日本人は西に憧れていた

NHKで、司馬遼太郎の特集を観て思った。太古の昔から江戸時代まで、日本は中国と朝鮮という「西」に憧れていた。壱岐では西から流れてきた漂流物を崇めていたという。そして明治維新が起こり、日本人が憧れる西は中国を飛び越えて、遠いヨーロッパとなった。日本人は憧れるヨーロッパの技術を無心で習得しようとし、そこで出来上がったのが反射炉をはじめとする当時の最新技術であった。ヨーロッパと並び憧れていたアメリカは、太平洋の東側と言うよりヨーロッパの西側と言った方がいいのかもしれない。

日本の最初の「国」は邪馬台国と言われている。邪馬台国には畿内説(奈良)と九州説がある。奈良と九州、距離的にはかなり離れているのに、なぜこのような一見単純に思えることがわからないのか。歴史と言うものは時間をさかのぼるにつれ指数関数的に曖昧になっていくからかもしれない。聖徳太子のいた奈良時代から邪馬台国の時代まで、時間的には数百年だが、実感的には邪馬台国は奈良時代よりも数倍昔だ。

以前から日本ではグローバル化、あるいは国際化と言うことが叫ばれている。しかし国際化を成し遂げるには、それ以上に自分たちの国「日本」のことを知らなければいけない。日本の強み弱みを熟知していないと海外に打って出てはいけない。英語を習得することは大事だが、それは国語、すなわち日本語を熟知していることが前提である。

我々の国「日本」を知るためには、司馬遼太郎のような「日本観」の専門家の書物が指針になる。中学の頃、司馬遼太郎の歴史小説が面白くて読んでいたが、その頃は日本観など頭の片隅にもなかった。大人になってから、そして司馬遼太郎が亡くなってから、司馬遼太郎の世界を見返すとき、そこには非常に広く深い日本観が存在していることに気付く。それが司馬遼太郎が亡くなっても、司馬書物が色あせない原因ではないだろうか。

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