月別アーカイブ: 3月 2015

報道ステーションでの事故について

最近、報道ステーションでのハプニングが話題になっている。解説者の古賀氏が報道の趣旨とは完全に離れている個人的な主張を行ったことだ。ここで問題点を整理してみよう。

まず古賀氏を擁護すべき点は、

・発言の自由に関すること。

報道において、発言内容を圧力などによって制約を受けることはあってはならない。古賀氏の発言内容はともかく、個人の意見を主張する自由がある。

問題点は、

・まず公共の電波によって秩序を乱す行いをされたこと。

確かに報道の自由があり、制約を受けないとは言っても、もっとほかの手段があったであろう。古賀氏の主張は公共電波の報道ステーションではなくても、他のメディアでもできたはずだ。そのメディアとして古賀氏が報道ステーションを選んだというならば、それ以上言い詰めることはないが。

・手段内容が卑劣であること。

古賀氏の番組内での主張の手段が卑劣である。事前の会話の内容を録音していると、脅しともいえる発言によって古館氏に迫っている。録音することを否定する訳ではないが、それを脅しともいえる使い方をしていることは卑劣としか言いようがない。

もっとも、自由主義国家の報道として、このような事態は必然的に発生するのかもしれない。しかし個人の主張の在り方として、その主張の自由と適切な発言方法を深く考えなければいけない。

中国が東アジア経済共同体を提唱

最近になって中国の攻勢が激しい。アジアインフラ投資銀行(AIIB)に続き、今度は東アジア経済共同体を提唱してきた。ASEAN・日本・韓国と中国が連携をとり、東アジア経済圏を強化するというものだ。おそらくヨーロッパ共同体(EU)を念頭に置いたものと思われる。この様なことは本当に可能なのだろうか?

韓国は喜んで推進するだろう。しかし日本及び東南アジアと中国の間では軍事面を含む根深い障害が残る。今回の中国の提唱に日本という国名を明白に出したのは、戦後70年を迎える日本の談話発表などに対してのけん制の意味合いもあるものと思われる。

しかし歴史にはしばしば断層が生まれる。現在の東アジアの経済圏、特に中国は連続的に大きな成長を見せている。確かにこの成長が連続的な推移を見せれば中国の覇権は近い。しかし断層は予兆もなく生まれる。その時に中国についていることによって、大きな制約になることも考えられる。

中国は今の韓国を拡大の足場にしようとしている。韓国も喜んで中国の足場になり、それらの中国の動きに乗ろうとしている。

はたして中国の提唱を信用することができるのか。50年後ならわからない。しかし少なくとも現在の中国に対しては全てを疑ってかからないと日本が潰れてしまうかもしれない。

選挙権のない袴田巌さん

僕のブログでは何度か袴田巌さんについて述べてきた。殺人事件冤罪で元死刑囚の方だ。今では袴田さんの無実は疑うことのない事実だと信じられているが、最近その袴田さんが今でも選挙権がないままであることが明らかになった。

現在の法律では禁固刑以上の刑に処されている人は選挙権が剥奪されることになっているが、なぜ無実が明らかになった袴田さんの選挙権が戻されないのか。それは袴田さんに対して裁判所が出した判決は再審の決定であり、無罪を言い渡した訳ではないからである。少なくとも法的にには袴田さんはそういう位置に立たされている。

袴田さんの一連の出来事は日本のシステムの縮図と言ってもいいのではないかと思う。誘導自白についてもそうだし、今回の選挙権の問題もそうだ。

法は本来人々を守るために存在している。しかし今回の袴田さんの件もそうだが、法を守って人を守らないという事態に陥っているのである。本末転倒ではないか。法に関わっている人は、「システムを見て人を見ず」という状態に陥ってないだろうか。

袴田さんの数十年の拘禁による犠牲によって、日本国民が気付いたことは数多くある。取り調べ全面可視化などへの動きも、袴田さんがきっかけになって大きなうねりになりつつある。われわれの良い社会への一歩は、袴田さんのような犠牲のもとに成り立っていることを忘れてはいけない。

アジアインフラ投資銀行をめぐって

昨日のブログで、韓国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)参加について書いた。今、中国はAIIBの創設メンバーを募っているのである。恥ずかしながら、今日あることを知った。イギリスをはじめとするヨーロッパ数か国も参加を表明しているのだ。アジア地域の覇権をめぐる動きと見ていたので、ヨーロッパの事情まで目が届かなかった。

イギリスの参加についてはアメリカが強烈に非難しているみたいだ。しかしイギリスは経済的・金融的な理由で参加を決めたらしい。金融はイギリスにとって中心的存在でもあるので、損得勘定で考えると参加するというのは当然の結果のようだ。

しかし、イギリスのケースと韓国のケースを同一目線では語れない。イギリスにとって中国とは地政学的にあまりかかわりがないのに対して、韓国は地理的に隣国的存在なのである。中国との関係には防衛上の影響も考慮に入れざる負えない。

日本は現在慎重に考慮しているみたいだ。しかしおそらく参加はしないだろうと思う。その理由は、アメリカとの関係、防衛上の関係、経済上の関係を総合的に考えてリスクが高いからだ(あくまで僕の個人的見解だが)。

今回のAIIBに関して一番焦っているのはアメリカだ。中国の影響力の拡大は、必然的にアメリカの影響力の後退を意味する。したたかな中国に対してアメリカは躍起になっている。

AIIBは経済の問題だが、長い目で見ると中国の経済力の影響力の拡大、そしてそれは軍事的影響力の拡大へとつながっていくことは容易に予想できる。しかし地理的に離れているヨーロッパ諸国には今一つピンと来ないのだろう。

この様な状況の中で日本はある意味特殊な位置に立たされている。もしかしたらこれから日本がどのように中国と関わっていくかによって、中国をめぐる世界の動きが左右されるのかもしれない。

アジアインフラ投資銀行参加、韓国の行方

韓国が、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を決定した。最近は韓国が(AIIB)に参加するのか、アメリカの防衛システムを採用するのか、注目が集まっていた。単純に言うと中国側につくのか、アメリカ側につくのか、という話である。

韓国は二股外交政策をとってきた。経済・政治では中国よりをとりながら、防衛・安全保障面ではアメリカよりをとるというものだ。韓国はこの中間的位置をとることに、アメリカと中国のいいとこ取りをしようと考えていたのだ。

しかし最近になって様相が変わってきた。韓国がアメリカと中国の間で板挟み状態になってきたのである。中国がより韓国に近づいてくる。それにアメリカがしびれを切らしてきたのだ。

今回のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関してだが、中国はこれまで発展途上国に対して投資と見せかけて、投資先から資源などを詐取するだけし尽して引き上げていくということを繰り返し、世界から不審の目で見られている。しかし今の中国は経済規模は世界二位となり、韓国にとっても中国と親密に付き合うことはおいしい話だと思っているのである。

韓国が中国寄りに動くにはもう一つある。反日運動である。韓国にとって中国は敵の敵で味方なのである。反日で共闘するにあたってこれとない同士なのである。

今韓国がアメリカと距離をとって一番喜ぶのは中国だ。韓国にとって経済面のことを考えて中国に近寄っているのだろうが、中国にとっては防衛面において非常においしい話なのである。何しろ軍事前線が朝鮮南北38度線から韓国までの日本海まで拡充されるのであるからこれほどおいしい話はない。

