数学が最も自由な学問だと言われる訳。

「数学は非常に自由な学問である」と言っても、ほとんどの人はその言葉に反対し抗議するであろう。なぜならば、ほとんどの人がやってきた(やらされた?)小学校の算数から高校までの数学は、ガチガチに決まったルールがあり、決まった解き方があり、ただ一つの答えがある。おそらくそういう印象を持っている人が多いだろう。

では、数学の自由性とは何か?これにはいくつかの理由がある。最も認知されている自由性は、「解き方はいくつもある」ということではないだろうか。これに関しては高校数学レベルの問題でも感じられる自由性だ。

しかし数学者たちはそれよりももっと大きな自由性を感じている。それは「ルールは自由に変えることができる」というものだ。このことに関しては、大学で数学を学ぶレベルでないとなかなか実感しづらいことであるが、これこそが数学の神髄なのである。

数学者は取り組むテーマに応じて設定(つまりルール)を変えており、時にはルールを強め、時にはルールを弱めたりして、それに対してどのような結果が出るのかと探っている。ルールは非常に自由に変えられるものなのである。

例えば誰でも当たり前だと思っている、

1+1=2

という足し算。こんな式でさえも数学者たち(特に代数学者)は

1+1=0

と考えることがよくあるのである。ちなみにこのような足し算の世界は専門用語で「標数2の世界」と言う。

余談であるが、物理などは数学よりも自由性が少なく、縛りが強い。なぜなら物理の場合は、物理学者がどんなことを主張しようが、自然(宇宙)がその主張する法則と違えばその主張は間違っていることになるからである。

数学の自由な世界、そのような世界に数学者は魅了されているのである。

数学が最も自由な学問だと言われる訳。」への15件のフィードバック

  1.  数学は自由で科学は法則に拘束される,というご指摘はとても重要だと思います。何故なら,文系・理系の別に係る議論は活発でも,数学と科学の別の議論が公然と識者で交わされたことを私は知らない。
     しかし,日本の官僚支配,あるいは学術研究において経済学研究が異常なほど不振であることの原因はここにあると思うからです。

    • 木原 康明

      矢野様
      僕は経済学に関しては無知ではありますが、経済学は数学的側面を持つ一方、社会経済法則に合致しなければいけないという科学的側面も持っているのではないのでしょうか。
      数学的経済学は数学理論的イメージがありますが、現実経済を反映していない理論は経済学とは言えない気がします。
      経済学の主流は欧米にあるということは聞いたことがあり、それは日本経済が欧米経済に対して非常に特殊であるからだという理由は聞いたことがありますが、
      矢野様が言われるような理由もあるのでしょうか。
      とにかく結果ばかりを気にするのではなく、広く一般国民にそのような議論を起こす文化も必要だと思います。

  2. 木原様 
     仰る通り,経済学は「社会経済法則」に合致しなければいけないという社会科学そのものです。
     しかし日本では,人間性について考察する学問である人文学と,その人間から構成される社会を考察する学問である社会科学を併せて「文系」と呼んでいます。その所為か,人間から構成される社会は人間が自由に変えることができる,という迷信が蔓延っています。だから「社会経済法則」が存在する信念などなく,当然これを考察する意欲も乏しくなる。また「文系」とは数学を使わない学問という妙なcharacteristicをくっつける,もう一つの迷信から,経済学を学ぶ者に,科学的な分析ツールがいつまで経っても身に付かない状況になっています。
     逆に人文学は英語でhumanity,欧米のacademismではscienceとは認められていません。しかし日本では「人文科学」なるtermが公式に使われ(EX.;京大人文科学研究所),要するに科学とは何なのか,ぼんやりした認識しか持たないでいることが,「理系」は被害が少なくて済んでいますが,経済学研究には致命的な打撃を与えています。このことは日本において,「法」とは何か,という認識を近視眼的にさせ,官僚支配を物神化させているのです。

    • 木原 康明

      矢野様
      僕は以前から社会”科学”という用語が妥当なのか、非常に疑問に思っています。
      自然科学とは、理解するのは人間ですが、その対象は人間の介するところではなく、その点が社会”科学”とは決定的に違うところだと思います。
      それから、広く混同されているのが「科学」と「科学技術」という用語。「科学」とは純粋に自然の真理を理解しようというのが動機であって、役に立つためにあるのは科学ではなく「科学技術」の方であります。
      少し話は脱線しましたが、文系と言われる人間が、自分は文系だから科学的(理系的)考えは必要ないと考えるのは非常に危険であります。
      社会科学は科学ではないと思っていますが、社会科学そして文系の学問をする上でも、科学的思考は非常に重要だと考えています。
      文系の人間は科学(理系)の思考を習得することを怠ることなく、また科学側(理系)の人間も一人の人間として人文学的な教養を怠ることなく習得することが非常に重要だと思います。
      専門を極める上での近道は、広く知識を求め習得することだと思います。もちろん、文系・理系という枠組みにとらわれることなく。

  3.  木原様
     社会科学を英語に直訳するとsocial scienceとなりますが,英和辞典(学研THE ANCHOR second edition)でsocial scienceと引いてみると,「(経済学・政治学などの個々の)社会科学」とあります。つまり経済学・政治学など個々の学問を包括した意味での社会科学は,英語では“the social sciences”と複数形で表現しなければなりません。自然科学が「物理学帝国主義」などと言われ,物理学を基本とした単一の巨大な体系を築いているのに対し,社会科学はいかにも丸山眞男の言う「タコツボ」文化であることは否めません。近代社会に生きる人間は自由意思を持つことが基本とされ,これを科学的に捉えようとするなら,「権利・義務の主体」,“homo economicus”,「自由からの逃走者」および「learningでbehaviorが変化するsystem」などと人間性の一部分をそれぞれ切り取って,法学,経済学,政治学および心理学などの“social science”が個々に構築されざるをえない。自然科学のような巨大な体系はいまだ築かれていません。これに対しマルクス主義は“the social sciences”を統一させ,自然科学の「物理学帝国主義」にも匹敵する巨大な体系を築きあげていました。日本の知識人はこのマルクス主義にたちまち魅了されました。この時点でマルクス主義は科学でなく宗教性を帯びたイデオロギーとなって,その影響力はいまだ残っています。20世紀前半まで,社会科学は左右のイデオロギーの下女のようであったのに対し,20世紀後半の社会科学は親族関係や言語などにみられる「構造」に関心を向けました。dynamicからstaticへ,自然科学とは真逆のコースを採っているようにも思えます。
     これは先の大戦以降,大国間の戦争が起きていないことも原因のような気がします。戦争は社会科学と自然科学のいずれも大きく発展させる起爆剤です。ケインズ経済学は戦争を有効需要の最大のジェネレーターとして歓迎しました。レーニンは「帝国主義論」で独占資本主義が帝国主義戦争を引き起こすメカニズムを説きました。
     自然科学は技術を媒介として軍隊の武装を進歩させる原動力です。軍隊は組織された人間の集団です。その組織の形態は,武装の進歩で変化します。そして戦争は外交・政治と表裏一体のものです。軍隊の組織形態の変化は戦争のやり方を当然変化させ,続いて外交・政治をも変化させます。これらの変化は民間人の在り方にも影響を与えます。ですから大学の工学部で教授される「技術」とは既述のとおり,自然科学と軍隊の武装の媒介そのものです。これは欧米では常識以前のことです。大学の工学部で最も歴史が古い学科は土木工学科です。英語では“civil engineering”と言いますが,直訳すれば「民間転用された軍事技術」です。これを「土木工学」と何かごまかしのような訳語を付けているわけです。今日本では,防衛費が大学の理系の研究費に流れ込むことを警戒しているようですが,欧米からすれば,今頃になって日本人は何を言っているのだろう,彼らは歴史というものを知らないのか,と驚き,あきれていることでしょう。

