昔は学問は”人の生き方”そのものであった。

2015年のNHK大河ドラマであった「花燃ゆ」。大河ドラマでは珍しく、”学問”がテーマであった、幕末の物語である。

ところで、江戸時代以前の学問と、現在の学問は、かなり性格が違う。昔の学問は”人間の生き方”を追求しようという意気込みが感じられる。そして学問は実践を伴って初めて意味をなし、当時の学問に命をかける若者の姿は非常に美しい。

吉田松陰はペリーの船に乗り込み、投獄され、伊藤博文・高杉晋作など時代を動かす中心人物を育て、最後には打ち首になって死んだ。彼らの行動は、”学問の究極”と言えるだろう。

現在の学問はどうだろうか?学校では指導要領で定められたマニュアルによって教えられることが決まっており、受験のために必死になって勉強する。それはそれでいいのだが、受験のためと言えども、何か目的意識が軽いように思える。そして、学問を学べる”ありがたさ”も希薄である。

現代でも、吉田松陰のような”生きるための、そして時代を変えるための塾・学校”を現代でも、と思うのだが、このような考えは時代錯誤であろうか?

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