アメリカも最近になってこれらの韓国の動きに対して危機感を持ち始め、アメリカ側としても韓国と距離を置き始めているように感じる。それに対して日米関係は相対的に強固になっていくのは自然な流れであろう。

第二次大戦後、国際的な対立関係は米ソであった。しかし現在はロシアは経済的にも軍事的にも影が薄くなり、米中が対立関係の中心になりつつある。しかし一線を越えずに何とかとどまっているのは、中国にとって現在の巨大な経済力を失いたくないからかもしれない。

今韓国から東・南シナ海にわたっては中米の対立最前線になっている。そこで中国が軍事面においても韓国を取り込めるかどうかは大きな影響を与える。現在慰安婦問題などで日韓は対立を深めつつあるが、防衛面でも対立すれば東アジアの対立戦線の最前線は必然的に日本になる。

これらの韓国の一連の行動は対立の拡大になるのか、韓国の自滅か。朴の好き嫌い外交には呆れてしまうが、韓国が次期大統領政権になったときこれらの動きが継承されるのか、それが大きく行方を左右するだろう。

沖縄基地問題について

最近、また沖縄基地問題が議論されている。普天間基地から辺野古への移設問題である。沖縄は戦後、日本の防衛政策の犠牲を強いられてきた。沖縄県民には日本国民として本当に申し訳ない気持ちだ。

なぜここまで沖縄ばかりが防衛の犠牲になるのか?それはもちろん歴史的な理由が挙げられる。第二次大戦の沖縄戦を経て日本が敗戦し、沖縄は日本に返還されるまでアメリカの占領下にあった。そこでアメリカは沖縄に基地を作り、アメリカ軍の西太平洋の要にした。

しかし現在では、もっと重要な理由がある。地政学的理由だ。現在中国と軍事的対峙をするにあたって沖縄は地理的にその最前線なのである。それが基地が沖縄になければならな一番の理由だ。中国との有事が起きれば、真っ先に攻められるのは沖縄であることは明白だ。それを防ぐためにもアメリカ軍は沖縄を重要視する。沖縄の基地は中国に対して抑止力になっているのである。

もちろん沖縄でなくてもいいものに対しては、本州が負担を受けなければならないだろう。本州の人間は、沖縄に負担をなすりつけたい訳ではないのである。

しかし今の普天間基地の立地環境は異常である。街の真ん中に基地が存在するのである。確かに辺野古へ移設すれば、ある程度の自然環境破壊は起こるだろう。しかし先ほども述べたように地政学的にそうならざる負えないのである。

民主党政権下で「最低でも県外」と鳩山が到底無理なことを言ってしまったがために、話はこじれてしまった。全くこの鳩山の発言は人気取りとしか思えない。防衛戦略上の構想など全く踏まえてないのである。

沖縄に基地を作るのはやむ負えない。しかしそれ以外のところに住んでいる者は、基地問題以外のことだけでも負担する覚悟でいなければならないのではないかと思う。

税金は嫌、でも厚い福祉を望む日本人

税金をできるだけ払いたくないと思っているのは、日本だけでなく世界共通かもしれない。そしてできるだけ手厚い福祉を受けたいというのも同じかもしれない。でもこれはあまりにも都合の良すぎる考えではないか。

今の日本は北欧には遠く及ばずとも、世界の中ではかなり手厚い福祉がある方だ。お隣の韓国などは福祉などあってないようなもので、自殺者が続出である。手厚い福祉など、欲を言い続ければきりがない。少し話は違うが、新卒で就職活動している学生が、「貴社の福利厚生はしっかりしていますか?」と面接で質問する人もいるらしいが、人間は福利厚生によって生きているのではない。もちろん福祉が必要ないと言うつもりはないのだが。

ところで福祉は言うまでもなく税金によってまかなわれている。もしそれだけの手厚い福祉を望むのなら、それだけの税金を払うのが筋だ。北欧の福祉が理想だと言われるが、北欧の消費税は25%だ。しかし北欧の人の多くは納得して税金を払っているらしい。

税金を払うのは嫌だが、福祉は手厚く受けたい、というのはそもそも矛盾しているのである。北欧のように高税率、高福祉というのはそれはそれで素晴らしいが、日本は中税率、中福祉というところではないか。どちらがいいというわけではないが、日本のようなやりかたも一つのやり方として悪くはないと思うのだが。どうだろうか。

アメリカにおける「司法取引」

アメリカの司法制度の一つに「司法取引」というものがある。司法取引と言っても内容は様々で、一番典型的なものは、「お金を出す代わりに刑を軽くする」というものだろう。

それ以外にも「他の事件の証言をする代わりに減刑する」などというものがある。しかしこのことによってウソの証言がなされ、冤罪の原因になることもあるみたいだ。

巨大先進国アメリカでこのようなことがまかり通っていることには、本当に驚くばかりである。アメリカのルールは世界のスタンダードとみなされることが多く、模範例となることがあるので、このような司法取引のような歪んだ制度は見直してほしいものである。

しかし見直される可能性はかなり低いだろう。アメリカの一番の悪しき例は銃社会だ。これも多くの市民が良くないと思っているのだろうが、改善はほとんど進まない。原因は全米ライフル協会によるロビー活動、政治家に対する圧力と言われているが、アメリカ国民も銃がないと身を守れないと洗脳されているようにも思える。もちろん銃が身を守る例より、銃によって犯罪を犯してしまう例の方が圧倒的に多いのだが。

しかし司法取引も銃問題も全く改善されないとは思わない。何しろ南北戦争により奴隷を解放してしまったようなお国柄である。一度火がつけばどのようなことが起こるかわからない。

アメリカの素行は世界が注目している。だからこそこのようなおかしな慣例は今すぐにでも見直してほしいものである。

インドのカンニング事件

インドの高校での集団カンニング事件が話題になっている。それによってなんと600人が退学処分になったそうだ。カンニングは保護者も関わっており、この大規模カンニング事件の様子が写真で撮られているが、良いとか悪いとかを超えてもう圧巻としか言いようがない。そもそもこの生徒たちは学校を勉強を学ぶ場とはかけらも思っていないのだろう。

僕が大学院生時代、ティーチングアシスタントという、先生の授業を補佐するバイトをしており、試験監督なども任されていた。

医学部生の数学の定期試験の試験監督をしていた時、先生は席を外しており、監督現場から離れて先生の所に行ったのだが、そのとき先生は顔を真っ青にして試験現場に駆け付けた。その理由はカンニングされたらどうする、というものであったが、医学部生は圧倒的にカンニングする確率が高いのだそうだ。しかも医学部生は集団でカンニングするというのが常識らしい。医学部生も皆が皆そういう人ではなかろうが、彼らにとって一番の目標は医師免許を取得することであり、そのためには手段を選ばないということかもしれない。

昔、中国では科挙という役人への登竜門の試験があった。もう数百年以上前、千年以上前かもしれないが、そんな大昔にもカンニングは存在しており、世界最古のカンニングペーパーというものもあるらしい。

カンニングはもちろん推奨されるものではないが、このインドのカンニング事件の壮大さには圧倒され、ある意味新興国のエネルギーの巨大さを見たように思える。

「聖戦」という名の虐殺

戦争を起こすにあたって「聖戦」という言葉を掲げる国、および過激派組織がある。この聖戦という名の下の虐殺は今に始まったものではない。宗教が存在する時代のどこかに聖戦が勃発する。