    • 木原 康明

      矢野様
      確かに、物理学帝国主義と言われた時代がありました(20世紀)。そして現在も、自然科学の体系の一番基盤になっている部分は紛れもなく物理学であって、
      そういう意味では現在も物理学帝国主義と言えるかもしれません。
      しかし現在は、学界の勢いとしては、物理学は以前ほどの勢いはなく、むしろ生物学関係の学問が隆盛を極めており、金も権力も握っていると思います。
      そして現在の物理学界の大問題は、物理学が一種のフィクションのようなものになっていることではないでしょうか?
      20世紀の物理学は、実験・観測のゆるぎない事実の上に立てられており、アインシュタインの相対性理論もとんでもない現実離れした理論であるにも関わらず、社会の関心を大きく買った理由は、それが現実の自然(宇宙)の力学を正確に説明できたからであります。
      しかし、20世紀終わりごろから、理論物理学は良いのか悪いのか、急進(暴走?)し、実験・観測とは大きくかけ離れたところで議論されるようになりました。
      そのような急進・暴走を加速させたのは、プリンストン高等研究所のエドワード・ウィッテンであることは誰もが認めるところですが、ウィッテンをはじめとするフィクション化された弦理論が果たして正しいのか、現在では誰もわかりません。もしかしたらそのフィクションがノンフィクションになる日が来るのかもしれないし、大虚言だったと言われるかもしれません。
      弦理論などの研究の価値を否定するつもりはありませんが、足元にある問題にも目を向けるべきではないでしょうか。
      時間の矢の問題(時間は過去から未来へ一方向にしか進まない)などは、弦理論などをしのぐ大問題と思いますが、目を向ける人は少ないです(特に日本人は)。
      以前、東大素粒子論研究室の新入生の院生は、全員弦理論を専攻したとも聞いております。流行に流されるのも程々にしてほしいものです。

      それから、戦争が科学を進歩させるとのことですが、厳密に言うと戦争は科学”技術”を飛躍的に発展させるのであって、自然科学は戦争によって停滞いたします。それは第二次世界大戦でのアインシュタインを巡る研究環境を見るだけでも容易に分かります。
      矢野様は工学と表現されていますが、工学とは科学”技術”であります。それに対して、自然科学は「理学」ということになるのではないでしょうか。
      科学技術(工学)は、過去の自然科学(理学)の知見に基づいています。従って、戦争によって科学技術が飛躍的に進歩するのは、それ以前の時代に腰を据えて自然科学を研究できる時代があったからにほかなりません。
      核兵器(究極の工学)は特殊相対性理論(究極の理学)に基づいて開発されたものです。

  4.  木原様
     確かに生物科学の隆盛は目を見張るものがあります。この隆盛の濫觴は,異論なくワトソン・クリックモデルの確立という業績でしょう。しかしこれには,モーリス・ウィルキンスとロザリンド・フランクリンによるX線結晶構造解析という先行業績があり,これなしには同モデル確立はありえなかっただろうと言われています。ジェームス・ワトソン,フランシス・クリック,モーリス・ウィルキンスとロザリンド・フランクリンの四者の間では「業績泥棒」のトラブルがあったらしく,リーゼ・マイトナー,呉健雄と並んでロザリンド・フランクリンはノーベル賞を受賞できたはずなのに,不当な性差別のために授賞できなかった女性研究者の一人だった,という見方もあります。
     彼女が行ったX線結晶構造解析は物理学の研究手法です。連続X線に結晶を照射すると回折する現象を,マックス・フォン・ラウエが発見したのが濫觴です。結晶から放出された連続X線が映し出した,結晶構造を反映したパターンの斑点は,彼の名を採ってラウエ斑点と言われています。私が高校生の頃,物理の教科書にはこの分野について,ブラッグの条件式2d・sinθ=nλがちょろりと書いてあっただけでした。しかし日本ではこの分野で,ラウエやブラッグ父子と同時期に,寺田寅彦や西川正治の活躍があり,以後も厚い研究者の層を誇り,研究の蓄積もまた然りでした。これが現在のSpring8やSaclaの稼働に繋がっています。
     ワトソン・クリックモデルを通した観点で,物理学と生物科学の繋がりを捉えるなら,「物理学帝国主義」を大英帝国,現在の生物科学の隆盛をアメリカの独立宣言と歴史で譬えられると思います。隆盛のきっかけを提供したのは「旧世界」の物理学でした。X線結晶構造解析はさしずめピルグリム・ファーザーズでしょうか。しかし「独立宣言」以降,「新世界」である生物科学は,新しく登場した研究手法を積極的に取り入れるのに障害は少なかったのでした。生物科学の研究を圧倒的にリードしているのがアメリカであるのはどこか因縁めいたものを感じます。「独立宣言」が今や世界的に最重要な歴史的文書であるように,ワトソン・クリックモデルも科学史におけるそれでしょう。
    ワトソン・クリックモデルにノーベル医学・生理学賞が授与されたのが1962年ですが,そのちょうど50年後の2012年,ガードン博士とともに山中教授が同賞を受賞しています。ノーベル財団は,山中教授らの業績の重要性をワトソン・クリックモデルと「同格」と見ていたことがうかがえます。山中教授らの同賞授賞理由は,iPS細胞の知名度に隠れてあまり知られていないようです。“reprogramming”つまり生命の分化能の獲得過程は不可逆だと思われていたのが覆されました。かつて西行法師は「反魂の法」で無生物の材料から人造人間を作ったという伝説がありますが,これに匹敵する「反魂の法」だと言えます。木原様の言う「時間の矢」の議論にも,時間の対称性,過去が無限に遡れるように,未来も然り,という前提の下での不可逆な時間の進行はパラドックスではないか,という不可逆にかかるに論点が含まれています。熱力学にも第二法則,エントロピー増大に不可逆性があるとされていましが,ロシア出身の化学者,ブリゴジンが提唱した「散逸構造」では,「自己組織化」によりエントロピーの増大が抑えられることがあることを示されました。「時間の矢」の議論は,科学研究の諸分野の中で,ガンサー・ステントの言う「クラシック・ロマンティック・ドグマ・アカデミック」の「ロマンティック」な時代にある数少ない一つでしょうね。
    ウィッテン博士は三年前に京都賞の授賞のため来日しました。この方はやはり数学者なのでしょうね。余剰次元のコンパクト化は,もう物理学科の修士課程で特論扱いでなく普通に講義されるようになってきているそうです。しかし超弦理論の実証研究のニュースはあまり聞こえてきません。むしろ実験物理では,ニュートリノの観測から標準理論の見直しを研究するアプローチに力が入っているようですね。

