数式は大好きだが、数字は嫌いだ!

数学とは字のごとく数字の性質を扱う学問だが、高校までの数学とは違って大学以降の数学では意外と数字自体を扱うことは少ない。もちろん数学である以上、主人公は数字なのだが、その構造や演算の性質を記述する時は数字自体よりも数式で表す方が見通しが良くなり、一般性も高くなる。

タイトルで「数字は嫌いだ」と述べたが、ここで勘違いをしないでほしい。正確に書くと、「規則性のない数字、意味のない数字」が大嫌いだということである。だから数学で出てくる数字が嫌いなわけではない。簿記などのように何の規則性も数学的意味もない数字が大嫌いなのである。実際、数学に出て来る数字は非常に面白い。数学に出て来る数字と数式を縦横無尽に扱い、その性質を暴露することは非常に快感である。しかし簿記に出て来るような数字を見るとめまいがする。

なぜ近代数学は具体的な数字を扱うことが減ったのか?それは数学が高度な抽象理論なったことが原因である。昔は二次方程式の具体的な解を求めることが目的であった。それが「解の公式」という形で一段抽象化され、「5次方程式の解の公式が存在しない」というガロア理論へと高度に抽象化される。もちろん高度に抽象化された理論は難解かもしれないが、非常に豊富な内容を包摂する。そのような実り豊かな数学の世界を垣間見た数学者は、その世界からは抜け出せなくなる。それはいわば「数学中毒」と言えるかもしれない。しかしそのような中毒なら思う存分かかってみたいと思う。

世の中では抽象理論を敵視する風潮がある。抽象理論なんて何の役にも立たず、具体的な事象を示すことが大事だと。確かに社会で生きるためには具体性が最も重要なのかもしれない。しかし社会を高い視点で取りまとめる立場になるほど、抽象理論が威力を発揮する。商売をするには具体的な商品の値段が重要だが、経済政策を取りまとめる政府にとっては抽象理論が軸となる。数学も、身の回りで必要になる計算は具体的な数字の世界であるが、数学の世界の本質をより掘り下げるためには高度に抽象化した理論が必要になる。

物事をどれだけ抽象的に捉えることが出来るかということは、言い換えればその人の思考レベルを表していると言える。もし自分の生きる上でのホームグラウンド、あるいはテリトリーがはっきりしているのならば、そこでどれだけ思考や技術を抽象化できるかということに取り組むことは意味のある事である。さらに、もし自分がその世界のプロであるならば、抽象化の作業は欠かせない。抽象化の度合いはその人のステージなのである。

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