現在で言えばイスラム国(ISIL)がそうであろうか。

聖戦という言葉を掲げることによって、殺りくを美化するということはあってはならない。美化されるような殺りくなんて存在しない。

聖戦の一番怖いところは、殺りくを美化することによって精神的な歯止めが利かなくなることである。聖戦は無制限な殺りくを助長する。人を殺すことに達成感さえ与えてしまうのである。

聖戦といえば最近はイスラム過激派組織の専売特許みたいになっているが、歴史を紐解くと決してイスラムだけでなく、キリストも、あるいは他の宗教もやっていたことである。

そういえば、3月20日はオウム真理教の地下鉄サリン20年目であった。このオウムのテロも聖戦的な要素を帯びている。人を殺すことによって救済されるという、一般市民には理解しがたい教義がまかり通り、オウム周辺では日常的に殺人行為が行われていたのである。

宗教組織は社会の中で独立した色彩を帯びており、公権力の介入は極力控えられている。しかしその独立された影の中で危険な色彩を帯びていく宗教団体はいつの時代にも存在する。

聖戦、それは人類平和の完全なる敵である。聖戦で救われるものは何一つない。非人道的な集団がある限り、必要最低限の戦争は必要悪かもしれない。しかし聖戦だけは決して許してはいけない。

 

地下鉄サリンから20年

ちょうど20年前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起こった。2か月前の1月17日に阪神大震災が起こり、まだ震災の余韻が残っている頃だった。サリン事件は二件起こった。地下鉄と、もう一つは長野の松本市で起きた松本サリン事件だ。

松本サリンが起きたとき、現場周辺に住んでおられる河野さんという方が逮捕された。後に冤罪とわかるのだが、しばらく拘留されていたように思う。県警が河野さんの取り調べをしている頃、警察の中枢部ではオウム真理教に目をつけていたようだ。ではなぜ松本サリンが起きたときにすぐにオウムを捜索できなかったのか。

その理由はオウムに対して100%の疑いを持つまでいたっていなかったこともあるのだが、一番の理由は犯罪組織であるオウムが宗教団体であったことにある。宗教団体への公権力の介入はタブー視されており、オウムを疑ってはいても介入に及び腰になっていたのである。

しかしそれが最悪の結果を招いた。地下鉄サリン事件に対して世界中に衝撃が走った。何が衝撃的だったのか。それは地下鉄サリン事件は世界で初めての化学テロだったからである。しかもそれが世界で最も治安が良いと言われている日本の首都で起こったことにある。後にも先にも化学テロは世界でこの地下鉄サリンだけである。

いま、過激派組織イスラム国(ISIL)が世界的な問題になっている。ISILは今では疑似国家の様相をなしている。しかしオウム真理教もかなり本格的な疑似国家の様相をなしていた。教団内に各省庁が存在し、それぞれ大臣が君臨していた。地下鉄サリン後、警察の捜査が入ったときには確か軍用ヘリコプターまでが見つかったように覚えている。

なぜオウムがそこまで巨大犯罪組織として成長するまで野放しにされていたのだろうか。もちろん一番は先ほど述べたように、宗教団体の装いをしていたオウムに警察も及び腰になっていたことであろう。オウム程には到底及ばないが、今でも宗教団体の問題行動に対して警察はなかなか手を出せないでいるように思える。

宗教とは本来人々の道しるべとなり、人々の歩く道を照らす役割を持っている。すなわち宗教団体はわき役でなければならない。しかしオウムに関してはオウムがど真ん中に鎮座していたのである。現在でもいくつかの宗教団体が政治に介入しようと、いやすでに介入している団体もあるが、国のありかたにかかわろうとしてる。人々の補佐的脇役である宗教が政治の中央に入ろうとしている現状に憂いを感じる。

今、日本の鉄道産業が熱い

14日、JRのダイヤ改正が行われ、北陸新幹線が金沢まで延長された。今までは長野が終点で北陸まで伸びてなかったこともあり、長野行新幹線と呼ばれることが多かった。晴れて北陸新幹線になったのだ。

ところでJRのような鉄道「運輸」産業も熱いが、いま日本の鉄道「製造」産業も活況を呈している。鉄道製造産業と言っても幅広く、車両の製造から路線の敷設、またシステムの構築まで入るかもしれない。

そしていま注目を浴びているのが、鉄道産業の海外輸出だ。以前は鉄道産業にかかわらず、大規模産業の輸出に日本は弱いと言われてきた。しかし現在は、企業連合の結成、首相自らのトップセールスなどにより、海外でも日本の存在感は増してきた。

鉄道に限っても、台湾新幹線受注に始まり、アメリカの都市交通、イギリスの高速鉄道など次々に日本企業が受注している。最近はアメリカの高速鉄道に関する大型案件の行方に注目が集まっているが、そこでも日本は有力視されている。

では日本の鉄道産業はどこが評価されているのか。機械的な技術はすぐに海外に流出し、いまでは日本にとってそんなにアドバンテージはない。コストパフォーマンスも他国には及ばない。しかし日本には圧倒的な信頼性、安全性、そして究極的な運行システムを持っている。特に日本の新幹線に採用されている運行システムは、海外とは次元が違い圧倒的正確さを誇る。そしていまその日本の運行システムに世界が注目している。

一昔前、日本の大型産業輸出と言えば原発がメインだった。しかし今、福島事故で原発産業は苦境に立たされている。そこで注目を浴びているのが鉄道なのだ。

日本の鉄道産業は今ブランド化しつつあると僕は感じている。ブランド化に成功すればブランド力というものはかなりの力になるはずだ。しかし油断してはいけない。ブランドというものは信頼性の上に成り立っている物で、一つの失敗によって一気に崩れ落ちることがある。

日本の産業のブランド化への一歩として、鉄道産業は今の勝負どころを乗り切ってほしいものである。

NHK籾井会長の人格を疑う

この人ほど人格を疑ってしまう公人も珍しい。NHKの籾井会長だ。

最近はゴルフに使ったハイヤーの交通費が問題になっている。ゴルフに行くのに使ったハイヤーの私費をHNKの経理に回させて公費として落としていたのである。そのことについて国会内でも問題になっている。

最近民主党内の会議でそのことを追及された籾井氏は「ハイヤーの料金のシステムなど、岡田代表でも知らないだろう」というような趣旨のことを言い、会議を取り仕切っている人物から叱責される場面があったようだ。もうNHK会長として適任かどうかというレベルを超えて、人格として適正かどうかというレベルである。自分が責められると、無関係の人物に「お前も同じことをするだろう」となすりつけるのである。もうあいた口がふさがらない。

これと同じようなことが会長就任時にもあった。日付欄を空欄にした辞表を理事全員に提出させていた件である。これはいつでも籾井氏が好きな時に理事の首を切れるようにしたものである。普通常識的に考えて、そのようなことは企業倫理上考えられない。しかしここでも籾井氏は「どの企業でもやっていることだ」とのさばったのである。