    • 木原 康明

      矢野様
      ワトソン・クリックの二重らせん構造の発見によって、生物科学は質的に大きく変わりました。従来の博物学的生物学から分子生物学へ、遺伝学に限定すればメンデルの遺伝学から分子遺伝学へと。そのワトソン・クリックの発見に使われた技術がX線解析という物理学的技術の発達によるものであるというところは面白いですよね。そのX線解析ももとをたどれば量子論の物質波の概念まで遡れます。まさに量子論と相対論という物理学帝国主義の根幹から流れてきた技術です。
      ところで、我々は科学を物理・化学・生物・地学と分野ごとに隔離しがちです。しかし自然の中にそれらの境界の壁は実際には存在せず、それらの分野を区別しているのはひとえに人間の便利上の都合以外の何物でもありません。自然科学という分野の壁はあるのかもしれませんが、物理学の境目というものは自然には存在しません。
      それらの区別を仮に認めるとすれば、生物学を説明の還元の矢でたどっていけば化学にたどり着き、さらにその説明の還元の矢でたどれば物理学のたどり着きます。この様に自然科学は樹形図的な構造をしており、その一番根っこにあるのが物理学であります。
      なので、自然科学を理解するときには、各分野の論と、分野の区別をなくした一つの自然科学という全体像をとらえることが大切なのかもしれません。そういう意味で、最近よく唱えられている「学際分野が大事」という考えは非常に重要なのかもしれません。学際分野とは、分野と分野の境目という意味で言われているのかもしれませんが、僕は学際分野とは分野を区別しないという思想であると考えています。
      山中伸弥教授の研究についてですが、矢野様が言われているように生物(細胞)の分化が可逆的なものであると言うことが最も重要でありますが、最近の人々(特に日本人?)は、iPS細胞が医療などの役立つ技術であるという認識しかしておらず、本来の研究趣旨が忘れ去られていることは非常に残念に思っています。それを認識させるためには、山中博士のiPS細胞だけをピックアップするのではなく、ガートン博士の業績とセットで教育するのが効果的であると思います。山中博士の研究はまさに、「役に立つ科学(山中氏の場合はiPS医療・創薬)は、役に立たない科学(生命の分化の可逆性の研究)から生まれる」という典型的な例ではないでしょうか?
      科学の重要性を理解するときに、「役に立つか立たないか」という物差しとは別に、「科学的価値」という物差しで判断できる思考力が非常に大事ではないかと考えています。そうでないと、役に立たない科学は見向きされなくなり、それが役に立つ科学技術の衰退へとつながっていきます。そのようなことは、去年ノーベル賞を取られた大隅教授も嘆いていたように記憶しております。そして科学的価値で判断できるかどうかということは、人間としての文化的資質をも問われることだと思います。

  5. 日本の科学が,「役に立つ」か「役に立たない」かのダイコトミーで語られてしまうのは,明治の近代化の必要に迫られて,欧米から強制的に導入された歴史的経過によるものだ,ということは誰しも認めるところです。
    蘭学の頃から,医学がその嚆矢でした。典型的な「役に立つ」「学問(科学ではない)」です。開国,明治維新と時代が進むにつれ,日本は真っ先に国防の近代化を迫られました。近代軍とは国民軍です。国民軍を創設できるのは国民国家のみです。国民国家を創設するためには統治機構を近代化する必要があります。そのための人材を供給するため,東京帝国大学は法学部をフラッグシップとして発展していきます。また銃砲・火器や軍艦を国産化するため,東京帝国大学は,世界で初めて総合大学内の工学部を創設します。医学,法学そして工学と「役に立つ」「学問」を最優先に教育・研究がなされました。
    東京帝国大学創設時,工学部の中でも機械系の学科の学生は,理学部の学生と仲が悪く,互いに「科学を軽んじている」「世間知らず」と攻撃しあっていました。大河内正敏工学部教授が導入するまで,工学部では「世間知らず」の学問である物理学の,実験の授業がなかったそうです。しかし工学部の中で電気工学科の研究設備は,当時の電磁気学の大御所であるJ.C.マクスウェルとケルヴィン卿が,「電気学の重心(the electrical centre of gravity)が日本に移った」と褒める程充実していました。マクスウェルは電磁場をきれいな4つの方程式にまとめ(電気工学科出身の作家・東野圭吾は,あまりの難解さにこんなもの誰が作ったんだ,と呪ったそう),このマクスウェルの電磁方程式を基礎として,ケルヴィン卿が,アインシュタインの一般相対性理論の端緒となる問題点を1900年に指摘していました。このように学科によって温度差がありつつ,電磁気学の大御所二人の賛辞が,日本の大学の機構における「工学部」の先進性の部分を表しています。
    歴代の東大総長は,法学部出身がやはり一番多い(現時点で8人)。意外なのは理学部出身者が7人と法学部といい勝負で健闘しており,工学部は6人,医学部はたったの3人です。この理学部の健闘は,国民軍,国民国家創設のために,何だかんだいって,基礎科学の教育・研究の注力が避けられなかったことの証左でしょう。東大総長を務めた理学部出身者の一人,菊池大麓は,高木貞治より一世代上の人物です。東大だけでなく,京大,理研でもトップを務めたキャリア持ち,数学者というより行政家と呼ばれるべきでしょう。日本初の生命表を作成した藤沢利喜太郎を育て,保険業界の発足にも間接的に貢献しています。
    「保険」はリスク,将来の確率事象を扱う契約です。しかしそのリスク計算について,藤沢利喜太郎は「保険掛金表を調整するに慎重に慎重を加え,掛金は寧ろ少しく高きに過ぐるも低きに失せざらん事に注意せるを以て・・」と述べています。要するに契約者のためリスク計算をシビアに,という姿勢は二の次,事業破たんがないよう安全確実にということです。彼の言葉は日本の資本主義経済の精神をズバリ言い表していると思います。現在でも公的保険の国民年金や国民健康保険の保険料は,純然たる統計事務なのに,厚生労働省の経済学部出身の事務官でなく,東大や京大の数学科出身の技官が計算しています。金融では,デリバティブの価格計算に用いるブラック・ショールズモデルも,伊藤のレンマによって,価格変動リスクを「ノイズ」として処理することで初めて定立可能になったのです。しかし,伊藤のレンマをつくった伊藤清博士は日本人なのに,日本人の経済学者,金融実務者ではなく,アメリカ人がこのように金融のリスク管理に応用しました。上記のような保険・金融の事例だけではありません。かのマザー・テレサは,ローマ法王から彼女の私用のために,とキャデラックをプレゼントされたとき,彼女はこれを現金化し,慈善活動の基金にしようとしました。そのやり方がふるっていて,単に売却するのでなく,キャデラックを目玉商品の1枚3,000円の宝くじを発行し,5,000枚ものくじを売りさばいたそうです。
    要するに,何か行動しようとする,おカネを使おうとするとき,必ずリスクを伴うという意識が欧米人と日本人には格段の差があるようなのです。その上,「マジ」で考えなければならない事柄は,数理的に整理・思考しなければならないという欧米人と日本人の意識の差もまた上記事例から観察できます。木原様の言う「役に立つ科学」「役に立たない科学」の区別は,どうも欧米人が「役に立たない科学」を努力して「役に立つ科学」に仕立ててきた過程の結果生じたものだ,と思わざるを得ません。リスクの意識が高いということは,これを克服しようという意識もまた高いということです。それには科学の知識・理論が一番頼りになる。科学の知識・理論のほとんどは数学の言葉で書かれています。数学の言葉は普遍性で並ぶもののない言葉です。誰かがリスクを科学によって克服すれば,他の人も同じようにできるようになる。科学の知識は何もしなければ「役に立たない」ままだが,誰かが自分のために役に立つような使い方をすれば,途端に誰のためにも「役に立つ」科学に変身します(誰かが自分のためだけに「悪用」すればこの限りではありません)。

