数学が最も自由な学問だと言われる訳。

「数学は非常に自由な学問である」と言っても、ほとんどの人はその言葉に反対し抗議するであろう。なぜならば、ほとんどの人がやってきた(やらされた?)小学校の算数から高校までの数学は、ガチガチに決まったルールがあり、決まった解き方があり、ただ一つの答えがある。おそらくそういう印象を持っている人が多いだろう。

では、数学の自由性とは何か?これにはいくつかの理由がある。最も認知されている自由性は、「解き方はいくつもある」ということではないだろうか。これに関しては高校数学レベルの問題でも感じられる自由性だ。

しかし数学者たちはそれよりももっと大きな自由性を感じている。それは「ルールは自由に変えることができる」というものだ。このことに関しては、大学で数学を学ぶレベルでないとなかなか実感しづらいことであるが、これこそが数学の神髄なのである。

数学者は取り組むテーマに応じて設定(つまりルール)を変えており、時にはルールを強め、時にはルールを弱めたりして、それに対してどのような結果が出るのかと探っている。ルールは非常に自由に変えられるものなのである。

例えば誰でも当たり前だと思っている、

1+1=2

という足し算。こんな式でさえも数学者たち(特に代数学者)は

1+1=0

と考えることがよくあるのである。ちなみにこのような足し算の世界は専門用語で「標数2の世界」と言う。

余談であるが、物理などは数学よりも自由性が少なく、縛りが強い。なぜなら物理の場合は、物理学者がどんなことを主張しようが、自然(宇宙)がその主張する法則と違えばその主張は間違っていることになるからである。

数学の自由な世界、そのような世界に数学者は魅了されているのである。

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