人工知能は人間を超えるのか

科学の社会的危惧のうちの一つに「人工知能は人間を超えるのか」というものがある。人工知能は科学的問題であることは言うまでもないが、それ以上に社会的な問題として注目を浴びている。

人工知能の社会的側面としては、それまで人間がやっていたことを人工知能が取って代わるというものが二番目に大きな問題であろう。そうなれば社会の構造、労働の在り方が一変することは容易に想像できる。あるいはそれまで100人でやっていたことが一人でできるようになるということも考えられる。経営者のとっては非常にありがたいことではあるが、単純労働者にとっては死活問題である。

そして一番の問題は人工知能が人間を超えてしまうということである。もしそうなれば人間が人工知能に支配・コントロールされるということが起きる。まさしく映画ターミネーターの世界である。そして人工知能は自発的に自らの知能の向上を続けていくであろう。人間は家畜に成り下がるのであろうか。

この様なことから人工知能の倫理は非常に重要な問題である。人工知能が人間を超えることが明確になった時点で研究を続けるかどうか見直さなければいけないが、この手の研究は禁止しても必ず誰かが続けていくであろう。まさしくパンドラの箱を開けてしまうようなものだ。

これからの科学研究にはより一層倫理的観点が必要になるであろう。しかしその倫理とはこれまでのように、宗教的倫理だとか生命倫理などというような生易しいものではない。人類が絶滅するかどうかというようなことを視野に入れたものになる。科学というものは性質上後戻りできない。しかし一つだけ言えることは、一般市民も科学的教養を身に付け、科学的事柄に正しい判断を下せるような判断力を身につけなければいけないということであろう。もう自分は文系だからなどというような言い訳は通用しない。

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