指導死

今日、「指導死」と言う言葉を初めて知った。指導死とは複数の教員が一人の生徒を取り囲んでプレッシャーをかけたりして、生徒が追いつめられて自殺をすることである。

指導死はまだ一般にはほとんど認知されていない。今では広く認知されている体罰死に比べると、指導死は指一本触れるわけではなく、表沙汰になりにくいということもあるのかもしれない。

当たり前のことだが、人を死に追い詰める指導なんて指導でもなんでもない。いじめと同じ犯罪である。中には教師の誤解による冤罪も多々あるようだ。教師という立場の人間なら何をやっても許されるのか。

南朝鮮や中国では反日無罪というのが広く認知されているようだが、学校では教師無罪ともいうべきものがあるように思える。もちろん昔に比べればそのような状態も厳しくなっていているように思えるが。

学校は無法地帯。生徒に対してではなく教師に対してである。今でも指導死のようなことがあることに愕然とする。

学校には校則というものがあるが、それは生徒に対するものである。指導死などが起こる現状下では、教師に対する校則も必要ではないかと思ってしまう。

「生徒の指導のため」という言い分を隠れ蓑にして、自分の保身のことしか考えていない教師には、本当に憤りを感じる。

25年ほど前、神戸の兵庫県立神戸高塚高校で校門圧死事件という事件があった。登校している女子生徒を遅刻を取り締まる教師が校門で押しつぶし、圧死させたというものである。学校側は警察が来る前に、地面に流れ出た血をホースで流し証拠隠滅を図った。本当に凄惨な事件だが、その後学校側はとにかく事件を風化させて忘れさせようと必死になっていたように見える。もしかしたら今の高塚高校生の中にも事件を知らない人が多いのではないかと思う。この事件の顛末などは、保身に走る学校の身勝手な振る舞いが非常にはっきりと表れたものではないかと思う。

生徒が死ぬと、命を大切に事件を忘れてはいけないと連呼するが、学校側が犯した殺人についてはとにかく風化をさせようとする。

僕が子供の頃から学校嫌いである理由の一部は、そのようなところにある。教師のために生徒がいる、そのようなことを思っている教師にはすぐにでも学校の現場から立ち去ってもらいたいものである。

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