究極の動物虐待は家畜だ。

最近は動物愛護団体などというものがあり、何かと動物虐待のニュースが取り上げられている。僕自身、動物を大切にすることは賛成であるし、無駄な動物虐待は無くさなければならないと思っている。

しかし最近は動物愛護の限度が行き過ぎているようにも思える。例えば以前、和歌山のイルカ漁に対して、イルカに対する虐待だと非難する声が海外で上がった。イルカは確かに普通の魚に比べると知能は高いであろう。そもそもイルカは魚類ではなく哺乳類である。

牛も豚も哺乳類である。しかし食肉用の牛や豚は家畜として育てられている。家畜とは極論を言えば飼い殺しである。要は我々、牛肉や豚肉を食べるときは牛や豚の命に感謝しなければならないということである。牛肉・豚肉を食べなくても生きることはできるが、生き物を食べる行為は自然の摂理である。

それと同時に、人間が特定の動物を食べるということは、その国、その地域の文化でもある。ヨーロッパ人がフォアグラを食べるように、日本人がイルカやクジラを食べるということである。考えようによってはフォアグラの方がよっぽど残酷である。

タイトルで「究極の動物虐待は家畜だ」と書いたが、家畜も人間の文化であり、自然な行為なのである。イルカ漁を非難する人たちは、(おそらく)家畜の牛肉を食べている。人間以外の動物だって、他の生き物を食べて生きている。動物は他の命を食べて生きているのである。

普段はあまり意識することはないが、たまに意識した時は、食する命に対して感謝しよう。

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