開発の原動力になる。子供たちの夢を甘く見ないでほしいものである。

少年Aの手記について

最近、18年前に神戸で起きた「酒鬼薔薇事件」の加害者少年Aの書いた手記が出版されて話題になっている。この出版に関しては書店の間でも是非が分かれ、店頭に並ぶことを拒否する書店も出てきている。僕の家の近くの書店では拒否の姿勢を貫き、関連記事を載せている雑誌の取り扱いまで拒否している。今日、大手の本屋に足を運んだが、その書店では少年Aの本が山積みされていた。

ビジネスとして利益を優先させるか、あるいは信念・倫理を重視し取り扱いをやめるか、書店としては悩ましいところであるが、その判断を書店に強制するものではない。その両者がいることは日本の書店業界の多様性・自主性が現れていていいことだと思う。

僕はこの少年Aの手記「絶歌」を読んだわけではないので偉そうなことは言えないが、この本の出版に関する一番の問題は、当たり前のことではあるが自分の起こした殺人事件をネタにして収益を上げていることであろう。そして遺族側からすれば、もう一度事件を煮え繰り返される苦しさがある。

僕自身、少年Aが手記を出すこと自体は否定しないし、実際にこれだけの読者がいることを見ると社会の需要にこたえているとも言える。出版社のビジネスとしてはこれほどおいしいものはない。ただ倫理的な問題はかなり大きいが。

先ほど言ったように僕はこの本を読んでいないし、これからも読むつもりはないので、この本の出版に関して判断を下すことはできないが、この出版の倫理に関しては深い問題がある割に、社会での現在の議論に関しては陳腐であるような感は否めない。

言論の自由はどこまで

先日、自民党の勉強会で作家の百田氏が「沖縄の2新聞紙をぶっ潰せ」と発言したそうだ。百田氏は後に冗談だったと弁解しているが、発言した場所が場所だ。政府与党の自民党内の会合内での発言とあって、その場での発言は半公式であり責任が問われる。もちろん民間人の百田氏に発言の自由はある。しかしその場では公人としての発言が求められている。

現在の沖縄の世論は急進的だ。政府と真っ向から対立し、沖縄内では反安倍色が濃いように見える。その沖縄の世論に本土の日本人が反論を述べるのは自由だ。しかし政府与党が沖縄の世論を押しつぶすようなことは許されない。沖縄世論に反する政策を打ち出すときは、100%納得させるのは無理としても粘り強く対話を重ね誠意を見せることが沖縄県民への礼儀でもある。

地政学的に沖縄は重要な所に位置している。沖縄から基地をなくすことは日本の国防政策としてあり得ない話だ。まずそこから話を進めなければいけない。なぜ本土ではなく沖縄でないといけないのかと。そこを抜きにして強引に沖縄に基地を作ろうとしても沖縄県民は納得できるはずがない。基地をどこに作ろうかではなくなぜ沖縄に基地が必要なのかと。

一般人の発言には自由が伴うが、政府与党側の発言には責任が伴い一般人の発言と区別しなければいけない。百田氏も今回の発言は政府与党内での答弁だという意識が全く欠けていたと見受けられるので、これからのそのような発言の場では十分に慎重になってもらいたいものである。

古典地図から見た尖閣諸島

ここ数年、尖閣諸島の領有権をめぐって日本と中国の間で対立が起きている。日本、中国双方の間でそれぞれ自国の主張があるが、お互い自国の有利な主張しかしないので平行線をたどっている。では尖閣を第三国から見ればどうであろうか。

最近、19世紀終わりに作られた英国・ドイツの地図が発見された。それによると両方とも尖閣は日本領となっていたそうだ。これを聞いて気の早い政治家などは、だから尖閣は古来から日本の領土であったというだろうが、見方を変えれば所詮外国の作った地図がたまたま尖閣を日本領に分類しただけのことでもある。

しかしこのイギリスの地図にはもう少し深い意味がある。当時香港と朝鮮南部の島は英国領であった。そしてその双方を結ぶ航路はイギリスにとって重要であった。そこでその航路上にある尖閣の領有権は英国にとってはっきりさせていなければならない問題であった。そこで英国は尖閣を日本領と認識していたのだ。

領土の領有権をめぐる争いは世界いたるところで起きているが、当たり前のことだがどこの国も自国にとって有利な事しか主張しない。領有権の合理的な解決は不可能かもしれないが、第三国の視点というのは解決の一つの糸口になるのかもしれない。

株主総会がピークを迎える

多くの会社の株主総会が先日一斉に行われた。株主総会は90年ころからほとんどの企業が同日に一斉に行われるのが習慣だった。その理由は総会屋対策。当時総会を荒らして企業に金品を要求する総会屋の動きが活発だった。それを防ぐためにほとんどの企業が同日に株主総会を開くようになった。そうすれば一人で同日に何社の総会に出席することはできないので、この総会屋対策は一定の成果を上げた。

しかしもちろん本来の株主たちも数社の株を所有していても一社の総会しか出席できなくなる。この様な弊害が指摘されていた。そういうこともあって今では総会日程が分散する傾向にある。

ところで今話題になっているトヨタのAA型株というものがある。購入すると5年は売ることはできないが、5年後には元本が保証されているというものだ。この株によってトヨタは中・長期的な資金を獲得できるというメリットがあり、株購入者にも元本は保証されるというメリットがある。この新型株について今年のトヨタの株主総会はもめたらしい。物言わぬ株主が増えるのではないかと。結局採決の結果、新型株は導入される見通しとなった。

