結論ありきではなく、真理を追究する裁判を。女児焼死裁判再審無罪で。

8月10日、1995年に起きた小学6年女児焼死事件で無期懲役とされた母親ら二人の再審審理が行われ、無罪が言い渡され、検察は控訴を断念し、二人の無罪が確定した。

冤罪事件については、袴田事件の袴田巌さんの件など僕のブログでも数回取り上げたが、今回再び警察・検察の強引な自白誘導事例が明らかになった。検察側は完全に疑義が取り払われたわけでないと謝罪を拒んでいるようだが、このようなことから警察・検察の歪んだ体質が読み取れる。

確かに100%有罪を立件するのは簡単ではない。しかしそれ以上に一度立件された被告の無実を証明するのは難しい。というよりほぼ不可能に近い。検察側にすれば、一度立件すれば、必ず有罪判決を得なければならないという使命感があるようだ。しかし本当にそのようなことを国民は望んでいるのだろうか?国民・市民が本当に望んでいるのは、事件が事実なら罪を裁き、事実でないならば潔白を証明することだ。つまり裁判は真理を追究しなければならない。

もちろん、検察は有罪につながる証拠を血眼になって立証するのが使命だ。しかし証拠もなく、事実でない自白をでっち上げることが間違っていることはだれの目から見てもわかる。

裁判では可能性が焦点になる。黒に近いか、それとも白に近いか。しかし事実は完全な黒か、完全な白しか存在しないのである。もちろん法に触れるか触れないかというグレーゾーンも存在しないことはないが、少なくとも殺人事件でグレーは存在しない。

とは言え、裁判を進める裁判官・検察・弁護士らは事件の当事者ではないので、どうしても可能性を考慮しての判決になってしまう。しかしあくまでも原則は推定無罪である。しかし実態は推定有罪になることも非常に多い。今回の女児焼死事件もその最たるものだ。

以前のブログでも述べたが、事件に巻き込まれる社会は恐いが、無実の人間が突然犯罪者に仕立て上げられる社会はそれ以上に恐ろしい。

この様な冤罪を一刻も早く撲滅するためにも、取り調べの可視化、そして推定無罪の原則を徹底的に進めてほしい。

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