経済的な自由だけでなく、知の自由を広げることが大事だ!

自由とは21世紀における重要なキーワードになっている。自由経済、自由主義など自由という言葉は色々な所で使われているが、僕は現在使われている自由という言葉が経済的ビジネス的な意味だけに偏っているように思えてならない。

経済的な自由以上に重要なのは、精神の自由、学問の自由、知的追究の自由だ。しかしおかしなことに、知的追究の自由はむしろ低下しているように思えてならない。それは世論の風潮だけでなく、法的にも知的自由を制限する方向に動いている。

知的自由は一部の研究者だけに与えればよいのか?一般市民に対する知的自由を制限すれば学問のすそ野が狭まることは容易に考えられ、将来の日本の学問的レベルの低下につながる。もちろんそれに伴って日本の科学技術のレベルは低下し、ビジネス的にも大きく不利になることが容易に考えられる。日本は学問の自由を制限することによって自らの首を絞めているようなものだ。

そしてもう一つ重要なのは、学問の細分化により分野間に壁が出来ていることである。例えば大学で数学を研究している人は容易に数学的知識を収集することができるであろう。ではその数学研究者が医学の専門知識を入手したい時はどうすればよいのか?そのような時に医学の論文の入手を困難にさせれば、専門知識の普及は到底望めない。誰もが専門外の知識に対してもアクセスできる環境を作らなければならない。専門的知識は専門家だけのものではないのである。

国は研究者に対して巨額な研究費を投じている。もちろんその原資は税金だ。巨額の税金を投じて研究を行っているからには、そこから得られた知識は一般市民に還元しなければならない。しかし現状ではそれが出来ていない。もちろん市民も、科学研究など自分に関係ないと無関心になるのではなく、専門的研究結果に対して積極的なアプローチをしていかなければならない。専門的科学知識は国民、そして世界市民全体の財産なのである。

現在、日本の学問研究は低下の一途をたどっていると言われている。その原因は研究費の減少やお金につながる研究にしか投資しないからだとか言われている。しかし問題は更に根本的な所にあるように思える。そこに国と国民が気付かなければ、いくら研究費を増やしたところで国の研究レベルの底上げには全くつながらない。日本の研究者を海外に送り込むのではなく、海外の研究者に日本に行きたいと思わせることが重要であり、そのような世界の研究者の研究から得られた知識を国全体で共有して行かなければならない。まあ、今の日本の現状を見ればほとんど期待できないが。

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