本音が言えない、建前社会

某歌手の歌詞が女性蔑視であると批判されているという。そこで実際にその歌詞を見てみた。確かに女性蔑視かという観点から見れば、女性蔑視であることは否定できない。

しかしそこで、この歌詞について二つのことを感じた。

一つは、女性を貶めるような悪意を持った歌詞ではないように感じる。

もう一つは、この歌詞は社会一般思想に対する表現というより、一人の男性の想い、タイプの女性について描いているに過ぎないのではないか?

ということである。

一つ目については保留することにして、二つ目について少し考える。もしこのような観点で書かれた歌詞が女性蔑視と批判されるのなら、好みの女性のタイプを持つ全ての男性が女性蔑視ととらえられかねない。

政治家の発言は慎重に慎重を期すべきで、軽い発言を公の前ですべきでないと思う。なぜなら政治家は巨大権力を持ち、政治家の個の力をもっても社会に対する影響力は絶大であるからだ。

しかし個人か個人的にどう思おうが、民主主義自由主義社会では自由なはずだ。思想の自由は保障されている。かといって、女性蔑視が許されるものではないが。

とはいえ、今回の事例にしても、女性蔑視の観点から悪質であるというより、女性蔑視を足掛かりにして批判してやろうという意図が大きく感じられる。今回の問題は女性蔑視であったが、このような思想規律を厳密に運用しようとするとどうなるか?すぐに分かるように本音が言えない社会になってしまう。ささいなことで言えば、好きな女性のタイプを言うだけで差別だと批判されれてしまうであろう。まさしく心の多様性が抹殺されてしまうのである。

この様な本音が言えない建前社会の度が過ぎるとどうなるか、おそらく社会は均一的・共産主義的になり、国家の衰退も免れることはできないであろう。

欧米人はグレーゾーンを上手く利用するという。しかし日本人はグレーゾーンの利用が下手だ。今回の事例がまさしくそうであろう。今回の事例は女性蔑視かと言えば完全に否定できない。まさにグレーゾーンと言える。このグレーゾーンを日本的な画一的運用にこだわれば、先に述べたように共産主義的廃退が待っているであろう。

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