    • 木原 康明

      矢野様
      僕が科学、その中でも物理学に興味を持ったのは、小学5年生の時だと今でもはっきり覚えています。普通なら憧れの物理学者と言えば、湯川秀樹とかアインシュタインというのかもしれませんが、僕が最初に憧れた物理学者は長岡半太郎です。長岡の土星型原子モデルを知った時は非常に感激したのを覚えています。同時に明治から戦前にかけて活躍した世界的日本人物理学者がいたことは、非常に誇りに思いました。長岡は戦前、大阪帝国大学の初代総長を務め、湯川秀樹を見出したことで有名ですが、おかしなことに当時の僕は長岡半太郎のことは良く知りながらも、湯川秀樹のことは全く知りませんでした。
      長岡は大阪帝国大学総長ですが、東京帝国大学の総長に理学部出身者が多いのは、長岡をはじめとする、基礎を重視する古き良き日本の風潮があったのではないかと思います。
      矢野様のコメントにも出ている、高木貞冶に関しては、名著「解析概論」が大学入学前の数学好きに与えた影響は大きく、僕も受験勉強そっちのけで解析概論と格闘したことを想います。しかし、僕の大学時代の少し前くらいから、高木の解析概論は堅すぎると東大をはじめとする全国の数学科で敬遠されるようになり、解析概論と格闘した学生の一人として非常に寂しい思いを感じました。
      現在と戦前では世相もかなり違うので単純に比較できませんが、やはり戦前の科学に対する風潮には憧れるものがあります。
      伊藤清に関しては、やはり日本で評価される前に世界で評価される、現在でもよくある事例の代表例でしょうか?ウォール街で一番有名な日本人は伊藤清だと聞いたこともあります。伊藤の確率微分方程式の公式は現在ではアクチュアリーの間では常識かもしれませんが、その常識になっていく過程には先人の基礎を応用へ昇華させようという努力あってのものでしょうね。
      科学技術立国となった現在の日本では、非常に高度な技術が空気のように使われ、それはそれで現在の日本の科学文化を表現したものであるのかもしれませんが、基礎に心を奪われた自分のような者には明治から戦前・戦後の古き良き基礎科学文化は憧れでもあります。もちろん、現在でも日本の基礎科学の強さは見るべきものはありますが、どこか応用(役に立つもの)の陰に隠れているようで寂しいものがあります。

