普通の人の生活向上も大切だが、はたして創造的異端者が暴れまわれる環境は日本にあるのだろうか

最近、政治家たちがこぞって「普通の人がより良い生活をできるような社会にする」ということを叫んでいる。もちろんそれはもっともな話であり、国民の大部分が普通の人である限り、それを政策の目玉にするのはもっともなことである。

しかし、日本では昔から「出る杭は打たれる」という格言があるように、異端者に対する風当たりが厳しい。もちろんそれで結果が出た後はまだ良いが、結果が出るまでの過程上は非常に厳しいものがある。

日本は異端者、特に「創造的異端者」をあまりにも冷遇しすぎているのではないか。創造的異端者には限りない可能性が秘められている。しかし判断が難しいのは、異端者が本当に結果を出せるところまでいけるのかということ。普通でない限り、普通の人と同じようにコンスタントに結果が出せるとは限らない。

アメリカでは、多くの人が「いかに出る杭になるか」ということを考えているらしい。しかし日本では「いかに目立たずに無難に過ごすか」ということが美化されている節がある。この様な風潮の中で、異端者が暴れまくるのは物理的にも精神的にも苦しいものがある。

しかしそれでも多くの異端者は暴れることをあきらめようとしないだろう。なぜならそれが異端者であるが所以だからである。

現在の発展した社会は、多くの普通の人の地道な努力と、「異端者の爆発的飛躍」によって築き上げられてきた。そして現在、中国・インドなど新興国が猛烈な勢いで発展してきている。その一方、超大国アメリカはなんだかんだと言われながらもあらゆる分野で世界ナンバー1を維持している。

では日本はどうだろうか。最近はどうも芳しい話はあまり聞かない。いかに発展するかということより、いかに後退を防ぐかということに力がそそがれているように感じる。この様なときにこそ、創造的異端者の爆発力が求められているのではないだろうか。

異端者が異端であり続けられる国にすることこそ、これからの日本の飛躍の原動力になるのではないだろうか。

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