学歴は、全肯定するものでも、全否定するものでもない

昔から、学歴を評価すべきか、学歴に関わらず実力を評価すべきかと言う議論は絶えない。そこで問題になるのはいつも、学歴至上主義すなわち学歴を全肯定するのか、学歴を完全無視すなわち全否定するのかの二択になっていることだ。しかしこれらは両方とも適切でないと僕は思う。

言うまでもなく、学歴だけで人を評価するのは間違っている。学歴とはその人の評価の一部なのである。だから、その人物の一側面として学歴を評価するのが正しい。何々大学卒と言うことならば、その人物はその何々大学で学び、卒業要件を満たしたことを示し、卒業研究にも取り組んだことであろう。そのことはしっかり評価しなければならない。もちろんレベルの高い大学なら、レベルの高い要件をこなしてきたことであろう。

就職活動では、学歴フィルターと言うものが話題になる。これも良いか悪いかの二択ではなく、柔軟に利用していけば企業もより質の高い採用が可能になるであろう。

しかしそもそも、学歴を作ることを目的に大学に行くのは完全に間違っている。大学では様々な経験ができ、また自分がその気になれば勉強も研究も思う存分できる。しかし逆もありで、遊び呆けようと思えばいくらでもサボれる。大学を就職予備校のようにとらえている人が多いが、そのような考えで大学生活を送るのは精神的にも非常にもったいない。

周りの大学生・大学院生を見渡すと、研究に没頭している純粋な学生が社会で評価されていないのが非常に残念だ。よく社会ではコミュニケーション力が一番大事だと言う。それが大事なのは確かであろう。ではコミュニケーション力が一番大事とか言いながら、なぜ血眼になって大学に行くのだろうか?僕はコミュニケーション力も人間の一側面として評価すべきだと思う。もちろん職によってはそれが非常に大事なものもあるであろう。

まとめると、人間の評価と言うものは多角的に行わなければいけないと言うことである。一つの側面だけを見て、百かゼロかという判断をするのはほとんどの場合、的外れな結果をもたらす可能性を高くする。

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