  6. 木原様
    戦前の科学者では,物理学者と化学者の間で微妙な対立があったようです。先に研究で華々しい国際的な業績を挙げたのは化学者たちでした。高峰譲吉のタカ・ジアスターゼ,アドレナリンなどの研究は,当時の日本人の国際的地位を向上させる効果があったほど高い評価を受けました。続いて鈴木梅太郎がビタミンの研究でノーベル賞の候補に挙げられていました。明治から戦前の昭和にかけての科学研究は軍事偏重だった,などと歴史の教科書にはよく書かれていましたが,おカネの遣い方はともかく,化学の分野での独創的な研究成果というと,医療に係る生化学の領域でのものが多かったのです。
    実際化学の研究成果は即おカネに繋がりやすい。上記の高峰や鈴木の研究は勿論,「ハーバー・ボッシュ法」のインパクトなど想像を絶します。だから化学の研究費も集めやすい。
    一方物理学の知識・理論は広い意味で工業技術の大黒柱にはなっていますが,物理の研究成果はそうそうおカネには繋がりません。だから「化学工業」なるものは存在しても,「物理工業」なるものはありません。そんな物理学のために研究費を投資しようとするインセンティブは働きません。要するに物理学は研究環境が化学に較べ非常に厳しい。そんな中で物理学者・長岡半太郎が挙げた業績は破天荒と言わざるを得ません。
     日本の物理学研究の黎明期を一身に担った長岡は,大学生のとき,一年だけ休学をしています。目的は東洋科学史の調査でした。物理学の勉強をしていると,出てくるのは西洋人の名前ばかりで東洋人の名前は全く出てこない,東洋人は物理学の研究の資質が根本的に欠けるのではないか,という問題意識から出た行動でした。結果は,中国の古典にはエネルギーや微分の観念が表されており,東洋人が資質で劣ることはない,という結論を得て長岡は復学したのでした。その古典とは主に「荘子」でした。
     上記の長岡の休学のエピソードについて,湯川秀樹が「長岡先生の休学」というエッセイに書いています(「湯川秀樹著作集6 読書と思索」収録)。長岡は明治のインテリとしては平均以上の漢籍の素養があったことは疑いないが,湯川は,漢籍の教育が廃れつつあった昭和のインテリとしては,専門家並のそれでした。実際,弟に貝塚茂樹,小川環樹がおり,家庭環境からしてすごい。その湯川も「荘子」の「愛読者」と公言しています。
    長岡と湯川は,大阪帝国大学の総長と理学部助教授という職制における上下関係にもあり,ノーベル賞の推薦人を務めていた長岡が初めて推薦した日本人研究者が湯川であり,彼の大阪帝国大学理学部での中間子論の業績を評価してのものでした。大阪帝国大学理学部の後身である大阪大学理学部にはその長岡と湯川が揮毫した書が所蔵されていますが,いずれも「荘子」,長岡の「勿嘗糟粕(糟粕嘗むる勿れ)」は天地篇,湯川の「天地有大美而不言(天地は大美あるも言わず)」は知北遊篇からの引用でした。
    このように,長岡と湯川がともに深い影響を受けた「荘子」には,荘子の友人である恵子の名家として議論が載っています。中でも「鏃矢之疾而有不行不止之時」という議論はギリシアのゼノンのパラドックスにも同様のものがあると言われています。これらを踏まえ,古代の中国には,ヘレニズム世界の哲学のような知的トレンドがあった,と長岡は考えたようです。
     このように近代科学へと繋がる可能性のあった名家の議論は,文献がほとんど散逸し,上記のように道家他の文献に散見されるのみになっています。道家は,その後も命脈を保ち続けましたが,それでも諸子百家の中で唯一「勝ち組」になったと言えるのが他ならぬ儒家・儒教でした。そして「勝ち組」が儒教であったが故に上記の名家の体たらくは必然であった,と言えます。儒教の考え方は「近代」の思想と水と油の関係のようです。福沢諭吉と毛沢東は,それぞれ日本と中国を近代化しなければならないという執念を持っていましたが,その二人は儒教に対して憎悪に近い見方をしていました。
    孔子を,「文明論之概略」で福沢は「遂に熱中煩悶して喪家の狗の譏を招くに至れり(仕官に熱中するあまり,喪中の家で飼われている,ロクに餌をもらえないでいる痩せた犬みたいだなどと,孔子ほどの人物すら悪口を言われるハメになる)。」,「毛沢東語録」で毛沢東は 「革命不是请客吃饭,不是做文章,不是绘画绣花,不能那样雅致,那样从容不迫,文质彬彬,那样温良恭俭让。革命是暴动,是一个阶级推翻一个阶级的暴烈的行动(革命とは客を招いてごちそうすることでも無ければ,文章を練ったり,絵を描いたり,刺繍をしたりすることでもない,そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力であり,一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動なのである)。」
    と批判しています。
     要するに福沢は,「聖人」と「小人」の二通りにヒューマンタイプを設定して人を差別し,「聖人」の側にまわって「小人」を自分の「徳」で感化させようと,中国全土,仕官を求めて放浪してうまくいかず,意気消沈しているところを嘲られる孔子を皮肉り,毛沢東は,「聖人」の側から「温良恭俭让(孔子の人格を表現した言葉)」の「徳」をもって,感化させるなんて甘いやり方ではだめだ,革命という,暴力を用いた激烈な行動でなければダメな中国は変わらないと言っているわけです。
     福沢・毛が指摘する儒教のダメなところは,①「徳」の有無で人を差別している②政治とは即ち「徳」を有する「聖人」の「小人」の感化だ,としている,の二点です。「聖人」と「小人」の対話(dialogue)なんてありえないですし,「怪力乱神」に関心を持たない,「述而不作,信而好古」となると,社会全体の知的水準の停滞は必然です。儒教が支配する社会では「徳」の重視が「知」の軽視を招きます。それでも孔子自身は,子夏と同様「雖小道必有可觀者焉,致遠恐泥,是以君子不爲也。」と考えていたようですが,後進たちは彼の考えを歪めたようです。
    諸子百家の時代に生まれた道家,法家,兵法家などの思想は,現代においても,古代中国からの知的遺産として畏敬の念を払われています。道家は現代の反戦思想や環境保護の思想に通じるものがあるとされ,法家はマキャベリの「君主論」より議論のレベルが高い,と言う人もいます。Facebookのザッカーバーグ氏は“Done is better than perfect”を座右の銘にしています。出典は孫子の「兵聞拙速,未睹巧之久也」であることは明らかです。そして長岡は名家に近代科学に繋がる可能性のあった思惟の鋳型を見出した。こういった思想を「異端」にした儒教という怪物の評価は容易ではありませんが,東洋における科学思想の芽を摘み,ルネサンスの勃興を阻んだ罪の側面は否定できません。

    • 木原 康明

      矢野様
      戦前、化学が金の成る実であったように、現在その地位にいるのが生物学であるように思えます。昔の生物学はお金・ビジネスとはほとんど無縁でいたようですが、現在の分子レベルからなる生物学はまさしく金の成る実で、生物学の新しい発見には特許取得が不可欠であります。とはいえ、それでも物理工学が工業の根幹であることは百年前から変わっていないように思えます。
      長岡・湯川が漢学についても博識だったとのことですが、日本の科学を含むすべての学問において漢学の存在は非常に重要であったように思えます。明治維新の開国当時の福沢が漢学に対して批判的(と言うのは間違えではありますが、あえてこういう表現をすると)であったのは当時の世相からしてしかたないとは思いますが、とはいえ当時の福沢たちの漢学に批判的な精神が、逆に西洋の最先端の思想・文化・西洋科学を積極的に取り入れる契機になったことは確かで、それはそれで日本の発展に大きな役割を果たしたことは言うまでもありません。
      明治維新当時、時代遅れと思われた漢学的思想とは言え、やはり漢学の根幹となる精神には万物に通じるような思想・精神がちりばめられていたことは確かであり、国内の情勢が落ち着いた後に古典を見返した日本人が再び漢学に傾倒したのも自然な流れかもしれません。そして明治以後、現在まで最も漢学的思想が強かったのが湯川世代であったと思います。もちろん、漢学の重要性は時代には関係せず、現代でも価値あるものであることには変わりありませんが、現在では漢学を気にする人が少ないように思えるのが残念です。
      儒教に対しては、科学文化とは相いれないところが多いのは事実であります。とは言え、現在日本では儒教的文化が薄くなってきたからと言って科学文化が強くなったかと言えば、そうは全く思えませんが。最近、イギリスの科学雑誌が、「韓国が科学研究に対して多くの予算を出しているのにも関わらず、なぜ大きな結果が出せないのか?」という記事を出していましたが、そこで一番の理由に挙げられていたのが儒教的文化の強さだと指摘されていました。
      古代中国思想、そして古い日本の思想には、現在の科学研究者にとっても非常に重要な思想・精神が詰め込まれています。科学者だから、理系だからと言ってそれらの古典が全く関係ないわけではありません。湯川たちもそのことに気づいていたのかもしれません。湯川と同級生のノーベル賞物理学者である朝永振一郎博士は、学生時代から西洋哲学書を原書で読んでいたようですが、漢学書にも親しんでいたであろうことは容易に推測できます。
      今一度、日本で科学に取り組む若者も、古典思想的教養をしっかりと身に付けることの重要性に気づいてもらいたいものです。