しかしいったい誰がこのような人物を会長に仕立て上げたのだろう。このような人物がトップまでも仕上がっていく日本の企業とはいったい何なのだろうか。

「籾井さん、今すぐNHK会長職を辞職してください。それが99%の国民の総意です。あなたには日本のため、社会のために働くということはできないと思われます。人間としても欠陥品です。今の職はあなたには相応しくありません。真剣に立派に生きている多くの日本人に迷惑がかかるだけです。」

籾井様へ      木原康明

ミシェル・オバマ米大統領夫人が来日

今日、ミシェル・オバマ米大統領夫人が来日する。いまこのブログを書いている時点ではまだ到着していないので、どのような装いで空港を降り立つのかなどと少し楽しみにしている。

ミシェル夫人の来日の主な目的は、女性教育について議論することだと言われているが、三日間も日本に滞在するからにはいろいろと動く回ることだろう。東日本大震災の慰霊もされるのかもしれない。

それから最も注目されるのが、安倍昭恵首相夫人とのファーストレディー会談だ。国家首脳夫人同士の会談などは、少なくとも僕は記憶にない。いろいろとされているのかもしれないが、あまり取り上げられなだけかもしれないが。

実は僕はこの夫人会談をすごく楽しみにしている。どんな表情でどんなことを話されるのか。国の行く末をも左右する女子会である。ミシェルは元弁護士、昭恵もかなり政治に口出しをし、安倍家の中では首相に対して家庭内野党だと言い放っているらしい。安倍首相は多少強引なところがあるので、家庭内野党の昭恵には首相のコントロールを頑張ってほしいものだ。

ところでアメリカの政府専用機には、エアフォースワンとエアフォースツーがある。エアフォースワンは大統領が乗り込むときにしか利用できないことになっており、大統領が同行しない時は長官などのアメリカの首脳級の人が利用するのはエアフォースツーだ。ミシェルはワンで来るのか、ツーで来るのか、少し気になるところである。

そして気になると言えば料理と宿泊である。以前オバマ大統領が来日した時は、晋三(安倍首相)とバラク(オバマ大統領)は銀座の「すきやばし次郎」で寿司を共にした。この店のコースは3万円からである。そしてオバマ大統領の宿泊施設として、ホテルオークラ東京を貸し切ったみたいだ。その時の宿泊予約サイトを見ると、ホテルオークラ東京は一切予約できなかった。厳重な警備のためであろう。

このように政治・経済などのメインのテーマに注目すべきではあるが、料理・ホテル・観光はどのようなことをされるのかということを気にするのもなかなか面白い。

神戸の街

最近の僕のブログは社会問題に関することが続き、かなり堅苦しくなってしまったので、今日は話題をガラッと変えて僕の生まれ育った神戸の街について書こうと思う。

神戸は山と海に囲まれたバラエティに富んだ環境が気持ちいい。特に市街地は山と海に挟まれるかのように東西に細長く伸びている。市街地の中心である三宮からも、南へ少し歩けば神戸の港があり、北へ少し歩けば北野の異人館街そして六甲山がある。

三宮の中でもセンター街は一番人通りが多く、休日などは人でごった返しているが、そこから少し西へ抜けると元町、そしてその南には旧居留地など落ち着いたところがあり、神戸の中でも一番お洒落なところだ。

百貨店は三宮駅前のそごうと元町の大丸があり、立地条件で言うとそごうの方が圧倒的にいいのだが、大丸の方が神戸のお洒落のシンボルとなっている。そして大丸の中の方角案内が面白い、北側・南側ではなく、「海側」「山側」と矢印の方向案内がある。海と山に挟まれた神戸ならではの発想だ。

あと神戸と切っても切り離せないのがパンだ。神戸は日本で一番パンの消費量が多いらしい。実際神戸を歩くといたるところにパン屋さんがあることがわかる。それがまたどこも美味しいのだ。おそらくパン屋さんが乱立しているため競争が激しく、美味しいパン屋だけが生き残ったのだろう。

そして神戸といって忘れてはならないのが阪神大震災だ。今ではその被害の面影はほとんどないが、神戸の中心ともいえる阪急電車の三ノ宮駅の駅舎は震災で崩れ、今でも半分仮駅舎のような感じで残っている。

震災は僕が大学受験生の時に起きた。センター試験の直後に地震があり、国立2次試験に向かう時には電車は部分的にしか走っておらず、地下鉄の駅からJRの駅まで焼野原の中を歩いて行ったのを覚えている。「私たちは無事です」という木でできた立札が地面に立てられていたのが今でも忘れられない。

東京にはあらゆるものが集まり何でもそろっているかもしれないが、神戸の適度な規模の雰囲気、旧居留地に代表される歴史あるお洒落は心地よく感じられ、神戸独特の良さではないかと思う。

 

自白による冤罪

テレビ番組「真相報道・バンキシャ」で、中国の冤罪事件を特集していた。主に15年ほど前の事件が多かったが、中には死刑判決から二週間後に死刑執行され、15年以上経った最近になって冤罪が発覚した例もあった。

なぜこのようなことが最近になって発覚しているか。それは中国国家主席の習近平の宣言ともとれるこの発言に表れている。

「これからは法で治める国、法治国家に変える」

というものだ。

民主主義国家では当たり前のことだが、共産主義国家の中国では形としては法は存在するものの、法より権力が勝り、法は形骸化していたのである。

番組では自白による冤罪に焦点を当てていたが、自白による冤罪は日本も同じである。万国共通とまではいかなくても、多くの国で潜在的な問題になっているのではないかと思う。推定無罪は裁判の原則であるが、これも日本では形骸化している感がある。

冤罪で死刑執行をされれば取り返しがつかない。たとえ冤罪が発覚し牢屋から出獄しても、失った時間はお金だけでは解決できない。最近では袴田事件の袴田巌さんの事例で大きく注目を浴びたが、冤罪が発覚するのは氷山の一角だと判断するのが妥当だろう。おそらく日本でも冤罪で刑を受けた者は多いと思われるし、中には死刑執行された者もいるかもしれない。

最近このような自白冤罪を防止するために取り調べの全面可視化が叫ばれているが、これがなかなか進展しない。おそらく警察・検察側の抵抗にあっているものと思われる。警察・検察側にとって、国民の人権より自分達の都合の方が大事なのだろうか。

取り調べの全面可視化は、一刻も早く取り組まなければいけない緊急課題だ。

ネットでの犯人さらしについて

川崎市での上村君殺害事件に関連して、新たな被害者が出ている。ツイッターなどのネット上で、「犯人はこいつだ」みたいな文章と名前と写真が出回っているのだ。ツイッターではリツイートという機能によって瞬時に情報が拡散するので。写真なども瞬時に拡散した。

初めに写真・名前を載せた人物は、もしかしたら正義感によって投稿したのかもしれないし、面白半分かもしれない。そしてリツイートした人たちのほとんどは何も考えずにボタンを押しただけかもしれない。

しかし、このような行為は立派な犯罪だ。例え正義感によって行ったとしても、少年法で定められていることを反故にするような行為は許されない。あろうことか、写真と名前を載せた雑誌まで出てきた。犯人を裁くのは裁判官・及び裁判員に選ばれた一般国民だ。それ以外の市民に犯人を裁く権利はない。

そして最も恐れていた事態が起こった。事件とは全然かかわりのない少女が犯人と関係があると名指しされ、写真まで載せられ拡散しているのだ。彼女のもとには「死ね」とか「殺す」のようなメールが大量に届いているのである。そのようなメールを送ることは紛れもなく脅迫であり、立派な犯罪だ。恐れていた二次犯罪である。