何かと保守的と言われる日本企業。このトヨタの革新的試みには大いに期待したいところだ。この新型株が証券業界に風穴を開けることになるであろうか。

インプットとアウトプット

インプットとアウトプット、自分はどちらに重きを置いているだろうか。

インプットとは具体的には何か。例えば読書、勉強などは代表的なインプット作業だ。しかしインプットだけで終わってしまえば非常にもったいない。なぜなら本当に重要なのはインプットではなくアウトプットだからである。インプットをいくらしてもお金はもらえない。東大生がどれだけ高度な勉強をしてもそれにお金を払う人は一人もいない。なぜなら仕事とはアウトプットだからである。

何もインプットを否定するつもりは全然ない。しかしインプットをアウトプットの布石にしなければそれは単なる自己満足で終わってしまう。

本を読むのもいいが、本当に重要なのは本を書くこと、あるいはそこまでいかなくても文章を書くことではないかと思う。研究者ならば理論を勉強することではなく、新しい発見を論文に書くことである。

今まで自分がインプットで満足していたならば、そろそろアウトプットに軸足を移すのもいいのではないかと思う。

三菱の水陸両用車が注目浴びる

今、三菱重工が水陸両用車を研究開発しており、それに米海兵隊が注目しているそうだ。というのは、現在海兵隊などで用いられている両用車は水上で時速15キロ、それに対して三菱の両用車は時速40キロ出せるそうだ。格段の違いである。これには米英の開発会社もギブアップしたようだ。

日米が現在水陸両用車を重要視する理由が一つある。対中国の対するものだ。今、中国が南シナ海で環礁を埋め立て軍事拠点化しようとしている。それに対して日米は有事の際にはその環礁を突破しなければいけない。そのためにも高性能な水陸両用車は必須なのだ。

三菱の両用車が注目を浴びている理由はもう一つある。コストだ。英企業は技術的には可能かもしれないが、コストを考えると無理だと言っている。それを三菱はクリアしそうなのだ。コストの面に関しては最近の為替レートも少しは関係あるのかもしれない。しかし限られた予算で高性能製品を開発するのも高度な技術力が必要だ。

車・鉄道・飛行機などで最近快進撃を始めた日本企業。軍事技術に耐えうる製品を世に送り出せるのは日本の高度な技術力の証だ。なぜなら最も最先端で最高な技術は最初に軍事面に応用されることが多いからだ。

人間と地球上生物の大量絶滅

現在、地球史上6度目の生物大量絶滅期に入っているというアメリカの大学の研究グループの結果が出ている。今、通常の100倍のペースで種の絶滅が進んでいるそうだ。現在の絶滅期は6度目だということだが、過去の5回と決定的に違うことがある。それは現在の絶滅期が人間の手によるものだということである。過去の絶滅期は隕石の衝突や火山の爆発など天災的なものであった。しかし現在、人間は地球上の種の存続の運命まで握っている。

そしてもう一つ、われわれに直接的にかかわることがある。それは将来、その絶滅種の中に「人間」も入る可能性が非常に高いことだ。人間は人間まで絶滅させてしまうかもしれない。

僕の私観だが、もし人間の絶滅がおこるならばそれは一瞬、あるいは非常に短期間で絶滅するのではないかと思う。わかりやすい例では核兵器によるもの、急激な環境汚染、あるいは想定しえない要素も現在の社会には山ほどある。むしろ核兵器などは核削減など対策もわかりやすいが、想定しえないものに対しては対策もしえない。

現在の生物学では人間は哺乳類の一種とみなされている。しかし何十万年後、何百年後に知的生物が存在していれば、人間は既存の生物の一種とはみなされないだろう。おそらく知的新生物とでもいうような全く新しい系統の生物種とみなされるはずだ。

文明の発展は大天災でも起きない限り発展し続ける。しかし今、人間は無制限の発展に進むのではなく適切な発展を遂行していくことに注意を払わなければいけないのではないかとと思う。これから人間は人間とその文明をうまくコントロールしていかなければならない。

パリ航空ショー

先日、パリで航空ショーが行われた。世界各国から様々な航空機が所狭しと並んでいる。航空ファンなどは航空機の展示に気持ちを高ぶらせたことだろう。

この航空ショーはただの展示会ではない。航空機メーカーと航空会社の間の商談会でもあるのだ。もちろん日本の会社も参加している。三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)だ。しかしMRJはこの商談会での受注はゼロだった。それに対してMRJのライバルのブラジルの航空機メーカーは50機も受注した。この差は実績の差以外の何でもない。MRJの開発は遅れに遅れ、先日飛行場の滑走路を走った(歩いた?)だけだ。まだ空は1センチも飛んでいないのだ。したがって実績はゼロに等しい。そんな会社に大きな期待をするのも無理な話だ。しかしこれから巻き返すチャンスは十分にある。ぜひとも巻き返してほしいものである。

今まで飛行機と鉄道は棲み分けができていた。短距離は鉄道、長距離・海外へは飛行機と。しかし鉄道の高速化に応じて鉄道が飛行機のシェアを侵食しだしてきた。特に日本国内ではそれが顕著だ。ヨーロッパでも今はフランスとイギリスの間をユーロスターという高速鉄道で行き来できる。いま飛行機と鉄道はしのぎを削り合っている。日本は鉄道分野では新幹線という世界一の製品を手にしている。そして今飛行機産業にも食い込もうとしている。まだ日本の飛行機産業は新幹線には全然かなわないが、数十年後には新幹線と飛行機が日本の交通産業の両輪として世界でフルに力を発揮しているところを見たいものである。

