殺人を手段によって認否していいのか

最近、イスラム国(ISIL)の塩素ガスを使った攻撃が問題になった。塩素ガス攻撃、すなわち化学兵器は人道的に非道だということらしい。社会的な殺人事件から戦争による殺害まで、殺人にはいろいろあるが、殺人の仕方に、良い殺人と悪い殺人なんて本当にあるのだろうか。

確かにISILの斬首などは見ていて(僕は見ていないが)残虐極まりないと思う。このようなことは許されないものだ。かと言って米軍による空爆は許されるのであろうか。空爆はISILの幹部、兵士を狙ったものだと思われるが、同時に多数の一般市民も犠牲になっていることは容易に推察できる。しかし空爆による何十、何百とも思われる市民の犠牲の話は一向に出てこない。

斬首であろうが空爆であろうが、殺人には変わりない。もちろん空爆の一番の原因はISILの残虐な施政にあるのだが。空爆による殺人は合法的な殺人として認められるのだろうか。

合法殺人か、違法殺人かの区別は簡単だ。米国米軍寄りの殺人は全て合法で、米国米軍に敵対する側の殺人は違法なのである。

世界は米国を中心に回っていると言っても過言ではない。米国のすることがスタンダードなのである。ヨルダン兵士の殺害に対する哀悼の意は出されても、空爆によって犠牲になった数多くの市民に対する哀悼の声明は一切出されていない。

今、科学兵器に対する批判がなされているが、ベトナム戦争では米軍の枯葉剤によって数多くの市民が犠牲になり、その影響は今でも残る。今、一部の国の核兵器開発が国際的に非難されているが、太平洋戦争では米軍は実際に核兵器を投下し、朝鮮戦争で北に味方する中国の数都市に対する米国による原爆投下の計画があったことが今では明らかになっている。

時代時代によって、残虐非道か合法かの基準は変わっているのである。簡単に言えば、米国が非道と言えば非道であり、合法と言えば合法なのである。

しかし、殺人が手段によって区別されるのは明らかにおかしい。どんな手法を使っても殺人は殺人なのである。まだ殺人人数で罪の大きさを決める方がより理にかなっている。人数で比べると、米軍の空爆による被害は計り知れない。

とは言ってもISILを擁護するつもりはさらさらないのだが。原因はISIL側にある。しかしだからと言って無差別に空爆をすることには疑問である。仮に空爆を認めるとしても、市民にどれだけの被害が出たかという検証をし、一般市民にさらけ出すべきだと思う。

米軍側の攻撃の検証が全く明らかにされないのは、情報操作にもつながり、ある意味非常に恐ろしい状態に陥っているのではないかと思う。

紛争の全貌を公平な立場から明らかにしてほしいものである。

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