自動車評論に対する先入観?

僕は本屋さんでの立ち読みがほぼ毎日の日課になっている。ジャンルはファッションから時計・自動車・釣りなどのアウトドア関連の雑誌など様々だが、立ち読みではできるだけ、科学などの僕の専門分野の本は読まないようにしている。

その中で自動車に関する雑誌を立ち読みしていていつも気になるのだが、ほとんどの自動車評論家は、ドイツ車、特にメルセデスベンツ・BMW・アウディ(VWを含む)を絶賛していて、それに対して日本車は詰めが甘いと批判する人が多い。というより、もうそれが自動車評論のお決まりパターン化している。

僕自身、そんなドイツ車に乗っているわけでもなく、自動車評論をできる立場でもなんでもないが、そのような自動車評論家の評論の根底には、ドイツ車(ヨーロッパ車)がありき、それに対して日本車はどこまで近づけているか、という視点で評論されているようでならない。もちろんドイツ車が最終地点にセットアップされているならば、日本車は確実にその下に位置することになる。実際ドイツ車の方が良いのかもしれないが。

しかし、評論の視点は多面的でなければならない。質感以外にも燃費・安定性・故障の少なさなど、探せばいろいろな視点が見つかる。しかしほとんどの評論家は同じような視点で、同じようなコメントをマニアックな用語で述べている。そもそも皆同じことを言うならば、何人も自動車評論家はいらないと思うのだが。それとも御用評論家なのか?

この様な状態なので、最近は自動車雑誌を見ても、写真を眺めてうっとりすることはあっても、評論を読む気にはなれない。どうせいつも通りマニアックな言葉を使ってマンネリ化した評論に終始しているのだろうと。

これらの僕の見解は間違っているかもしれない。いや、自動車雑誌ファンからすれば「お前は何もわかっていない」と言われるのはわかっている。しかし自動車評論家の評論に”多面性”という視点が欠けていることは確実だと思う。

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