鹿児島県、伊藤知事の「コサインを教えて何になる」発言

8月27日、鹿児島県の総合教育会議で伊藤祐一郎知事が女子教育に関して「高校でサイン・コサイン・タンジェントを教えて何になるのか」と発言したらしい。教育方針を決める場での発言とは思えない発言である。女性蔑視ととらえられるところは許されないが、数学に対しての認識として伊藤知事の思っていることがわからなくはない。

僕はガチガチの理系で数理物理の研究を今でもやっているが、思えば大学時代、嫌いな教科、特に語学をなぜやらないといけないかと疑問に思い、大学1年の若造の頃、フランス語の教授の研究室に押しかけて二人で討論したことがある。その後も語学の授業をいかにサボるかということを考えていた。

フランス語の教授とどんな内容の討論をしたか詳しくは覚えていないが、僕は数学や物理に没頭したいので関係ない授業は迷惑だというような俗なことから、学問についてのアカデミックなことまでいろいろ話したと思う。

大学の最初の二年間は「教養課程」と言うように大学では専門以外の教養も重視され、最高学府である大学(東大が最高学府と勘違いしている人がいるが、最高学府とは特定の大学のことではなく大学そのものをさす)に見合う教養を持った人間であることが要求される。

しかし教養は何も大学の専売特許ではなく、小学・中学・高校から始まっている。文系の人間に対して数学的教養を持つことは大きなアドバンテージとなり、その人の評価は一段上がる。それとともに教養を持つことは人生を豊かにするのである。

このような教養の重要性は大人になってわかってくるものだが、鹿児島の伊藤知事はこの教養というものに対して全く理解していないのだろう。この「コサインを教えて何になる」という発言は、この歳になって教養が身に付いていないということを物語っている。

学問を理系文系に分けるのはおかしなことかもしれないが、理系の人にとっての文系、文系の人にとっての理系の知識は人間としての深さを深めるためには欠かせないものであることを理解しなければいけない。

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