国民の半数近くは、少年の名前や写真を公開することに肯定的な姿勢を示しているようだ。それはわかる。しかし公開するなら公開の仕方を厳密に定めなければならない。今回のように私人がツイッターなどで拡散することを許すと、上の少女のような二次被害が出てきてしまう。しかもこちらの方は、情報を載せた人間は犯罪者意識など全くなく、むしろ正義感にかられているくらいかもしれない。この問題の根は深い。

警察は脅迫状が届いているわけではないので捜査できないと言っている。しかしこれは紙ではなく電子媒体を使っているという違いだけで、脅迫であることには変わりはない。全く無能な警察である。

この様な二次犯罪を防ぐためにも、許されていない情報をむやみに流す私人に対しては厳密に取り締まらなければいけない。

日本人らしくない日本人

僕のことだ。日本人なんだけど、日本にいると何か息苦しい気がする。とは言っても海外にいたことはないので、海外にいても息苦しく感じるのかもしれないが。

でも日本という国は大好きだ。日本は綺麗だし、誠実さでも一番かもしれない。海も山もあり、街も田舎もある。ではどこが息苦しいのか。

大学に入学して、混声合唱団に入団した。歌が大好きで、音楽が大好きだったからだ。しかし合唱というものが僕の性に合わなかった。当たり前のことだが、合唱は集団で歌う。基本集団行動だし、周りに合わせなければいけない。僕にはその集団に合わせるということが苦痛なのだ。自然、合唱団の内部では僕は不良団員の烙印を押される。

練習が始まっても図書館で物理や数学の勉強を続け、わざと遅れて練習に参加する。始まりからきちっと練習に出るのが悔しかったのだ。歌うのは好きだ。しかし僕にとって合唱より物理・数学の方が何百倍も大切だったから、物理・数学の方が大事だということを合唱に遅れるという行為をもって表現したかったのかもしれない。

物理や数学、特に理論系は自分一人でもできるので、自分でペースが作れる。個人プレーというスタイルが僕にすごく合っていたのかもしれない。もちろん物理・数学そのものが大好きということが一番であるが。死ぬまで物理・数学にかかわっていたいと思っている。物理の研究でお金を稼ぐということはできてないので、そういう意味ではアマチュアかもしれないが、プロ意識を持って取り組んでいる。そしてのちには研究で稼いで正真正銘のプロになってやろうと思っている。

全体の空気を読んで集団に合わせるというのは日本の美徳だが、空気を読んでもそれに反抗してしまう僕は日本的ではないと思う。でも日本という国は大好きなのだ。

鳩山由紀夫がおかしい

鳩山由紀夫が壊れている。いや、菅直人も壊れていた。壊れているのは民主党元総理か。

別に僕は民主党に悪気は全くない。しかし普通に考えて、あの民主党政権はおかしかったという人が大半だろう。いったいあの三年間の民主党政権とはなんだったのだろうか。総括しようにも総括するに値することがない。もちろん東日本大震災、福島原発事故に対する民主党政府の対応は厳密に総括しなければいけないが。

鳩山由紀夫に話を戻す。彼は「元日本国首相」というカードを首からぶら下げて世界各地に出没している。何かしているのではなく、やらかしている。

ここ最近もウクライナのクリミア半島に出没した。政府は必至で押しとどまるように説得したようだが、彼は行ってしまった。そして日本国の基本方針とは正反対のことをクリミアでしゃべくりまわっている。それが一国民ならまだわかる。元首相・・・

彼は旅券を没収するならクリミアに移住すると言っていたらしい。しかし今の彼を見ている日本人からすると、「どうぞ移住してください」とでも言ってやりたい気分だ。

弟の自民党鳩山邦夫氏は、「兄は宇宙人のようだと言われていたが、本当に宇宙人になってしまった。」と言っているらしい。今、NASAで火星に人を送る計画が進んでいる。由紀夫を火星に送るというのはどうだろうか。由紀夫にはクリミアより火星あたりに移住する方が似合っているかもしれない。

震災・福島原発事故から4年、原発は麻薬か

3月11日、東日本大震災からちょうど4年を迎えた。様々なテレビ番組及びメディアで震災、そして福島第二原発事故の特集をしていた。その中の一つ、テレビ朝日の報道ステーションでは原発問題、特に廃棄物処分場の問題を大きく取り上げていた。

思い返せば、僕が子供の頃は原子力は夢のエネルギーと言われていた。僕が見ていた子供向けの鉄道の本では、今では考えられないようなことだが、原子力鉄道なるものが載っていたことを覚えている。先頭車両に小型原子炉があって、その力で走るというものだ。このように当時は原子力の未来は輝かしいものに見えたのである。

福島事故後、日本人、いや世界に人が我に返ったのかもしれない。とんでもない物を作ってしまったと。しかし福島事故後の現在も原発推進派は根強く残る。事故が起きても今の日本のエネルギー国策関係者はNOとは言えないのである。

なぜか?

報道ステーションの特集を観て思ったのが、「原発は麻薬みたいなものだ」ということだ。原発が「現時点のみ」に与える恩恵は非常に大きい。現時点でのコストは他の燃料より安くつくし、燃料を再処理して再び使えるようになるというシステムは資源小国の日本にとって何より魅力的に見えるのだろう。

しかしよく知られているように、原発からは放射性の使用済み核燃料が生じる。しかし原発を作るときに使用済み核燃料をどう処分するかという観点が全く抜け落ちていたのである。使用済み核燃料の処分の問題は今ではいろいろと議論されているが、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、研究すれば研究するほど、ますます困難な問題だということが明らかになり、ますます解決が遠のいてしまっているのである。

ところでフィンランドでは、原発を建設するときには使用済み核燃料処分場をあらかじめ確保しないことになっているみたいだ。原発と処分場は常にセットなのである。しかし日本は原発を作るだけ作って処分場のことは全くノータッチだったのである。ゴミは出続けるけどゴミ箱がない状態だ。

もちろん誰でも自分の敷地がゴミ箱になるなんて嫌がるに決まっている。そうなれば考えることは一つ、「金で解決する」ということであろう。実際、原発や核燃料処理場を建設する際には自治体に多額のお金が投下される。お金に困っている自治体にとっては、核は嫌だけど背に腹は代えられないと受け入れるしかないのである。

夢のエネルギーは今では悪魔に成り変わっている。安くつくと思ったコストも、後々の処分のことまで考えると金銭的にも安全リスク的にもとてつもなく高いコストがかかってしまう。

しかしやめられない今の日本。この原発麻薬中毒から抜け出せる日は来るのだろうか。この原発先進国であり核燃料処理後進国の日本のとる行動に、全日本国民の行く末がかかっている。

 

文官統制廃止の議論について

最近、防衛省の文官統制廃止が政府内で議論されているようだ。

防衛相内には背広組と制服組と言われる人に分かれている。背広組とはいわゆる防衛官僚、つまり国家公務員第一種試験を経て入ってきたキャリア官僚だ。文官とはこの防衛官僚を指す。一方、制服組とは自衛官のことだ。

