考える力、思想を創造する力

今日、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が始まった。幕末の動乱の時期に動き、世の中を変えた人たちを描いている。その中でも特に、知識人、つまり学び、考え、行動した人たちを中心に進行していくみたいな感じだ。

ところでいきなりだが、考えることによって「思想」が生まれる。思想はその人の頭の中の個性そのものである。ですから、人から聞き、本を読んで得た知識をそのまま自分の考えにするのは、本当の個性ではない。それは単なる「借り物の思想」でしかない。きっかけは人の話であり読書で得た知識であっても、そこから自分の頭で考え、そしゃくした考えこそ「真の思想、独自の個性」なのである。

では、なぜ思想を持とうとするのか、思想は何のためにあるのか。

もちろん、自分の思想を確立するだけでは、自分は満足でも普遍的な意味を持たない。思想を実行・行動の「指針」として、小さくは身の回りのこと、大きくは世の中を動かしていかなければならない。

思想を「創造」し、外の世界・世の中へ「アウトプット」しなければならない。そうすることによって、「自分」という存在が世の中の一角をせめるようになるのである。

それから大河ドラマでは、読書することの重要性が強調して描かれていた。もちろん読書することは、知性を創造し思想を形成していくうえで不可欠なものだ。

しかし、幕末と現代では少し事情が違う。幕末は書物一冊自体が貴重な存在であり、世の中にあらゆる書物が流通しているとは言い難い時代だ。それに比べて現在は、世の中にはあふれんばかりの本が流通しており、欲しい本があればどんな本でもすぐに手に入る。その気になれば無限ともいえる本を読むことができ、限りない知識を吸収できる。

幕末にたくさんの基本的書物を読破することは知識の吸収、世界観の形成に必須のものだったかもしれない。

しかし本があふれている現在、事情は少し違うのではないかと思う。ただ読書をするだけでは「インプット」だけで終わってしまう。知識を吸収して満足するだけでは意味がない。重要なのは「アウトプット」すなわち行動・表現である。読書するときにアウトプットを念頭に置いた読書をしなければ、知識の収集だけという事態に陥ってしまう。膨大な量の本が出回っているから、読む本も慎重に選ばなければいけない。最新の書物を読むのもいいが、昔から存在する基本的文献を身に付けることも大事だ。古典をバカにしてはいけない。

最後に、ドイツの哲学者ショウペンハウアーの言葉を付け加えて終わろうと思う。

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。」

 

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