  7. 木原様
     福沢諭吉も毛沢東も維新・革命のただ中で,人生の盛り,朱夏を過ごした人物です。彼らはそれぞれ日本の最高額紙幣,中国の全ての紙幣の肖像画になっています。長岡半太郎は維新が成った後,智識を世界に求めて,欧米の文物の導入が緒についた頃に少年期を過ごし,導入が本格的に稼働した頃に青年期を迎えた,維新の申し子のような世代の人でした。木原様が言われるように,長岡が青年期を迎える頃の日本は,維新前の江戸の世を懐かしむ,慕夏主義の空気が醸成されていたのは確かだと思います。欧米の文物を導入しなければ,日本に未来がないことは,上下心を一にしていたに違いないのでしょうが,旧来の価値観との衝突によって,社会的に混乱が生じていたことも又間違いありません。
     長岡は湯川秀樹のエッセイ「長岡先生の休学」によれば,「まだ春秋に富んでいるから,一年を棒に振ったところで損をすることは僅かである。」という言葉を残しています。ここで「春秋に富んでいる」とは「オレの人生まだ先は長い」くらいの意味なのでしょうが実はダブルミーニングで,大学を一年休学して東洋科学史を調査,恵子に東洋人の科学研究の資質を見出したとき,彼は,乱臣賊子が跳梁する「春秋」の世と慕夏の明治の世を重ね合わせ,「明治の世の孔子たらん」との志を抱いていたのだと想像します。孔子が過去に何を言ったかを訓詁解釈するのではない,孔子が明治の世にタイムマシンで連れて来られたなら,どう考え,行動したかを推し量り,まず古に道を求めるということを実践し,名家の恵子にこれを見出した。次に孔子が歴史書「春秋」を著すという挙に出て乱臣賊子を恐懼させたように,自分も物理学の研究に邁進し,日本人に科学研究は無理,やっても無駄という「ムリ・ムダ」論者を恐懼させん,としたのでしょう。
     朝鮮が四書五経等孔子の過去の言動のテキストに縛られ,特に「名分」に病的に拘る朱子学に精神的に支配されたがために近代化に遅れをとったのに対し,私たちは長岡という「子」を得た。木原様が言われるように,未だに韓国の科学界は朱子学の残滓に苦しんでいます。これらを思うとき,私たちの現在の科学界は僥倖の恩遇に浴しているのだと思います。
     思えば儒教とは春秋という危機の時代に必要とされた思想でした。だから危機が去れば,必要とされなくなるはずでした。しかし儒教は一旦古代中国社会に根を下ろしてから,それこそ現代の共産中国に至るまで「国教」の地位を譲りませんでした。これに対抗する,西洋史におけるルネサンス,コペルニクス的転回,宗教改革,産業革命といった精神的動きが中国史には何故見られなかったのか。難題ですが,中国の農業生産力が,近代に至るまで他の文明圏に対して圧倒的だったことが大きな要因であったのでしょう。中国の人たちは,あたふたしなくても充分「食えた」のです。この点,よく古代中国と比較される古代ローマ帝国とは違う。古代ローマは帝国主義,軍事力によって領土を拡張し,そこで富を「奪い」,搾取しなければ帝国を維持できない,不安定なレジームだったことは確かです。ギボンをはじめ,古代ローマ帝国が何故滅んだのか,多くの歴史家が論じていますが,帝国主義であらざるを得ず,異文化・異民族を帝国内に多く抱えていたことが衰亡に拍車をかけたとは言えると思います。しかし異文化の包摂は普遍主義の思想を鍛える方向に作用しました。これは西洋史のルネサンス統の精神史的出来事の基盤となります。
    中国の異文化・異民族への対策は「奪う」ではなく「与える」でした。朝貢貿易です。その実態は,異民族の朝貢の物産に比し遙かに高価な財物を,冊封とともに下賜するので常に中国が赤字なのでした。朝貢する異民族は経済的恩恵を受け,中国は自らを盟主とした秩序を作ることができる。中国が,古代から圧倒的な農業生産力を背景とした経済力に恵まれていたからできたことでした。だから中国にとり,歴史を通じ,農業生産力の維持が最大の政治イシューでした。農業生産力の基盤は黄河・揚子江でできた大平野ですから,その治水のための土木工事が欠かせない。これは大事業であり,強力な中央統一権力でなければ実施できない。中央統一権力は必然的に強力な官僚組織を伴います。その官僚組織を如何に合理的に維持するかに中国の人達は腐心しました。
     古からの「血縁」の倫理を取り戻すという復古的イデオロギーの側面と,学ぶことで徳を高め,徳を高めて君子になった人物が為政者となるべき,という革新的イデオロギーの側面を併せ持つ儒教のテキストを出題範囲とした官僚の登用試験を「公明正大」に行う,それが中国の人達が出した答えでした。科挙の誕生です。中国の人達に「学び」を奨励し(「思想統制」でもある),一種の民主的手続を備えた科挙は,歴史を通じ,中国の不変の制度となりました。これに対し諸子百家の他の思想は「異端」の扱いになります。危機の時代の思想である儒教が学科試験として「日常化」し,思想の自由を圧迫する,こうして中国のルネサンスの芽は摘まれたのです。
     中国の大平野という地理的制約は,土地の境界が曖昧になるという副作用を発し,地域社会の「地縁」の成立を阻みました。そうしてできたのが,官僚組織の出先機関としての城壁都市です。地域社会における「地縁」の弱体化は同時に「血縁」の強大化を伴いました。これら都市と地域社会(農村)の先鋭な対立は,現代の共産中国にも引き継がれた社会リスクです。儒教はこれを緩和する機能がありました。都市の官僚組織を支える科挙と,地域社会を支える強い「血縁」,この二つの中国社会の特徴に同時に正統性を与えたからです。
     漢字の「義」は社会生活の中でしなければならないこと,という意味です。しかしもう一つ,本物そっくりの似せ物,という意味もあります。「義手」とか「義理チョコ」(バレンタインデーに,本命でない人に渡すが,値段や種類は本命の人に渡すのと同じチョコレート)等が用例です。社会生活の中でしなければならないこと=「本物」そっくりの「似せ物」,と中国の人達は考えているのです。では中国の人達にとって「本物」とは何か。それは「血縁」の中でしなければならないことです。つまり中国の人達にとって,「本物」の公共圏=「血縁」であり,社会生活の中でしなければならないこと,は「血縁」の範囲までなら「本物」,そこから一歩でも出てしまうと「似せ物」になる,ということです。また中国では漢字一字の姓の人が多い。これは強い「血縁」の団結のシンボルマークとして機能しているからだと思います。日本にも「家紋」がありますが,これは逆に弱い日本の血縁の「補強工事」だと思います。
     漢字にはそのシンボルマークとしての機能がある他に,刻んで使う文字,という特徴があります。実際,タテ・ヨコの直線がほとんどで,カーブがない。字は書いているうちに「平仮名」のようにカーブが発生するはずです。漢字がそうなっていないのは,書いて使うのでなく,ミランダとかクレテンダ,つまり亀の甲とか動物の骨みたいな占いの道具とか石碑のような「聖域」で刻んで使われていた,裏を返せば中国社会で,個人対個人の書いて伝えるコミュニケーションが如何に乏しかったかの証拠です。確かに中国の文学は詩という「声に出して読む」韻文,音声芸術に優れたものが多い。これは大勢の人の前でやるエクスプレション,パフォーマンスです。日本の文学は和歌,日記,随筆,小説と書いて伝えることが前提の分野に優れている。書き手から読み手への内面のコミュニケーション,私信です。こう考えてくると,中国の社会は,ハムラビ法典を著している「楔形文字」(漢字と同じく刻んで使う)が使われていた頃の他の古代文明のフェーズに未だ留まっているのではないか,という疑念が浮かんでくるのです。