防衛省内では文官統制という仕組みが働いていて、制服組より背広組の方が地位が上にあるということになっている。なぜこのような仕組みになっているのかというと、戦前の軍部の暴走による無謀な戦争を反省して、軍人ではない文官が自衛官を抑制しようという仕組みにするためだ。しかし現在、その文官統制を廃止しようとしている。

そこで文官統制と似たような言葉で、文民統制という言葉を説明しなければいけない。これは文字のごとく国民が軍(自衛隊)を統制しようとするものだが、現実には国民の代表である政治家が軍をコントロールすることを示す。すなわち文民統制の仕組みの一つとして文官統制があるのだ。わかりやすく一言で言うと、文民統制は国の体制の仕組みであり、文官統制は防衛相の内部の仕組みである。

この文官統制廃止には、賛否両論がある。反対の声の理由は軍(自衛隊)が暴走するのではないかということ。しかしこれも極論であって、文官統制が廃止されても文民統制が機能しなくなるわけではない。ただし何重にもある統制機能のうちの一つがなくなるわけではあるが。

賛成の声の理由は、現場を指揮している自衛官の方が現場の状況に精通しており、より的確な指示が出せる。そして指令のスピードが速くなるというものである。

今まで制服組は背広組に苦汁をなめさせられてきた。文官統制廃止によって背広組と制服組の地位が対等になることは制服組にとっては念願であり、背広組にとっては痛いものであろう。

今回の文官統制廃止によって現場の状況が上(防衛相)により正確に伝わるという利点は即座に理解できるが、これをきっかけに制服組の過度な権力拡張になっていはいけない。

戦前、軍部大臣現役武官制というものがあった。陸海軍の大臣は軍部が認めた者に限るというものだ。これによって軍部が認めないと内閣が組めないことになり、軍部の権力が急拡大した。それが太平洋戦争への突入の原因の一つになった。そのようなことを繰り返すことのないように、文民統制はしっかりとしていかなければならないし、国民もそのような監視の目を持たなければならない。

ドイツ・メルケル首相の来日の意図

3月9日、ドイツのメルケル首相が来日した。なかなか強気の政策をする女性首相で、昔のイギリス女性・サッチャー首相を思わせる。

ドイツといえばまず思うのが、強い経済であろう。日本とドイツは共に第二次大戦敗戦国でありながら、今では共に世界有数の経済大国。今回の首相来日にも多くのドイツ経済界有力者が同伴していることからも、ドイツの経済に対する力の入れようがわかる。

ドイツは第二次大戦敗戦後、ナチスの反省のもとに反省外交も行ってきた。そこで今回の来日で発言された一つの言葉に気が止まった。

「隣国であるフランスが非常に寛容だった。」

と言われた。やはり地域として見ればやはりヨーロッパは思想が洗練されているのだろう。日本には日本の良き思想がある。しかしこれからは日本は国内だけではなく東アジア全体の底上げを支え、現実的な思想を洗練していかなければならないのではないかと思う。

そしてメルケル首相は東アジア、特に中国に関する政情に関しても言及された。ドイツと中国は強い経済的な結びつきがあり、ドイツにとって中国は主要な貿易相手であり、メルケル首相も今までに数度中国を訪問している。しかしその中国に対して、東シナ海、南シナ海における中国(国名は名指ししなかったが)の強権的な行動に難を示した。そのうえで、日本とドイツは国際法を厳守して行動することを強調された。

それから印象に残ったのが、ドイツの脱原発政策だ。メルケル首相は脱原発を決定したきっかけは福島の事故だと言われた。世界で最も先進的な技術を保持する日本であのような原発事故が起こったことが非常に衝撃的だったらしい。

もちろんドイツでは地震などほとんど起きない。地震や津波によるリスクは日本に比べて限りなく少ない。しかし東日本の出来事は、いつ何時不可抗力的な災いが起きるかわからないということを示し、他人事ではないと感じ脱原発を決定したらしい。ちなみに2022年までドイツ国内の全原発を停止することになっているそうだ。

ところで原発のリスクは地震津波だけではない。他国からの攻撃によるリスクは非常に大きいが、このことは日本国内ではあまり議論されることがない。実際紛争が起こると、攻撃の対象としてまず原発を狙うのが普通だろう。

もちろん原発の方も対策はしてある。原子炉はある程度の攻撃には耐えられるように設計されているし、僕が「高速増殖炉もんじゅ」に見学に行ったときには装甲車が駐留していた。指令室も特別な人しか出入りが許されない仕組みになっている。しかし本気で攻撃されたら、どんなに対策をしていても原発を壊滅させることはそんなに難しいことではない。すなわち日本は国内各地に爆弾を抱えているようなものなのである。

ところで病気で倒れた第一次安倍内閣の時のスローガンは「美しい日本」だった。確かに日本は国も文化も人間の所作もかなり美しいと思う。しかしドイツの現実的で、取るべきところは非常に厳格に処置をとる、そして徹底的に国民を守るという姿勢は日本も見習わなければいけない。

もちろん安倍首相は、最近の過去の首相に比べてかなり強固に物事を推し進めているように見える。しかしその原点が「国民を守る」というところにあるということを見失ってはいけない。

北欧がランキング上位になることについて

福祉関係や過ごしやすさなどのランキングで決まって上位を独占するのが、ノルウェーなどの北欧の国だ。確かに北欧の福祉政策は至れり尽くせりだし、特に高齢者には非常に住みやすい制度になっている。しかし多くのランキングで決まって北欧が上位を独占することに何か違和感を感じないだろうか。

そもそもランキングの計算の仕方自体が北欧に有利な取り方になっていると疑うのが自然ではないか。確かに福祉は非常に充実している。しかしそれだけの福祉を実行するためにはもちろんそれだけのお金がかかるということだ。そのお金は若者などの労働者から搾取されることになる。

北欧の税金の高さは有名だ。所得税に消費税、たしか消費税は30%近くあるはずだ。それだけお金を取り上げているのなら、そのことに関しては労働者にとってはマイナス要素になるはずだ。しかしランキングを作るときにその部分は全く考慮されてないように思える。すなわち出口だけ見て入口を全く見てないのだ。

北欧の仕組みが悪いと言うつもりは毛頭ない。注文をつけたいのは北欧の国の政策に対してではなくて、ランキング製作者に対してだ。一側面だけ見て評価するのはフェアじゃない。どこかでプラスになれば他のところでマイナスになるのが自然な仕組みだ。北欧の素晴らしい点だけ見て北欧を称賛するのではなく、北欧のマイナス面はどこにあるのかということも一度検証する必要があるのではないかと思う。

ブランド作りが下手な日本

日本はいろいろな物作りで高品質な一級品を作っている。品質に対しての世界からの評価も一級だ。しかしそれをブランドに昇華させるのが下手といわれている。品物は一級。しかしブランド力は二級三級なのである。

しかし最近は日本国内でもブランド作りの重要性が認識されだして、ようやくブランド作りに力を入れだしてきたように思う。

今までは海外からブランドのライセンスを借りて、日本国内で作るという手法が多かった。特にファッションではその傾向が顕著だった。

最近ではバーバリーブランドの行方が話題になっている。今までは日本の三陽商会がバーバリーのブランド使用ライセンスを借りて、国内で作られた物をバーバリーブランドで売っていた。バーバリーブランドのメインとなるトレンチコートは10万円前後。しかし本家本元のイギリスバーバリー社のトレンチコートは20万円以上する。もともとバーバリーとはラグジュアリーブランドなのである。しかし日本国内では三陽商会の戦略で一般ブランドという位置づけで売り出し成功してきた。

