自白強要事件

2月4日、パソコン遠隔操作事件の裁判で、容疑者の片山被告に懲役8年の求刑が言い渡された。この事件は悪質で、見も知らずの第三者を犯罪者に仕立て上げるという卑劣なものであり、この判決は妥当なものと思われる。

しかしこの事件の一番の問題は別のところにある。警察、検察側の取り調べだ。この事件によって4人の市民が無実の罪で警察に捕まった。そこでそれぞれ取り調べをを受けたのだが、4人のうちなんと2人が自白したというのである。もちろんこの4人は何も犯していない。犯罪者でない人たちの半数の人たちが警察、検察によって犯罪者に仕立てられようとしたのである。これは片山被告の犯罪よりも比べ物にならないくらい大きく深刻な問題である。

一言で言えば、国家権力が何も犯していない市民を犯罪者に仕立て上げたのである。今回の出来事は、真犯人が捕まったからこそ虚偽の自白が明らかになったものの、もし真犯人が捕まっていなければこの無実の2人は刑務所に入れられていたかもしれない。

たった一つの事件だけで半数の2人の自白強制があったという事実は、他の事件で同様なことがかなりたくさんあると推測される。まさしく今回の件は氷山の一角だと思われる。

最近記憶に新しいのは、袴田事件で死刑判決を受けた袴田巌さんであろう。彼は無実の罪で数十年、人生の大半を刑務所の中で過ごし、いつ死刑が執行されるかわからない恐怖の中で暮らしていたことであろう。

1億人以上の人間が暮らしていれば、犯罪も多々起きるのは当たり前であり、中には残虐な事件も起こることであろう。しかしこれらの犯罪者は当然のことながら、警察の捜査に追い詰められ、捕まれば裁きを受ける。

しかし今回の自白強要を強いた警察、検事は何の裁きも受けない。自白強要は、警察、検察による事件である。もし自白強要によって無実の人間が死刑になれば、これはもう国家による殺人事件である。しかし今回の遠隔操作事件による自白強要が明らかになった後も、警察、検事の悪質不正な実態が何も明らかにならない。真犯人の片山被告のニュースばかりで、自白強要犯の警察、検察は何のおとがめなしである。

こんな事があっていいのか!自白強要は立派な犯罪である。

現在、取り調べの可視化が議論になっている。このように自白強要の事実の横行が発覚した以上、有無を言わさず可視化することは当然のことではないのか。これらの警察、検察の放漫さには憤りを感じる。

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