日本において「挑戦」とは?

28日、池上彰氏のテレビ番組で、村上ファンドの村上世彰氏が「チャレンジする人を叩くような世の中であってはならない」と言っていた。十数年前、村上氏は悪者のレッテルを貼られ、世間から強いバッシングを受けていた。しかし現在、村上氏は再び(どちらかと言うと良い意味で)注目を浴びている。当時村上氏がどのような悪い事をしたのか?その内容を言える人は当時も今もほとんどいないと思う。しかし法的に引っかかることを行い、メディアでバッシングを受けていたから当然悪い人だろうというくらいの認識だろう。そんな僕自身も、村上氏の功罪を詳しく知っている訳ではないが、ただ一つ言えることは、村上氏は人がしないことをしていた、言葉を変えるとチャレンジをしていたと言うことであろう。それが良かったか悪かったかはともかく。

日本では「出る杭は打たれる」とよく言われている。出る杭とは言葉を変えると「挑戦する人」だ。世の中を変えるのは99%挑戦する人だ。挑戦しないとは言い換えると「現状維持」ということである。しかし現状維持を目指して現状維持に成功することはほとんどない。現状維持を目指すとは、没落への始まりである。それは社会的にも、経済的にも、人間的にも、そういう意味である。世の中とは現状を良くしていくというチャレンジによって継続されていくのだと思う。だから現在の社会が成り立っているのは、現状維持を目指している人が現状維持をしているからではなく、チャレンジしている人の行動によって発展しているからである。

現在、日本においても挑戦し続けている人はそれなりにいる。しかし成果を出す前までは、それらの多くの人が苦境に立たされているように感じる。もちろん無難にくぐり抜けて行けばそのような苦境に立たされずに済むであろう。しかし無難と挑戦はほとんどの場合相反する意味を持つ。社会を変えて発展させるのは挑戦する人なのに、それらの利益を享受するのは無難に過ごす人。そのような社会的構造を変えない限り、日本の発展はないと思う。そのようなほころびが国のあらゆるところに露呈しているのが現在の日本である。そして将来の日本はどうなるのか?想像に難くない。

現在僕が危険だと思っていることの一つが、日本人自身による日本称賛だ。現在のテレビ番組を見ると、「日本はこんなに凄い」という趣旨のテレビ番組が溢れている。これはある意味末期的症状と言える。今だからこそ、むしろ日本の危機的状況を指摘して変えるべきところを変えて行かなければならない。そしてそれが出来る人は、無難な人ではなく挑戦する人である。今真っ先に変えなければならないことは、挑戦する人が力を十分に発揮できる世の中にすることではないだろうか。

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