実用指向すぎる思考の社会風潮。

最近、社会が実用指向に偏りすぎているような気がする。確かに不景気で節約し、無駄を省かなければいけないのは十分にわかる。しかし社会の懐も心理も余裕がほとんどないのはどうかと思う。

そのような風潮が最も表れているのは「科学」ではないか。多くの人にとって科学とは、計画を立て、計画通りに進めれば、想定の結果が出るものだと思っているのかもしれない。実用科学ではそれが最も理想的な姿かもしれない。

しかし、特に基礎科学では、想定外の結果から大きな成果が生まれることが多い。言わば「無駄から宝が生まれる」とでも言うべきか。研究を進めるうえでも、心理的にも金銭的にも余裕がないと、独創的な結果は生まれにくい。

しかし、社会はその「余裕」、言い換えれば「無駄」を許さない。その風潮は最近特に強くなってきているように思う。

科学に限らず、日常生活から休日の遊戯まで、ぎっしりと計画を立て、計画を進めることに全力を尽くしてはいないだろうか?

今の日本には、不景気が続いたとは言え、世界的に見ればお金はある。物もある。しかしどれだけ余裕があるだろうか?日本人は余裕の上手い使い方を知らない人が多いような気がする。余裕があってもただ何もしないでボーっとしているだけになるとか。余裕は生産的活動の準備に充てなければならない。そのためにはリラックスして余暇を過ごすという無駄も必要だ。

小学校から大学、そして社会まで、いわゆる「レール」の上を進み、レールにしがみつくという生き方は、それはそれで一つの生き方としてはありなのかもしれない。しかし脱線して、無駄を経験し、失敗を経験し、自分独自の生き方を模索するという生き方が、もう少し試みられてもいいのではないかと僕は思うのだが・・・

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