    • 木原 康明

      矢野様
      福沢諭吉と毛沢東は、維新・革命時代の思想的変革をリードしてきた人物ですが、毛沢東が国家権力側から強制的に変革を推し進めたのに対し、福沢諭吉は民衆・庶民側から変革を促したという違いがあるのではないでしょうか?現代的な言葉で言うと、クーデターと革命の違いのような気がします。実際、福沢諭吉の「学問のすすめ」は、庶民に対して書かれたものであり、表現は非常に容易に書かれており、当時の教養の高くない民衆にとっても理解できる内容であると思います。
      日本・中国・韓国の文化・思想についてですが、中国に関しては孔子らから続く漢学を土台にした、非常に強固な文化・思想が根付いております。しかし明治維新時に自国の文化を一度放棄した明治日本と同じようなことが、現在の中国でも起きているように思えます。改革・開放路線に転じ、それが板についてきた1990年代から、自国に根付く中国古代思想よりも、とにかく最先端科学技術を取り入れ社会システムの近代化をはかり、金融市場を巨大化させることにまい進する現在の中国は、明治維新時の日本とどこか似ているように思えてなりません。とは言え、東洋思想の震源地でもあり、それらの思想・文化が中国から容易になくなるとも思えませんし、しばらくすると反動で自国の古代文化の偉大さに気付くのではないでしょうか。
      中国には基盤となる漢学・古代思想が土台として居座っているのに対し、日本の特徴は柔軟に社会の変化に対応してきたことだと言えるのではないでしょうか。中国から漢学を取り入れ、西洋から最先端科学を取り入れ、それらを日本流に上手く改良し、西洋でも中国でもない独自文化・技術を形成していきました。それらの流れは、科学技術では新幹線を代表とする技術となり、日本文化に関しては今ではヨーロッパ人たちまでもが深い興味を示すまでに至りました。日本が得意な加工貿易と言えるのかもしれません。
      それに対して、韓国・朝鮮半島のとった行動は非常に中途半端だと言えます。中国からの文化・思想に影響されながらも表面的な部分に振り回され、そのような状態で他人の土俵(中国)で勝負しても結果は中途半端なものにならざる負えません。最近では中国と米国の間で板挟みになり(韓国は両国を天秤にかけてバランスを取っていたと言っていますが)苦境に陥っていますが、そのようなことを見ても韓国の中途半端さが表れています。とは言え、これらの中途半端さは、国が地理的に位置するところの地政学的な理由があることは間違いありません。常に強国中国から圧力を受け、その一方隣の島国である日本は何とも器用に独自の進化を遂げ、それを見ていればどうしても表面的な部分だけで追いかけたくなるのもわからないでもありません。もちろん、日本文化も起源をたどれば朝鮮半島から流れてきた渡来人の影響を受けているわけであり、日本の多くの物の起源は中国・朝鮮にあると言えます。もちろん日本人は起源などあまりこだわらないのでどうでもいいことだとは思いますが、中国・韓国は起源にこだわります。逆に言うと現代の技術・文化では勝負できないということかもしれません。とは言え、現代韓国は近年は上手く最新技術を取り入れ、産業は急速に発達しましたが、やはり応用に特化した部分に集中しすぎたため、基礎技術の弱さは否めません。その対極にあるのが現在の日本。コツコツと積み重ねることが好きな国民性か、基礎は世界有数でありますが、最近はビジネスに関わる技術に関しては韓国・台湾の台頭に圧倒されました。その反動で、最近は日本も役に立つことにお金と資源を集中し始めましたが、大事なのは基礎と応用のバランスであるということを忘れているような気がします。
      現在の状況を見ると、中国・韓国との協調は非常に難しいと言わざる負えませんが、日本を含めたこの三国は同じ東アジアにありながらそれぞれ特徴的な文化・気性を持っており、それらを融合すれば面白いことになるとは思うのですが、これは僕の勝手な妄想かも知れません。