しかしバーバリーブランドが日本国内で広く認知されると、本家のイギリスバーバリー社は三陽商会へのライセンス貸与をやめ、自らラグジュアリーブランドとして日本国内に乗り込んできた。

三陽商会はバーバリー戦略で大成功を収めたとはいえ、自社でブランドを作り上げることを全く怠ってきた。そこで次に出た戦略はマッキントッシュロンドンのブランドの借り上げである。以前と同じ手法を繰り返してきたのである。

良い物を作れば必ず売れる。日本人は今までそう信じてきた。しかしその日本は世界でも一、二を争うほどのブランド消費大国となり、海外のブランド製品が世界のどの国よりも売れている。

それはファッションだけではない。車などもイタリア、ドイツ、イギリスのものが同等性能の日本車より上にみられ、プレミアがついている。最近になってようやくトヨタのレクサスブランドがプレミアブランドと認知されだしてきた。

多くのブランドにはブランド料なるものが上乗せされ、それを嫌う人も多い。しかしブランドとは信用なのである。ブランド料はその製品に対する信用の対価なのである。したがっていくら良い物を作ってもブランドは一日一年ではできない。ブランドを作るには時間をかけて信用を積み重ねるしかないのである。

もちろん意識的にブランド構築に取り組まないと「日本は良い物を作るけど・・」としかならないのである。

日本製品は底力はある。品質も一級品だ。ブランドを作り出す素地は出来上がっているのである。日本製品をグローバルに売り出すには、後はブランド戦略だけである。

いま日本のブランド戦略は序章である。このブランド戦略が成功すれば日本の産業はよりゆるぎないものになる。そして日本なら必ずその戦略を成功してくれると思う。

在韓アメリカ大使襲撃、朴の命運

昨日のブログで在韓アメリカ大使傷害事件のことに触れたが、一日経って韓国の世論が変なことになっている。アメリカ大使を襲撃した理由が、親北朝鮮思想であると様々な所で主張されているのである。犯人が親北朝鮮を叫んでいることはわかった。ではなぜその攻撃の矛先がアメリカ大使だったのか。

もちろんアメリカは北朝鮮を敵にしているので、言っていることもわからない訳ではない。しかしアメリカ本国で韓国批判ともとれる発言が発せられて数日後のアメリカ大使襲撃である。このことからこの事件の一番の理由はアメリカに対する反抗であることは言うまでもない。しかし韓国市民、韓国政府はその事実をいっこうに認めようとはしない。なぜならそれを認めてしまうと、責任の矛先は韓国市民および朴をはじめとする韓国政府に向けられるからだ。

これから数日数週間は、朴をはじめ韓国政府の動向が気になる。朴の動向次第で朴の支持率および韓国に対するアメリカの信頼が急直下する可能性があるからだ。

朴は突発的事故に対する対応に弱い。その弱さが最も明白に表れたのはセウォル号沈没事件であろう。沈没事件に対する朴のずさんな対応により朴の支持率はメキメキ下がり始めた。もちろん支持率が下降した理由は沈没事件だけではなく、経済政策の失策なども関係しているだろう。

今回の傷害事件の対応次第で、評価を上げることもできるし下降することにもなりうる。今のところ、今回の朴の対応はかなり動きが鈍いように思える。もちろん裏でいろいろと動いているのかもしれない。しかし今回の事件をきっかけに評価を下げてしまうような、そんな予感を与える。

在韓アメリカ大使傷害事件

在韓アメリカ大使が韓国で襲われた。犯人の男は米韓合同軍事演習反対を叫んでいたのだが、ここ三日ほどのアメリカの動きに伏線があったものと思われる。

数日前、アメリカは従軍慰安婦問題に対し、「過去の出来事を責めてナショナリズムお煽り称賛を浴びるのは簡単であり、そんな軽々しい賛同を得るべきではない」という趣旨の発言を発した。そのような発言は国家のとる行動としては当たり前のことだが、韓国はこの発言を、アメリカは日本の肩を持つものだととらえたようだ。それが逆恨みとなり、今回の大使傷害事件に結び付いた。

朴は大使に対して犯人を厳正に処罰すると電話したそうだが、そもそも朴のしていることが支離滅裂だ。朴の低俗迎合的な反日政治が今回の事件につながったとは少しも思っていないように見える。

そもそも慰安婦問題のどこが問題か。確かに慰安婦事件が戦時中にあったならばそれは問題だ。しかしまずは慰安婦問題が実際にあったかどうかの厳正な調査が必要だろう。しかし韓国の言い分は朝日新聞に載った記事をもとにしており、それ以上の根拠は何も示されていない。その朝日新聞の記事もずさんな捏造だったことが今では明らかになっている。つまり、慰安婦問題がどれだけ問題かという以前に、そのような事実はなかったのではないかと言われている。

この問題は捏造とはいえ、今では非常にデリケートな問題になっている。日本では捏造が認知されていても、アメリカなど海外で捏造だと主張すれば、日本の歴史を知らない外国人は歴史の修正、人権侵害だと訴える。今の現状は一日本人がどうにかできるレベルを超えてしまっている。

これからの日本の名誉回復は、安倍首相をはじめとする日本政府の身の振り方にかかっている。幸い安倍首相はそのようなことに対しての発言・行動は非常に慎重かつ冷静であり、何とか前進しそうだという希望を持たせてくれる。

安倍首相のすることを無批判に受け入れるつもりはないが、現在日本国の首相である人物に対して、一日本人としてバックアップしていくことが必要なのではないかと思う。自民党だからというわけではない。もし与党が別の政党でも、日本国のために動いている限り、政党を支持しているしていないにかかわらず政府にはできる限り支持するつもりである。

現在は安倍首相は日本国のためにうまく動いていると僕は個人的には思っている。なので現在は安倍首相を8割くらいは支持している。

学問に対する意欲

150年前の江戸時代まで、学問を志す者は藩校、あるいは私塾に志願し学問に打ち込んでいた。しかし家の事情、または身分の問題で学問に打ち込みたくても打ち込めない人がたくさんいた。学問は贅沢な取り組みであったのかもしれない。

今はどうか。勉強が嫌いだからと言って学問を避けている人はかなり多い。そのような人にとって学問は苦痛なのであろう。今は学問に打ち込みたい青年がいれば、打ち込める環境はかなり整っている。しかしこのように学問を自ら避けている人が多い。

なぜ学問を苦痛に思う人が多いのか。理由の一つは義務教育にあるのではないかと思う。本来は学問は自らが志し、自ら志願して取り組むべきものだ。しかし現在は義務教育のもと、6歳になれば嫌でも学校に入れられ、学問を受けることが「義務」になっている。はたしてそれでいいのか。学問が義務になっていることが学問嫌いの大量生産のもとになってはいないだろうか。学問に取り組む「自由」は必要だ。しかしそれを義務にするのは違うように思う。

