数学は哲学、しかし哲学は数学ではない。

古代ギリシャでは、数学は哲学の一部門であった。もちろん科学も哲学の一部であった。それらの数学や科学は「自然哲学」と呼ばれていたみたいだ。すなわち、自然の仕組みを解明する科学は、自然に対する徹底的な思考、すなわち哲学なのである。しかし現代では科学と哲学はほぼ別部門になっている。

しかし現代でも、科学に対して哲学的な姿勢を求めることは重要ではないかと強く感じる。すなわち、数学や科学を「自然哲学」と捉えるのである。しかし何もマニアックな哲学と同じように捉える必要はない。大事なのは、数学や自然に対して「意志」を持って究明することである。数学はある意味ロジックであるが、しかしロジックだけで数学が成り立つ訳ではない。そこには数学者の意志や哲学が入魂されているし、計算だけならロジックだけで出来るかもしれないが、概念の定義などはロジックだけでできるものではない。

最近、ロジカルシンキングという言葉をたまに聞くが、数学においてはロジカルシンキングは当たり前の事であり、重要なのはロジカルシンキングを超えるところにある。数学的実態をどう視覚的に捉えるかとか、それまでにはなかったロジックを発明する必要もある。数学とは実に有機的で色鮮やかなものなのである。もし数学に対して無機的で機械的だと感じているのならば、それは数学の本質が見えていないということだ。

時には完全なロジックから、ロジック以上のものが生まれることもある。その代表が「ゲーデルの不完全性定理」であろう。ゲーデルの哲学がどんなものであったか?僕には知る由もないが、完全なロジシャンであるゲーデルであるからこそ、普通の数学者以上の有機的な偉大な哲学があったに違いない。

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