安倍思想は軍国主義への足音か

現在、国会で安保法制の議論が行われている。安倍首相の主張を一言でまとめると、「自衛隊が軍事行為をしなければ、後方支援や他国の支援は可能だ」というものだ。

今まで日本は金は出すが血は流さないと他国から非難され続けてきた。その批難に対して後ろめたさを感じているのだろう。単純に考えて紛争地域に行って血を流さずに済むとは考えにくい。本当に血を流さずに済むのならば自衛隊ではなくて民間人がいけばいい。僕自身は血を流すか流さないかという議論は重要ではない。なぜなら自衛隊は緊急時には血を流す覚悟で国を守る使命を持っていると思っているからだ。もちろん血を流さずに済むのならそれに越したことはない。無駄な血は絶対に流してはいけないのだ。しかし国民が危機にさらされている時には血を流す覚悟で守る、それが自衛隊の存在意義である。

今回の安保法制の問題点は、自衛隊が守るのが他国の国民、他国の軍隊であるということである。「自衛隊」という名前の通り、自衛隊は自国・日本国とその国民を守るためにある。それが他国まで乗り込むのは理にかなったことかということである。

瀬戸内寂聴さんが、安倍首相は軍国主義者で軍隊の足音がすると言っている。さらに昭和10年代の状況に似ていると言っている。僕は昭和初期には存在していなかったので、昭和10年代の状況が実際どんな感じだったかとは本でしか知らないが、瀬戸内寂聴さんのようにその時の様子を肌で感じた人の言葉は重い。

僕は安倍首相のことを軍国者だとは思っていない。しかし安倍首相の安保政策によって軍事行動に巻き込まれる可能性は高くなるのは確実ではないかと思う。日本の自衛隊の位置づけは世界的に見ても非常に特殊なので、他国の例をそのまま当てはめることはできない。それに憲法第九条との兼ね合いもある。

僕は安倍首相は信頼に足る男だと思っている。もちろん細かいことを言えば安倍首相のすることに批判もなくはない。しかし安倍首相を信じている。ただもし安倍首相が暴走気味になった時には民主党の岡田代表あたりが中心になって抑止しなければいけない。

ギリシャの金融危機

ギリシャの金融危機が最終局面に入りつつある。ギリシャのデフォルト(債務不履行)は現実的になりつつあるが、その先にはEU離脱というさらに大きな問題が待ち構えている。

EU離脱の境目は通過をユーロから独自通貨に変えた時だ。ギリシャのEU内での経済規模はわずか2%弱だが、ギリシャのEU離脱がEU全体にもたらす影響はもちろん小さくない。特にヨーロッパ各政府はギリシャから大きな債務を買っている。これをユーロ建てにするか、新通貨建てにするかによっても影響を受ける国が変わってくる。

ギリシャの金融破綻状態の一番の原因は緊縮政策の失敗にある。もちろんその前に財政政策、特に公務員を中心とする問題などがあるが、金融政策の失敗は政治家の失敗という以上に国民が導いたという色が濃い。節約はしたくないという思いから一時しのぎの考えで緊縮反対政党を選び、破たんへと突き進んでいる。

ドイツなどはギリシャの財政破たんを防ぐべく最大限の支援をしてきた。しかしそれに対してギリシャが出した行動は、ドイツに第二次大戦のナチスに対する莫大な賠償金を請求するということだった。ここまでひどくないが、東アジアのどこかの国に似ている。

ギリシャの現状況を導いた芯を一言で言えば「国民性」ではないか。しかし国民性は教育によって大きく変わる。現在の日本の国民性を形作っているのは高度な義務教育であることは間違いない。ギリシャもまずは長期的観点から見て教育改革から始めることが重要なのではないかと思う。

米金融機関の過労問題について

米大手金融会社の過労が問題になっている。特にインターンに対するエンドレスな仕事の押し付けは深刻だ。中にはインターンが過労死したという考えられない問題を起こした超有名金融機関もある。

そうした中で米大手ゴールドマンサックスが最低限ともいえる手を打った。インターンに対して午前0時までに帰宅することと、午前7時以前の出社を禁止したのだ。こんなことは一般常識からして当たり前のように思えるが、超高給取りである彼らには常識ではないようだ。しかも今回禁止令を出したのは社員ではないインターンに対してである。給料をもらっているかいないかはわからないが、はっきり言ってインターンはアルバイトみたいなものである。ちなみにゴールドマンサックスのインターンは2900人もいるらしい。

米金融機関は超高給取りで有名だが、精神的な悩みを抱えて自殺する人も多いみたいだ。しかし高給のイメージが根強いせいか、日本でも東大生をはじめトップ校ではゴールドマンサックスの人気は非常に高い。

外資金融機関は実力主義でも有名だ。入社1年目でも年収1000万は当たり前のようだが、実績を出さなければ2、3年で首を切られる。社会に競争は必要不可欠だが、このような行き過ぎた競争原理は人間の心が、そして社会の心が病んでいくだけではないかと思う。

最近はやりのブラック企業は長時間労働のうえに低賃金であることが問題になっているが、外資金融機関は長時間労働だが超高賃金なので内部の人間もなかなか問題提起できないのであろう。その間に犠牲者は増えていく。

最近はブラック企業という言葉が簡単に使われるが、企業がブラックとホワイトに二分されるわけではない。グレーゾーンという手もあるのだ。日本ではグレーというとイメージは悪いが、欧米ではグレーゾーンを巧みに操り柔軟性を持たしている。日本でもいい意味で柔軟性のあるグレー企業が増えると社会もかなり円滑になると思うのだがどうだろうか?

