知る権利と機密を守る義務(クリントン氏の個人メール問題をめぐって)

いつごろからか、知る権利というものが声高に叫ばれるようになった。知る権利自体は国民の重要な権利であることには間違いないが、その一方で機密を守る義務も存在する。これら二つの物は天秤にかけられるような単純なものではなく、国家機密に関して言えば多くの場合、知る権利より機密を守る方が圧倒的に重要だ。もちろん、政治家の政活費のように明らかにオープンにしなければならない公共情報もあるが、国家情報に関しては事によっては国家の存亡にかかわることもある。

最近、アメリカのクリントン氏の個人メールが問題になっている。単純に言えば、国家の機密情報がセキュリティの甘い個人メールでやり取りされていたというものだ。クリントン氏は現在大統領選出馬に向けて活動中だ。しかしアメリカの大統領になろうかという者が、セキュリティの認識に関してこれまでも甘いというのは明らかに問題だ。国家機密が漏れるとどのようになるか、それはハッカー集団アノニマスによる米国家機密のハッキングによって世界が混乱、さらに不信の渦を巻いたことから明らかだ。

これらの話は国家レベルのものだが、個人レベルでも似たようなことが言えるのではないか。個人のプライベートなことは大げさに言えば個人機密である。これが漏れると生活に支障が出る者も多いだろう。他人のプライベートを知る権利などは通常は誰も持っていない。

では、知る権利とは何に関してであろうか。最近はむやみに知る権利という言葉ばかりを主張して、何に関して知る権利があるのかを全く理解していない者が多い。知る権利とは、

「税金などを使って行われている公共性に高いもの、そしてその税金がどのように使われているか透明化しなくてはならないもの、かつ国民の安全を守るために守らなければいけない機密性の高い情報以外のもの」

とでも言えるのではないだろうか。もちろんこれら以外のものにも知る権利が適用されるべきものがあるかもしれない。しかし知る権利を主張するとき、それと同時に必ず秘匿にされなければならない情報も存在することを認識しなければならない。

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