数学や科学において、本質的に直感はあてにならない。

数学や科学においては、実に直感はあてにならないものである。例えば有限の数を数えるという直感が無限の数では全くあてにならないことを示したのが、集合論を創始したカントールである。さらに空間や時間というものが直感から得られるものとは全く違うことを示したのが、特殊相対性理論を構築したアインシュタインであった。

数学や科学を構築するにあたっての大原則が二つある。一つ目は概念の厳密な定義、二つ目が厳密な論理による展開である。この二つがないと、数学や科学の発展はありえない。なぜ古代ギリシャ時代のユークリッドは誰もが当たり前に思えることを、一見回りくどく思えるような論理で展開したのか?それは物事の本質を明らかにするためである。当たり前に思えることを論理的に基礎づけしてみると、当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことが明らかになる。そして本質は何で、それに付随するものは何かとういうことも白日の下にさらされる。2千年前のユークリッドの定式化なしに現代の科学の発展はありえないのである。

しかし19世紀の哲学者・ショーペンハウアーは「意志と表象としての世界」で、ユークリッドの議論を「義足を履くために足を切断するようなものだ」と言っている。ショーペンハウアーは「直感こそが一番正しいものだ」と論じているのである。さらに空間や時間に関する論理に至っては、その当時の科学的見識に照らし合わせても目を当てられないくらいひどいものである。ニュートンの科学的見識に照らし合わせてもショーペンハウアーの議論は幼稚なものであるが、「意志と表象としての世界」を出版したのは1918年なので、その十年以上前にはアインシュタインの特殊相対性理論と言われる時間と空間の物理学が世に出ている。ショーペンハウアーが不勉強だったのかとも思ったが、おそらく数学や科学に敵対心を持ち、それらを否定することに躍起になっていたのではないかと思われる。

僕は科学を専門としている人間の中では、かなり哲学を重視し好意を持っている方だと思っている。しかし最近、ショーペンハウアーをはじめとするドイツ哲学に失望している。そう言えば、微分積分学をニュートンと独立に発見したライプニッツは哲学者としても有名だ。ライプニッツの哲学に触れた訳ではないが、数学者であるライプニッツの哲学はおそらく自然科学的だと思われる。機会があればライプニッツの哲学にも踏み込んでみようと思う。

なぜ論理的である哲学で直感が重視されるのか?僕には理解できない。初めに述べた無限の数を扱う集合論や時間と空間を扱う相対性理論以上に、ミクロの世界を扱う量子論は反直観的だ。全てが直観とは反する振る舞いをする。科学では直感の呪縛から逃れることが大きな飛躍につながるのである。直観とは実にあてにならないものである。そう人間に気づかせてくれるのが、人間が科学を追究する一つの意義かも知れない。

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