勤務医の過労問題について

最近、過労から鬱になり自殺した勤務医に対する賠償裁判が続いている。病院側と上司の医師に対しての責任問題が問われているのだ。この裁判では病院側の勤務管理に対する問題、さらに上司の医師からのパワハラがあったことが明らかになっている。

勤務医・研修医の実態は非常に苛酷だ。通常勤務を終え当直勤務そして通常勤務と30時間以上の連続勤務が日常茶飯事であるらしい。通常の企業ならちょっとしたテコ入れで改善できるものだが、医師という仕事の性格上、24時間の患者受け入れは避けられないし、人材不足だからと言って簡単に増やせる職業でもない。

さらに一般市民の意識の問題もある。医師は聖職とみなされることも多く、人の命を預かることから患者側からすれば診てもらって当然という意識がある。しかし医師も患者と同じ人間である。人間らしい最低限のゆとりを持てるようにしなければいけない。

またもう一つ問題なのは、医師団体の理事十数人中、勤務医は一人だけであるということである。それも最近になって勤務医枠が設けられたらしい。

人を助ける職業である医師が過労で死んでは元も子もない。さらにそれらの問題は診療の質にも関わってくる。これらの問題は国全体が取り組まなければいけない問題だが、われわれ国民一人ひとりも「聖職者だから何でもやってもらって当然」というような奉仕を求めるような態度ではなく、医師一人ひとりに対して尊重と感謝の念を持たなければいけない。

科学技術白書で不正特集

政府が出す今年の科学技術白書で不正に関する特集が組まれた。内容はSTAP細胞事件、そして薬剤の臨床試験に関する不正だ。

科学者による不正事件は定期的に起こる。しかし昨年のSTAP細胞事件は世間に対するインパクトを含め、今までの日本での科学不正事件をはるかにしのぐ衝撃があった。

STAP細胞事件もそうだが、数学などの理論系の研究に対して生命科学系の不正が圧倒的に多いことがわかる。数学や理論系学問では論理をたどれば白黒がはっきりするので不正の余地はほとんどないが、生命科学系の学問では実験がブラックボックス化されていてなかなか白黒をはっきりすることができないことが多い。STAP事件もそうだが、黒とはっきりしたわけではなく、黒にかなり近いグレーだから不正と断定した感がある。そして真相は闇へと消える。

科学不正が起きると大きくクローズアップされるが、多くの科学者は真剣に真面目に研究に取り組んでおり、不正とはかかわりない。もちろん真面目に出した結果が間違っていたということはよくある。しかしそれは不正ではなくミスである。そして多くの科学者はそのミスをできる限り取り省く努力をしている。

科学不正が起きると世間では科学に対する疑念の目を持ち、海外からの日本の科学界に対する信頼が揺らぐ。日本の科学界、そして科学者を守るためにも第三者機関を含め科学関連機関は常に不正に目を光らせていなければならない。

体内時計のずれ

早稲田大学の研究グループのマウスによる実験により、マウスにストレスを与えると体内時計が大きく狂うことがわかったみたいだ。特に就寝前のストレスに対しては顕著な結果が出たみたいだ。マウスによる実験で出た結果は、同じ哺乳類である人間でも類似の現象が言えることが予想される。

現代の社会がストレス社会と言われて久しい。多くのサラリーマンにとって、毎日決まった時間に起き、決まった時間に寝、しっかりした睡眠をとることは必須だ。しかし実際にそれを実行するのは意外に難しい。もちろん個体差はあるので、それが容易にできる人とできない人がいる。

僕の話になるが、僕は睡眠のリズムが全く取れない体質だ。睡眠障害というより睡眠リズム障害と言ったほうがいいかもしれない。短時間睡眠の翌日長時間爆睡してまた眠れない、また寝ないといけない時に眠れなくて、起きていなければならない時に寝てしまう。そのため周りからは人に合わせろと責められストレスもたまる。もしかしたらそのストレスも睡眠リズム障害の一因なのかもしれない。

睡眠の科学は非常に深く、現段階の睡眠に対する研究は表面的なものだ。今回のマウスの実験でも体内時計という言葉を使って説明しているが、そもそも体内時計というもの自体が現段階では怪しい存在だ。

簡単に推測できることだが、睡眠は脳の機能に大きく関わっていると思われる。しかし脳の研究が本格的に行われ始めたのは1990年代からだ。日本の理化学研究所の脳科学研究センターもそれくらいの時期にできたのではないか。

脳は生命科学に最後に残された広大なフロンティアだ。脳の科学についてまだわからないことは膨大にあると思われる。もしかしたら1%もわかっていないかもしれず、また最も根本的な機能のかけらも認識されていない可能性もある。

21世紀の生命科学である脳科学の進展を日本の研究者がたくましく開拓していく姿を見ていきたいものである。

米CIAがサイバー攻撃被害か

機密情報を扱うCIA(アメリカ中央情報局)がサイバー攻撃を受け、機密重要情報が多数漏れたようだ。このサイバー攻撃は中国のハッカーによるものと思われ、サイバー空間がテロ攻撃の並び主要な戦場となっていることを改めて認識させられた。

30年前までアメリカなどの西側諸国とソ連(現ロシア)を中心とする東側諸国との間で冷戦という火花の散らない戦争があったが、今新たに米国側と中国・ロシア側との間での火花の散らない新しい戦争、サイバー戦争が活発化してくることが予想される。昔の冷戦は結果的には火花は散らなかったが、キューバ危機など火花が散りそうになったことは何度かあった。今回のサイバー戦争も同じである。サイバー空間自体は火花の散る現場ではないが、サイバー攻撃により軍事システムを乗っ取られれば一気に現実空間の、最悪核攻撃まで至る結果にもなりえない。

CIAのサイバー攻撃被害によって、アメリカは情報収集体制の大幅な見直しを迫られるだろう。しかも今回の情報漏えいは、情報収集員の命にまでかかわる深刻な問題だ。

今回のCIAのサイバー攻撃被害は結果的に情報漏えいを許し大きなニュースになったが、日本でも政府関連機関・防衛機関などを中心に常にサイバー攻撃にさらされている。これらのブラックハッカーの攻撃に対し、ホワイトハッカーによる防御により我々は守られているのだ。