  8. 木原様
     福沢諭吉と毛沢東は,儒教が日中の近代化への道程の最大の障壁,との見識では一致していますが,その障壁の突破のために彼らが採った方法につき,思いを巡らせば,この二人は全く立場の違った人物となるのは木原様の言われる通りですね。
     福沢は自著「福翁自伝」にて「東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較してみるに,東洋になきものは,有形において数理学と,無形において独立心と、この二点である。」と述べています。私はこの福沢の洞察が日本の思想史上の白眉であり,「数理学」と「独立自尊の精神」は未だ日本には定着したとは言い難いと思っています。私は,かの丸山眞男が「福沢に惚れた」と言ったから,とか一万円札の肖像になっているからというわけではありませんが,この二つがどれだけ定着したのか,が今後の日本の行く末を示す羅針盤になると思っています。
     福沢は,件の「福翁自伝」で,「近く論ずれば今のいわゆる立国のあらん限り,遠く思えば人類のあらん限り,人間万事,数理の外に逸することはかなわず」と述べています。つまり福沢は「数理学」(数学を用いて理を説く,経済学・物理学のことを指していると私は解釈しています)を,人類から過去をどこまでも遡っても,また未来永劫,人間が一切の例外なく逃れることができないものだ,と言っているわけです。実はこれとほぼ同じことを,アメリカの著名な経済学者,スティグリッツ博士がニューヨークタイムズのコラムで述べていました。ネットで閲覧可能です(https://opinionator.blogs.nytimes.com/author/joseph-e-stiglitz/?_r=0)。
     コラムの内容は,トマ・ピケティの「21世紀の資本」を題材にした,社会の格差論でした。一時流行った不等式「r>g」を導いたピケティの業績について,スティグリッツ博士は評価しつつ,アメリカで進行している社会の格差は,この不等式がもたらしたのではなく,あくまで誤った政治判断,政策によるものだ,と結論づけています。その中で「If it is not the inexorable laws of economics that have led to America’s great divide, what is it?(アメリカの深刻な格差を引き起こしたのが,人の意思を超越した,無慈悲な経済学の法則でないのなら,何であるのか)」と問題提起し,そして「Widening and deepening inequality is not driven by immutable economic laws, but by laws we have written ourselves.(不平等を拡大,深化させたのは,永遠普遍の経済の法則ではなく,我々自身が立法した法律なのだ)」と結論付けています。ここでスティグリッツ博士は経済学の法則を,永遠不変で,人の意思を超越した無慈悲なものだ,と表現しています(物理学の法則についても当然経済法則と同様に考えているでしょう)。このコラムをはじめて読んだとき,これらの箇所が,福沢が「数理学」を「近く論ずれば今のいわゆる立国のあらん限り,遠く思えば人類のあらん限り,人間万事,数理の外に逸することはかなわず」と表現したのと寸分違わず重なっていることに,私は驚きました。
     現代の日本の,エコノミストとか経済学者を名乗る人で,経済学の理論とは,こういう「法則」を記述しようとするものだ,と厳しく捉えている人が果たして何人いるでしょうか。120年近く前の日本の思想家・福沢が既に達していた認識を,現代に活動するアメリカの経済学者・スティグリッツ博士は共有しているのに,です。
     私が,この「福沢‐スティグリッツ理論」で問題にしたいのは,経済学や物理学の「法則」を人類が永遠に逃れることができない「法」,要するに「自然法」であるとしていることです。今の日本で,経済学者や物理学者が経済法則や物理法則をこのように理解しているとは到底考えられません。現代の日本の経済学者は,経済法則なんて鵺の如きものだ,永遠不変で,人間の意思を超越した無慈悲な「自然法」の概念なんて封建思想そのもので,民主的な手続きで合理的な経済政策を立案すれば,そんな「鵺」は退治できる,と考えています。物理学者は,物理法則とは人の生活が息づく俗世から離脱した高邁な概念と考え,物理学者でない人たちは,物理法則なんて「理系」の話でしょ,私たちは関係ない,と考えているわけです。
     「福沢‐スティグリッツ理論」,即ち経済法則と物理法則は自然法であるとする見方は間違いなくグローバル・スタンダードです。しかし日本では,独特の「文系」・「理系」文化による極めて危険な偏見がまかり通っています。経済法則とは文系の話,人間社会の話なんだから,そんなものは民主主義の社会ならどうとでも中身を変えられるし,なくすことだってできる,逆に物理法則は理系の話,税金でつけた予算による研究施設の整備や学者の待遇の改善で,探究は支援されるべきだが,そうやって宇宙だの素粒子だのの探究された法則自体,人間社会とは関わりはない,という偏見です。要するに経済法則と物理法則は全くの逆の距離感で,自然法と認められていないのです。
     福沢の言う,東洋の儒教主義になきものとしての残りもう一つ「独立自尊の精神」は,理性の涵養による自治の獲得と他人の権利の尊重と言えるでしょう。これはプラトンの哲人政治の思想に端を発していると思います。人間の魂とは「知」,「勇」,「利」と三つの側面があり,社会的に「知」が哲人,「勇」が軍人,「利」が商人が分担する,そして政治は哲人が担うべきという思想です。東洋の政治思想で重視された「徳」は,ヘレニズム世界では重視されなかったのです。国家は価値中立的であるべきとするカール・シュミットの中性国家(Ein neutraler Staat)の概念の原型はプラトンに求めることができるようです。「知」即ち数学的合理性に裏付けられた理性の原理に基づく政治は,近代のデカルトによって理性が,イデア認識の手段から,人が自由意思を持ちうる必要かつ十分な条件へと捉え直されることによって,そのコロラリーとしての国家権力の絶対性と基本的人権の尊重という近代国家の特徴が導き出されたのでした。日本国憲法第3章「国民の権利及び義務」は,まず個人の尊重を規定する第13条から各論が始まり,以降,第29条まで続く。第30条で租税法律主義,第31条から第40条でデュープロセス,刑事罰に係る諸規定を定めます。この順番は,国が国民を認識するのは個人が基本の単位であること(定義),その国民がどうあるべきかの立論を述べたのち(命題),これを実現するための国家権力の行使,徴税と刑罰は,それが絶対であるがゆえに,法定でなければならない(証明),即ち数学の文法そのものです。
     かかる近代国家は,理性を具備した独立自尊の個人からなる国民としか統治契約は結べません。理性を具備した意思能力を有する者同士でなければ契約は無効なのですから。租税法律主義にて徴税された国民は,そのカウンターテーゼとして立法機関に代表を送り込む権利を有するという,「no representative,no tax」の原則も,同じように,哲人政治の国と独立自尊の国民の関係が前提でしか成立しません。
     福沢の話が長くなりますが,彼の言う「数理学」が科学法則・自然法の探求,「独立自尊の精神」が民主主義の必要条件ということになるとして,スティグリッツ博士のコラムでは,「the inexorable laws of economics」及び「immutable economic laws」が福沢の言う「数理学」,「laws we have written ourselves」が「独立自尊の精神」に対応します。が,ここで注目すべきは,スティグリッツ博士は,「数理学」によって探究される自然法としての科学法則も,「独立自尊の精神」で成立する民主主義によって立法された法律も,同じ「law」という単語で表現していることです。これを日本語では,それぞれ「法則」,「法律」と訳し分けます。
     日本語における「法則」は理系で,「法律」は六法全書に載っているもの,即ち文系ということになります。実は英語圏でも自然法の探求つまり「数理学」としての「law」と,民主主義による立法つまり「独立自尊」としての「law」はニュアンスがはっきり違うと考えられているようです。しかし二つの違うニュアンスを一つの言葉で包摂するということは,包摂せざるを得ない巨大な対立概念があると考えられます。それは「自由」です。まとめると,「自由(freedom)」,「法則・法律(law)」,「数理学(science)」,「独立自尊の精神(democracy)」の関係はこういうことになりそうです。
                 science
             freedom⇔law⇕
            democracy
     自由という概念を定義するには,これを拘束する法の概念を定義する必要がある。自由が定義されれば同時決定(simultaneously)的に法も定義される。日本のように自由を対立概念として法を定義しなければ,「数理学」では法則,「独立自尊の精神」では法律とご丁寧に二種類の訳語を「law」に対して用意してしまうわけです。逆に言えば英語圏の人たちは,未知のlawに対し,science「数理学」の法則の方なのか,「独立自尊の精神」の法律なのか,判断を迫られます。ここでもscienceとは何かを定義すれば同時決定(simultaneously)的にdemocracyも定義される。freedomを守るためにlawについて考え,lawとは何かを考えるためにscienceとdemocracyの峻別について考える。このフローチャートがアメリカの大学のlaw schoolとliberal arts collegeが対応しているわけです。アメリカではliberal arts collegeでみっちり教え込む「数理学」と「独立自尊の精神」が,日本では概念すら確立していない。原因は勿論「文系」・「理系」文化です。アメリカのlaw schoolは「数理学」と「独立自尊の精神」の峻別という知的マナーの上に成り立っている制度です。このマナーを弁えない者が,自由を拘束する法を扱ってはならない,という哲学があるのです。日本の法科大学院がうまく機能しないのは当然の結果と言えます。

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