推定無罪の原則は働いているか

犯罪を裁くとき、原則は推定無罪であることが求められる。確実な証拠がない、あるいは不確実なとき、原則として被告の有利なように働きかけることになっている。自白に関しても、最近自白強要の実態があらわになっており、無批判に自白を採用することには、国民の間でも抵抗が出てきているのではないか。

今、元自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏の横領疑惑が問題になっている。この様な事件の情報は、我々市民にとってはマスコミからの一方的な情報に頼らざる負えず、その内容もだいたいは疑惑の当事者に不利な情報であり、多くの市民は疑惑の当事者を犯罪者と決めつけてしまう。今回の田母神氏を現時点で犯罪者と見ている人は少なくないのではないかと思う。

僕はこのようなニュースに対して、できるだけ否定的に見るようにしている。従って、警察・検察の主張を疑うことが多い。もちろん警察・検察が決定的な証拠を提出している時は別だが、大体は証拠もあいまいなものが多い。最近では強姦事件のDNA鑑定のずさんさにより、有罪判決が覆ることも存在する。DNA鑑定自体は非常に信頼性の高いものだが、それを扱う人間の方に問題があるのだ。

現在の日本は、国家が犯罪者を殺す権利を認められている。死刑制度に賛成か反対かと言う問題はここでは論じないが、ただ確実に言えることは、無実の人間が死刑判決を受けると言う実例が存在することである。袴田事件の袴田巌さんは数十年の時間が経った後、何とか無実が認められたが、無実でありながら国家に殺された人間がいることは想像に難くない。

検察は被告を疑ってかかるのが仕事だから、被告にとって不利な証拠を突きつけることは当たり前である。しかし一つ勘違いしていることがある。検察の仕事は被告を犯罪者に仕立て上げることではない。弁護側との対立姿勢によって裁判のバランスを取り、裁判官が正当な判決を下せる状況を作ることである。検察の目的が被告を犯罪者に仕立て上げることになると、無実の者でも犯罪者として仕立て上げてしまうことになる。この様な意識が自白強要にも結び付いているのだろう。

日本の市民は、推定無罪の意識が低い。しかし、裁判の当事者を含め、もっと推定無罪の原則を徹底しなければ、新たな冤罪犠牲者が出ることになるだろう。

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