普段は一見何も起きていないように思えるが、サイバー空間では日々一刻一刻ハッカーたちのせめぎ合いが起きており、見えないところでサイバー戦争は激しさを増しているのである。

日本はハッカーのイメージが悪くホワイトハッカーの養成が遅れていると言われているが、陸・海・空軍の通常戦力と同様にハッカーも軍事戦力とみなし、資金投入・人材養成に大幅に力を入れなければいけない。

卵子冷凍保存について

最近、卵子も老化することが徐々に認知されてきた。それにともなって未婚女性が若いうちにまだ老化していない卵子を将来のために冷凍保存しようという動きが活発になってきた。しかし最近、その卵子冷凍保存が問題になり考え直されている。

卵子の冷凍保存は女性に対して金銭的・肉体的・精神的負担が大きい。それに対して実際に冷凍保存卵子から 妊娠に至ったケースは非常に少なく、女性の大きな負担に対して結果が釣り合わないことがわかってきたのだ。最近は卵子採取は40歳まで、冷凍保管は45歳までにしているところが多いみたいだが、成功率の低さに医療機関も疑問を持ち始め、新規の卵子冷凍保存を取りやめにするところも出てきた。この問題は女性の大きな期待に対して卵子冷凍保存をする医療機関が応えられないもどかしさもあるのであろう。

現在まで科学技術の進歩は医療技術に対して非常に大きな進歩をもたらしてきた。卵子の冷凍保存もその一つであろうが、このように卵子を物のように扱うことは倫理的に必ずしも適当ではない。しかし将来子供を産みたいと思っている女性にとっては希望の技術だ。この先この技術は進歩するのか、女性の社会進出が活発になった今、その進展はさらに注目を浴びてくるだろう。

ハイチでのPKO隊員性交渉取引の問題について

ハイチでPKO隊員が物品の譲渡の身代わりとして性交渉を求めていることが問題になっているらしい。現地の女性の間ではそれが当たり前になっているみたいだ。

なぜそのようなことが蔓延するのか。それはもちろん現地での深刻な貧困である。現地の人間は食糧・薬などの入手にさえ困っている人が多い。それがPKO隊員との性交渉によってノートパソコンがもらえたりするのだ。現地女性にすればそれが裕福になる唯一の手段である。

性交渉をすれば裕福な生活ができるとなれば、そのような取引に応ずるのも理解できる。一番の問題は、現地の貧困脱出の手段が性交渉しかないということだ。もちろん自分の立場を利用して性交渉を求めるPKO隊員には問題がある。しかしこの問題を解消するためには性交渉以外で裕福になる手段を作ることしかない。そしてさらに問題は、現地PKO隊員の上から目線の支援である。「支援をしてやっている、だから見返りを求めるのは当然だ」という意識である。

なぜハイチの人たちは貧困なのか。もちろん災害など具体的な理由はあるが、たまたまそこに生まれてきただけなのである。人間的な理由はない。われわれ日本人が世界的にみて裕福なのもそうである。もちろん先代たちの努力は言うまでもないが、たまたま日本という裕福な国に生まれたからこそ、0歳の人生スタート時から整った人生を送れるのである。

ハイチでも貧困解消が性交渉によって解決するなどということはあってはならず、貧困解消のためのあらゆる手段と道しるべを付けてあげなければならない。

労働者派遣法の是非について

労働者派遣法が改正された。派遣社員の期限を3年とし、3年ごとに契約しなおすとする案だ。予想されたことだが、派遣社員を中心に一般世論の反対が根強い。

もちろんこの法案には根強い問題もあるが、その一方日本の労働スタイルに対しても考える余地があるのではないかと思う。

なぜ労働者派遣が問題になるのか?それは首を切られること以上に再就職先を容易に見つけることができないことにあると僕は思う。この二つのことは同じ問題の二つの側面だと考える。現在、社員(特に正社員)の首を切ることは容易でない。そのことが新しい社員を採用することを躊躇させる。一言で言えば社会の新陳代謝がうまく機能していないのである。

世論にしても報道にしてもだいたい労働者側の意見しか代弁していないように思える。このことが自分たちの首を絞めている可能性もある。労働者を容易に解雇できることによって、新しい戦力を容易に採用することができる。

今の労働環境の状態は、特にベンチャー企業に厳しいのではないかと思う。ベンチャーに余分に人材登用に費用をかける余裕はない。そして容易に解雇できないため人材を採用することができないのである。

現在の保守的な労働市場に新しい血を入れて、新陳代謝を盛んにもたらすことも必要ではないか、そのような議論もあっていいと僕は思う。

防衛省での「背広組優位」撤廃法案可決

防衛省内での制服組に対する背広組の優位性を廃止する法案が国会で可決した。防衛相には「制服組」と「背広組」がおり、制服組とは主に防衛大学を卒業し自衛隊幹部として昇格してきた人を言う。それに対して制服組は、国家公務員第一種試験を突破して入省したいわゆる「キャリア官僚」のことである。

防衛相では背広組は制服組より上に位置し、制服組の方が大きな権力を握っている。このことにより防衛相内では制服組と背広組が対峙し合うこともあり、背広組の優位性の問題は懸案事項であった。

この背広組の優位性の一番の問題は、現場を知っている制服組よりビルの中で仕事をしている背広組の方が権力を持っていることである。制服組が現場に即した提案を行っても背広組に消されることがあるだろう。

今回、背広組と制服組の地位が同等になったことにより、現場に関する作戦遂行は制服組、自衛隊の非軍事面での補佐・防衛政策に関する仕事は背広組というように、うまくそれぞれの担当に専念できるだろう。もちろんそんなにきれいに仕事が分かれていくわけではなく、両者の連携をうまく取り合っていくこと大事である。それらのことは、制服組でも背広組でもない政治家である防衛大臣の手腕の見せ所である。

