成し遂げるべき目標を定めること。

目標というものは、大まかに二種類ある。一つは具体的な物事に対してそれを達成する事。もう一つは目標とする順位を定める事。僕は前者の目標を取るべきだと強く思っている。それはなぜかと言うと、順位的な目標を定めることは、具象性に欠けるからだ。例えば何かで世界一位を目指すとする。ではそのために何を始めればよいか?そこで具体的な行動が見えていれば良いが、それならば前者に帰結する。世界一位を目指しても100位までは行けるかもしれない。しかしそこから50位を目指してもそこまでが意外と遠く感じるだろう。そこから25位までは更に遠い。このように順位だけを見て追いかけたところで目標の順位は更に遠く感じるだろう。

では世界一位になるためにはどうすれば良いか?具体的に成し遂げる事柄を定めるのである。それに取り組んでいる時は順位などはどうでもよい。とにかく目の前の事を成し遂げる事に全力を尽くすのである。それに取り組み前に進んで行けば順位などは後からついてくる。順位などは追いかけるものではなく、後からついてくるものなのである。

もし高く大きな目標を持っているのならば、我慢すべきことも多く出て来るだろう。分かりやすい例で言うと、お酒を断つとかだ。もし目の前にお酒があって、それを飲むか飲まないかが成否を決めるのならば、90%の人はお酒を我慢できるであろう。しかしお酒を飲む事と事の成否の因果関係がはっきりと見えているものではない。なので実際は90%の人がお酒を飲んでしまう。事を成し遂げるかどうかは、残りの10%に入れるかどうかだ。

成し遂げるべきことが見えているとは、ある意味幸せな事だ。しかしそれは同時に苦しいものでもある。しかしその苦しさの先には、輝く光が見えている。この光を頼りに前に進んで行くことがやりがいなのである。そして最終的に、そのやりがいを達成へと変えることが出来れば感無量である。しかしそれに浸るのもそこそこにして、また一つ目指すべきものを見つけて前に進む。その繰り返しが人間を高みに上げてくのだと思う。

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