もちろん義務教育を行うことによって、国民の教育レベルは非常に高いものになっている。読み書き計算など、日常生活において必要なものはやはり義務教育で身に付けるべきであろう。大学全入時代というのも、考えようによっては学問を志す者は誰でも学問に取り組めるということでいいことかもしれない。しかしその全入の実態と言えば、学問嫌いが大卒という肩書をつけるためだけに入学し、4年間遊んで卒業するというものである。もちろん皆が皆そうではない。真剣に学問に取り組んでいる学生の方が多いかもしれない。大学は最高学府に見合うような存在であらなければならない。

意欲あふれる若者が一人でも多く学問を志し、自ら動いて学問に取り組んでくれることを望むばかりである。

負け戦はしない

負けるとわかっていて挑むのは暴挙だ。しかし、どうしても戦いたい時がある。その時は事前に準備をして、少しでも勝つ可能性が高くなるようにしなければならない。準備とは「努力」だ。努力は必ず成功することを保証するものではない。努力しても負ける時は負ける。努力は可能性を高めるものだ。

今年は勝ち戦にこだわろうと思う。

まず、

1)数理物理の研究・・・必ず結果を出す。納得のいく論文を書き上げる。(自信あります)

2)思想・哲学活動・・・とにかく考え抜きます。日本で一番考えているんじゃないかというくらい考えます。数理物理の研究にも結び付いています。(自信あります)

3)執筆活動・・・これは今年の目標の一つです。テーマは二つあるので二つ執筆したいのですが、まずサイエンス関係の本を執筆したいと思います。(自信があるというより、まずは取り組まないと始まりません)

4)お金を稼ぐ・・・やはりお金がないと継続性が出てきません。上に書いたことで稼げれば一番いいけど、今はまずそれ以外のことでプロジェクトを立ち上げることを考えています。(まあまあ自信があります)

3)お笑い・・・次回のR-1ぐらんぷり、出場しようか思案中です。負け戦はできないので、勝てる見込みがあると判断すればまた挑戦します。

今年もあと10か月、年末に笑っていられるように、日々努力努力!

指導死

今日、「指導死」と言う言葉を初めて知った。指導死とは複数の教員が一人の生徒を取り囲んでプレッシャーをかけたりして、生徒が追いつめられて自殺をすることである。

指導死はまだ一般にはほとんど認知されていない。今では広く認知されている体罰死に比べると、指導死は指一本触れるわけではなく、表沙汰になりにくいということもあるのかもしれない。

当たり前のことだが、人を死に追い詰める指導なんて指導でもなんでもない。いじめと同じ犯罪である。中には教師の誤解による冤罪も多々あるようだ。教師という立場の人間なら何をやっても許されるのか。

南朝鮮や中国では反日無罪というのが広く認知されているようだが、学校では教師無罪ともいうべきものがあるように思える。もちろん昔に比べればそのような状態も厳しくなっていているように思えるが。

学校は無法地帯。生徒に対してではなく教師に対してである。今でも指導死のようなことがあることに愕然とする。

学校には校則というものがあるが、それは生徒に対するものである。指導死などが起こる現状下では、教師に対する校則も必要ではないかと思ってしまう。

「生徒の指導のため」という言い分を隠れ蓑にして、自分の保身のことしか考えていない教師には、本当に憤りを感じる。

25年ほど前、神戸の兵庫県立神戸高塚高校で校門圧死事件という事件があった。登校している女子生徒を遅刻を取り締まる教師が校門で押しつぶし、圧死させたというものである。学校側は警察が来る前に、地面に流れ出た血をホースで流し証拠隠滅を図った。本当に凄惨な事件だが、その後学校側はとにかく事件を風化させて忘れさせようと必死になっていたように見える。もしかしたら今の高塚高校生の中にも事件を知らない人が多いのではないかと思う。この事件の顛末などは、保身に走る学校の身勝手な振る舞いが非常にはっきりと表れたものではないかと思う。

生徒が死ぬと、命を大切に事件を忘れてはいけないと連呼するが、学校側が犯した殺人についてはとにかく風化をさせようとする。

僕が子供の頃から学校嫌いである理由の一部は、そのようなところにある。教師のために生徒がいる、そのようなことを思っている教師にはすぐにでも学校の現場から立ち去ってもらいたいものである。

執筆に再度トライ

去年、原稿を執筆したのだが、なかなか出版までこぎつけられない。商業出版までこぎつけられるのは、1パーセントとどこからか聞いたことがある。自費出版ならだれでもできるが、商業出版となると至難の業なのだ。

去年はうまくいかなかったが、今年また再度トライしてみようと思う。去年書いた分野は考え方・思想系だが、今回はサイエンス関係の原稿を執筆してみようと思う。去年は思いついたことを書いて編集したので、全体の構成がもう一つだった。そこで今回はまず構成から始め、しっかりと骨格から作り上げていこうと思う。

数式を入れた文章を書くのにはTeX(テフ)というソフトが便利だ。数学の論文は今では全てTeXで書かれている。パワーポイントで作った図を張り付けるのだが、パワーポイントにTeXpointというソフトを取り込んで数式を組み込めるようにする。

執筆を始めるまでのパソコンの設定が結構大変で、それだけで滅入りそうになることもある。しかしそんなことは一度すれば同じ手法で繰り返しできるので、一度できてしまえば肩の荷がホッと下りる。

パソコンをいじくっていて思ったのだが、数学や物理でなかなかうまくいかない時、頭の中でいろいろと試行錯誤しているので、理解が深まったり別の考えが思いついたりして、表面上は進んでいなくてもいろいろと得られるものがある。しかしパソコン設定などで悩んでいるときは、いろいろ試行錯誤するのだが、自分の中で何も得るような感覚がない。うまくいかなければ理解もゼロという感覚なのである。

もちろんプログラミングの研究者など高度なパソコン技術に取り組んでいる人は、試行錯誤していろいろと得るものはあるのだとは思うのだが、所詮僕らは大衆ユーザーに毛が生えたくらいのものだ。使えたらそれでいい。もちろん理解が深まればそれに越したことはないが。

今年も2か月過ぎたが、これからも挑戦することがいろいろある。もうとにかく動きまくります。

スキージャンプと数学

先ほどスキージャンプの試合をテレビ中継していた。スキージャンプの飛距離を左右するのが風の抵抗だ。風邪は一刻一刻と変わっていくので、風邪を読むのは非常に難しい。

ところで、風などの流体は数学的には「ナビエ・ストークスの方程式」という方程式で記述される。偏微分方程式と言われるものの一つだ。しかしこの方程式は非常に複雑で、まだ数学的に厳密な解は求まっていない。何十年か何百年か知らないが、非常に長い間未解決問題をして残されている。偏微分方程式を研究している解析学者の多くは、ナビエ・ストークス方程式の解を導くことを夢見ている。

流体が問題になるものの一つに、飛行機の空気抵抗がある。現在このような流体による抵抗を計算するときには、シミュレーションするか近似的な解を求めることになる。しかしナビエ・ストークス方程式の厳密解が求まれば、飛行機の設計にも大きな影響を与えるとも言われている。スキーのジャンプの理想的な飛び方なども見つかるかもしれない。

ちなみにナビエ・ストークス方程式を解くと、クレイ数学研究所から約1億円が懸賞金として送られる。

そうそう、スキージャンプの話をしているのだった。団体戦、最後はレジェンド葛西選手が締めくくって日本は4位だった。葛西選手の飛型は非常に美しいので、見ていてすごく気持ちいいものである。