東日本大震災から5年

今日、3月11日、東日本大震災からちょうど五年目にあたる。関西に住んでいる身である僕にとって、東北はあまりなじみがなく、どこか遠い話のようにも思えるが、東日本大震災当日、出先でたまたまテレビで見た地震と津波の映像には衝撃を受けた。

震災と言えば、僕にとっては阪神大震災の方が印象に残っている。震災直下の神戸に住んでいたのだから当たり前かもしれない。震災は、社会も、国土も、人間の心も、人間のつながりも一変させる。東日本大震災の犠牲者二万人と言う数字は、あまりにも大きすぎてピンとこない。しかし以前、ビートたけし(北野武)が言っていた一言にハッとさせられる。

「2万人の人が死んだ事故が1件起きたのではなく、1人が死んだという事故が2万件起きたのだ」

昔、ドラマで、「同情するなら金をくれ」というセリフがあった。震災後の東北もそうかもしれない。お金が全てではないが、お金がないと復興もできない。台湾の人たちは数百億円という義援金を出してくれたという。親日国と言うものは本当にありがたい。台湾やトルコという親日国を、日本はもっと大切にしなければいけない。しかし現政権・首相にそのような認識が希薄に感じるのは非常に残念である。

ともあれ、東北の復興は心から願っている。願うだけではどうにもならないわかっていながら。

僕が言えることは、阪神大震災との比較くらいかもしれない。もちろん阪神と東北の被害の違いは桁違いであり、阪神の事例が東北にそのままあてはまるとは思はない。

阪神大震災時、僕は大学受験生であった。ちょうどセンター試験が終わった三日後だったような気がする。2次試験に向かう道中、須磨・長田あたりの焼野原を通り抜けて行った。その被害の大きかった長田あたりも、今では外見を見る限りは震災当時の面影は全くない。そういう意味では少なくとも外見は復興が完了したのかもしれない。もちろん被害を受けた人の心・生活が元通りになったのか、僕は何とも言えない。

東日本大震災の被害の大きかった東北の現状と言えば、テレビで見る限りはまだ被害を受けたそのままのところもあるようで、更地の状態のところもかなりあるようだ。外見だけ見てもこのような状態なので、被害を受けた人々の心・生活は想像を絶するものと思われる。しかし、被害を受けた東北の人たちが、不満を叫んだりするところはあまり見かけない。おそらく皆、胸の内に留めているのだろう。

東日本大震災が日本人に対して警告したのは「想定外を想定することの必要性」だろう。東日本大震災以降、想定外と言う言い訳は通用しなくなった。津波だけではない。原発もそうだ。起きる前にどうするかということと同時に、起きた直後にどのように対応するかということの重要性。震災ではどんなに巨大な防潮堤を作っても、絶対に防ぐことができないということがわかった。だから津波に襲われるという想定のもと、災害時にどのように行動するかということに焦点があてられるようになった。

東日本の復興は現在進行形だ。いつになったら元に戻るか、想像がつかない。福島原発の廃炉には数十年かかると言われている。とは言え、一日も早い復興が進むことを祈るばかりである。

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