確率的思考。

例えば、企業が人材を採用する時に行う面接では、優秀と思われる人、あるいは人間関係を円滑に行い企業の利益に寄与できると思われる人を採用する。しかしあくまでも「思われる人」であり、確率的にその人の方が良いだろうと判断して採用することになる。しかし確率はあくまで確率であり、さらに言えば面接官の独断と偏見に基づくものであり、その確率自体も怪しいものである。

面接に限らず、世の中の判断というものは確率で決定されることが多い。それは民主主義とも密接な関係があるのだが、その一方、世の中の確率的判断の間をすり落ち、真の才能が埋もれてしまうことも多々あるだろう。

もちろん、そのような確率的判断が間違っているわけではない。確率とは多くの母数に対してコンスタントに威力を発揮するものなので、全体を見ればそのような確率的判断はかなりの利益を組織にもたらすであろう。

とは言え、現在の日本の気質から言えば、異端者すなわち出る杭は、打たれることが多い。皆と異質な部分があればそれを排除しようとするような気質がある。もちろんそのような気質も昔と比べればマシになったと思うが、それでもそのような気質は強く残っている。

日本での確率的思考とは、平均を算出することに全てを費やしているように思える。しかし本当にすべき確率的思考は、いかに確率良く最高のパフォーマンスを発揮するかということではないだろうか?しかし現在のような異質を排除するような気質の下では、それを実現するようなことはかなり厳しいと思われる。

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