今回の背広組優位性の廃止法案の可決により、防衛政策及び自衛戦略の円滑な遂行が進むことを願う。

新幹線のブランド戦略

今、日本の新幹線が世界へ羽ばたこうとしている。しかしライバルは少なくない。日本の次に老舗のフランスTGV、ドイツのICE、そして日本の技術を基に作られた中国新幹線。コストや速さだけを単純に考えると、日本より他国の方がアドバンテージがある。しかし日本の新幹線の一番の強みは「ブランド」だ。ブランドは五年十年ではできない。新幹線のブランドは速さは言うまでもないが、大きな事故が起きていないこと、そして正確なダイヤなどのシステム面では他を圧倒している。そして地震国日本での地震対策は、地震が起きる国への輸出に大きな力になるであろう。

ところで僕も知らなかったのだが、日本の新幹線の一両の定員は80名である。それに対してフランスTGVは40名、ドイツのICEは50名だそうだ。これには理由があって、線路の幅が新幹線の方が足幅一個半ほど広いらしい。これが定員の拡大、そして安定した走行へ貢献しているみたいだ。

今、高速鉄道の輸出先で一番注目を浴びているのがアメリカだ。アメリカと言っても広いが、カリフォルニアのサンフランシスコからロサンゼルスまでの距離は東京大阪間の距離とほぼ同じだ。したがって東海道新幹線がモデルケースとしてシミュレーションしやすい。そしてもう一つ、カリフォルニアは大地震が起きる可能性が高いところでもある。こうなればもうJR東海あたりが猛烈にプッシュすることは予想されることであろう。

世界で初めて高速鉄道の開発に成功した日本、この実績は限りなく大きい。このブランドを前面に出してアピールしなければいけないが、日本はロビー活動に弱いことは広く認知されている。ロビー活動は政治家・財界人の力の見せ所である。もう良い物を作れば勝手に売れるという時代ではない。日本のロビー活動は三流であった。最近安倍首相のトップセールスなどでようやく二流になれたのかもしれない。良い品物を作らなければいけないのは言うまでもないが、その良さを相手に十分に伝え、交渉できる人材を養成し、もっと輩出しなければいけない。

MRJがようやく動き出した!

三菱航空機の飛行機、三菱リージョナルジェット(MRJ)がようやく動き出した。とは言ってもまだ試験の初段階。三菱航空機のある名古屋空港の滑走路で自らのエンジンを使って滑走路を動くというものだ。その速度は時速10キロ。まだまだ様子見と言ったところだろう。最終的には離陸直前の時速200キロまで上げるそうだ。しかしそれでもまだ空は飛ばない。地上での動作試験から初飛行試験への移り変わり時が一番のポイントになるだろう。

ホンダのビジネスジェットは一足先に大空を飛び回っているが、早くMRJが空を飛行する姿を見たいものだ。成功すれば念願の国産旅客ジェット機の誕生である。

飛行機産業は新規参入障壁が非常に高く、一度参入に成功すると市場をある程度独占できると言われている。今回のホンダと三菱は、市場としてはホンダが7人乗りのビジネスジェット、三菱が約100人乗りの旅客機と綺麗に棲み分けができている。これから先、この二社が世界の空を席巻するする日が来るのを楽しみにしたい。

やっと動作試験にたどり着いた、これからのMRJの一般飛行までの道のりには注目していきたい。

中国の国内体制の変革

中国で船舶転覆事故が発生して一週間。中国の情報統制などやはり事故の情報をコントロールしようとする姿勢は今でも健在だが、しかし以前の完全な情報統制、そして情報の偽装を当たり前のようにする方針からは一つだけ変わったかなと思うことがある。それは事故の死者数だ。乗員乗客456人中432に人の死亡者が出たと発表された。この数字からみて偽装された数字である可能性は極めて低い。中国当局にとってこの数字はかなり悩ましい数字だ。この大惨事に対する不満の爆発が当局に向けられることを当局は一番恐れている。

もちろん遺族不在の処理など不満の爆発する要素はないわけではないが、数年前の中国新幹線の衝突事故の時と比べれば何か変わったかなという感がある。中国新幹線事故の時は死者数はおろか、事故車両を地中に埋めてもみ消すというとんだ行為に出たが、今回はその時に比べれが情報のスピードが速く、事故船体の扱いも無茶なことはやっていない。

習近平体制になって指導部関係で一番力を入れているのが汚職体質の変革である。以前の中国共産党と言えば権力者は何でもあり、汚職など日常茶飯事だったはずだ。それを変革しようとする習主席は非常に評価できる。

一方、南シナ海での埋め立て・軍事要塞化などの軍拡主義には非難すべき点はまだまだあるが、中国国内問題に対する方向性に関してはまともな国になりつつあると感じられる。

パソコンからの情報漏えい

最近何かと情報漏えいが問題になる。以前のベネッセから最近の年金情報漏えいまで、頻繁に情報漏えい問題のニュースが流れている。企業の情報漏えいは企業の存続にもかかわる問題で、ベネッセも経営に非常に大きな打撃を受けた。年金情報漏えい問題に至ってはわれわれ国民の誰が被害を受けているかも明らかではなく、不気味で国の信用問題にも関わってくる。

この様なこともあり、国の、そして国民・企業の情報に対する意識は高まっているが、ひとつ情報ダダ漏れで社会で問題になっていないものがある。電話帳だ。電話帳は数百万件、あるいはそれ以上の情報の塊であり、情報漏えい問題がここまで問題になる割には電話帳が全然問題にならないのが僕は不思議でならない。

実際、振り込め詐欺などの詐欺事件で標的を探す場合にはほとんど電話帳が使われているそうだ。最近は携帯電話やスマホも非常に普及しており、このような悪用を考えると、もう電話帳の役割は終えたのではないかと思う。電話帳はご丁寧に全国各家庭に配布される。全く個人情報のまき散らしとしか言いようがない。

そして最近問題になっているのがパソコンからの情報漏えいだ。パソコン上の情報やファイルはクリック一つで消去できると思っている人が多いらしい。しかしそれは全く違う。デスクトップ上で消去してもハードディスクドライブ(HDD)内には情報は全て残っていると言ってもいい。最近は数千円出せば情報を全て復元できる機械が手に入るそうだ。パソコンを初期化しても以前の情報は残っているらしい。企業では業者に情報消去を依頼するところも多いが、その業者の情報管理意識が低ければ危険極まりない。

情報を完全に消去する方法が一つある。HDDを物理的に壊すということだ。つまりHDDを半分に折ってぶっ壊してしまう。これが一番原始的で一番確実な消去方法なのである。しかしHDDは非常に頑丈で簡単には壊せない。そこで最近はHDDを壊す専用の機械が20万円くらいで売っているらしい。個人で買うには高いが、企業が使う分には十分価値はあるだろう。

情報機器という最先端テクノロジーが最後に行く末が物理的に壊すことだというのは、仮想の世界から現実の世界に戻されたような気がして、現在のIT万能社会から目を覚ましてくれるような気がする。

尊厳死問題について

欧州人権裁判所が、7年間植物状態で意識が戻らない男性の生命維持装置を外すことを認めた。本題に入る前に、欧州人権裁判所なるものが存在することに少し驚いた。さすが人権問題で世界をリードする欧州ならではである。

尊厳死を認めるかどうかの判断にはあらゆるファクターが入り込んでくる。医学的判断、科学的判断、人権判断、宗教的判断から親族の感情まであらゆる要素が入り込んできて、すべてを納得させることができる結論は皆無に等しい。しかしどこかで結論を出さなければいけない。

稀少な例であるが、数年後に意識が戻ったという例も聞いたことがある。さらに意思表示はできなくても本人には意識がある可能性もある。しかし医学的・科学的に言えば脳死状態の場合は意識が戻る可能性はゼロであって、生命的死亡と判断せざる負えない。

尊厳死に関する問題は負の側面だけではなく正の側面も多々ある。脳死移植に関する問題がそれだ。脳死によって一人の死が確定するわけだが、脳死者からの移植によって助かるいくつかの命がある。親族にはもちろんつらいが、その一方生を手に入れられる喜びをかみしめることができる人がいるのである。このように植物状態の本人とその親族だけではなく、社会全体に与える影響も複眼的に考えなければいけない。

死の定義は時代により、また地域により変わり続けている。今の時代に合った「死」の定義は何か。常に最新の医学と知見、世論を考慮しながら判断しなければいけない問題である。

選挙権年齢引き下げ議論について

いま選挙権を20歳から18歳に引き下げようとする語論が行われている。この選挙権を2歳引き下げることによって新たに240万人の有権者が生まれることになる。

初めに僕の意見だが、僕自身は選挙権引き下げに大賛成である。現状として多くの政治家は若者よりも老人の顔色をうかがい、老人優遇の政策を打ち出し続けている。ニュースでも社会システムの問題について、若者に関するニュースより老人問題に関するニュースの方が圧倒的に多い。老人優遇の一方で若者は犠牲になっている。

政治の老人重視、若者軽視の理由は非常に単純で、単に老人の方が人口・投票率ともに高い(多い)ためだ。しかしこの2歳の選挙権引き下げによる240万の票の影響は非常に大きい。政治家も無視できないはずだ。そして若者重視の政治家も必ず増えるはずだ。しかしそのためにはこれらの若者が投票所に足を運び、若者の投票率を引き上げることが絶対的に必要だ。そうでないとこの効果は半減する。

また、選挙権引き下げにより、小・中・高校生の選挙に対する意識も高くなるはずだ。特に高校生は3年生が選挙権を持つことになる。これら青少年の選挙意識の向上が投票率の向上にもつながる。

政治家が若者優遇の政策を打ち出すことは、現在日本の一番の大問題である少子高齢化の対策にも大きく影響するはずだ。現在の少子高齢化の流れは小手先の政策操作では変わらない。政治家、そして日本国民の意識から変えていくことが必要だ。2歳の選挙権引き下げがそのきっかけとなりえると僕は考えている。政治家にはぜひとも前向きに考えてもらいたいものである。

就職活動のフィルター問題

今に始まったことではないが、就活生採用のフィルターがしばしば問題になる。もちろん一番大きなものは学歴フィルターだが、それ以外にも性別フィルター、出身地フィルターなどがあるらしい。

性別や出身地などはもちろん本人にはどうにもならないことなので、それをフィルターにするのは問題があるが、会社・業種などによっては特定の性別を欲している場合もあるので一概にこれを非難するのはどうかと思う。しかし合理性のないフィルターは確かに問題だ。

一番問題になる学歴フィルターだが、学歴に関しては努力で何とかなるものだと学歴フィルターに肯定的な意見がある。これには一理あるが、本来は学歴ではなく学生の才能・人間性を見て判断すべきである。とは言ってもエントリーシートや面接だけでこのようなことを判断するのは難しい、というより不可能に近い。最近はエントリーシート・面接についての訓練をするようなコンサルタントみたいな存在が大きく取り上げられ、就活生も表面重視で全力をつぎ込んでくる。

ならばあとは学歴で判断するしかない。学歴が絶対だとは言わないが、学歴が本人の才能を表している可能性は非常に高く、レベルの高い学校に入ろうという努力の方が、エントリーシート・面接で頑張ろうという努力よりも圧倒的に価値があるのは誰もが認めるところであろう。

とにもかくにも、フィルターがどうのこうの、面接がどうのこうのという前に、学校での勉強・研究に力を入れて打ち込んでほしいものである。それができない者にフィルターが問題だとかいう資格はない。

軍事技術の産業応用

今日もNHKでやっていた番組をヒントにお題を作らしていただいた。番組とは、戦後の日本の産業成長の足跡に関するものである。

周知の事実であるが、軍事技術は最先端の工業技術が使われている。現在広く使われている技術ももとをただせば軍事技術から派生したものが多い。軍事技術は未来の産業技術の宝庫なのである。

戦後、日本は軽工業でいくか、重工業でいくか、選択を迫られた。そこで日本、具体的には通商産業省が軽工業ではなく重工業、そしてその関連工業を重点化指定をした。その理由の一つになったのは、戦時中に養成された軍事関連の技術を開発する高度な技術者の存在だ。そのような技術者が戦後あふれていたそうだ。そのような軍事技術者を戦後産業技術者として活躍してもらおうと考えたのだ。

戦時中、当時の東京帝国大学(今の東大)に第二工学部というものが存在したそうだ。軍事技術を専門に研究する機関である。実は戦後日本の産業界で活躍したトップにこの第二工学部出身の技術者が多くいるらしい。例えば大企業の社長などに第二工学部出身の人が多い。

今の日本にもかなり大きな軍事産業が存在する。例を挙げれば三菱重工などが戦闘機、誘導ミサイルなどの技術で世界最先端を行く。日本の産業技術が高いレベルを維持できているのもこのような軍事産業が存在しているからかもしれない。

軍事産業は上手く民間産業に応用すればこれほど強い力はない。軍事機密との兼ね合いが難しいところだが、この軍事技術民間産業化に積極的に取り組み、民間技術の大幅向上に期待するところである。

SE(システムエンジニア)たちの仕事について

今日の主題はSE(システムエンジニア)。なぜいきなりこんなお題を立てたかというと、ここ数日僕はパソコンと格闘している。TeX(テフ)で数式文章を書いたり、ホームページビルダーで仕事のホームページを立ち上げたり。SEてこんなことをしているのかとちょっと思ったりしたが、実はSEの仕事は一言では表されないくらい多彩だ。SE一人ひとり仕事内容は全く違う。

営業寄りのSEから、プログラミング言語開発などの研究者ともいえるSEまで様々である。僕がパソコンでやってることなどはプログラミング研究からはほど遠い内容で、はっきり言って独創性のかけらもないような作業だ。人が作ったフォーマットを使って作るという感じだが、あまりにも頭を使わない作業の割には、息詰まるとウンウンうなりながら一向に進む気配がない。数理物理の勉強・研究が非常に恋しくなる。それどころか普段仕事で扱っている大学入試問題でさえ独創的に思えてきてしまう。

僕の名古屋の大学院時代の友人に、プログラミングを研究している人がいた。関数型プログラミング言語という、僕にはよくわからないことをやっていたが、彼などはSEというよりほとんど研究者だ。そのような彼を僕は尊敬している。

一方、ほとんどのSEの作業はかなりの単純作業ではないかと思う。最近はSEの人が足りていないので、文系の学部からSEになる人も多いみたいだ。プログラミングとは何かを知らずSEをやっている人たちもいる。

僕がパソコンを使っていて個人的に思うことだが、パソコンで作業をするのは頭に、具体的には知的に良くないように感じる。もちろん前出の彼のようにプログラミングを研究しているような高度に知的なSEはまた全然別なのだが。コンピューターが賢くなっていくのに反比例して、それを使う人間はバカになっていくように思う。もちろんスマホも然りだ。やはりパソコンやスマホから離れる時間は絶対に必要だと思う。コンピューターから離れて自然と戯れる。あるいは僕だったらウィンドウショッピングがひと時の楽しみだ。

コンピューター全盛期の今、コンピューターに依存しない生活というものがより価値があり、重要になってきているのではないかと思う。

戦後経済70年

昨日(31日)の夜、NHKで戦後70年の経済の歩みを特集していた。特にバブル時代の経済状態に重点が置かれていたのだが、承知の通り数年前のアメリカのリーマンショックの時と類似性が見られる。数年前の不況の象徴が証券銀行リーマンブラザーズであることは言うまでもないが、日本のバブル崩壊の象徴が山一證券であることもみんなの知るところだ。

とにかく両者に共通する点を一言で表すならば、金融市場が実体経済からかけ離れすぎていたということであろう。そして右肩上がりが永久に続くのではないかという幻想。

もちろんアメリカにしても日本にしても、バブル状態の時にバブルがはじけるなどということは誰も考えない。多少予測できたのは一部の日銀幹部くらいではないだろうか。

いまバブルの予感がするのが中国だ。確かに現在の中国経済は実態もかなり成長しているとは思う。しかしその一方で投資や都市開発において実態以上の取引がされているのも事実である。中国のウォール街と謳われて開発された超高層ビルの立ち並ぶ通称金融街は事実上の廃墟である。

そして現在の日本も例外ではないと思う。過去のバブルはバカだったと言いつつも、現在の金融好景気がまた永遠に続くと思っている節がある。いま日本は投資ブームである。NISAなど、手軽に投資を始められる環境が整っている。個人的な感じだが、「投資をする人は賢い、投資をしない人はバカだ」という風潮があるように感じられる。しかし投資を一切しないというのも一つの選択でもある。

浮かれて投資をマネーゲームみたいな感覚で(マネーゲームも立派な投資だと思うが)ブームに乗るように手を付けるのはいかがなものかと思う。そもそも投資は経済に対する支援なのである。そのような視点が全く欠けているのは非常に大きな問題である。